竜の王様




第五章 
王座の真価








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 紅蓮以下、皆がこれから北の谷へと旅立つというコーヤ達を見送るために王宮を出て行く。
召使いからそのことを告げられた浅緋だが、その足は彼らの後についていくことが出来なかった。
 「・・・・・」
 少し離れた寝台の上に、しどけなく横たわった細い身体。いや、本人にとってはとても辛く、それが一番楽な体勢なのだろうが、浅
緋は近付くことは出来なかった。これ以上、相手に余計な神経を遣わせないためだ。

 「コーヤが、黒蓉様と北の谷に向かわれます」

(・・・・・私は、結局何も出来なかった・・・・・っ)
 軍を統べる将軍である自分が何も出来ず、人間界から来たコーヤを反乱の首謀者のもとに行かせることになるとは情けなくてたまら
ない。
 しかし、今の浅緋にとって、この部屋にいる人物以上に大切な者などいなかった。こんな状態の彼を・・・・・その状態にしてしまった
自分が、捨ておけるはずがない。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・何を、している」
 しばらくして、小さな声が聞こえてきた。
細い声だが、その言葉にははっきりとした意思がある。彼がきちんと正気を保っているのだということがそれだけでも分かって、今まで強
張っていた浅緋の顔がようやく緩んだ。
 「蒼樹殿」
 「こんなところで・・・・・お前にはすることがあるだろう」
 「それよりも、今は蒼樹殿の方が大切だ」
 「浅緋・・・・・っ」
 「蒼樹殿」
 数歩、寝台に歩み寄った浅緋は、そのままその場に膝を着き、頭を下げる。主君である紅蓮以外に頭を下げたことがない自分が、
こうして頭を下げることこそ、最大の謝辞の姿勢だった。
 「本当に・・・・・申し訳なかった」
 「・・・・・そのことは、もう決着がついているはずだ」
 「いや、あんなことでは、私の気が済まない」
男としての矜持を地に落とすようなことをしてしまった自分が、たった一度頬をはられたくらいで全てを許されたとは思えなかった。



 頭の固い浅緋らしい物言いだが、蒼樹はこれ以上話を長引かせたくなかった。いや、忘れよう、忘れたいと思っていることが、浅緋
のその言葉や態度でますます自身に深く刻み込まされていくのが怖かった。
(あんなことは・・・・・二度とあってはならない・・・・・っ)
 同じ男である浅緋に身体を征服されてしまったことは、屈辱と共に深い恐怖を感じてしまった。父のせいで自分の全ての感情は無
くなってしまったと思うのに、そんな情けない感情だけはまだ自分の中に残っていたのだ。
 紅蓮は当然、他の者にもとても見せられない姿。だからこそ、当事者でもある浅緋にも全てを忘れて欲しいのだが、直情で誠実な
この男は、どうしても自分の非を許すことが出来ないらしい。
 「・・・・・あれは、お前の本意ではなかった」
 「蒼樹殿っ」
 「お前は心を支配されただけなんだ。私に謝罪することはないし、私も、もう・・・・・忘れたい」
 「・・・・・っ」
 多分、そう言えば浅緋が何も言えなくなることは分かっていた。彼が以前から自分を気遣い、大切に思ってくれる気持を利用して
いるようで辛いものの、これくらい言わなくては浅緋はいつまでも頭を下げているだろう。
 将軍であるこの男には、しなければならないことが山積している。いつまでも自分に構っていては降格させられてしまうかもしれない。
 「私も、落ち着けば参戦する。それまで、お前が紅蓮様を守れ」
 「・・・・・」
 「人間のコーヤだけに全てを任せるなど、情けないことは言わないだろう」
そこまで言った蒼樹は、ほうっと息をついた。ここまで話すだけでもずいぶん疲れてしまったが、その様子を出来るだけ浅緋に見られな
いように、蒼樹は身体をさらに小さく丸めるようにした。







 「どちらに行かれる?」
 洞窟のある一角に入ろうとしていた紫苑は、そこで見張りらしい男達に止められた。
それなりに力を持っている者達だということは気を見れば分かり、紫苑としても事を荒立てるつもりはなかったので、静かな笑みを浮か
べたままゆっくりと言った。
 「赤ん坊達の様子を見たいと思って」
 「・・・・・何故?」
 「このような場所に閉じ込められているのだ。まだ耐性の弱い赤ん坊達を心配するのは不思議なことではないだろう?」
 「・・・・・あの赤ん坊達は、未来を担う大切な竜人達だ。丁重に扱っているゆえ、貴殿が心配されることはない」
 「・・・・・」
 それは、分かっていた。
聖樹の言葉からも、そして周りの者達の態度でも、彼らが赤ん坊達に危害を加えることはないと感じていたが、紫苑はどうしても一
度は自分の目で確認しておきたかった。
(仕方ない)
 紫苑は2人の男達に向かって手をかざした。すると、たちまち男達の眼が焦点を失ったように虚ろになる。
 「いいかな?」
 「・・・・・どうぞ」
術が効くのはあまり長い時間ではない。急がなければと、紫苑は足を速めた。

