竜の王様




第五章 
王座の真価



15





                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 崩れていく岩壁を見つめながらも、聖樹は何の感慨も湧かなかった。
この地に自分の思いと共鳴する者と共に暮らして多少年月が経ったというのに、自分にはこの地に何の愛着も執着も感じていなかっ
たのかもしれない。
 「私達の象徴が・・・・・っ」
 「どうしてこんなことにっ」
 直ぐ傍からは、仲間である竜人達の嘆きが聞こえてくるというのに、それに対して聖樹は慰めの言葉も掛けるつもりは無かった。
ここはあくまでも仮の居住まいで、永住するような場所ではない。
(そう・・・・・私はこんな薄暗い岩穴の中で、生を終えるつもりはない)
 聖樹は自分の直ぐ傍に立ち、青褪めた顔色で唇を噛みしめる浅葱に対して言った。
 「もう、動かねばならない」
 「・・・・・」
 「これで分かっただろう、浅葱。あちらは我らと対話し、分かり合いたいと言いながら、このように実力行使で我らの住居を破壊し、
あの赤子達も連れ去ってしまった。ならばこちらも、報復と称して動くことに躊躇うことは無い」
 「ならばっ?」
 「散っている我らの仲間に伝えよう。もう、時は動いたと」
聖樹の言葉に、浅葱の眼差しが強く輝いた。
(後は・・・・・)
後はもう一つ、しなければならないことがある。この世界に隠した翡翠の玉の片割れを始末しなければならないと、聖樹は素早く今
後の対応を頭の中で考えていた。



(いよいよ動く!)
 浅葱からしたら慎重し過ぎるほどに慎重な聖樹の言動はどこかじれったく、溢れ出そうな熱い感情を押し殺すことが大変だったが、
彼の口からはっきりと攻撃を開始するという言葉を聞いた今、もう気持ちはせきを切って流れ始めた。
 口元に皮肉気な笑みを浮かべた浅葱は、自分から少し離れた場所に立ち、崩壊する岩壁を静かな眼差しで見つめる紫苑の傍に
歩み寄って言った。
 「紫苑」
 「・・・・・」
 「あの方は心を決められたようだ」
 「・・・・・ええ」
 「貴様ももう、後戻りなど出来ないぞ」
 「分かっていますよ」
 「・・・・・っ」
(いったい何を考えているんだ、こいつは・・・・・!)
 聖樹も、琥珀も、浅葱にはその内面をなかなか悟らせない男だが、それでも自分と共通の思いを抱いているという考えがあるからこ
そ、踏み込めない場所があったとしても構わなかった。
 しかし、この紫苑の存在はあまりにも中途半端だ。確かに自分の目の前で、元は仲間だった相手に傷を負わせたが、それだけでは
本当にこちら側に付いたとはどうしても思えない。どこかでこの行動は芝居かもしれないという疑念は消えないのだ。
 「お前も最前線で戦ってもらうことになる」
 「・・・・・」
 「いいな、紫苑」
 「・・・・・そのつもりで、私はこちらにいるんですから」
 そう答えた紫苑は初めて浅葱の方を振り返り、白い頬に少しだけ笑みを浮かべてみせた。いったい何を考えているのか、浅葱は鋭
く舌を打つ。
(この男からは目を離してはならないな)
何時どこで、自分達を裏切るか分からない相手だ。少しでも怪しい行動をとった瞬間に始末出来る位置に自分がいた方がいい。
そして・・・・・。
(琥珀・・・・・一矢を報いてくれ・・・・・っ)
 どういった状況からかは分からないが、今ここにいない琥珀はどうやら奴らと行動を共にしているようだ。彼の力をもってすれば、皇
太子側をかき回すことも可能なはずだと、浅葱は自分達が攻め入る前に少しでも風穴を開けてくれるようにと祈っていた。







