竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 生意気なと、コーヤを一喝することは紅蓮に出来なかった。
この竜人界のことなど何も知らないコーヤが何を言っても口先だけだと切り捨てることが出来るはずなのに、黒い瞳の中の強い意思の
光を見てしまうと、もしかしたら・・・・・そんな思いになってしまう事も事実だった。
(こいつは・・・・・いったい何だ?)
 自分が忌み嫌う人間であることは確かなのだが、既にそれだけの存在では無くなっていることはごまかしようの無い事実だ。
碧香の身代わりでこちらの世界にやってきて、自分を陵辱した相手にも真っ直ぐな眼差しを向けることが出来て。
既に死んでいた卵を孵化させ、角持ちを見付け、江幻と蘇芳という能力者を味方に引き入れた。
 「・・・・・」
 「グレン?」
 もう、ただの人間だという意識では見られなくなったコーヤに、紅蓮はなかなか掛ける言葉が見付からなかった。
聖樹は、強い。その力に負けることはないと思うものの、長年軍に在籍し、修羅場をかいくぐってきた男の緻密な戦略はけして無視
することは出来ず、コーヤが行っても再び逃げ出すことは困難なはずだ。
そんな場所に、いくら本人の希望だからといって向かわせてもいいのだろうか。
(離れてしまったら・・・・・助けることが出来ない)
 「・・・・・グレン」
 なかなか返答をしない紅蓮に反対されていると思ったのか、コーヤが苦笑を浮かべた。
 「俺のこと、信じられない?」
 「・・・・・お前が、というわけではない。私は、私の信じるものしか・・・・・」
 「じゃあ、俺も信じてよ」
 「・・・・・お前は簡単に言う。私は、人間は嫌いだ」
 「それでもいいって!人間が嫌いだって、俺のことは別かもしれないだろ?少しはいいかもなんて思ってくれたら、俺のことも信じてくれ
るようになるかもしれないし、最初から駄目だって思ったら、それだけ選択肢が減るだけだと思わないか?」
コーヤの言葉に思わず頷き掛けて、紅蓮は慌てて身体を静止する。
しかし、飾らない言葉はすんなりと胸の中に入ってきて、紅蓮は頭から駄目だと言うことが出来なくなってしまった。
(・・・・・っ、これもお前の作戦なのか、コーヤ)



 なかなか言葉は発してくれないものの、険しいだけだった表情が変化してきたのが分かった。
ここまで来れば後はこちらの押し次第だと、昂也は右手を上げて紅蓮に差し出してみた。
 『・・・・・なんだ、それは』
 『これ?仲間同士でするハイタッチ』
 『はい・・・・・たっち?』
 『お互い頑張ろうって意味で交わす握手みたいなもんだって。ほら』
昂也はグレンの右手を握り、そのままお互いの視線まで上げてギュッと握り締めてみた。自分よりも大きく、爪が長く、そして・・・・・冷
たい手。
こちらの者達は一様に体温が低いようだが、グレンは群を抜いている気がする。それでも、昂也はグレンを冷たい感情を持つ相手とは
思わなかった。方法は確かに正しいものばかりだとは思えないが、彼がこの世界を大切に思う熱い気持ちは感じ取れるからだ。
 『後、お互いの健闘も祈るんだ』
 『・・・・・』
 『頑張ろうぜ、グレン。あんたの世界を守る為に』
 自分の気持ちは通じただろうか?
しっかりと手を握ったまま、自分よりも背の高い相手を見上げていた昂也は、やがて何時も怒っているような表情しか見せなかったグレ
ンの頬が僅かに緩んだのが分かった。
(え・・・・・?)
 『それ程言うのなら、自分が思うようにやってみたらいい、コーヤ。お前1人くらい何時でも取り戻すことが出来るからな』
 『・・・・・』
(だから〜、その物言いがゴウマンなんだって!)
 そうは思うものの、昂也の頬にも笑みが浮かぶ。グレンが自分を信じ、こうして動き出すことを許してくれた事実が、目の前が開ける
切っ掛けになると感じたからだ。
 『反対に、こっちがあんたを助けるって場面があるかもしれないけど』
 『・・・・・』
 暗に、自分達のことは心配ないとグレンには伝えておく。口だけでたいした戦力にならない自分はともかく、一緒に行く仲間には相
棒の龍巳と、いい加減ながら強い力を持っているコーゲンとスオーもいるのだ。
その昂也の気持ちが通じたのか、グレンの眼差しが自分からコーゲンへと移った。



