竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 南にあった離宮は、王宮よりも遥かに小さく、こじんまりとした建物だった。もちろん、数十人単位の人間が暮らせるほどの広さはあ
るものの、あの王宮と江幻の小屋(比べてはいけないとも思うが)しか知らない昂也にとっては、その大きさの落差は目に見えるほどに
大きなものだった。
 『は〜、着いた』
 王宮を出たのは、確か朝方だったと思うが、今はもう陽が暮れようとしている。それでもかなりのスピードだった事は体感していて分か
るし、同時に、これだけ離れていれば赤ん坊達に害はないのではと昂也も安心出来た。
 「紫苑様っ」
 「ああ、いきなりすまない」
 中から出てきた数人の格好は、江紫達が着ている服によく似ている。多分、神官なのだろう。
(そうだよな、ここの神殿に預けるって言ってたし)
王宮ほどではないにしても、ここで暮らしている者はいるはずで、今回赤ん坊達は彼らに預けるのだ。穏やかに話している紫苑の姿
を見ても、それは安心してもいいのだろうと思えた。
(・・・・・それにしても、紫苑は青紫の竜だったなあ)
 どういう基準で鱗の色が変わるのかは昂也には分からない。それでも、綺麗だと思ったし、大きさも立派なものだった。
結局、竜に変化したのは紫苑と蘇芳で、少年神官達と昂也、江幻はそれぞれに分かれて乗った。蘇芳は自分の方へ乗れとしつこ
く言ってきたが、昂也はあっさりと紫苑の背に乗り・・・・・。
 『・・・・・』
(男らしくないんだからな・・・・・)
 どうやら蘇芳は面白くないと思っているらしく、先程から昂也のことを無視している。
子供っぽいなあと思う反面、もしかしたらそれも男の芝居なのではないかと思えて、昂也は結局自分から蘇芳の方へ歩み寄らなかっ
た。放っておいても、向こうからくる・・・・・なんだか、その姿が想像出来た。



 北、南、東、西。
4つの離宮と、その中央にある王宮。その5つの宮殿があることは広く知られているが、本当はそこにもう一つ、その存在さえ忘れられ
た、いや、そもそも知られていない宮殿があることを蘇芳は知っていた。
 そこは、宮殿という名称は名ばかりで、この竜人界に害をなす要注意人物が隔離されているいわば牢獄のような場所で、限られた
者しかその存在は知らず、出入りしている者はさらに少ないはずだ。
 身を隠すのなら、それこそその知られていない宮殿に隠すのが一番だろうし、今はその中には注意しなければならない者はいないは
ずだが、やはりそこに移すのには紅蓮としては躊躇いがあったのだろうか。
(そんな私的な感情で動くような男ではないだろうにな)
 「蘇芳殿」
 そこまで考えた蘇芳は、名前を呼ばれて顔を上げた。
 「何だ?」
 「申し訳ないが、赤子達を中に連れて行くのを手伝ってはくれませんか」
紫苑の言葉に、蘇芳は頷く。もちろん、今回はそのためについて来たということも一つの理由だ。
 「ああ。江幻は?」
 「先に、あちらに」
 その言葉に視線を向けると、江幻はコーヤと並んで子供を腕に抱いている。
(あいつ・・・・・何食わぬ顔をして・・・・・)
飄々としていながら、何時も美味しいところを取っている江幻を責めようにも、きっと受け流されてしまうだろうということも分かっていた。



 『空気がひんやりしてる・・・・・』
 『離宮は、王族が地方を視察する時に拠点とする役目で建てられたものだからね。普段は宮殿の警備や、造られた神殿に仕える
限られた者達しかいないから、空気が冷たく感じるんじゃないかな』
 『へえ』
(普段、使っていないのか・・・・・勿体無い)
 そう思ってしまうのは庶民の自分だからなのか・・・・・昂也は青嵐を腕に抱いたコーゲンの少し後ろを歩いた。
本当は自分で青嵐を抱いていってやりたいのだが、かなり重い青嵐を抱いて足場の悪い道を歩くのは覚束無いと、コーゲンが手を差
し伸べてくれたのだ。
 『コーゲンも、来るの初めて?』
 『私には縁がない場所だしね』
 『うん、まあ、普通は来ないよな』
 『ははは、だろう?』
 王宮よりも小さいが、立派な門をくぐって中に入る。
ここはあちらよりも外の光を入れ込む明り取りの窓が多くあるようで、かなり明るい気がする。綺麗だが、昂也にとっては冷たいという印
象の強い王宮よりも、何だか居心地がいい。
(やっぱり、俺は陽の光が好きなんだよね〜)

 ずらずらと列を作りながら長い廊下を歩いていた時、昂也はふと気が付いた。
 『ねえ、コーシ、ここで本当に大丈夫なのか?』
 『大丈夫、とは?』
昂也の後ろを歩いているコーシが、不思議そうに聞き返してくる。
 『ご飯とか、掃除とか、洗濯とか、世話をしてくれる人っていないんじゃない?』
 自分達が到着した時に出迎えてくれたのは5人だ。まさかこれで全員とは思わないがそれでも数十人といるわけではないだろう。
8人の赤ん坊達と、コーシ達全員の世話をする者を後から連れてこなければならないのだろうか・・・・・しかし、その昂也の疑問は前
を歩くシオンが答えてくれた。
 『それは心配ない。ここにいる者達は皆、自分の世話は自分で出来るようになっているし』
 『全部?』
 『ええ』
 『みんな、凄いなあ』
 昂也は掃除は苦手で、何時も怒られるまで散らかしているし、洗濯は全部母親任せで、お腹が空いた時は、何時も龍巳の家に
までご馳走になりに行っていたくらいだ。
(そういえば、トーエンも結構自分でしてたし・・・・・俺だけ情けない感じ?)
調理実習で習った料理くらいは何とか作れるが、それだけでは駄目かもしれない。せっかくこんな自分の力で生きなければならない世
界に来てしまっているのだ、何かしなくちゃ・・・・・昂也はそう思ってしまった。



