竜の王様
第五章 王座の真価
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※ここでの『』の言葉は日本語です
琥珀は黒蓉と白鳴に前後を挟まれるようにして歩いていた。
このまま自分がどのように拘束されても構わなかったが、その前に、先に連れ去られてしまった朱里の無事な顔を一目見ておきたかっ
たからだ。
いくら朱里が人間とはいえ、新しい竜王候補として自分達が擁立した者だ。聖樹のようにいざとなればあっさりと切り捨てることは琥
珀には出来なかった。
「ここだ」
ある部屋の前で立ち止まり、白鳴が扉を開く。
「・・・・・」
(劣悪な待遇ではなかったのか・・・・・)
正直に言えば、反乱分子の、それも恐れ多くもこの世界の王、竜王と名乗る者に対して、もっと厳しい待遇を想像していた。
しかし、ここは自分達が拠点としていた洞窟よりも遥かに明るく、快適な場所だった。
『琥珀っ?』
ぼんやりと寝台に腰かけていた朱里は、琥珀の姿を認めた途端立ちあがって駆け寄り、その腰に抱きついてきた。
腕はまだ拘束されていた琥珀はその小さな身体を抱きしめてやることが出来なかったが、それでもやつれた様子も拷問を受けた様子
もない朱里の姿に安堵した。
『大丈夫か?』
簡単な日本語で訊ねると、朱里は言葉も無く頷くだけだ。
いくら待遇に問題は無かったとしても、幼い子供がただ、1人の味方もいない場所で、数日不安に過ごしていたということは大変な精
神的緊張があっただろう。
『情けないが、私もこうしてこちら側に捕らわれた。側にいるから安心しろ』
『琥珀、僕・・・・・』
『どうした』
『僕・・・・・本当に竜王になんてなれるのかな』
何時も強気だった朱里の弱音に、琥珀はしんなりと眉を顰めた。
『僕は、この世界のことを何も知らない、言葉だって話せない。それなのに、聖樹は僕をこの世界の王様にしようとするのかな』
『朱里・・・・・』
『ずっと、そんなことばかり考えてた。琥珀、僕は、僕は・・・・・』
それ以上言葉が出ないらしい朱里は、強く琥珀の腰に抱きついたまま動かなくなった。
その様を見て、琥珀はお前は聖樹に選ばれたのだからと伝えてやりたかったが、今この場でそんなことを言っても言葉に真実の響
きが無いだろうということも分かっていた。
龍巳と昂也から交互に報告を受けた碧香は、白い頬をさらに青白くしていたが、それでも瞳の中に戸惑いや恐れは見えなかった。
この短期間で、碧香自身にも王族の一員としての強い自覚が生まれたのかもしれない・・・・・龍巳はその横顔を見ながら思う。
(出来れば、ずっと守られる存在でいて欲しかったけど・・・・・)
自分の頼りなさを棚に上げ、そんなことを言う方が馬鹿なのかもしれないが、龍巳は自分の好きな相手には掠り傷一つさえつかない
ような状況にいて欲しかった。
『ご苦労でした、東苑、昂也』
やがて、全ての説明が終わると、碧香はそう言って自分達に頭を下げてきた。
『あなた方のおかげで子供達を無事に取り戻すことが出来た。それだけでも大変大きな功績です』
『で、でも、シオンが・・・・・』
