竜の王様
第五章 王座の真価
プロローグ
※ここでの『』の言葉は日本語です
目の前を歩くコーヤの足の運びが目に見えて遅くなった。
(勢いのまま登るからだ)
とにかく一刻も早く北の谷に向かいたいという意気込みは感じるものの、その気持ちと体力はなかなか釣り合いが取れないらしい。
紅蓮はそんなコーヤに呆れてしまうものの、それがコーヤらしいとも思って、嫌味を言うこともなく黙ってその後ろを歩いていた。
コーヤ達が旅立つと決まった時、紅蓮や白鳴はもう少し作戦を練った方がいいのではと言ったが、
「思い立ったが吉日!」
と、意味の分からないことを言ったコーヤは、直ぐに出発することを提案した。
江幻や蘇芳はともかく、黒蓉もその案に肯定を示したのは意外だったが、一刻も早く事態を動かしたいというその気持ちは紅蓮にも
十分伝わり、作戦を練るといっても、相手の出方が分からない現状では限られた案しか出ないだろうと、結局は早々の旅支度をし
た一向は王宮の裏山へと向かっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「大丈夫かい?コーヤ」
「う、うん」
「俺がおぶってやろうか?」
「けっこー!」
「・・・・・」
紅蓮は、目の前の光景を見つめる。
本来は皇太子である自分の前には護衛の兵士しか立てないというのに、今自分の目に前には数人の男達がいる。
コーヤはともかく(視界に入っていなければ気になって仕方がない)、その両隣に陣取っている江幻と蘇芳はいったいどういうつもりなの
だろうか。
元々、王家に対して忠誠心を抱いていない様子の2人。それぞれに意味はあるのだろうが、紅蓮としては面白くはなかった。
(力が無ければ、それなりに対処したものを)
奴らが無駄に能力が高いことが問題だった。
(あ、あっち、行く前に、ここでっ、バテそ・・・・・)
体力はある方だと思っていたが、ここ数日間のドタバタで、自分でも気付かないうちに疲れが溜まっているようだった。それでも、聖樹
に会いに行こうと言い出したのは自分であるし、出発前のここで挫折していては恥ずかしいだろう。
『誰がっ、竜、に、なるっ?』
話せば余計に疲れることは分かっていても、昂也は気を紛らわす為に隣を歩くコーゲンに言った。
『別に、決めていなかったけれど。私でも構わないよ』
『そ、か。コーゲンなら、安心、だしっ』
思わず笑みが零れてそう言えば、反対側の手がグッと腕を掴んでくる。
『俺は?』
『へ?』
『大事に大事に運んでやるぞ、お前だけ』
笑みを含んだその言葉が冗談だとは分かっていても、昂也は何時ものようにスオーを怒ることが出来なかった。
『・・・・・も、冗談、止めろよ』
(余計疲れちゃうじゃん)
こう言いながら、スオーが案外面倒見がいいことは分かっているつもりだ。なんだかんだで自分だけでなく、龍巳もコーゲンも、そしてコ
クヨーだってちゃんとその背中に乗せてくれるはずだろう。
(あ・・・・でも、竜になったらちょっかい掛けてこられないか)
それもいいかもしれないと、コーヤはスオーを振り返った。
『じゃあ、スオー、お願い』
『本当に俺でいいのか?』
自分から言い出したくせに、昂也がそう切り返してくるとは思わなかったのだろうか?珍しく驚いた表情が見えるスオーがおかしくて、
昂也はさらに笑顔までサービスしてやった。
『うん、お願い』
『ここまで登ってくれなくても良かったのに』
『きちんと、出発を見届けたかったから』
『・・・・・ありがとう』
前を行く一行から少しだけ遅れて、龍巳は碧香と手を握り合ったまま山道を歩いていた。
本人は幼い頃から慣れ親しんでいるからと言っていたが、目の不自由な碧香に山登りはきついだろうと思う。オマケに、下る時は自分
が傍にいないのだ。
(・・・・・他にも、たくさん人はいるけど)
碧香の兄までそこにいるのだ、心配する方がおかしいかもしれないが。
そう思った龍巳は、自分の隣を歩く碧香を見下ろした。
『・・・・・碧香』
『はい』
『無茶は絶対しないでくれ』
『・・・・・』
『碧香は、向こうに行く俺のことを心配してくれているんだろうし、もしかしたら負い目にも感じているかもしれないけど、そのことと、碧
香が無茶をすることは別だ。出来ることまでするなとは言わないけど、出来れば、危ないことは避けて欲しい』
王子である碧香は、きっと自分よりも能力が高いだろうということは分かっている。彼を差し置いて、いくら昂也が心配だからといって敵
陣に乗り込む自分の方が無茶をしているということも。
それでも、自分勝手だと分かっていても、碧香の口から約束するという言葉を聞きたかった。
『碧香』
返事を促すように、握った手に力を込める。すると、
(え・・・・・?)
