竜の王様




第五章 
王座の真価



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 兵士が自分の左右にやってきてその両手、両足に、銀に輝く拘束具を着けた。
琥珀の力をもってすれば簡単に壊せるほどの細く華奢な作りのそれは、視線を向けて直ぐに、強烈な呪が掛けられているということが
分かった。
(・・・・・皇太子、か?)
 そして、その力が眩い銀の光を秘めているのも分かり、これが誰の力を使ったものなのかも分かる。
 「琥珀」
自分の拘束に視線を向けていた琥珀は、名前を呼ばれて顔を上げた。
そこに立っていたのは白鳴で、彼は真っ直ぐに自分に視線を向けている。その目の中には不思議と蔑みの光はなく、いったいどんな風
に自分が見られているのかが判断つかなかった。
 「今ここで改心し、そちらの情報を話すのならば、特別な恩赦を与える用意もある」
 「・・・・・」
 「どうだ、琥珀」
 「お断り致します」
 自分の思いは、我が身可愛さと引き換えに出来るほどに軽いものではない。
 「皇太子、紅蓮」
琥珀は、白鳴の向こうにいる紅蓮に視線を向けた。
コーヤの背を今にも抱くように手を伸ばしていた紅蓮は、その声に振り向くとそのまま自分の方へと歩いてくる。左右にいる兵士が腰の
剣に手をやるのも構わず、琥珀は朗々と響く声で言った。
 「竜王が絶対的なこの世界で反乱を起こそうとするのは、それだけでもかなりの決意と覚悟をしなければなりません。皇太子、あな
たは前王が崩御されてから、いったい何をなされてきました?ただのうのうと、翡翠の玉が光り、王と認められるのを待たれていただけ
ではないか?」
 口に出しているうちに、琥珀の口調は熱を帯びたものになってきた。
こうして紅蓮と対峙して話すことが出来るなど、一般の竜人には考えられないことで、冷静に、自分達の本意を訴えようと思っていたの
に、こみ上げてくる感情は簡単に押さえることは出来なかった。
 「王都はまだ良い。しかし、地方では王不在の不安定な治安や、子が生れぬ不安で皆押しつぶされそうになっている。それなのに、
あなたは足を運ぶどころか、民に向けての言葉も発しなかった」
 「・・・・・」
 「反乱を考えた我らが悪だというのなら、今まで何もしてこなかったあなたはそれ以上の愚人だ。私はこの場で処刑されたとしても、絶
対に仲間を売ることだけはしないっ」
 「・・・・・言葉を慎め」
 冷然と言う白鳴に、琥珀は鋭い眼差しを向ける。
 「紅蓮様の思いをお前達が量れるわけが無い」
 「民に分からぬ思いなど必要ない・・・・・っ」
 「琥珀!」
白鳴の声と共に、兵士が剣を抜こうとする音が聞こえる。
自分の今の発言が不敬罪であることは十分承知しているし、琥珀自身、ここで首を落とされてもいいという覚悟はしていた。
(もう少し・・・・・言いたいくらいだ)
 これで、自分達の悲壮な覚悟を全て告げることが出来たとは思わないが、何も出来ないまま倒されることを考えればまだましだと思
えた。
真っ直ぐに紅蓮を見つめ、命乞いだけはしないと覚悟を決めた時、
 「よい、白鳴」
紅蓮が白鳴の前に出て来た。