昂也にとっては、今回シオンを連れ戻すということも大きな目的であったせいか、あのままあの場所に置いてきたことをまだ悔やんでい
るようだ。
龍巳としては、昂也は精一杯やったと思う。あれほど言葉を募って、それでも動かないのであれば、それは本人の意思がそれほど固
いということだ。
『昂也』
『・・・・・うん、シオンが自分であっちに残りたいって言ったのは、俺だって分かってるつもりだけど、どうしても諦められないんだ』
『・・・・・』
『本当に、優しい人なんだよ。俺に、この世界で一番最初に優しく接してくれたんだ』
『昂也・・・・・』
全く何の予備知識も無く、この世界に放り込まれた昂也にとって、自分という存在をちゃんと見て、接してくれるシオンという男はかけ
がえのない存在だったのだろう。
それは龍巳も予想は出来るので、自分の口から仕方ないという言葉はもう言わないでおこうと思った。昂也が諦めない限り、その可
能性はゼロではないのだ。
龍巳はポンと昂也の肩を叩くと、改めて碧香に言った。
『俺達がその場所を崩してしまったから、向こう側ももう動くしかないと思う。多分、近々何かあるんじゃないかって』
『・・・・・そうですね。これ以上事を長引かせても、叔父上には何の有益なことも無い』
龍巳と碧香が、その未来を想像して口を噤んだ時、昂也があのさと割り込んできた。
『でも、俺、不思議に思うんだけどさ、人間界に持って行かれたコー玉って、セージュが持ってるんだろ?じゃあ、こっちの世界にある
はずのソー玉って、いったいどこにあるんだ?』
『・・・・・あ』
『あ』
あまりにも当たり前の昂也の疑問に、碧香と龍巳は同時に声を洩らしてしまった。
「その問題が残っていたか」
「ああ、忘れていたわけじゃないんだが」
廊下にいた江幻と蘇芳も、コーヤの言葉に改めてああと思った。
元々の始まりは、碧香が人間界に持ち去られた翡翠の玉の片割れを探しに向かい、その入れ替わりとしてコーヤが竜人界へとやっ
てきたのだ。
「結局、蒼玉は見付からないままだし」
「・・・・・」
「どこにあるんだと思う?」
「俺に聞くなよ」
蘇芳は眉を顰めた。
「蘇芳なら分かると思うんだけど」
「だから言ったろ、俺はものがはっきりと視えるわけじゃないって」
「それでも、何となくは分かっているんじゃない?それをはっきり言わないのは、コーヤともっと旅をしていたかったから」
ますます深くなる蘇芳の眉間の皺は、事実を指しているのだろうと長い付き合いの江幻には分かっている。
あれほどコーヤが懸命に探していた玉。その在り処を早々に教えてやれば、コーヤも外で玉探しなどすることも無く、王宮で碧香が
戻って来るのを待てばいいだけだったはずだ。
(コーヤが気に入って、王宮に帰すのが勿体ないと思うのは分かるが・・・・・)
「・・・・・何時から分かっていた?」
「ついさっき」
「ああ、本当に最近なんだ」
「・・・・・」
「それで?蒼玉はどこだ?」
(素直に言ってくれるかな)
共に行動している自分と蘇芳の関係は友人ではあるが・・・・・言葉を変えれば同等の力関係である。自分の質問に答えるかどう
か、結局それは蘇芳の自由だった。
蘇芳は江幻の眼差しから顔を逸らした。
(こんな時に聞くか?)