 目の前で繰り広げられた光景は、少し前ならば絶対に考えられないものだった。
(あの紅蓮が、コーヤには簡単に触れさすんだねえ)
潔癖とは言わないが、紅蓮は簡単に自分の身体に他人が触れることを許さない。
無条件に受け入れるのは弟の碧香で、後は自分の守役の黒蓉。他の四天王さえ、きっと彼に触れることはあまりないはずだ。
 そんな中で、たとえそれが手だとはいえ、忌み嫌う人間に触れられても振り解くこともしない紅蓮の心境は、もしかしたら自分達が危
惧しているものかもしれない。
(紅蓮が、コーヤを・・・・・ん〜)
同性という以上に、人間という種類で、はなから切り捨てるはずなのだが。
 「・・・・・っ」
 自分の直ぐ傍では、蘇芳が面白くなさそうに舌打ちを打つ。コーヤのことを気に入り、欲しいと思っている蘇芳からすれば、コーヤと
紅蓮が必要以上に係わりあうことは面白くないはずだ。
(もちろん、私もだけれど)
 「江幻」
 「何?」
 そんな自分に視線を向けて、紅蓮が名前を呼んだ。
威圧的な、支配者の顔。何を言おうとしているのかは大体想像がつく。
 「共に行くのなら、必ず守れ」
 「言われなくてもそうするつもり」
 「・・・・・」
 「大体、コーヤを一番傷付けたのは紅蓮、お前だろう?こうやって、あの子自らが動いてくれているとはいえ、お前がしたことが全て許
されていると思わない方がいい」
 牽制はしておく。コーヤの価値を見出せず、その身を汚し、顧みなかった時間、自分の方が先にこの面白い存在を見つけたのだ。
(明るくて、強くて、優しくて。生命力のあるこの子を先に突き放そうとしたのは自分なんだよ?)
後からその価値が分かり、焦って取り戻そうとしたって、そう簡単に江幻も渡すつもりはなかった。
 「・・・・・」
 「どちらにせよ、私達が行くことで事態は少なからず変わる。紅蓮、それをどういう方向に持っていくのかはお前次第だよ」
 本当にこの竜人界を背負う竜王になれるのかどうかは、その手腕で見えてくる。
そこまでは江幻も手を貸すつもりはないと、言外に伝えたつもりだった。



