竜の王様
第四章 勝機を呼ぶ者
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※ここでの『』の言葉は日本語です
声を掛けると、紅蓮は江幻との会話を中断して自分に視線を向けてきた。
(お許し・・・・・下さるだろうか)
自分がコーヤに対して何をしたかを知っている紅蓮が、いくら他にも同行者がいるとはいえ、自分がコーヤと共に聖樹のもとへ行くこと
を許してくれるかどうかは分からない。
それでも、紅蓮のことで自分が出遅れるわけにはいかない、誰よりも紅蓮のために動きたいと思っている気持ちに偽りはなく、どうか分
かって欲しいと思いながら、黒蓉はその近くまで歩み寄り、紅蓮の足元に跪いた。
「紅蓮様、どうか私にも北の谷に参る許可を」
「・・・・・お前も、コーヤ達に同行するというのか」
「はい。必ずやこの竜人界に、紅蓮様にとって良い方向へと事態を進めて参ります」
もう、ここには戻ってくる気はなかった。自分の命くらいで聖樹を止めることが出来るのだったら、それこそ、こんな自分などでも存在意
義があると思える。
「・・・・・黒蓉」
「はい」
「私は、守役はお前しかいないと思っている」
「・・・・・っ」
「必ず戻ってくると誓えるのなら、お前の申し出を許そう。だが、その命を私のために捨てるつもりならば、ここにいて私と共に戦っても
らう。後ろに私がいれば、お前も簡単には死ぬことは出来ないだろう」
「紅蓮様・・・・・」
黒蓉は高まる感情を抑えるために拳を握り締めた。紅蓮が、自分を思ってくれているのがよく分かったからだ。
幼い頃からずっと、未来の竜王である皇太子を守る任に就けたことを最上の喜びと感じ、その気持ちは今なお、強くなり続けている。
そんな、ただの臣下でしかない自分に、これほど心をくだいてもらえるのならば、こちらもその思いに応えなければならないと思った。
「・・・・・必ず、戻ってまいります」
「・・・・・」
「王座に座るあなたを、この目でしかと見るために」
「頼むぞ」
返ってきた一言に、黒蓉はさらに深く頭を下げた。
『だから、青嵐はお留守番なんだ。いい子にしてろよ?』
『や!』
『青嵐・・・・・』
『コーヤと、いっしょ!』
嫌々と首を横に振りながら自分の腰にしがみついてくる青嵐に、昂也は現状をすっかり忘れてへラッと笑ってしまった。
(く〜・・・・・っ、かわい〜!)
本当ならばギュッと抱きしめて、柔らかな頬にグリグリと頬ずりをしたい気分だったが、そんなことをしてしまったらますます青嵐は離れよ
うとはしないだろう。いくら角持ちで、計り知れない力を持っているらしいとはいえ、見た目はまだ幼稚園児くらいなのだ。
(危ないところを何回も助けてくれたけど、今回だけは絶対無理だし・・・・・)
青嵐を危険に晒すことは出来ないということももちろんだが、まだ何も分からない子供の青嵐を利用し、聖樹が自分達のために力
を使わせるようなことがあってはならないだろう。
『青嵐にはお願いがあるんだ。このお兄ちゃんを守ってやってくれ』
『おに・・・・・ちゃ?』
『そう。俺の大事な友達だから、俺が頼りにしているお前にしか頼めないんだ。な?頼む!』
青嵐は、昂也が指差したアオカをじっと見上げた。
(俺の言ったこと、分かったのかな)
まだ幼い青嵐に、今回の旅が危険であることをどう説明していいのか分からない。それならば、幼くても男である青嵐にも、ちゃんと自
分の役割を与えた方がいいんじゃないかと思った。
自分なら、きっと・・・・・。
『わかった』
『青嵐・・・・・本当に?』
『コーヤのかわり、がんばる』
しっかりと頷く青嵐は、きっと分かってくれたのだろう。昂也は嬉しくて、思わずその場にしゃがみこむと、青嵐と視線を合わせてその身
体を強く抱きしめた。
人間の子供と変わりない、柔らかで小さな身体。その肌はやはり冷たいが、気持ちは自分同様に熱いのだと感じる。
『任せたからな!』
昂也の言葉にうんと頷き返す青嵐の髪をくしゃっと撫で、昂也はよしと自分の中でも勢いを付けた。
(青嵐に負けてられないもんな!絶対に、何とかしてみせるって!)