コーヤが蒼玉を懸命に探していることは十分分かっていたし、蘇芳も気に入っているコーヤの願いを叶えてやりたいと思ったが、当初
はそれがどこにあるのか、どんなに自分の玉で視ても分からなかった。
その気配を初めて感じとったのは、王宮に戻ったほんの先程のことだ。
「蘇芳」
「・・・・・」
「・・・・・」
「翡翠の玉を盗み出したのは、多分紫苑だ」
どの時点で、紫苑が紅蓮を裏切ろうとしたのかは分からない。しかし、王族以外と神官、それも位の高い者しか入ることの許されな
い地下神殿にあった翡翠の玉。それを盗み出すのはさすがの聖樹でも無理だ。
「どこでどう繋がっていたのか、聖樹に言われたのか、それとも、紫苑の意志かは分からないが、あの場所から玉を持ちだすことが
出来るのはあいつしかいない」
「それは私も賛成だな。一番無理のない方法だ」
「その紫苑が紅玉を聖樹に渡して、蒼玉をまたどこかに隠すなんて暇、無かったとは思わないか?」
「・・・・・蘇芳、では、お前は・・・・・」
「王宮から持ち出した物を隠すにはどこが安全か。利口な紫苑ならどう考えると思う?」
蘇芳のその言葉に、江幻は僅かに目を見張った。
紅蓮は二階の露台に立ち、王宮の庭に勢ぞろいをした兵士達を見た。
「皆のもの、今夕より竜に乗り、北の谷へと向かうことを決めた!我が竜人界にとって今回の戦いは深い意味のあるものだ!」
紅蓮がこうやって自分の口で兵士達の前で公言することは初めてのことだった。
まだ正式に王座に就いていない紅蓮は、各長を個別に呼び出して命令を下したり、執務をとり行ってきたが、一般の竜人に対しては
まだ皇太子という立場を崩さなかったからだ。
あくまでも、竜王は翡翠の玉が認めた存在。そう、紅蓮自身思い込んでいた。
(だが、この竜人界を守るのは私しかいない。もう、翡翠の玉のことを言っている場合ではないっ)
今こそ、前王の息子として、王座を継ぐ者として、自分が表に立たなければならないと思った。
「今竜人界について憂慮していることは全て、私が責任を持って解決する!どうか、皆の力を貸して欲しい!共に竜人界をもう一
度再興させよう!!」
おおっ!!
湧き上がる歓声がその場を支配した。
今まで絶対的な存在のはずの竜王が、民である自分達に力を貸して欲しいなどと訴えたことはこれまでに無かった。頭を下げずとも、
自分達の命は全て竜王のものだという考えが浸透していたからだ。
しかし、こうして共にと訴えられれば、それだけ自分達と竜王の関係が深まったということを感じる。一緒に戦おうと、この命を掛けて
まで竜王を守ろうという気持ちが高まる。
「紅蓮様!」
「竜王様!」
「・・・・・」
口々に叫ぶ兵士の顔を、紅蓮は出来るだけ一人一人見ようと思った。この竜人界を支えるのはけして自分だけではなく、民の個々
の力だと、紅蓮は父王が崩御して一年経ってようやく悟ったのだ。
「今回の王家への反旗は、父王が亡くなってから今までの私の不甲斐無さから起きたこととして真摯に受け止める!しかしっ、更
なる竜人界の繁栄は、過去を消し去ることではあらず!過去を受け入れ、未来へと繋げることこそ、今、この竜人界に生きる私達の
使命だ!!」
冷静沈着で、常に人の上に立つために感情を押し殺すことを教えられた紅蓮。
こんな風に大勢の兵士の前で大声で宣言をするのも初めてだったが、こみ上げてくる感情のままに話した言葉は、今自分の心の真
実そのものの気がした。
「紅蓮様」
「蒼樹」
紅蓮は側で控えていた浅緋と蒼樹を交互に見つめる。
「蒼樹、お前には辛い戦いになるかもしれないが」
「覚悟は出来ております」
「・・・・・」
きっぱりと言い切った蒼樹に頷いた紅蓮は、浅緋に眼差しを向けた。
「先鋭部隊の20人は竜に変化出来るな?」
「はい、その背に数十人ずつの兵を乗せるつもりです」
「私も変化し、その背に兵士を乗せる」
「紅蓮様っ?あなたがそのようなことを・・・・・っ!」
「構わない。私が皇太子であっても、竜に変化出来るものが限られている今、その能力を最大限に使わねば。それに、共に闘う兵
士を背に乗せるのだ、光栄にさえ思うぞ」
「紅蓮様っ!」
以前の自分ならば、そう考えていても矜持が邪魔をして行動しなかったかもしれないが、今はどんなことでもこの世界のためならば
出来る気がする。
(長引かせるつもりはない。出来るだけ民には影響を及ぼさないように、短期間で決着をしてみせるっ)
銀色に輝く鎧を着た紅蓮は、未だ歓声をあげ続けている兵士に向かって片手をあげた。今、自分は兵士と一体になっている・・・・・
紅蓮は口を引き結ぶと、これから始める戦いへと決意を新たにした。
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