竜の王様




第四章 
勝機を呼ぶ者








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 「兄様」
 何時相手が襲撃してくるか分からない中、浅緋と蒼樹と戦闘態勢や防御の準備など、様々な対策を話し合っていた紅蓮は、部
屋の外から掛かった声に顔を上げた。
もちろん、声でそれが誰かは分かっていたので表情を和らげたつもり・・・・・だが、やはり戦いを前にしたせいか、完全に緊張感が解け
たわけではなかった。
 「どうした、碧香」
 「・・・・・少しだけ、よろしいですか?」
 見えないはずの視線は、真っ直ぐに自分に向けられている。声の方向で分かるのだろうが、美しい碧の瞳がくすんでしまっているのを
見ると、大切な弟を守りきれなかった後悔に、紅蓮は僅かに眉を顰めたまま、浅緋に合図をしてから立ち上がった。
 「・・・・・」
 ゆっくりと近付くと、碧香の後ろ、廊下に、あの人間の少年が立っているのが分かる。
いや、コーヤと違い、既に少年という雰囲気ではないその人間は、まるで守るかのように碧香を見つめていて、紅蓮は一瞬その視線
を遮ってやろうと身体を動かしかけたが・・・・・。
 「・・・・・」
 その眼差しの中に見える碧香に対しての真摯な思いが垣間見え・・・・・紅蓮は口の中で舌を打ちながらも、碧香の面前に立って
その顔を見下ろした。
 「碧香」
 「兄様、昂也が離宮に行ったことはご存知ですね?」
 「・・・・・ああ」
 碧香の口から漏れたコーヤの名に、紅蓮はその姿と共に江幻と蘇芳の姿まで同時に思いだしてしまった。自分の所有物であるコー
ヤに馴れ馴れしく近付くあの2人。
邪魔にもならないほどに存在意味が無いのならばまだしも、その2人共にある程度の力を持っているので余計に忌々しいのだ。
 「兄様?」
 紅蓮の様子が変化したのを感じたのか、碧香が訝しげに聞いてくる。
もちろん、こんな状態の碧香に心配を掛けたくないと、紅蓮はそれでと先を促した。



 目が見えないからこそ、相手の気配の違いというものを敏感に感じ取ることが出来る。
碧香はコーヤの名前を出した途端に兄の気配が冷たく張り詰めたような感じになったのが分かった。
 「兄様」
 兄が人間のコーヤを良く思っていないことは知っているので、碧香は心配になって声を掛ける。
ずっと兄を尊敬し、傍で暮らしてきて、碧香自身は人間を厭うというよりも怖いと思うようになっていたが、人間界へと行き、龍巳と出
会い、その周りとも親交を深めるようになって・・・・・そして、心の一番深い部分で昂也と交感しあうようになってから、碧香の中で人
間はとても暖かいものだという意識に変った。
 兄も、多分分かっているのではないだろうかと思う。
ただ、想像の中で憎しみを増幅させていくよりも、歩み寄る方がよほど互いのためにもなると思うのだが、兄はわざと目を逸らしている
ような気がした。
 「それがどうした」
 「・・・・・」
 「碧香」
(兄様は・・・・・私には見せてくれないんだな・・・・・)
 自分の弱いところは当然、戸惑いや迷いも見せてくれない兄に寂しさを感じるものの、碧香は気持ちを切り替えて自分が今一番
懸念していることを言った。
 「紫苑に何とか連絡をしていただけませんか?昂也をそのまま離宮に留め置いてほしいと」
 「・・・・・なぜに?」
 「これから、ここは戦いの場になるかもしれません。力を持っていない昂也がここにいて、もしも危険な目に遭ってしまったら・・・・・私
は昂也を引きずり込んだ者として、後悔しても仕切れない」
 「・・・・・それならば、その人間は何だ」
 「え?」
 「お前の後ろに当然のような顔をして立っている男だ。その者も人間だ。我らのような力を持たぬそ奴も、離宮に追いやってしまった
方がいいのではないか」
 兄の言葉に碧香は動揺した。
龍巳は自分の傍にいてくれる。それが当然ではないが、とても自然な感じがしていたが、確かに、龍巳も自分達竜人界の争いには
関係のない・・・・・人間だ。
(いくら東苑が力があるとしても、叔父上と相対するのは・・・・・)
 「・・・・・」
碧香は見えない目で、後ろにいる龍巳を振り返った。



 『昂也はあのまま離宮にいた方がいいと思うんです。昂也は力を持っておらず、再びこの王宮に来て争いに巻き込まれてしまえばど
んなことになるか・・・・・。東苑、私の考えは間違っているでしょうか?』

 昂也達を見送った後、碧香は硬い表情で龍巳にそう訴えてきた。
確かに、昂也本人に言ったらきっと怒鳴られてしまうだろうが、今何とか不思議な力を扱えることが出来るようになった自分とは違い、
ただの人間である昂也はそう言った意味では力が無い。
 竜人ではないからと見逃してもらえばいいが、無闇に攻撃を受けたり、場合によっては人質になったりしたら・・・・・。
(俺の力だけでは助けられないかもしれない)
 『・・・・・うん、そうだな』
 『・・・・・』
 『ここから離れている場所の方が・・・・・それに、今昂也と一緒にいる彼らは強いんだろう?』
 『ええ。紫苑は神官長として有能な人ですし、江幻殿は医師としても腕がよく、神官の役目も一通りこなされます。蘇芳殿は占
術師として高名な方で・・・・・実際にあの三方が傍にいられたら昂也は大丈夫でしょう』
 碧香の言葉に龍巳は頷いた。
会ったばかりであの男達の力のことは分からなかったものの、昂也のことを気遣ってくれているという雰囲気は感じ取れたので、龍巳は
碧香の言葉に力を得た。
 『では、いいですね、東苑』
 『ああ』
 『これから、兄様にお願いします。このまま昂也を離宮に留めておいて欲しいと』
 『俺も行くよ』
 『東苑』
 『一緒に行こう』
 碧香の言葉からも、あの男が人間に対してずいぶんと偏った考えの持ち主だとは知っていたが、昂也のことならば自分の耳でもちゃ
んと確認をしておきたかった。

