竜の王様
第四章 勝機を呼ぶ者
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※ここでの『』の言葉は日本語です
「セーラン、あかちゃ、あっち」
「上に上がれと?」
「シオン」
隣の小部屋に隠れている琥珀には2人の声しか聞こえない。
(あの時ははっきりと言葉が分かったが・・・・・やはり、何らかの術でそう聞こえていたのか)
王宮で紅蓮と相対していた時ははっきりと聞こえた言葉は、今は幼児が使うようなたどたどしい言葉で、元々のこの人間の語学力が
それだけでも分かった。
(セーラン、と、言っているな)
聞いたことがない名前だが、紫苑はその名前を自分達に対して口に出した事はなかったはずだ。
江幻といい、蘇芳といい、こちら側が思ってもみない存在が次々に現れてきたこともあり、もしかしたらその名前の存在も大きな敵とし
て、自分達の前に立つかもしれない。
「・・・・・」
(・・・・・聖樹様にお知らせしておかねばならないな)
そう考えると、紫苑は自分達と手を結んでいるはずなのに、隠していることが多いような気がする。このことは聖樹に進言し、それなり
の対応をしなければならないかもしれない・・・・・琥珀はそう思った。
「シオン、あっち!」
コーヤが自分の腕を引っ張って、上に向かおうと言っている。
なかなか言葉にならないことが自分自身でももどかしく思っているのは伝わるが、紫苑にはそんなコーヤの目まぐるしく変わる表情だけ
でも感情が読み取れて、微笑ましいと思っていた。
(この世界の住人は、感情を荒立てることを恥だと思っている・・・・・)
本来は紅蓮もそうなのだが、最近の彼はよく感情を爆発させる。
しかし、考えればそれはコーヤが関わったことに関することがほとんどで・・・・・それだけでも、紅蓮の中でコーヤの存在がどれほど大きく
なっているのかが分かった。
「・・・・・」
「シオン?」
「・・・・・」
(こんな小さな存在なのに、こんなにも私達に影響を及ぼすとは・・・・・)
何の力も無いはずなのに、コーヤの傍にいると自然に活力が出て、笑みを浮かべることが出来る。
この存在を自分だけのものに出来るのなら、コーヤが自分だけを見つめてくれるのならば、自分は間違った方向には行かないのでは
ないか。
(・・・・・いや、もう遅い)
「コーヤ、では上に・・・・・」
「コーヤッ」
紫苑がコーヤの背を押して外へ出ようとした時、反対に外から扉が開いて、江幻と蘇芳が飛び込むようにして中に入ってきた。
「あ、コーゲン、スオー、きた?」
名前を呼ばれたコーヤは暢気に笑ってそう言うが、やってきた江幻と蘇芳は厳しい眼差しを自分の方へと向けてくる。いや、これは厳
しいというよりも何か探ってでもいるような感じに思えた。
(・・・・・気付かれては、いない)
1枚扉を隔てた向こう側に、敵となる琥珀がいることを2人は気付いていないはずだ。
紫苑は少しの動揺も見せないように口元に笑みを浮かべたまま、視線を逸らそうとしない2人に向かって言った。
「どうされたのですか、こんな所まで来られて」
「・・・・・コーヤを捜しに」
「ああ、申し訳ありません。もしかしたら、コーヤは私を捜しにここまできてくれたのですか」
「?」
「どうやら、コーヤは自分でも何かしたいらしくてね。それを聞きに君を捜しに向かったんだが」
紫苑の眼差しにコーヤが不思議そうな顔を向けてくる代わりに、江幻が軽い口調で答えてくる。
しかし、蘇芳よりも柔らかなあたりの江幻の方が扱い難い相手だと思っている紫苑は、怪しいと思われないように細心の注意を払い
ながら、それでも表面上は何時もの調子で答えた。
「コーヤにしてもらう仕事ですか・・・・・何がいいでしょうね」
「コーヤにしてもらう仕事ですか・・・・・何がいいでしょうね」
「・・・・・」
(気は、何時もと変わらないが・・・・・)
江幻は注意深く紫苑を見つめるものの、その中に疑いを抱くほどの違和感は見当たらなかった。ただ、蘇芳が言うように、事実だけ
では見えない、もっと深いところで何かが・・・・・引っ掛かる。
「・・・・・」
「・・・・・」
江幻はチラッと蘇芳を見る。
蘇芳は胸元に片手を入れたまま紫苑を見ているので、きっと、玉で紫苑の気を探っているのだろう。
(結果は後で聞いたらいいか)
取りあえずはコーヤを心配させないように、この場は何事も無く収めてしまおう。そう思った江幻は、にこっと笑いながらコーヤに話しか
けた。
もちろん、緋玉の効力を発揮して・・・・・。
『ここは神聖な神殿だし、私達は上に行こうか』
『あ』
(言葉)
何も言わなくても気遣ってくれるコーゲンに、昂也は笑みを向けることで感謝の意味にした。
前に礼を言ったら、コーゲンは困ったような顔をして言ったのだ。
『こんな事で礼を言われていたら、命を救ったりなんかしたら何してもらったらいいのか困るよ』
そんな風に言われて以来、コーヤはこのことに関しては礼を言わないようにした。ただ、出来るだけ感謝の意味を込めた笑顔は向け
るようにしている。
昂也の笑った顔はいいねと、コーゲンが言ったからだ。
(こんなことじゃ、少しもお返しにはならないんだけど、さ)
『コーヤ?』
『あ、うん。シオン』
『ええ』
コーヤが促すと、シオンも直ぐに頷いて後に続く。
しかし、スオーだけが、なかなかそこから動かなかった。
『スオー?』
(何してるんだ?空なんか見ちゃって)
気配は感じない。
それでも、この場の中に異質な気の流れを見て、蘇芳は胸に入れている玉に手を触れたまま、じっと神殿の中を見渡していた。
(紫苑の奴・・・・・何を隠してる?)