根拠のない自信だが、これが自分の原動力だと、昂也はようやく時間が進み始めたような気がしていた。
クシャクシャと髪をかき混ぜながら青嵐を構い倒す昂也を笑いながら見ていた龍巳は、そのまま視線を碧香に移して・・・・・その手
を強く握りしめた。
その感触だけで自分だと気付いているのだろう、碧香は振り解くことはなく、返って自分も強く握り返してきて、見えない眼差しを龍
巳の方へと向けてくる。
『トーエン』
『ちょっと、行ってくる』
もちろん、碧香のことは心配でたまらない。ここにいれば大丈夫だと思っているものの、自分自身の手で守ることが出来ないのは悔
しいとも思ってしまう。
それでも、今回のことは昂也が言い出したからというわけではないが、人間である自分と昂也が動くことで状況が大きく変化するん
じゃないかと思えた。数多くの人間の中から碧香の身代わりとして昂也が選ばれたのにも、その碧香が人間界で自分の目の前に現
れたのにも、きっと意味があるはずだ。
(力がってだけじゃなくて、もっと、別の何か・・・・・)
『待っています』
『碧香』
『東苑は、私に嘘をついたことがないですから』
気丈に答える碧香の口元が少し震えている。
本当ならこのまま抱きしめて、震える唇に宥めるようにキスがしたかったが、さすがに昂也や、碧香の兄がいる場所では無理なので、そ
の分の思いも込めて手を握り締める。
『うん。俺、大切な人には嘘つかないよ』
『・・・・・っ』
『ちゃんと帰ってくるから、碧香は碧香で出来ることをやればいい』
じっとして、誰かに守られていると思う方が安心するのは間違いないが、たよやかな見掛けにはよらず、碧香が意思が強いということも
もう分かっていた。
(昂也が、あの子を碧香に任せてくれたのは良かったかもしれないな)
守るべき幼い子がいれば、碧香も無理はしないはずだ。きっと、お互いに無事に笑って再会出来ると信じて、これから向かう地へ向
けて龍巳も意識を切り替えた。
「何だ、あいつもついてくるのか。おい、コーヤ、お前色んな奴タラシ過ぎ」
「はあ?」
もう少しだけと再び青嵐を抱き上げているコーヤは、自分の言葉の意味が全く分かっていないらしい。
蘇芳はおいおいと何度めか分からない溜め息を噛み殺した。
(大体、コーヤに手を出そうとしたくせに、早々と顔を合わせることがよく出来るな)
黒蓉の力が相当なものであるということは分かっているし、味方としては十分戦力になるだろうが、蘇芳はああいう性格・・・・・凝り
固まった自分だけの正義を持つ者が好きではない。
そもそも、本当に紅蓮のためにコーヤに手を出したかどうかはあまりにも不確かだ。紅蓮同様人間を忌み嫌っている黒蓉が、人間の
コーヤを抱こうなんて考えること自体おかしい。
(むしろ、殺そうとする方がしっくりくる)
殺さず、その身体を支配しようとするとは、もしかしたらそこに、全く別の感情があるのではないだろうか。
(・・・・・厄介)
江幻だけでもうんざりなのに(彼がどの程度コーヤに本気なのかはまだ分からないが)、その上まだ他の者が出てくるとは。
それも、多分黒蓉だけでなく・・・・・。
「・・・・・」
黒蓉との会話を終えた紅蓮が自分の方、いや、コーヤに向かって歩み寄ってくる。自分から呼びつけず、自ら近付いてくることがまた
面白くなくて蘇芳は思わず眉を顰めるが、そんな自分は紅蓮の視界には入っていないようだ。
(こいつは・・・・・)
「スオー?」
どうやらコーヤはまだ紅蓮の動きに気が付いていないようで、その眼差しは自分に向けられたままだ。たったそれだけのことに優越感
を感じて、蘇芳はふんっと鼻を鳴らした。
