竜の王様
第四章 勝機を呼ぶ者
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※ここでの『』の言葉は日本語です
初めての場所で、赤ん坊達は落ち着かないと思ったが、昂也が心配するほどに赤ん坊達の様子には変わりは無かった。確かに最
初は少しだけ泣いたが、後は居心地の良い敷布に身体を埋め、今はもうスヤスヤと眠っている。
『一応、安心だな』
『コーヤ、夕食を用意しますので、もう少し待っていただけますか?』
早速、働いているコーシは、やってきた少年神官達のリーダー格なのでしっかりしなければならないと思っているようだ。
凄いなあと内心感心しながら、昂也はうんと頷いた。
『全然いーよ。あ、俺に出来ることがあったら何でも言ってくれよな?』
『・・・・・ありがとうございます』
昂也の申し出に一瞬驚いたように目を瞬かせたコーシは、少しだけ照れくさそうな笑みを浮かべた。
自分とあまり歳が変わらないのに、しっかりしているコーシを凄いなと思っていたが、こんな顔を見れば自分とあまり変わらないなと改め
て思えた。
(コーシ達は夕食の準備か。じゃあ、俺は・・・・・あれ?)
『コーゲン、シオンは?』
『紫苑?さっき出て行ったが・・・・・』
今まで一緒にいると思っていたシオンの姿が見当たらず、昂也はキョロキョロとあたりを見回した。何をすればいいのか、シオンに聞く
のが一番早いような気がしたのだが・・・・・。
『ちょっと、捜してくる』
『私も行こう』
『大丈夫だよ。ちょっと捜していなかったら戻ってくるし』
どこに行くのも保護者付きでは、あまりに自分が子供に思えてしまう。確かにここは知らない場所だが、まさか迷子になることは無い
だろうと、昂也は付いてこようとするコーゲンを押し止めて手を振った。
久し振りに来た神殿は冷え冷えとした澄んだ空気に支配されていた。
常駐している神官達も朝夕の祈りは欠かさないだろうが、それでも常にこの場所にいるわけではないはずだ。
「・・・・・」
ここにいるはずの神官達も皆上に行っていて、今ここには、誰もいないはず・・・・・。
「紫苑」
いや、いた。
「琥珀」
「思ったよりも早く着いたな」
祭壇の陰から現れたのは、神官の衣装を纏った琥珀だった。
無い手首は服の袖で隠し、何食わぬ顔をしたまま、琥珀はもうかなり前からこの南の離宮に神官として入り込んでいた。
もちろん、紫苑の口添えということで怪しむ者など1人としておらず、また、その使いということで離宮を離れることも自由に出来る立場
にいた。
「・・・・・ええ。赤ん坊達の為にも、こちらに来るようにと進言した者がいたので」
王宮を出て直ぐに、琥珀がここに来ることは予想していた。
紅蓮の動きを探るためと、多分・・・・・自分が裏切ることなく任務を遂行するかを確かめるためだろう。
(今更、無かったことに出来ないことは分かりきっている)
「・・・・・皇太子ではないな」
そんな紫苑の耳に届いたのは、何か含むような琥珀の言葉だった。
「琥珀殿」
「・・・・・」
「それは・・・・・」
「・・・・・あの、人間か?」
その瞬間の動揺は顔に出さなかったつもりだ。しかし、琥珀の鋭い観察眼は紫苑の中の僅かな変化を見逃さなかったようだった。
「・・・・・やはり、な。紫苑、なぜあの人間のことを私達に伝えなかった」
「なぜあの人間のことを私達に伝えなかった」
琥珀は紫苑の顔から視線を逸らさずに言った。
確かに、ただ第二王子、碧香が人間界に行く為の身代わりでこの世界に来ただけの存在だったら、琥珀達にとっても全く意に返さ
なかっただろうが・・・・・。
(ただの人間には・・・・・見えなかった)
あの時、自分達に向かって、少しも恐れた様子も無く声を掛けてきた子供。
「手、痛くない?」
明らかに、敵対しているという雰囲気の中で、自分にそんな風に声を掛けてくるとは思わなかった。
その時琥珀が感じたのは、戸惑い。誰かに気遣われるということなど無かった自分に、こんな風に心配そうに声を掛けてくれるのが人
間の少年だったということが・・・・・。
(少しだけ・・・・・気を取られてしまった・・・・・)
「紫苑」
「・・・・・言う必要がなかったと思ったので」
「・・・・・」
「人間の事など、あなた方が気にすることもないかと思いました」
確かに、普通ならばそう思っただろう。
しかし、自分があの人間の少年に感じた複雑な思いを、紫苑も感じなかったとは言えないはずだ。
(まだ何か隠している・・・・・?)