 琥珀の言葉は一つ一つが紅蓮の胸に突き刺さった。
前王である父が崩御してから今まで、自分が何もしてきていないということはない。民とは直接触れ合うことは無かったが、王座に就く
ための様々な行事はもとより、政治も行ってきた。
 それは吹聴するようなものではないし、紅蓮は民に見せるのは強い王の姿だけでいいと思っていたが、そんな自分の行動は確かに
傍から見ると全く動きの無い、のんびりとしたものに映っていたのだろう。
(全ては、私の不徳だ)
 それでも、彼らを簡単に許すことは出来ない。
例えこの先新王になるのが自分ではなかったとしても、多少気に食わないことがあっただけで反乱が起こるような世界であってはなら
ない。
そのためにも、けじめというものをこの手でつけると決めていた。
 「琥珀、お前達が私を認めなくても、私は前王の血を継いだ者だ。この竜人界を守っていかなければならない」
 「・・・・・前王の子はあなただけにあらず!」
 「琥珀っ」
 白鳴の制止の声にも怯まない琥珀は、睨むような眼差しのまま続けた。
 「前王は王妃以外にも多くの妾妃がおられたはず。中には、あなたの毛嫌いする人間の女もいたという噂ですが、いかがかっ?」
この場でそんな話題が出るとは思わず、紅蓮は振り向いてある男を見ようとする自分の行動を必死に押さえた。
 この話は、王宮の中でも暗黙のうちに禁句になっている話。
弟である碧香も詳しい話は知らないはずで、もちろん、聞かせたくもなく、紅蓮はその時ばかりは奥歯を噛みしめてしまった。



 「前王は王妃以外にも多くの妾妃がおられたはず。中には、あなたの毛嫌いする人間の女もいたという噂ですが、いかがかっ?」

 琥珀の言葉に感情がさざめいたのは紅蓮だけではなく、蘇芳も同じ思いだった。
誰もが知っているのに、知らないふりをしている話。自分の容姿も目に映っているはずなのに、明らかに純粋な竜人の血を継いでいな
いと分かるはずなのに、誰もが目を逸らしていた事実。
(今の俺には関係のないことだ)
 自分の中にどんな男の血が流れているかなど関係ない。今まで自由に生きて来た蘇芳は、これからも自分の思うように自由なまま
でいるつもりで、誰かに人生を強制されるつもりはないし、また、従う気もない。
 それは、自分の隣にいる赤い髪に赤い瞳という江幻も同じ気持ちのはずだ。
 「冷静な男だと思っていたけれど、感情が昂っているみたいだな」
自分の視線に気付いた江幻が、苦笑を零しながら言った。
 「余計なことだ」
 「私達にとっては」
 「今更な話なのにな」
 「・・・・・本当に」
 自分はまだ容姿的に奇異なだけで、仲間外れのようなことをされるだけで済んだが、江幻はその容姿のせいで遠巻きにされ、良くも
悪くもずっと注目の的だったはずだ。
それだけ、この世界で赤い瞳というのは特別な意味を持つのだが・・・・・。
 「・・・・・江幻」
 「ん?」
 「タツミのことだが・・・・・」
 「ああ、彼は何か有りそうだよね」
 のんびりとした口調に、蘇芳の眉が顰められる。
 「お前、何か見えてるんじゃないのか?」
自分の知らないことまで分かっているんじゃないかとさらに聞けば、江幻の楽しそうな笑みが向けられた。
 「読むのはそっちの方が得意なんじゃない?」
 「・・・・・視えないから言っているんだろう」
 玉で視えるのは、その気の色と、僅かな未来の光景。そこから全てを結び付けるのは少々乱暴な気もするが、それでも、全てを気の
せいだと切り捨てるのはおかしい気がした。
 「まあ、奴もようやく動くようだし、決着は案外早いかもな」
 まだ王座に就いていない紅蓮の立場はあやふやなものだが、ここまで来てようやく紅蓮が立ち上がった。
聖樹は確かに能力者としては強敵だが、紅蓮も皇太子というのは名前だけではないはずだ。2人の力がぶつかったとしてどちらが勝つ
のか・・・・・その勝敗は既に自分の玉には映っていた。



