竜の王様




第五章 
王座の真価



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 自室として宛がわれた場所で、紫苑は自分の手の平を見下ろしていた。
聖樹から紅玉を預かってからそれほど時間は経っていないが、今のところ自分の身体に何か異変を感じるということは無い。
 ただ、以前よりも感覚が鋭敏になっているような気がして、
 「・・・・・」
今も、洞窟の中の気がほんの一瞬だけ揺れたのが分かった。
(・・・・・何かをした?)
 それは本当に一瞬だけで、気を溜める時間にも、それを放つ時間にも全く足りないくらいで、その間にあの5人が何か出来るとは普
通は考えられない。
 「・・・・・普通ではない者がいたとしたら、分からないが」
 紫苑は、コーヤがただの人間であることは知っているが、彼の存在というものが周りの者に通常の力以上のものを発揮させる原動
力になっていることを知っている。
 そして、もう1人。
(あれは、本当に何者なんだろうか・・・・・)
赤い瞳の色をした、人間には持ちえない力を有している少年。祖竜の血を引き継いでいるとは言っていたが、それならばあの少年の
中には過去の王族の竜人の血が流れているということになる。
 タツミといい、シュリといい、人間はとても不思議で、自分達が今まで卑下してきたことは間違いであり、もしかしたら大きな可能性
を持っている存在で。
反対に竜人の方が、過去や血だけに囚われている愚かな存在なのかもしれない。
 「・・・・・」
(動いたな)
 今度は明らかに感じた気。
紫苑は立ち上がると、ゆっくりと歩き始めた。







 掘られた穴は、まるでその部分だけ綺麗に押し出されたようで、触れる岩肌はツルツルに磨かれた感触だった。
 『凄いなあ・・・・・でも、ここの岩の部分って言うか、瓦礫はどうなったわけ?もしかして、貫通した向こう側に全部いってるんじゃない
のか?』
 『それは無い。どう説明していいのかな・・・・・まあ、凄く高い熱で溶かした感じなんだよ。だから、削った残骸がどこにあるかは説明
出来ないなあ』
 『へえ』
分かるような、分からないような。それでも、自分の子供っぽい疑問にちゃんと答えてくれたコーゲンに礼を言い、昂也は自分の前を歩
くスオーの背を見た。
 この歳では少し小柄な自分も背を屈めなければならない高さに、ようやく前を向けるというくらいの空間。
自分以外の4人は龍巳も含め、随分背も高く、体格もいいので、ここを通るのはかなりきついだろう。それでも少しも動きが鈍いように
見えないのはさすがだと思った。
 『着くぞ』
 暗い、ただ前方から漏れる明かりだけを頼りに進んでいるので、実際に進んだ距離がどれくらいあったのかは分からないが、それで
も2、30メートルは確かにあったと思う。
先頭を行くコクヨーの声に気を引き締め、昂也は暗闇の中から広い空間へと出た。



 方向も、力も間違いはなかった。
蘇芳は内心、ここまで自分の力に合わせて来たタツミの能力に感心したものの、先ずは褒めるよりも先に赤ん坊達の安否を確かめね
ばと直ぐに視線を走らせた。
(・・・・・眠っているな)
 江幻が気を周りに分からないようにしたことは、どうやらこの赤ん坊達にも効果的だったらしい。
 「・・・・・」
 「随分待遇はいいな」
 「・・・・・」
蘇芳の言葉に黒蓉は頷かなかったが、きっと同じ思いを抱いているはずだ。厳しい眼差しで周りを見ているが、それでも口から文句が
零れることが無かった。
 赤ん坊達が眠っているのは柔らかな草の上に敷かれた布の上で、8人が身を寄せ合って目を閉じている。
見た限りでは肌艶も良く、洞窟の中とはいえ空気も澄んで温度も一定に保たれているようなのは、きっとあの赤ん坊達のためにそうし
ているのだ。
 争いの手段として赤ん坊達を攫ったはずの聖樹達も、未来の竜人に対する愛情は自分達と変わらないのだろう。
 「起こすなよ」
 「分かっている」
8人いる赤ん坊達だが、コーヤを除いた4人が2人ずつ腕に抱けば問題は無い。
蘇芳が黒蓉と共に身を屈め、眠っている赤ん坊をその腕に抱こうとした時だった。
 「ふぇ・・・・・」
 「・・・・・っ?」
 いきなり、目の前の赤ん坊が目をぱっちりと開き、蘇芳の顔を真っ直ぐに見詰めてくる。
(拙い、気配に気付かれたか・・・・・)
それにしても、気配を殺していた自分達の存在に気付くなど、かなり敏感だと眉を潜めた蘇芳は、
 「あれ?起きてる?」
 「ああん!」
 「あー!」
起き上った赤ん坊達の姿を見た瞬間に呟いたコーヤの声を聞いた途端、後の7人の赤ん坊達が一斉に目を開けて泣きだしたのを見
て、彼らが何に反応したのかがようやく分かった。
(コーヤ、か)



