竜の王様
第五章 王座の真価
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※ここでの『』の言葉は日本語です
皇太子が・・・・・傲慢で、不遜で、民の声など耳に届く前に切り捨てているだろうと思っていた皇太子が、自分の言葉によって謝罪
し、尚且つ頭まで下げている。
(こんなことが・・・・・あり得るのか・・・・・?)
歴代の竜王達は雲の上のような存在で、民である自分達には到底手の届かない相手。圧倒的な力と、統率力で竜人界を統率し
てきた彼らの血筋は、近年になり濃くなり過ぎ、様々な弊害が生まれた・・・・・聖樹はそう言っていた。
だからこそ、新しい血を王家に据えなければならない。このままでは、やがて竜人界そのものが滅びてしまうという聖樹の説明に、
王不在の不安定な現状に焦りを抱いた琥珀は賛同したが・・・・・。
(皇太子が改心して・・・・・その上でまだ、私達は決起出来るのか?)
「・・・・・」
何と答えていいのか分からず、琥珀は拳を握りしめてただ紅蓮を見つめることしか出来ない。
すると、
「コハク」
「・・・・・っ」
少しだけ抑揚の違う自分を呼ぶ声に、琥珀はハッと視線を向けた。
声の主はコーヤで、黒い瞳が真っ直ぐに自分に向けられている。竜人界の中にはいない、闇を凝縮したようなその瞳は、見つめてい
るだけで自分の心の醜さをそのまま映し出すようで・・・・・怖かった。
(・・・・・っ、私がそんな風に思う必要などないのに・・・・・っ)
「なあ、コハク。グレンの言葉を聞いても何とも思わない?」
「・・・・・」
「俺は、グレンは心から思っていることを話していると思うよ」
「そんなこと・・・・・っ」
「だから、コハクもちゃんと向き合って欲しい。グレンの言葉を聞き入れないなんてことしないでくれよ」
人間のお前に言われたくはない。そう言い返したいのに、琥珀は言葉が出てこない。
(お前は・・・・・いったい、何なんだ・・・・・?)
コーヤの存在は、ただの人間というには言葉が足りないのかもしれないと思い、琥珀は無意識のうちにその腕を掴もうとした・・・・・そ
の時だった。
「コーヤァァァ!」
高い子供の声に、琥珀は、いや、その場にいた者達はいっせいに声の方へと振り向いた。
『コーヤァァァ!』
突然聞こえてきた甲高い子供の声。
昂也は聞き覚えのあるそれにパッと視線を巡らせ、王宮の門の中から駈け出して来た姿に思わず叫んでしまった。
『青嵐っ?』
今回の旅は危険だからと、この王宮に置いてきた青嵐。いなくなる自分達の代わりにアオカを守ってくれと言い置いたのだが、自分
が戻ってきたことをどうして知ったのだろうか。
(あ、アオカに知らせたからか)
自分達が北の谷を脱出し、戻っているということを交感でアオカに知らせたが、きっとそれを青嵐も聞いていて、こうして出迎えに来
てくれたのだろう。
『コーヤ!』
『青嵐!』
本当は、両手いっぱい広げて、小さな身体を抱きしめてやりたかったが、今昂也の腕には赤ん坊がいるのでそれは出来ない。
それでも昂也はその場に片膝を付くと、駆け寄ってきた小さな身体を片腕で抱きしめた。
『・・・・・え?』
(また、おっきくなってる?)
別れてまだ間もないというのに、また青嵐は成長している。それは、僅かな違いかもしれないが、昂也には直ぐに分かった。青嵐の
成長の速さに当初は驚いていた昂也だが、今ではそれが青嵐にとっての普通だと思うようにしていたし、青嵐の言動は赤ん坊の頃と
それほど違いは無く、昂也にとっては可愛い存在のままだった。
『コーヤ、おかえり!』
『うん、ただいま、青嵐』
『ちゃんと、いいこだったよっ?おにいちゃん、ちゃんとまもってた!』
『うん、凄いな青嵐は。任せて本当に良かった』
小さな頭をグリグリと、少し乱暴に撫でまわしたが、青嵐は嬉しそうに笑っている。
特異な金の瞳と額の角。それでも、その笑顔は普通の子供と同じように可愛いなと昂也は思ったが、
『あ!』
(ここにはコハクがいたんだっけ!)
まだ角持ちの青嵐の存在を知らなかったはずのコハクがこの場にいたことを唐突に思いだしてしまった昂也は、とっさに青嵐の身体
を強く抱き込んだ。
(バ、バレたっ?)
拙いと思うと同時に身体が動いたのはその場にいた者達全員だった。
コーヤと青嵐の姿を庇うように前に立った江幻と蘇芳。そして、さらに視界を遮るように立ちふさがったのは紅蓮と黒蓉だ。
誰もが、聖樹に青嵐の存在を勘づかれてはならないと思った上での行動だが、自然に役割分担が出来ていることに江幻は笑みを
誘われた。
コーヤや青嵐にとって、あまり身近で無い紅蓮と黒蓉は、どうしても側に寄れないのかもしれない。
「つ・・・・・の、持ち?」
茫然と呟く琥珀を見て、江幻は眉を顰め、隣の蘇芳を振り返った。
(拙い?)