自分達がここに駆けつけた時、中にはコーヤと紫苑の2人しかいなかった。だが、その部屋の中にもう一つの気が見えたような気がし
たのだ。
それは本当に僅かなもので、直ぐに感じ取れなくなってしまったが、全くその気配のことを覚らせないように行動する紫苑がどうしてもお
かしいと思ってしまう。
(わざと無視しているのか、それとも・・・・・本当に気付いていないのか)
それさえも今の状況では蘇芳にさえ分からなかった。
「スオー?」
「・・・・・」
「ねえって!」
「・・・・・」
(ちょっと、黙っていろ、コーヤ)
コーヤが自分に話しかけている声は聞こえているが、もう少しこの気配を探って・・・・・。
「もうっ、俺達、先に上に行くからな」
「・・・・・」
「・・・・・スオー、夕飯抜き!」
「・・・・・」
蘇芳は溜め息をついた。コーヤの言葉を無視しようとすればするほど気になってしまうのは、自分が自覚している以上にコーヤのこと
を考えているからなのだろうか。
「なんだ、それは」
「集団行動を乱す者は、それなりの罰を与えないと」
「・・・・・お前が言うか、コーヤ」
大体、何の為に自分達がこの地下神殿にやってきたのか、捜された当人のコーヤは全く気が付いていないようだ。
(仕方ない。今夜にでももう一度来るか・・・・・)
コーヤがいない時に、もう一度ここの気を探りに来ればいい。王宮に戻るとしても明日だ、時間はまだあるだろう。
4人が連れ立って地下神殿から上がってくると、そこでは既に着々と夕食の準備が進められていた。
『コーシ、俺も手伝うよっ』
『コーヤは大人しく、そこに座っていてくれればいいです』
きっぱりと言い切るコーシは、昂也に仕事をさせないように気遣っているのか、それとも失敗を警戒しているのかは分からない。
それでも、あまりに断定されると余計に何かしたくなってしまい、昂也は再びどこかへ向かおうとしているコーシの腕を反射的に掴んで
言った。
『でもさあ、何もしないっていうのは・・・・・』
『・・・・・では、赤ん坊達の面倒を見てください。そろそろお腹が空く頃で泣き出すかもしれませんから』
そんなコーシの言葉に合わせたわけではないだろうが、遠くから赤ん坊の泣き声が聞こえた。先ほどは安心したように眠っていたと思う
のに、慣れてしまったらお腹が空いてしまうのだろうか。
(子供って単純だよな)
『分かった!』
一応、任されたのだと理解した昂也は、先ほど赤ん坊達用の部屋と案内された部屋へと迷い無く進む。その後ろをまるで蟻の行
列のようにコーゲンとスオーがついてきていることに気付いて、昂也は何だよと振り向いた。
『なに?』
『何って』
『私達はコーヤの手伝いに』
『別に1人でも全然大丈夫なんだけど』
(俺だけじゃ頼りないって思ってる、とか?)
自然と口を尖らせてしまった昂也に、コーゲンが笑いながら言う。
『手は多い方がいいだろう?』
『そうそう。それに、もしかしたら俺達はコーヤの仕事を見ているだけで、手出しはしないかもしれないしな』
コーゲンの言うことには最もだと頷けるものの、スオーの言葉には内心えーっと反論の思いが沸き起こる。来るだけ付いて来て、何もし
ないなどというのは無駄としか思えない。
『そんなの許すはずが無いだろっ。しかり働いてもらうからな!』
(スオーには、濡れたおむつ交換でもさせようっと!)
『行くぞ!』
『はいはい』
ビシビシ指導してやろうと思った昂也は、音をたてながら先を歩く。
その自分の後ろ姿を見送りながらコーゲンとスオーが顔を見合わせて笑ったことなど・・・・・前を歩く昂也が気付くことはなかった。
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