自分達の仲間の中で、唯一敵対する紅蓮側にいる男。いや、元々紅蓮側だったこの男を、聖樹が言葉で説得して強引に仲間
に引き入れた。
だからかもしれないが、琥珀は心からこの紫苑を信用し切れなかった。
(敵方の懐に入り込む者がいれば確かに重宝するが、本当に我らに協力する気があるのか・・・・・?)
「紫苑、お前は・・・・・」
更に琥珀が言葉を続けようとした時、
「シーオーンー!!」
静まり返った空気を震わす大きな声が聞こえてきた。
「琥珀殿」
「・・・・・」
それが誰なのか、声で直ぐに分かったのだろう。
紫苑は直ぐに琥珀に視線を向けてきた。姿を隠せという言葉を聞かずとも、琥珀もここで会うのは拙いと思うので、そのまますっと奥
の部屋へと入っていく。
しかし、あの声の主がいったいどんなことを言うのか、聞いてみたいような気もしていた。
「シーオーンー!!」
人影の無い廊下を歩きながら、昂也はシオンの姿を捜していた。
幾つかドアがあったものの、勝手に中に入っては駄目だろうなと、何回かノックをして声を掛けた。
ずっと返答がないままに廊下を歩いてきて、突き当たりに扉があって・・・・・どうしてもそこに入らなければ先に進めないと思い、思い
切ってドアを開けると、そこには下に下りていく階段があった。
そこだけは陽の光ではなく、王宮にあった壁のような、ぼんやりと青く光る階段があって。
そのまま真っ直ぐに下りていくと、また長い廊下があった。
「シーオーンー!!」
多分、王宮の地下にあったような神殿があるんじゃないだろうかと思いながら、何度かシオンの名前を繰り返し叫んでいた時、
「コーヤ」
「!」
2つある扉のうちの1つが開き、中からシオンが出てきた。
「どうしたんですか?」
何時もと変わりない優しい笑みを浮かべたまま言うシオンだが、うっかりとしたまま来てしまって、緋玉を借りてくるのをすっかり忘れたの
で言葉が分からない。
どうしようかと思いながらも、昂也は何とか覚えている単語を並べてみた。
「オレ、しーぱい。シオン、あっち」
「コーヤ、どうしてここに?」
「どして、ここ?」
「・・・・・ああ、言葉が分からないのか」
なぜか、シオンは苦笑のような笑みを浮かべていた。
「・・・・・」
コーヤが姿を消した方向をじっと見ている蘇芳の肩を江幻は叩いた。
「どうした、何か見えたのか?」
少しだけ、その言葉がからかうようなものになっても仕方ないだろう。コーヤのことになると、蘇芳はらしくも無く心配性になる。
「蘇芳」
この離宮で、コーヤの身に危険が及ぶことなどあるはずが無かった。大体、コーヤがここに来ていることを知っているのはほんの一握り
だけのはずだ。
元々、好んで人間に近付く者達などいない。
(本当に、コーヤのこととなると人が変わってしまう)
「スオ・・・・・」
ウと、もう一度その名を呼びかけようとした江幻は、想像していた以上に厳しい表情をしている蘇芳を見て口を噤んだ。この表情は、
ただの心配からきているわけではないと覚ったのだ。
(何か、本当に見えているというのか?)
「蘇芳」
名前を呼んできた江幻を顎で促し、蘇芳は部屋を出た。そして、直ぐ後ろに続いた江幻に、少しだけ声を落として言う。
「気が揺れた」
「気?」
「誰かいる」
「・・・・・」
言うと同時に、蘇芳は歩き出した。なぜという問い掛けもしないまま、江幻もその後をついてくる。
「ここに着いた時から、何か違和感は感じていたんだが、初めてくる土地だし、多少気の揺れがあっても仕方が無いかと思っていた
んだが、どうやらそれがはっきりとしてきた」
はっきりと姿は感じ取れないが、確かに感じる不吉な影。
明らかに、自分達と対立する方側にある気の主が傍にいる・・・・・蘇芳は、不吉な影をそう分析した。
「紫苑がいるが」
「・・・・・あいつも分からんだろう」
「え?」
「神官というのは、一番大事なのは自分の信じている神だ。まだ王にもならない紅蓮に心からの忠誠を誓っているとなぜ言える?
そう思える方が不思議だと思うぞ」
「蘇芳、言い過ぎだ」
「これくらい言っていい。大体、俺は俺以外に信じるものはいない」
一応、江幻は例外に入っているのだが、わざわざそれを口に出して言うまでもないだろう。
(俺だって、あの男を頭から疑っているわけじゃない)
紅蓮への忠誠はともかく、コーヤに向ける紫苑の優しさは本物だと思っているし、まさか、そのコーヤに危害を加えるとは思っていない
が・・・・・胸に感じる不安は消しようもない。
「蘇芳」
「とにかく、コーヤの無事をこの目で確認したい」
この胸のざわめきが自分の気のせいであるようにと祈りながら、蘇芳は早口にそう言った。
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