黒蓉に江幻、そして蘇芳までがついているのなら心配はないだろう。後は、コーヤ自身が無謀なことをしなければと思いながら、紅
蓮はコーヤに歩み寄った。
直ぐ傍にいた蘇芳が意味深な眼差しを向けてきたが、今の紅蓮はコーヤの姿しか目に映らない。
「コーヤ」
「あ、グレン」
コーヤの腕には、あの角持ちが抱かれている。まるで当然のような顔をして華奢な腕の中に収まっている子供。
貴重で大切な角持ちだというのに、無条件でコーヤの愛情を受けているその姿が憎らしく思えてしまったが、今は私的な感情を押し
殺さねばと、紅蓮は自分を見るコーヤに言った。
「黒蓉も同行する。お前は一人で勝手に動き回らないように」
「うん、分かってる」
「まことか?」
「本当だって!俺だって怪我をするのは怖いし、それこそ死んだりしたらそこで終わっちゃうじゃん?」
「・・・・・」
「心配してくれてありがと、グレン。あんたがそう言ってくれるのは複雑な思いがしないでもないけど、俺だってちゃんと考えて行動する
からさ」
にっこりと笑って言うコーヤを、紅蓮はじっと見つめた。
どうしてここまで前向きになれるのか。
自分の身を陵辱した相手のために動けるのか。
コーヤを知れば知るほど謎は深まり、それを切り捨てるわけではなく、知りたいと思ってしまう自分に戸惑う気持ちがないわけではない
が、それでも紅蓮は、これだけはと思って重々しく言った。
「必ず、ここに帰って来い」
「いや、だから、帰ってくるつもりだし。大体、ここに戻ってこないと、俺家に帰れないじゃん」
「・・・・・」
「え・・・・・と、帰れるよな?」
首を傾げるコーヤにかろうじて頷いたグレンだが、実を言えば今この瞬間まで、コーヤがいずれ人間界に帰ってしまうということが頭の
中に全くなかった。
(確かに、コーヤは碧香の身代わりだが・・・・・)
今回の聖樹との諍いに決着が着き、無事に翡翠の玉が紅蓮の手に戻ると、コーヤがこの世界にいる意味は無くなってしまう。
そう、コーヤは自分の手から放してやらなくてはならないのだ。
「グレン?」
「・・・・・とにかく、戻って来い」
「分かったってば!」
次の言葉が思い浮かばず、再び同じことを繰り返した紅蓮に、コーヤは苦笑のような笑みを浮かべながら頷く。なんだかあしらわれ
たような気がするものの、取り合えずはそれが先決だと、紅蓮は顔を上げ、その場にいた者達に言った。
「聖樹との話し合いは、まとまらないものと覚悟した上で臨め。あちらが降伏や譲歩を口に出さなければ、そのまま戻ってくるのだ。け
して、自分が捨石になろうなどと思わないように、よいな」
「はっ」
「そんなの当たり前だって!俺っ、全員、もちろん赤ちゃん達だってちゃんと連れて帰る気満々なんだから!」
「ふ・・・・・お前が言うと、不思議にそのように思える」
1人でいた時は、あれほど最悪の状況ばかり考えていたはずが、今の紅蓮の頭の中には漠然とだが良い未来が浮かんでいた。
可能性という明るい光を背負っているコーヤがこちらにいるのならば、自分達が負けることなどありえない。
(・・・・・勝機を呼ぶ者、か)
まさしく、コーヤは自分達に勝利を呼ぶ存在になるかもしれないと思う紅蓮の耳に、威勢の良いコーヤの声が飛び込んできた。
「よし!みんな行くぞ!」
「おいおい、1人で張り切るなよ、コーヤ」
「これは勢いをつけてんだよ!グレン、期待して待ってろよ!」
「・・・・・ああ」
コーヤが言うほどに聖樹は生易しい男ではないと分かっていたが、紅蓮は張り切ってそう言うコーヤの出鼻を挫くつもりはなく、ゆっく
りと頷いて同意の意を示して見せた。
第四章 完
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