 『・・・・・っ』
 龍巳は初めて見る竜人の赤ん坊の姿に、声も無く視線を向けるしか出来なかった。
姿形は人間の赤ん坊達とほとんど変わらないが、何も身につけていない裸の身体の、手足の外側や背中にかけて、よく見なければ
分からないほどの肌色に近い柔らかい鱗があることと、尾てい骨の辺りにある小さな尻尾、耳も先が少し尖っていて、生まれたばかり
だというのに八重歯のような小さな歯が牙のように口から覗いているのも見えた。
 人間の龍巳から見れば明らかに異形な存在の赤ん坊。しかし、怖さや薄気味悪さは全く感じることは無かった。
 『元気だったかっ?』
 『・・・・・っ』
(昂也っ、声!)
本当は声を出してはいけないのだが、多分感極まったのだろう、昂也は思わずというようにそう叫び、その場に跪いて這いながら自分
に近づいてきた赤ん坊の1人を抱き上げて頬ずりしている。
そんな昂也の傍にはどんどん他の赤ん坊達も近付いてきて、龍巳は焦らなくてはならないのに、どうしてだか微笑ましい気分になって
しまった。
 『コーヤ、再会を喜ぶのは後だ』
 自分が思っていることは他の者も同様に感じていたらしく、コーゲンが苦笑をしながら昂也に言っている。この光景を見てしまえば、
厳しく注意することはとても出来ないのだろう。
 『あ、うん、そっかっ』
 昂也も直ぐに我に返ったらしく、目の前の赤ん坊を1人抱き上げた。
他の子達も昂也の足元に抱き上げて欲しいという感じに縋るが、当然全員を昂也が抱くことは出来ず、コーゲンやスオーが2人を、そ
してコクヨーが2人目に手を伸ばすより先に、龍巳が2人目を抱き上げた。
 『おい』
 『いいですから』
 今は誰がと言っている時ではないと、龍巳は先を行くコーゲン達の後を追う。
ここは自分達が閉じ込められていた場所とは違い、出入り口に気は張り巡らされてはいない。赤ん坊達の世話をする者が立ち替わ
り行き来するので不可能だったのかもしれないが。
(とにかく急いでここを出ないとっ!)
 アサギという男が王宮に向かい、碧香やその兄のグレンに向かって先程言っていたような要求を突き付ける前に戻らなければ、今
の自分達の方が足枷になってしまいかねないと思った。



 自分の腕を人間に気遣われたということが悔しいものの、今はそれを言い争っている暇が無いということも分かっていた。
黒蓉は自分の腕に抱く赤ん坊を見る。その視線は自分ではなくコーヤの方に向けられていて、この赤ん坊の、いや、赤ん坊達にとっ
てのコーヤの存在が、どういった意味を持つのかと知りたくてたまらないが、それを口に出すことは自分からは出来なかった。
 今は王宮に戻ることこそが先決だ、そう考えた黒蓉の足が止まる。
 「・・・・・っ」
 「意外に早かったな」
 「まあ、それなりの力の持ち主だからじゃない?」
 「え?何?」
江幻と蘇芳も呑気に言い合っているが目は笑っていなかったし、人間の少年も緊張した面持ちで前方を見ている。
ただ1人、コーヤだけが一同の緊張感の意味が分からないようで戸惑っているが、黒蓉はそんなコーヤを見ていることは出来なかっ
た。
(確かに・・・・・早かった)
 気を放って穴を開け、そこからこの赤ん坊達がいる場所までやってきた時間はそれほど長くはなかったはずだが、その短時間の間
でもあちら側は自分達の動きを悟ったようだ。
 「どうやら大人しく出来なかったようだな」
淡々と言いながら暗闇から姿を現したのは・・・・・琥珀だった。



 一瞬だが、空気が揺れた気配がした。
それは意味があるようにも無いようにも思えたが、無視してはいけない気がして、琥珀は今この洞窟の中で自分達に匹敵するほどの
力を持っている者達がいる場所へと向かい掛けたが。

 ああう・・・・・

 「・・・・・」
聞こえて来た微かな高い声に、足の向きを瞬時に変えた。

(・・・・・なんと)
 目の前の光景を見た時、琥珀はさすがに感心したように目を見張った。
8人の赤ん坊達を抱いている5人は、間違いなく動けない場所へと拘束していたはずだったが、岩壁に開いている穴を見れば、先程
自分が感じた僅かな気配が何のためだったのか直ぐに予想が付いた。
(見くびっていたつもりではないんだが・・・・・ここまで素早く行動するとはな)
 あのまま閉じ込められて黙っているとは思わなかったが、それでもこんなにも行動が早いとは思わなかった。自分と紫苑が立ち去っ
て直ぐに動かなければ、今彼らはここにはいないはずだ。
 「わざわざここまでお越しいただいたが、このままその赤子達を置いて元の場所まで戻ってもらおうか」
 「折角ここまで来たのに、何もせず帰るのもなあ」
 そう言いながら蘇芳が自分の方へと攻撃態勢を取るのが分かる。ただ、その手には赤ん坊が抱かれたままなので、琥珀は直ぐ様
攻撃が出来なかった。
(どうするか)
 まさか、赤ん坊を盾にするとは思わないが、それでも傷つけたいわけではない。先ずあの赤ん坊達を彼らから引き離さなければなら
ないだろう。
 そう思った琥珀は一歩前に足を踏み出そうとしたが、
 「・・・・・っ」

 ドンッ

いきなり自分の身体に何かが体当たりしてきたかと思うと、細い腕が腰に回ってくる。
 「捕まえた!」
 「・・・・・」
赤ん坊を片手で抱いたまま、なぜか得意気にそう叫んだコーヤを、琥珀は黙ったまま見下ろしてしまう。
 「コ、コハクッ、人質になってもらうから!」
 「・・・・・何を言っているのだ?」
自分こそ、今手を伸ばせば拘束されてしまうという自覚は無いのかと思うが、コーヤの表情は全くそんな危機感を抱いていないかのよ
うに得意気だった。
(本当に・・・・・変わった人間だ)