(凄い・・・・・真剣なんだ)
 あれだけ冷静沈着だったコハクの感情的な言葉に、昂也はただ驚くことしか出来ない。
彼をここに連れてくることで事態が少しでも好転すればと思っていたが、自分の目の前で手足は拘束されてしまうし、グレンには突っか
かってしまうし、何だか余計な問題を引き起こしたような気さえしていた。
(で、でも・・・・・)
 グレンとコハクの言い合いは、その背景を良く知らない昂也から見ればただ感情をぶつけ合っているようにしか見えないが、それでも、
あの不思議な力をぶつけあったり、剣を交えたりするのではなく、言葉を応酬させるのはまだいいような気がする。
 『我が父が治めた世界を継ぐ者は、私しかおらぬ』
 呻くようにグレンが言えば、
 『あなた以外に相応しい者がおられるかもしれない!』
コハクが答える。
 『・・・・・』
(ど、どうするんだろ・・・・・?)
 睨み合っている2人の意見はこのまま交わる様子はなく、もしかしたら感情論で今以上に険悪になってしまいかねない。
そう思った昂也はとっさに2人の間に割って入った。
 『コハク、その話し合いをこれからも続けたらどうかなっ?』
 『・・・・・』
 いきなり自分達の間に割って入ってきた昂也を、コハクは剣呑な眼差しで見下ろす。
自然にグレンを背にして立ち、コハクと向き合う形になって、昂也は考えながら言った。
 『誰だって、始めから完璧な人っていないんじゃないか?そのために、周りに支える人達がいっぱいいるんだし』
ハクメーやコクヨー、アサヒも、ソージュも、ここにいない、シオンもその1人のはずだ。
 『その中にはコハクのように、問題を口にする人がいたっていいと思う』
 褒めるだけではなく、小言を言うような存在だって必要だと思えた。
 『お前に何が分かるっ』
 『分かんないから言ってるんだよ!人間だからって言葉は全然意味無いからなっ』
 『意味が、無い?』
 『人間の世界だって、上の人が変わる時は色々問題は出てくるし、協力する人も批判する人もいるよ。一つの国を治めるって、どこ
の世界だって大変なんじゃない?』
 もちろん、大小様々で人種も多い人間の世界と、竜人という一つの人種の一つだけの世界を一緒にしたらいけないというのも分かる
が、本質に違いは無いように思えた。
 『文句なんか、どんどん言えばいいじゃん!それでグレンがいい王様になった方が、コハク達だっていいだろっ?』



 絶対的な存在である王に、民が簡単に要望などを言うなどということは考えられないことだった。
父も、各地の代表の者が王宮に上がり、彼らが宰相である白鳴や神官長である紫苑に陳情し、そこから初めて話を聞くということが
普通だったからだ。
 しかし、考えたらコーヤの言うことはもっともな気がする。民のためにこの竜人界を治めているというのなら、その民の生の声を聞くこ
とこそが本当だろう。
 紅蓮はコーヤを見下ろす。今は黒い髪と華奢な背中しか見えないが、この存在はとても大きな気持ちを持っているようだ。
(人間などという私の方が・・・・・とても小さな男なのか・・・・・?)
 「どう思う?グレン」
唐突に振り向いたコーヤの黒い瞳が自分を捕えた。
まるで引き込まれそうだと思いながら、紅蓮は一度目を閉じ、気持ちを落ち着かせる。
(私は、何がしたいのか)
 琥珀の激情と、コーヤの言葉と、自分の思いと。冷静に考えて、自分が一番にしたいことはただ1つしかないと改めて思った。
 「私は、この竜人界を守り、さらなる発展を望んでいる」
 「・・・・・」
 「そのために必要な策ならば、もちろん、どんなことでも受け入れるつもりだ」
王不在は、この竜人界を大きく揺らしていた。たとえ今自分が強引に即位したとしても、民が共に力を合わせてくれなければ、ただの
傀儡の王に過ぎない。
 ここまで翡翠の玉が認めてくれるのを待っていたその時間が勿体ないと思えた。必要だったのは玉の輝きではなく、民の共鳴だった
のだ。
紅蓮は無意識のまま、コーヤの肩を縋るように掴んだ。
 「・・・・・琥珀」
 「・・・・・」
 「長い時、民の声を聞くことの無かった我を・・・・・許せ」
 「!」
 頭を下げた紅蓮に、周りがざわつくのが分かる。自分が誰かにこうして頭を下げることなど、産まれて初めてだ。
しかし、その行為が恥ずかしいことではないのだと言うかのように、肩に置いた自分の手にコーヤの小さな手が重なって、それだけで
紅蓮は何よりも心強い味方を得たような気がしていた。
(頭を下げることは・・・・・負けではない)