 そこからしばらく歩くと、とても洞窟の中とは思えないような明るく暖かい空間に出る。
剥き出しの岩である地面に敷き詰められているのは柔らかな布だ。これも、赤ん坊達のためにあらかじめ用意されていたものかと思え
ば、彼らにとってもあの赤ん坊達が大切な存在であるということはよく分かった。
 「あう」
 「ああぅ」
 「・・・・・ああ、元気そうだ」
 紫苑は目を細めて、床に転がっていたり、他の子とじゃれ合っていたりと、自由にそこで遊んでいる赤ん坊達を見つめた。
 「・・・・・」
自分の足元に近付いてきた1人を抱き上げると、綺麗な碧の瞳を向けられる。
 「・・・・・コーヤに、会いたいのか?」
 「うあ」
 「・・・・・私も、会いたいよ」
 あの眩しい存在を間近に感じ、間違いないよと言葉をかけて欲しい。今となってはとても無理なことだと分かっているものの、もしかし
たらそれが今一番の自分の望みかもしれなかった。
(・・・・・ん?)
 少し、離れた場所で気が揺れた。
どうやら自分が何をしたのかは早々に分かってしまったらしいが、こうして赤ん坊達の無事を確認出来たことで、一応の目的は遂げる
ことが出来たと、紫苑は抱いている子供をゆっくりと下へおろす。
 「・・・・・このまま、逃げ出すつもりか」
 「・・・・・」
振り向いたそこには、琥珀が立っていた。



 洞窟の中の気が揺れたことに気づいた琥珀は、すぐにその元凶を辿り、赤ん坊達を保護している場所へとやってきた。
 「・・・・・」
(術を掛けられているのか)
ぼんやりとした眼差しで、ただ立っているだけの見張り2人を一瞥した琥珀は、そのまま足を奥へと進めて・・・・・そこに、想像通りの
人物を見つける。
(何の目的だ?)
 「このまま、逃げ出すつもりか」
 「・・・・・」
 ゆっくりと振り向いた紫苑の顔は、ばれたという気まずさや焦りなどは全く感じられなかった。
元々、紫苑がそういう性質ではないだろうと思っていたので、琥珀も無表情な顔をしたまま近付いていく。そして、紫苑の足元にいる
赤ん坊を見下ろしながら言った。
 「この待遇に不足はあるか?」
 「いいえ、とても大切に扱ってくださっていることが分かって嬉しいですよ」
 「・・・・・どうして術を掛けた」
 「簡単に通してくださらなかったので。もちろん、それくらい警戒していて当たり前だと思いますが、どうしてもこの子達がどうしているの
か自分の目で確かめたかったのです」
 「・・・・・」
(嘘では・・・・・ないな)
 この紫苑の言葉に嘘はないだろう。
自分達も、そして皇太子側も、希少な赤ん坊達を大切に思うことは共通しているはずだ。そのことについて何か言うつもりはないが、
遣り方はあまり上手いものではない。
(こんなことをすれば、自分に疑いが向けられることも分かっているはずだが・・・・・)
 頭の良いこの男がそれを考えていないとは思えなかった。
 「紫苑」
琥珀は、視線を紫苑に戻す。そして、少しだけ口角を上げた。
 「聖樹殿に、お前の扱いを任された。私の命に従ってもらうことになるが・・・・・構わないな?」
 「聖樹殿直接というわけではないということですか。もちろん、私はこちら側に受け入れてもらう立場になるので、こちらの方針には従
うつもりでいます」
 「では、お前には先陣をきって王宮に攻撃を仕掛けてもらう」
 「・・・・・」
紫苑の視線は・・・・・揺れない。
 「私達の目的は、あくまでも皇太子紅蓮の失脚で、他の者達を安易に手に掛けるつもりはないが、四天王他、皇太子に近い者
達の反発は、彼らが能力者だけにかなり大きくなるだろう。その前に、お前にその力を抑えるようにして欲しい」
 「私などにそのような・・・・・」
 「神官長の位にいたほどのお前だ、誰よりも術の力は強いはず。もしかしたら・・・・・皇太子よりも」
 「・・・・・」
 「もう、時間は置かないとのことだ。聖樹殿に進言し、今夜にでもここを出て・・・・・」
 そこまで言った時、琥珀は言葉を止めて空を見上げた。それとほぼ同時に、紫苑も同じように視線を向ける。
 「まさか・・・・・」
小さく呟いた言葉が琥珀の耳にも届いたが、その真意を質す暇は今は無い。衣を翻して踵を返した琥珀は、足早に聖樹の居場所
へと向かった。



 聖樹はこの場所へと迫ってくる気の大きさに、思わず笑みを浮かべてしまった。
(どうやら、それなりの力の者を寄越してきたようだな)
江幻とあの人間をここから逃がした時、いずれはここに紅蓮の手の者が来るとは思っていた。それが、偵察か、それとも攻撃かは判断
がつかなかったが、どうやら想像したよりは自分達の存在を脅威に思っているらしい。
 「聖樹殿っ」
 そこへ、琥珀が駆けつけてくる。続いて、浅葱もやってきた。当然のようにこの2人も近付いてくる大きな気の存在に気が付いたらし
い。
 「迎え撃ちますか?」
 「・・・・・」
 「紫苑を行かせましょう」
 「・・・・・待て」
聖樹は立ち上がると、楽しそうに声を出して笑った。
 「せっかくのお客様だ、招き入れることにしよう」