 案の定、男・・・・・紅蓮は不機嫌そうに自分を見た。
それでも、直ぐに碧香に向き直ったのは意外で、龍巳はそのまま話を始めた兄弟を見ていた。
 言葉は分からないものの、碧香が何を紅蓮に伝えに来たのかは知っているので、龍巳はその反応を伺う。すると・・・・・。
 『・・・・・?』
不意に、紅蓮が自分の方を見たかと思うと、碧香も同じ様に自分を振り返った。
 『碧香?』
(俺のことを・・・・・?)
 その視線から考えれば、何か自分に対してのことを話しているのだということは分かるものの、それが何かは碧香が教えてくれないと
分からない。
 『ちゃんと、全部話してくれるって約束だろ?』
 『・・・・・』
 たとえそれが龍巳にとっては良くない話でも、伝えてもらわなければどんな反応も返すことが出来ない。
じっと視線を向けて龍巳がそう言うと、碧香は一瞬紅蓮を振り返り・・・・・もう一度龍巳に向き直って言った。
 『昂也を人間だからと離宮に留めるのなら、あなたも・・・・・東苑もそうしないのかと』
 『俺も?』
 『東苑、私は・・・・・』
 次に碧香が何を言おうとしているのかはもう分かる。その前に、龍巳はその肩を掴んで、顔を覗き込むように身を屈めて言った。
 『俺が碧香と一緒にここに来たのは、もちろん昂也を助けたいと思ったということもあるけど、それと同じくらい・・・・・それ以上に、碧
香のことを助けたいと思ったからだ』
何の為に、この不思議な力を自在に操れるように訓練したのか、碧香本人には分かっていて欲しい。
 『俺は、ここにいて碧香を守る。お前の兄貴にもそう伝えてくれ』



 龍巳の気持ちが嬉しくて碧香は泣きそうになるのをぐっと堪えた。
日本語が分からない兄は、自分が泣いてしまえばそれを龍巳のせいだと誤解して(ある意味そうなのだが)しまうだろう。
(ありがとう、東苑)
 碧香は自分の肩に乗っている龍巳の手に自分の手を重ね、大きく深呼吸をしてから兄を振り返った。
 「東苑は、ここにいてもらいます」
 「碧香」
 「そう、約束したんです」
兄に対してここまできっぱりと言い切ったのは、翡翠の玉の片割れ、蒼玉を探しに人間界へと向かうと言った時以来かもしれない。
 「この人間が何の役にたつ?」
 案の定、兄は皮肉気に口を歪めて否定してくる。碧香はそれは違いますと首を横に振って、まだ兄には言っていなかった龍巳の正
体を口にした。
 「東苑は、竜の血を持つ人間です」
 「・・・・・なに?」
 「遠い昔、私達の祖先で人間界へと向かった一族の血が、今の東苑の身体には流れているのです。私と共に時空を越えてきたと
いうだけでも、彼には何らかの力があるとは思いませんか?」



(竜の、血?)
 碧香の言葉に直ぐさま頷けなかった紅蓮は、先ほど以上に鋭い眼光で男を睨みつけた。
何人か人間界へと行った王族が、そのまま帰ることが無かったという話は紅蓮も知っている。しかし、それは何らかの理由で正体を暴
かれてしまった王族が、人間に迫害されて・・・・・命を落としたのだと思っていた。
まさかそこで、自分達の血を残すように子をなすとは・・・・・。
(子が出来るということは、人間と交わったということか?何の理由も無く、卑しい身体を抱くはずが無いが・・・・・)
 それでも、人間との間に・・・・・。
 「兄様」
 「碧香、お前がそんな戯言を言ってしまうほど、人間界でその心を汚染されたとは・・・・・」
 「まっ、待ってください!」
 「今の言葉は聞かなかったことにしよう」
 「兄様!」
 「・・・・・」
(蘇芳のような立場のものが、場所が違えど何人も存在しているとは考えられない)
それは、あってはならないことだ。
 「残るというのならば構わないが、それならば第一線で戦ってもらう。どれ程の力を持っているのかは知らぬが、せいぜい命を落とさぬ
ようにと伝えろ」
 「兄様っ、何と言うことを!」
 「役に立たないものは必要ない、それだけだ」
それが人間であるのならば、尚更その価値に意味は無い。
 「コーヤは呼び戻す。あれは私のものだ、傍に置いておかねばならぬ」
 そこまで言った紅蓮は、もうそれ以上話すことはないと、碧香の肩にまだ手を置いている人間のそれを摘み上げ、一度細い身体を
抱きしめた。
 「お前はゆっくり休んでいろ。何時でも逃げ出せるようにしておくんだぞ」
 「兄様!」
 「部屋に戻るんだ。その人間はくれぐれも中に入れないように」