竜の王様




第五章 
王座の真価



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 紫苑は何度も自分の左手を握ったり開いたりしている。
こうして見ているだけでは、自分の身体の中に紅玉が入っていることは全く分からないが、紫苑は自分の身体の中が確かに変わって
きているのを感じていた。
 「・・・・・」
 コーヤ達が逃げ出す時に壊していった洞窟はほとんど崩壊状態で、今仲間達数十人はその近くで野営している状態だ。
皆、間近で見た竜の姿に当初動揺していたが、聖樹の落ち着いた余裕のある態度や浅葱の檄に気を持ち直したようで、今は既に
間近に迫った進撃の時を静かに待っていた。
(コーヤは、無事に王宮に着いただろうか・・・・・)
 ただの人間である彼を傷付けることは全く考えていなかったので、もしかしたら戦火に包まれるかもしれないこの地からコーヤがいな
くなることを望んでいた。
そして、自分の運命が刻一刻と縮められている時に、もう一度会えて良かった。
(もう二度と・・・・・会うことは叶わないだろうが)

 「紫苑」
 「・・・・・」
 名前を呼ばれた紫苑は顔を上げる。
何時も以上に強張った表情の浅葱は、既に剣を携え、鎧を身にまとった戦闘態勢になっていた。
 「覚悟はしているな?」
 「・・・・・ええ」
 「その手で、躊躇い無く以前の友人達を手に掛けることが出来るだろうな?」
 「・・・・・もちろんです」
 紫苑は手を握り締めながら言う。ここまで来て躊躇っているのかと聞かれても苦笑が零れてしまった。
そんな紫苑の表情が余裕があると思ったのか、馬鹿にされているかと思ったのか、浅葱の表情も雰囲気も険しくなっていくのがよく分
かった。
(何時まで経っても信用はされないのだな)



(聖樹殿は、なぜこ奴を側に置いているっ?)
 紅蓮側の、しかも四天王の1人だということで、利用価値は確かにあると思った。
王宮内の詳しい情報を得ることはもちろん、人質としても神官長ほどの男をこちらが手中にしているという意味は大きいと思った。
 しかし、聖樹は紫苑を人質という立場ではなく、戦力の1人として受け入れた。紫苑自身もこちら側に付くとその口ではっきりと言っ
たが、それを聖樹は本当に信じているのだろうか。
(これほどに胡散臭い存在など無いのに・・・・・っ!)
 浅葱は琥珀が連れ去られたことも、こちらが手にした竜の赤ん坊達を奪い返されたことも、全て紫苑が関係しているのではないか
と疑っている。
一度裏切った者は、次を裏切ることも簡単にする。そんな相手を信じることなど出来ようか。
(その尻尾を掴んでやりたいっ)
 「怪我人がいなくて幸いでした」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「お前が手を貸したのではないだろうな?」
 「私はもう向こう側にとっては裏切り者という存在。この言葉を信じてくれる者などいませんよ」
 その言い方こそ、あまりにも落ち着き払っていて怪し過ぎた。
それでも、琥珀があちら側に連れ去られた今、この紫苑の力も借りざるをえない。この男だけで数百人の兵士と同等の力を持ってい
るということは浅葱も分かっているからだ。
(・・・・・っ、くそ!)
非力な自分が悔しかった。



 ようやく、待ち望んでいた時間が動き始めた。
聖樹は薄暗くなってきた空を見上げながら口元に笑みを浮かべる。
(紅蓮・・・・・お前も覚悟を決める時が来たぞ)
 以前、前王が健在だった頃の反乱は、息子である蒼樹もあちら側に付き、王の圧倒的な力でねじ伏せられてしまった。
しかし、今思えばそれは、自分もあまりにも気持ちだけが先走り、力が空回りしてしまったからだと言える。
 その時の力の差を考えてか、それとも仮にも王女の夫だった聖樹の立場を考えてか、自分の処分は処刑ではなく永久追放だった。
(あの時命を絶っておけば良かったと、後悔をさせてやるそ)
 「・・・・・」
 「聖樹殿」
 「どうした、浅葱」
 「こちら側から仕掛けないのですか?」
気が立っている浅葱は、自分達が攻める側に回らないのかと不満そうだが、のこのこ王都にまで出向けば、直ぐに軍に迎撃されること
は目に見えている。
 それならば、破られているとはいえ、決壊が張っているこの北の谷で、あちら側が仕掛けてくるのを待った方がいい。
 「待て、浅葱」
 「しかしっ!」
 「陸路でこの地まで来るのならば数週間の道のりだが、竜で駆けてくればほぼ一昼夜だ。だが、一匹の竜に乗ることが出来る人数は
限られている分、計算もしやすいだろう?紫苑の話によれば、軍隊には20人ほどの竜に変化出来る者がいるらしい。その背に乗って
くる兵士の数、どれほどだと思う?」
 「紫苑の言葉を信じるのですかっ?」
 「あ奴はこんなことで嘘は言わない」
 「・・・・・っ」
 「どれほどの数が来ると言っても、せいぜい千名もいないだろう。それくらいならばねじ伏せることも不可能ではあるまい」
 「・・・・・こちらは数十人しかいないのですよ?その人数でどうして勝てると思えるのです?」
 「数など、大した問題ではない、浅葱。こちらにはこの世界の王の象徴、翡翠の玉がある」
 王の印、翡翠の玉。
聖樹からすればただの玉でしかないが、その玉、2つの命運を握っているのはこちら側だ。どちらが優位か、聖樹は浅葱にうっすらとし
た笑みを向けた。
 「余裕を持て、浅葱。焦った方が負けだ」