 この離宮に来るのはどのくらいぶりだろうか。
先王・・・・・紅蓮の父が崩御をした時、全ての離宮を回って盛大な葬儀を執り行った時に訪れて以来だろう。
その時は離宮の中の神殿から人々は溢れ、周りも数えきれない者達が集まって前王の死を悲しんでいたが、今はしんと静まり返って
物寂しい雰囲気だ。
 「紫苑様、一体何が起こっているのでしょうか?」
 「・・・・・」
 王都以外に住む者は、今回の翡翠の玉が絡んだ諍いのことはよく分からないのだろう。
今回も、いきなり神官長である紫苑が訪れ、それに続いて何人もの神官と見知らぬ人物も現れて、気持ちとしては戸惑いの方が大
きいように見えた。
 「お前達は心配しなくてもいい」
 「しかし」
 「この者達の世話をしっかりと頼む。いずれ・・・・・迎えに来る時まで」
 「はい」
 預けるのは少年神官達だけではなく、赤ん坊達も一緒だ。この世界の財産ともいえる赤ん坊達をしっかりと守る・・・・・それだけで
彼らには精一杯で、外でどんな事が起きているのかまでを気にすることは出来ないだろう。
 しかし、紫苑はそれで十分だと思った。王が紅蓮になるにしても、朱里にしても、王都から遠く離れた地にいる彼らには大きな問題
ではないように思えた。



 『こちらに』
 案内された部屋は、静卵の部屋の半分ほどの広さしかなかったが、陽の日差しが入る温かな部屋だった。
 『ここなら、いいな』
窓も無く、綺麗だが冷たい感じのする部屋よりも、こうして自然の空気が感じられる方が赤ん坊達にとってもいいだろうと思える。
 『あのっ』
 コーゲンが青嵐を神官に渡そうとした時、昂也は思わず声を上げてしまった。
それまで、昂也の存在をあまり気にしていなかったらしい神官は、改めて昂也の方を振り返り・・・・・そして、大きく目を見張る。
(あれ?)
 『紫苑様っ、この者は人間ではありませんかっ?』
 『あ、分かっちゃったんだ』
 見た目からか、それとも纏っている雰囲気からか(それは、昂也には全く分からないが)、どうやら昂也のことを人間だと気付いたらし
い。しかし、王宮での反応とは違い、ここの神官達はただ驚いたような視線を向けてくるだけだ。
疎まれているというよりは、怖がられている・・・・・・そんな感じがした。
(俺、何も出来ないんだけど・・・・・)
 龍巳は努力をして(不思議な血のせいもあるらしいが)、凄い力を使えるようになったらしいが、自分にはとてもそんな素養があるよ
うには思えない。だから、怖がられるのも心外と言えば心外なのだが・・・・・。
(もう、諦めるしかないしな)
 人間の自分がここでは珍しいのだという自覚も十分にあるので、昂也は割り切って言った。緋玉のおかげで言葉は通じるのだ、今
のうちにちゃんと青嵐や赤ん坊達のことを頼んでおきたい。
 『よろしくお願いします!』
 『え・・・・・?』
 『この子達を、守ってくださいねっ?』
 『に、人間に言われるまでもない。我らにとってこの赤ん坊達は大切な未来への光。それに・・・・・』
そう言う神官の目が、青嵐の額の角に向けられた。
 『角持ちが現れたということは・・・・・この世界が大きく動くだろう予兆。我々は紅蓮様と共に、新しい竜人界というものを守ってい
かなければならない』



 神官の言葉を聞きながら、紫苑の頬には僅かな自嘲の笑みが浮かんでいた。
これほどに前向きな竜人もきちんと存在しているというのに・・・・・どうして、その先頭に立とうという者が何時まで経っても過去に縛ら
れているのだろうか。
(紅蓮様・・・・・あなたはもっと早くに気付くべきだった)
 何が大切で、何を守っていくのか。それはけして古臭い矜持ではなかったはずだ。
あれほどの大きな力を持ちながら、心にわだかまりのある紅蓮に全ての力を発揮出来るわけがない。だからこそ・・・・・聖樹のような
男に足元をすくわれてしまうのだ。
 「シオン!」
 「・・・・・」
 「シオンってば!」
 「・・・・・何か?」
 直前まで神官と話していたと思ったコーヤは、何時の間にか自分の隣にまでやってきていた。
コーヤが人の心の中まで覗けるとは思わないが、紫苑はたった今まで考えていたことを悟られないようにと、完璧に作った笑みをコー
ヤに向ける。
 「今日はどうするんだ?帰る?」
 「・・・・・」
 「今から帰ると、向こうに着くの夜になっちゃうだろ?竜になって飛んで行くの、夜でも大丈夫?」
 コーヤは、もしかしたら自分のことを心配してくれているのだろうか?
そう思うと、紫苑の頬には今度こそ本当に嬉しそうな笑みが浮かんだ。
 「それは心配はいらないが、赤ん坊達の事も少し見ておきたいし、今夜はここで休もうと思っている」
 「へえ、じゃあ、泊まるんだ」
分かったと言ったコーヤは、そのまま踵を返していく。江幻と蘇芳の元へ向かう姿を見送りながら、紫苑はそっと部屋から出て、離宮
の地下神殿へと1人足を向けた。