《・・・・・カ、アオカッ!》
 「・・・・・昂也っ?」
 いきなり頭の中に響いてきた声に、碧香は思わず叫んでしまった。
今碧香は、接見の間で陳情に来ていた民の話を聞いていた。
前王崩御後、なかなか次代の王が決まらないという不安や少子化など、民の中には不安や不満の種は多く、それを王宮にまで訴え
に出て来る者が最近かなり多くなってきた。
 今までは神官長の紫苑がそんな話を聞くことが多かったが、今ここには彼はおらず、他の者達は皆今から起るだろう戦いの準備に
手を取られているので、碧香が進んでその役を受けていた。
以前までの碧香は、自らが前面に出ることは望まなかったが、今は自分が出来ることは積極的にしようと思っていたのだ。
 そして、その話が終わり、相手を見送った時にいきなり頭の中に聞こえて来た声に、碧香は驚きと安堵を感じたのだ。
(昂也は、無事なんだっ)
こうして自分と交感出来るということは、彼が今の時点で無事だということだ。それにホッとして、嬉しくて、碧香は思わず弾む声で聞
き返してしまった。
 「昂也、無事なんですねっ?」
《俺は大丈夫。今、みんなとそっちに帰っているからっ》
 「みんな?ではっ?」
《赤ちゃん達は取り戻したけど、ごめん・・・・・シオンは一緒じゃないんだ。でもっ、これで選択肢は広がったよなっ?お互い遠慮無く、
思うこと言い合えるはずだよなっ?》
 「昂也・・・・・」
《あっ、それと、コハクも一緒だから!大丈夫、大人しくしてるから・・・・・え?じゃあ、グレンに伝えておいて!》
 「昂也、昂也!」
 一方的に昂也からの交感は途切れ、碧香は一瞬茫然と立ち尽くす。
 「・・・・・琥珀も、一緒に?」
その理由が全く分からないまま、碧香は兄にどういう説明をしていいのか迷ってしまった。

 「コーヤ達が戻ってくるっ?」
 それでも、早く兄に説明しなければと思った碧香は、蒼樹から攻撃態勢の報告を受けていた兄の元へと向かい、たった今受け取っ
たばかりの昂也の伝言を伝えた。
 さすがに驚いたように言った兄は、続く言葉に眉を顰める。
 「それが、琥珀も同行しているようです」
 「・・・・・琥珀?聖樹の側近か?」
 「はい。それがどういう理由からかは分からないのですが・・・・・」
紅蓮は目を眇め、何かを考えるように空を睨んでいる。碧香は兄がどういった言葉を言うのか、じっと待った。
(兄様・・・・・)
 出来れば、恐ろしい結果になって欲しくない。誰もが命を落とさず、幸せな結末を迎えたい。それが無理だということが分かっていて
も、碧香はそう願わずにはいられなかった。
 「・・・・・蒼樹」
 「はい」
 「時は満ちたようだ」
 「はい・・・・・っ」
立ち上がった紅蓮の顔は、今までになく厳しい表情になっていた。



 『あっ、それと、コハクも一緒だから!』
 昂也は久しぶりのアオカとの交感に息を弾ませていた。
お互いの精神が一つに繋がることが出来ればそれほど身体に負担は無いのだが、今は竜の背の上で、しかも逃げているという精神
状態なので、昂也には自分が自覚している以上の負担が掛かっていた。
(き、きつ・・・・・っ)
 『大丈夫、大人しくしてるから・・・・・え?』
 その時、昂也は支えられるように腰を抱かれた。パッと振り向くと、黒蓉が眉を顰めながら自分を見ていた。
 『無理な交感は止めろ』
(・・・・・もしかして、心配してくれてるのかな?)
一応敵側のコハクを見張るために、先頭はコハク、続いてコーゲン、昂也、コクヨー、龍巳の順で竜の背に乗っている。嫌でも自分の
状態はコクヨーの目に映ってしまうが、まさか自分を気遣ってくれるとは思わなかった。
 『じゃあ、グレンに伝えておいて!』
 昂也はアオカとの交感を終え、もう一度振り向いて改めてコクヨーに礼を言う。
 『ありがと』
 『・・・・・』
コクヨーは何も言わず、ますます眉間の皺を深くしたが、昂也はその表情をもう怖いとは思わなかった。
 『よし、もう直ぐ・・・・・っ』
(俺ってすっごい単純なのかも)
 少しでも優しい声を掛けてもらえれば、以前のことを全て許せてしまう自分があまりにも単純で・・・・・しかし、それが自分らしいのか
なとも思えて苦笑が零れた。