 『トーエンッ』
 グレンがコーゲンと話し始めたのを切っ掛けに、昂也は彼の手を離して龍巳のもとへと駆け寄った。
 『あれって、OKってことだよな?』
 『多分』
そう言って笑う龍巳に頷くと、昂也はその隣にいるアオカの手を握り締めた。
 『ありがとうっ、アオカ!アオカが協力してくれたおかげだよ!』
 自分よりも細い、青白い指。守ってあげなくてはと自分さえも思ってしまうそれにあまり力は入れられないと、それでも感謝の思いをた
くさん込めて握る。
 『いいえ、私などの言葉より、兄はあなたの言葉を受け入れたのです』
 『俺の?』
 『こちらこそ、あなたにはどんな感謝の言葉を伝えても足りないかもしれない。ありがとう、昂也』
 『アオカ・・・・・』
(え・・・・・と、どうしよう)
感謝されることは何もしていないのにと、傍にいる龍巳に助けを求めるような視線を向けたが、龍巳はなぜか面白そうに目を細めて何
も言ってくれない。
(トーエンの奴〜)
 なぜ1人が余裕綽々なのかと、思わずへの字になりそうな口を辛うじてモゴモゴと誤魔化そうとした昂也は、チラッとその視界の中に
入ってきた姿にあっと思った。
(コクヨー・・・・・)
 何時もグレンの傍にいる男がこの場にいてもおかしくはなかったが、部屋の中ではなく廊下にいることや、自分に向かっても憎々しげ
な眼差しを向けてこないことに、彼の抱えている深い苦悩が垣間見える気がする。
 思い詰めたような表情の男に押し倒されたのは遠い昔ではない。グレンの時と同じようにその時の自分の気持ちや感情は生々しく
記憶に残っているものの、やはり、それを傷として抱えていることだけはしたくなかった。
(・・・・・っし)
 昂也はある考えを持ち、思い切ってコクヨーに駆け寄った。
 「コクヨー」
 「・・・・・」
まさか、昂也から話しかけてくるとは思わなかったのか、コクヨーの目の中に僅かな迷いの色が見えた。しかし、そんなことを気にしている
場合ではない。
 『コクヨーも行く?』
 『私、が?』
 『そう。本当はグレンの傍にいたいかもしれないけど、俺達があっちとどういう話し合いをするか、中立な・・・・・っていうか、むしろ俺達
に厳しい意見を持った誰かがそこにいた方がいいと思うんだ。もちろん、安全だって言い切れないけど、どう?来る?』
どんな答えが返ってくるか・・・・・出来れば前向きに考えて欲しいと思いながら、昂也はコクヨーを見つめた。



(私を同行者に選ぶ?・・・・・いったい、こいつの頭の中はどうなっているのだ?)
 黒蓉は期待を込めた眼差しを向けるコーヤに眉を顰めた。
勝手な行動をし、このコーヤを陵辱しようとした自分への罰を、未だ、紅蓮は告げてこない。本来なら、先走った自分に自ら罰を与
えるのが本当だろうが、こういう緊迫した現状では自分などの力でも役に立つかもしれないと、黒蓉は恥知らずだと自分自身を責め
ながらも、ただ紅蓮の傍にいた。
 そんな中、いきなり現れたコーヤの言葉は、紅蓮と同様に黒蓉にとっても思い掛けないもので・・・・・いや、どうして自分の方が早く
それに気付かなかったのかと悔しい思いがした。

 「コクヨーも行く?」

 その中での、コーヤの自分に対する言葉。無視することはとても出来ない。
 「コーヤ、そいつは別にいいんじゃないか?そいつの役割は紅蓮を守ることだし、こっちで敵の来襲でも待ってれば」
 「・・・・・」
蘇芳の言葉は一々癇に障る。
今の言葉をそのままの意味で取れば、まるで自分だけは安全な場所にいるくせにと責められているような気分だ。
(私は自ら先頭に立って敵陣に乗り込むことを恐れてはいないっ。紅蓮様のお役に立てるのならば、この命などいくらでも投げ出して
やるっ!)
 「ちょっと、スオー。今の言い方嫌味っぽい」
 「そうか?」
 眉を顰めるコーヤが自分と同じ思いだということは置いておいて、黒蓉は出来るだけ感情を表に出さないようにして頷いた。
 「分かった」
 「えっ?いいのっ?」
自分で言ったくせに、何を驚いているのだと思う。
 「こちらでは浅緋や蒼樹、それに白鳴や多くの兵士が紅蓮様をお守りする。私が不在でも問題はない」
むしろ今が、勝手な行動をしてしまった償いのいい機会かもしれない。なにより、紅蓮のことで自分ではなくコーヤが動くことにはやはり
抵抗があると、黒蓉は硬い表情のまま続けた。
 「紅蓮様にとって一番良い方法は私が見付ける」
 「あー・・・・・そう」
 何か言いたそうに口を開いたコーヤは、それでも分かったと頷く。
話が決まれば紅蓮に報告をしなければと、黒蓉は部屋の中に入り、未だ江幻と何事か会話を続けている(それ自体が滅多にないこ
とだ)紅蓮の名前を呼んだ。
 「紅蓮様、よろしいですか」