「うわあっ?」
この状況をどうすればいいのか、江幻はとっさに赤ん坊ごとコーヤを抱え上げ、
「俺がそっちが良かったのに」
何も言わなくても意を察した蘇芳が、文句を言いながらも青嵐を抱き上げる。
「今はそんなことを言い合ってる場合じゃないだろう?」
「ふん」
蘇芳の文句に一々応えながらも、江幻は王宮の門を走ってくぐった。まるで逃げているようだが・・・・・。
(いや、逃げているんだろうな)
「コ、コーゲンッ?」
「大人しくしていなさい」
「な、何があったんだっ?」
突然の江幻と蘇芳の行動の意味が全く分からないらしいコーヤは、それでも江幻の腕の中に大人しく収まってくれる。
それは江幻の行動に納得したというよりは、ここで暴れたら自分が抱いている赤ん坊が危ないと思ったからだろう。
(後はよろしく、紅蓮)
角持ちの存在をどう琥珀に説明するのか、それはもう紅蓮に任せ、自分達はとにかくこの場から逃げ出すことが先決のような気がし
ていた。
「つ・・・・・の、持ち?」
琥珀の呟きに、とっさに身体が動いてしまった黒蓉は、意識しないままコーヤと青嵐を庇うように立ちふさがっていた。
(角持ちのことを聖樹に知られてしまったら・・・・・っ)
その1人だけで、凄まじい戦力になるという角持ち。
コーヤが見付けたせいかもしれないが、角持ちの青嵐は今こちら側に付いている。しかし、何時どんなきっかけで向こう側に付くのか分
からないし、何よりまだ見掛けは幼い青嵐が、聖樹の甘言に騙されてしまう可能性も皆無ではない。
とにかく、青嵐の存在を知られてしまった今となっては、琥珀をここから逃がすわけにはいかないと、黒蓉は厳しい眼差しを向けながら
言った。
「今回のことに決着が着くまで、お前には地下牢に入ってもらう」
「・・・・・」
「よろしいですね、紅蓮様」
「・・・・・地下牢ではなく、部屋へ軟禁だ」
「紅蓮様っ?」
甘い紅蓮の判断に、黒蓉は思わず声を上げてしまう。
まだ本格的な戦いは始まっていないとはいえ、これまでの琥珀の言動は十分不敬罪に値して、それだけでも厳重な処罰を与えても当
然だった。
それが、部屋への軟禁だけだとは。
(それでは、万が一逃げ出されてしまえばっ?)
さらなる意味を考えて動かれてしまうと厄介だった。
「紅蓮様、琥珀には厳重な処罰を与えた方が・・・・・っ」
「・・・・・命令に従え、黒蓉」
「・・・・・っ」
これも、コーヤの影響なのだろうかと思うものの、重ねて命じられたことに反発することは出来なかった。
一行は王宮の中へと戻った。
琥珀は紅蓮の命令通りに地下牢ではなく、空き室の一つに軟禁するという形になった。
『なんか、複雑』
『え?』
碧香の部屋へと急いでいた龍巳は、青嵐の手を引いたまま苦々しく呟いた昂也の言葉を敏感に聞き取る。龍巳が聞き返すと、だっ
てさと昂也は続けた。
『コハク、俺が強引にこっちに連れてきたのに、何だかあんまり歓迎されていない感じがしちゃって・・・・・』
『それは仕方ないんじゃないか?』
『え?』
『こちら側からすれば、コハクはれっきとした反逆者だ。軟禁というだけましなんじゃないか?』
『あっ、もしかして、力を使って逃げるとかっ?』
『それも無い。ここはかなり頑強な防御が効いているから』
昂也の目には見えないかもしれないが、この王宮の周りには何重もの気の防御壁が取り巻いている。
そう簡単にこれを突破は出来ないだろうし、あの琥珀の状況では、今の段階では逃げ出そうとは思っていない気がした。
(だからこそ、軟禁という形かもしれないが)
気性の激しそうな紅蓮からすれば大きな譲歩だろうが、きっとその背後にはある人物の影響が色濃いのだろうと、龍巳は自慢げに
昂也の頭を見下ろしていた。
「・・・・・っ」
見覚えのある気がどんどんと近づいてくる。
自室の中にいた碧香は思わず立ち上がり、部屋の外へと出ようとした。
ドンドン
しかし、その前に慌ただしく扉が叩かれたかと思うと、
「アオカ!」
自分の名を呼ぶ大きな声と同時に、身体を包む華奢な腕に、それが誰なのかが直ぐに分かって、碧香の唇には笑みが浮かんだ。
交感によってその無事は分かっていたはずなのに、ちゃんとこうしてその存在を感じると本当に安心して・・・・・無事に戻ってきてくれた
ことに感謝をした。
「お帰りなさい、コーヤ」
「・・・・・うん、ただいま」
「・・・・・東苑も・・・・・」
「ただいま、碧香」
「・・・・・」
(無事に・・・・・戻ってきてくれた・・・・・)
もしも、この部屋に龍巳と2人きりだったならば、自分は龍巳の身体に抱きついていたかもしれない。それほどにこみ上げてくる思いは
強かったが、もちろんそんな感情を抑えることも碧香は出来た。
それに、昂也がこうして無事に戻ってきてくれたことも確かに嬉しいのだ。
「皆、怪我も無く?」
「それが・・・・・コクヨーが、ちょっと」
「黒蓉が?」
兄の側にいる優秀な能力者の男にいったい何があったのかと、碧香は反射的に龍巳がいる方へと顔を見ける。目が見えなくても、そ
の気配は碧香にはよく分かるのだ。
「・・・・・何があったのか、私にも話して下さいますか、東苑」
「・・・・・分かった」
目が見えないからということは、何も知らなくてもよいということではない。
皇太子である兄を支える身として、何より、この竜人界の王子として、碧香も全てを知って、自分でよく考えたいと思っていた。
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