握り合った手越しに、温かな気が流れ込んできているのが分かった。
『碧香?』
(何を・・・・・)
『私も、東苑と共に戦うつもりです。僅かですが、私の気をあなたに注いだので、どうか使ってください』
『碧香・・・・・』
『これで、私も、そしてあなたも、無茶は出来なくなった』
小さく笑う碧香の言葉に応えるように、龍巳は握っている手をさらに強く握り締める。絶対に、またここに、碧香の元に戻ってくると、声
を出したら情けなく震えていそうなので、その手の強さで伝えたつもりだった。
黒蓉は真っ直ぐ前を向いて歩いていた。
今から共に北の谷に向かう者達は、けして自分の仲間というわけではない。それぞれの理由を持って北の谷へと向かうとは思うが、そ
れが結果的に紅蓮のためになることならば構わない。
(どれ程忌み嫌われようとな)
初めから、馴れ合うつもりなどなかった。
「コクヨー!」
ない、はずだった。
「なあ、コクヨーって!」
後ろから、馴れ馴れしく自分の名前を呼んでくる声に、黒蓉は意識して無表情を装ったまま振り返った。
「何用だ」
「竜にはスオーになってもらうけど、いいよなっ?」
「・・・・・勝手にするがいい。私は自分で・・・・・」
「そんなの効率悪いじゃん!皆乗れるんだし、体力は温存してた方が絶対いいって、な?」
荒く息を吐きながら、ご苦労にも自分の傍まで駆け寄ってきて言うコーヤは、自分が目の前の男に何をされたかということを忘れてい
るのだろうか。
それならば相当にめでたい性格だが・・・・・今の黒蓉は、そこできっぱりとコーヤの申し出を断ることが出来なかった。
負い目、だろうか、それとも、コーヤという存在をただの人間として切り捨てることが出来なくなったのかは分からないが、黒蓉の口から
は自分でも思い掛けない言葉が出てきた。
「分かった」
「あ、いいんだ?」
「・・・・・お前がそう言ったんだろう」
「そ、そうだったよな」
あんまり素直だから意外だったと、本人に対して笑いながら言う神経は分からないが、黒蓉は一応これから敵陣に向かう一行の一
員として、これくらいの譲歩は必要なのだと、自分自身に言い聞かせていた。
それからまたかなり歩いて、ようやく頂上の開けた場所までやってきた。
ここまで来るのは相当大変だが、あれほどの大きな竜に変化するには当然広い場所が必要で、済んでしまえばその苦労も忘れてし
まうという得な性格の昂也は、んーっと、一度大きく両手を頭上に伸ばしてから、じっと自分を見ているグレンを振り返った。
『じゃあ、行ってくるな』
『・・・・・コーヤ』
『何?』
『・・・・・』
『・・・・・ちょっと、ここで焦らすなよ』
どんな言葉を言うのだろうと(あまりマイナスな言葉は聞きたくなかったが)覚悟していた昂也は、なかなか切り出さないグレンに焦れ
て自分から口を開いてしまった。
『大丈夫だって、何とかなる!』
『・・・・・お前のその強い自信はどこから来るのだろうな』
ようやくそう言ったグレンに、どうせ何も考えていないよと口を尖らせるものの、言ったグレンの表情は以前よく見た嫌悪を含んだもの
ではなかった。自分がグレンをどう思っているのかは別にして、誰かに意味もなく嫌われるのは悲しいので、その視線の意味が変わった
だけでも嬉しい気がする。
『とにかく、出来るだけ赤ん坊た・・・・・わぁ!』
言葉の途中で、昂也はいきなりグレンに抱きしめられた。
『ちょ、ちょっと?』
(どうしたんだよ、グレン?)
想像とは全く違う反応に、昂也は戸惑ってその名を呼ぶが、グレンはしばらく黙ったまま抱きしめていて・・・・・やがて、昂也の頭上
ではっきりとした声が聞こえてきた。
「お前に、祖竜の加護を」
「・・・・・?」
(ソリューの・・・・・籠?)
「はい、そこまで」
グレンはどういう思いでどんな言葉を言ったのか、コーヤがその意味を考える前に、強引に自分達を引き離したのはスオーだった。
(わ・・・・・怒ってる)
スオーの顔は笑っているが、目は笑っていない。いきなり話に割り込んできたことに文句を言おうと思った昂也も、なぜだか反論が出来
なかった。
『出発だ、コーヤ』
『う、うん』
その言葉に頷いた昂也は、一瞬だけグレンを振り返る。
(・・・・・なんだろ?)
あの傲慢な王子様が何を言いたかったのか、ちょっとだけ知りたかったなと思ってしまった。
スオーが竜に変化する。金色を帯びた鱗を持つ、大きな赤い目の赤竜。
『すご・・・・・』
何度見ても、綺麗で雄々しい竜の姿に一瞬見惚れてしまった昂也は、直ぐに一番にその背に乗り込んだ。
『ほらっ、みんなも早く!』
続いて、龍巳、コーゲン、そしてコクヨーも乗ると、赤竜は一度大きく尾で地面を叩き、鋭い爪の前足で地面を蹴って空に浮かぶ。
『行ってきます!!』
どういう未来がこの先に待っているかは分からないが、ここまで来てしり込みするのは男じゃない。
コーヤは見送るグレンやハクメイ、アオカ、そして、何人もの竜人達に向かって大きく手を振ると、今度は自分が向かう方向へと真っ直
ぐな眼差しを向けた。
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