竜の王様
第五章 王座の真価
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※ここでの『』の言葉は日本語です
このまま、赤ん坊達と自分達がこの場所を逃げ出せば、直ぐに戦わなければならない理由は無くなるはずだった。
グレン側は、赤ん坊という人質を取り戻し、戦うか受け入れるかの選択を先伸ばせることが出来るし、セージュ側は、人質を取り返さ
れてしまえば無理な要求を突き付けてくることが出来ない・・・・・はずだ。
根本的な問題が解決したわけではないというのは昂也も分かってはいるものの、それでも緊迫した雰囲気に一呼吸おけるのではな
いかと思えた。
『その手を離せ』
『やだ!』
ただ、こちら側にはまだシオンがいる。彼の意思で来たと言うが、昂也はその言葉の裏にまだ何か意味があるような気がしてならな
かった。
大人で、不思議な力もあるシオンが、自分達が逃げ出したからといって直ぐに何かされてしまうというのは考えられない。それでも、万
が一の保険として、自分達の方にも歯止めになるもの、言い換えれば人質という存在があった方がいいと思った。
そこに現れたのがコハクだ。
アサギよりも冷静な物言いの彼ならば、抵抗するために暴れるというよりも、こちらの真意を確かめるために一呼吸置くような気がする。
(人質としては、一番いい人だよなっ)
『私をどうする気だ?』
『だから、人質って言ったろっ?』
『・・・・・その意味が分からないが。人質というのは、奪った相手にとっての弱みとなりうる者のことだ。私の存在はそれほど意味のあ
るものではない』
『ば・・・・・っ』
そんなことがあるはずが無い。
元々、セージュ達がどういう理由からグレンに反発しているのか分からないが・・・・・きっと、俺様なあの男の性格に嫌気がさしたので
はないかと思うが・・・・・、同じことをしようとして集まった仲間を大切に思わない者などいないと思う。
『コハク、奪われちゃったら、こっちはすっごいダメージなはずだ!悪いけど、王宮まで一緒に行ってもらうよ!』
昂也はもう一度そう言うと、一連の自分の行動をさすがに呆れたように見つめていたコーゲンに言った。
『ねっ、竜になったらこの洞窟崩せるっ?』
今から出入口まで逃げたとしても、その間に絶対向こう側の誰かに追いつかれてしまうだろうし、無事に辿り着いたとしても、狭い出
入口を赤ん坊を抱いて通り抜けるのは容易ではない。
それならばいっそ、あの大きな竜になってしまって、その勢いそのまま洞窟を壊し、外に逃げたらどうかと思った。
「ねっ、竜になったらこの洞窟崩せるっ?」
「・・・・・」
(本当に・・・・・面白い子だなあ)
全くの無力のくせに、相手側の能力者を素手で拘束し、尚且つ、この硬い岩で出来た洞窟を竜に変化することで打ち壊す。
そんなことは、普通の竜人ならば考えないことだ。
「ねえって、コーゲン!」
しかし、これは案外面白い手かもしれない。
再び力を行使してこの岩に穴を開け、外に逃げ出し、それから竜に変化してと、段階を踏むのと。
少々乱暴だが、今この場で竜に変化し、その力で洞窟を壊してそのまま飛翔するのと。
時間的な短縮ももちろんだが、考えられないことをするという相手への衝撃を考えると、コーヤの考えの方が断然優位な気がした。
「よし、蘇芳」
「ああ」
「スオーが竜になるんだ?」
「俺がなるのが一番いいだろう?」
確かに、今黒蓉の力は万全ではなく、タツミは竜に変化出来ない。
赤ん坊達だけでなく、コーヤ達の守りをするのは、おおざっぱな蘇芳よりは自分の方がいいだろう。
決めたからには、もう時間は無かった。
既に自分達が動いたのは聖樹達にも分かっているはずで、もう、一刻の猶予もない。
江幻の眼差しに、それを十分に理解したらしい蘇芳が口元に笑みを浮かべたまま、自分の腕に抱いている赤ん坊を1人、黒蓉に
抱かせた。
もう1人はコーヤにと思った蘇芳だが、そうでなくても1人を抱いているだけで精一杯のようなコーヤに、もう1人抱かせることが出来る
だろうか。
(・・・・・まさか、途中で落としたりしないだろうが・・・・・)
「スオー?」
「・・・・・お前じゃ、ちょっと無理だよな」
「そんなことっ・・・・・まあ、あるかも・・・・・」
コーヤも自分のことはよく分かっているようで、それでもと無茶に我を通そうとはしなかった。
眉を顰めて唸っている姿も可愛らしいなと思っていると、いきなりコーヤは何かを思い付いたかのように声を上げ、自分が抱きついてい
る(本人は捕まえているつもりだろうが)琥珀に向かって、思いもかけないことを言いだした。
「コハク、この子、お願い!」
「・・・・・私が?」
「どーせ、一緒に王宮に行くんだもんっ、その手が空いていたら勿体ないじゃん!」
「勿体ない・・・・・」
蘇芳はプッと吹き出した。
いや、蘇芳だけではない。元々笑い上戸の江幻は、腹を押さえんばかりにして・・・・・子供を抱いているのでそれは無理なようだった
が・・・・・笑いを堪えている。
(さすが、コーヤ)
敵対する相手に協力しろと真っ向から言い放つ気持ちが、いっそ清々しいほどだ。
表情の無いはずの琥珀も、まさかコーヤが自分にそんなことを言ってくるとは思わなかったのだろう、僅かながら目を見張り、コーヤを
見下ろしている。
体勢的にはあまりいいものではないが、蘇芳は任せたと言って赤ん坊を琥珀に押しつけた。
「俺達に思うことはあっても、この赤ん坊には何も思うことは無いだろう?」
「・・・・・」
「江幻、変化するぞ」
「頼む」
蘇芳は体中の細胞に気を張り巡らせ、急速に高めていく。
全ての力を解放させて、自分の原点に戻っていく感覚に、蘇芳の全身を眩い光が包んだ。
「・・・・・」
紫苑は足を止め、パッと視線を向けた。
この洞窟の中で巨大な力が爆発するのが分かる。誰かが力を最大限に発揮させたのだ。
「紫苑!」
そこへ、駆け込んできたのは浅葱だった。自分のここでの役割を他の者に割り振り、そろそろ王都へ向かうはずだった浅葱も、この圧
倒的な力を感じ、飛び出してきたのだろう。
「これは一体何だ!お前っ、何をしたっ?」
「・・・・・私は何も」
「紫苑!」
「・・・・・それよりも、浅葱殿、あなたはこのままここにいてよろしいのですか?このままでは・・・・・!」
「!」
紫苑と浅葱は同時に上を見、その途端、洞窟の岩が少量、音を立てて崩れ落ちて来た。
ピシッ ジャラッ
岩壁に出来た亀裂が見る間に大きくなり、バラバラと落ちてくるものは小さな欠片から大きなものへと変化してくる。
「こ、れはっ?」
グゥワオン!