 蘇芳の変化した竜は、かなり早く王都に到着した。
行きも速かったが、今の方がそれ以上に早かったのは、背中にいるコーヤと黒蓉の接近が面白くなかったからだ。
 ただ、空を飛んでいる状態ではどんな邪魔もすることが出来ず、蘇芳はとにかく一刻も早く目的地に付くことだけを目指した。
 「見えた!」
王宮が見えた時、コーヤが歓喜の声を上げる。
ここを飛び立ったのはほんの少し前だと言うのに、昂也にとってはやっと戻ってきたという感覚なのだろう。
 そんなコーヤの思いに応えるように、ゆっくり、ゆっくりと旋回しながら、徐々に地上を目指して下りていく。
 「スオー、赤ちゃんがいるんだからゆっくりな!」
(分かっているって)
どんなに急いだとしても、それぐらいの配慮は俺だって出来るぞと思いながら、それでも先程までよりもさらに速度を落としながら、蘇
芳は地上に向かった。



 衝撃を与えないようにと、ゆっくりと地上に降りた竜。
昂也は尻尾の先まで地面に付いたのを確認すると、ありがとと叫びながら地面へと下りた。赤ん坊を腕に抱いているので恐々とした
足取りになるが、それでも、気が張っているのか足取りはちゃんとしていると思う。
(空を飛ぶのは気持ちいいけど、やっぱり地面を歩いているのがいいよなあ)
 『昂也、大丈夫か?』
 『うん、大丈夫』
 しっかりと頷いてみせると、龍巳もホッとした笑みを頬に浮かべた。
 『とりあえずは、この子達を無事に取り戻せて良かったな』
 『・・・・・うん』
(本当は、シオンも一緒に帰りたかったけど・・・・・)
今の自分達では彼を引きとめることは出来なかった。後はもう、グレンの政治的な判断に任せるしかないかもしれない。
戦争は絶対にして欲しくないが、話し合いは何回も、どのくらい長くてもいい、とにかくお互いにとっていい結果が出るまで、グレンには
セージュと話して欲しいと思った。
 『ああ〜』
 『あ、ごめんっ、寒いよな?』
 そのまま連れて来た赤ん坊達は、薄く軽い布にくるんだだけの状態だ。早く暖かい所に連れて行かなければと思った時、どうやらス
オーも変化を解いて、昂也の腕から赤ん坊を受け取った。
 『あっ』
 『お前、疲れているって。なんなら、おぶってやろうか?』
 『いっ、いいよ!』
(そんなの、情けなさ過ぎるって!)
 あともう少しで王宮に戻るというこの場所でおぶってもらうなど恥ずかし過ぎる。
赤ん坊も蘇芳が預かってくれたし、身体は随分と楽になったので、早くこの山を下りて赤ん坊達を休ませてやりたい。
(それに・・・・・)
 先日、自分達を送り出してくれたグレンに、無事戻ってきたことと、シオンを連れて帰ることが出来なかったという報告をしなければな
らない。
(・・・・・ごめん、グレン)
口では大きなことを言いながら結果を出すことが出来なかったことが申し訳なくて、昂也は心の中でそう謝りながら、一歩一歩、なだら
かな山を下へと下りていった。