続いて、獣の大きな鳴き声が洞窟内に響き渡った。
「・・・・・」
紫苑は崩れ落ちてくる石に身体を打たれながら、今洞窟の中で何が起こったのかを悟っていた。
(上手く・・・・・逃げることが出来たようだ・・・・・)
昂也自ら、自分を取り戻すためだと言ってこの北の谷へとやってきて目の前に立った時、もしかしたらこうなるのではないかと、漠然と
だが考えていたように思う。
暗い北の谷の、薄暗い洞窟の中が、たった1人の存在で光り輝くように見えたのは、多分自分だけではないはずだ。
「紫苑っ!」
落ちてくる岩の量は多くなり、その中の大きな岩が背中に当たりそうになった浅葱は、自分の身体をとっさに力で覆いながら責め立て
るように声を掛けてくるが、紫苑は無表情のまま足を進める。
「おいっ!」
「ここはもう崩れる。あなたも早く立ち去らなくては」
そう言いながらも、紫苑はどんどん崩れ始める洞窟の奥に向かった。中にはまだ何人かのこちら側に付く竜人達がいるはずだ。
ほとんどがある程度の能力者で、自分の身体くらいは守れるはずだが、とっさの出来ごとにきちんと反応出来るかどうかは微妙な所
だ。
聖樹や琥珀、浅葱くらいの能力の持ち主ならば、ここにいる者達を一定時間守ることは容易い。ただ、彼らが仲間を守るという意識
があるのかどうか、先日こちらに来たばかりの紫苑には分からなかった。
怪我をしている者、突然の洞窟の崩落で動けない者を、助けなければならないと思う。彼らはただ純粋に、竜人界のことを思ってい
る者達ばかりだろうし、そんな彼らが傷付くことを、コーヤも望んではいないはずだ。
(・・・・・聖樹は、きっと動くだろう)
このまま赤ん坊達を連れ戻され、コーヤ達にも逃げられると、こちら側が優位に立つ理由は何もなくなる。
(それに、向こうにはこちらが推す竜王候補の人間も捕らわれている)
自棄になるか、それとも、この状況さえも予期済みなのか分からないが、ここまで用意周到に動いてきた聖樹が、何の策も講じずに見
逃すことは考えられない。
「・・・・・」
紫苑は拳を握り締める。この手の中の紅玉が疼くような気がするのは、多分気のせいなのだろう。
『うわっ、うわあ!』
昂也の慌てたような声が聞こえてくる。
ガラガラ ゴツッ ガッ
『コーヤ、私の傍にいなさい』
『コーゲンッ、痛くないのかっ?ごめんっ!』
昂也とコーゲンの、互いを思い合う声だ。
少し離れた場所で、スオーの身体が見る見るうちに竜へと変化していく。
それにつれて狭い洞窟の岩壁を簡単に押し壊していくのを茫然と見ながら、龍巳は必死に自分が抱いている赤ん坊達を気の力で包
んだ。
攻撃の練習はしたものの、防御の方はまだ見よう見真似で、少しでも気を抜いてしまえばすぐにこの防壁は崩れかねない。
自分が怪我をするのはともかく、まだ幼いこの赤ん坊達は一握りの石がぶつかったとしても大怪我になりかねないので、龍巳は必至
で自分の気持ちを保っていた。
(昂也っ)
昂也の傍にはコーゲンがいて、彼が自分達と昂也達含めて防御している。その表情は余裕があって、彼にすれば容易なことなのだ
ろうと思えた。
(俺なんか、本当にまだまだだっ)
『トーエン!早く!』
やがて、スオーは見事な竜に変化して、既に昂也達はその背に乗り込んでいる。
『早く!』
『分かった!』
竜が頭をもたげると、すでにそこには広い空間・・・・・空が見えていた。何時の間にかあれだけ強固な岩壁を破壊してしまったのだ。
(凄い!)
『トーエンってば!』
『・・・・・!』
昂也の声に我に返った龍巳が竜の背に乗ると、竜は長い尾と大きく強靭な後ろ足で地面を蹴って反動をつけて空に浮かび、すぐに
飛び始めた。それはみるまに加速が付き、まるで光のように眼下の光景は移り変わる。
(・・・・・あっ!)
パッと、背後を見た龍巳は、遠くになった岩場の一部が土煙を立てて崩れていくのが見えた。
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