 「蒼樹殿っ」
 兵士達の激励に向かい掛けた蒼樹は、後ろから自分の名を呼ぶ声に振り向かないまま眉を顰めた。
こんな時に、そんな風に名前を呼ぶなと言いたいが、そう考えている自分の方こそ意識しているのかもしれない。それだけは少しも悟
らせたくないと、蒼樹は一度大きく深呼吸をしてから振り向いた。
 「どうした」
 「あなたは無理はしなくていい!」
 「・・・・・どういうことだ」
 「聖樹は、私が討つ」
 「・・・・・」
(息子に父を討たせるのは哀れだと?私を何と思っている!)
 父を切り捨て、紅蓮に仕えると決めた時から、蒼樹は何時もある種の覚悟をしていた。
いや、今度こそ父を倒した時、長い間自分の心を縛っていた呪縛が解き放たれるとさえ思っていた。
 それでも、心のどこかで父が再び馬鹿なことをしでかすだろうかと考えていたが・・・・・あの愚かな父は、本当に同じことを繰り返そう
としている。
(あの男だけは、私が倒さなければ・・・・・っ)
 「気遣いは無用だ」
 「聖樹殿!」
 「もちろん、あの男がお前の前に現れたのならば、その命を奪う権利はお前にあるだろう。しかし、私が相対すれば、その権利は私に
ある」
 「・・・・・」
 「私のことなど考えるな、浅緋。お前は軍隊の将軍、紅蓮様と兵士のことを考えていればいい」
そう言い捨てると、蒼樹は淡い蒼色の鎧に付けられた外套をなびかせて背を向けた。



 『蒼玉・・・・・兄様もまだ見つかってはおらぬとおっしゃっていましたが・・・・・』
 アオカの戸惑ったような言いように、昂也はやっぱりなと頷く。
 『それが無いと、王様としては認めてもらえないんだよな?』
 『歴代の王は、皆翡翠の玉が輝いて後、即位の儀をとり行ったと聞いています。ですが、今の兄上はその玉だけに縋り、考えること
はないと』
 『へえ』
(それは、あいつらしくないけど)
 頭が固く、王子としてのプライドが高いグレンならば、四角四面で物事を考えそうだが・・・・・いや、最近の彼は少し雰囲気が違うか
もしれない。以前は、身体が震えるほどに冷たい眼差しを自分に向け、問答無用で自分の思い通りにしようとした。その究極が自分
を犯したことだが、今はそれほどに自分に対する悪意は感じられなくなった。
(・・・・・俺が甘いのかな)
 一緒にこの世界のために頑張ろうと思っているせいか、昂也は今グレンを怖いとは思っていない。
 『兄様は、本当にお変りになられた。私はその変化が好ましいものだと思います』
 『好ましい・・・・・』
 『これも、昂也のおかげです』
 『い、いや、それば別に俺のせいってわけじゃないって。きっと、グレンがこのままじゃいけないって思ってしたことだろうと思うし』
王子様という人種はどうしてこう堅苦しいのかと昂也は苦笑を零してしまい、その笑みをアオカに向けない方がいいかもしれないと慌
ててコホンと咳払いをした。
 『俺っ、ちょっと青嵐見てくるな』
 『じゃあ、俺も一緒に』
 『東苑はアオカと一緒にいろよ。お邪魔虫は消えるから』
 『お、おいっ』
 『じゃあな!』
しばらくは2人きりにさせてやるかと、まるで自分の方が年上の気分で、昂也は部屋から出て行った。



(アオカはいい子なんだけどさあ、人のことを良く見過ぎなんだよ)
 昂也はけして自分がよい人間だとは思わない。ずるい部分もあるし、弱い所だってたくさんある。それを誤魔化そうと必死なだけな
のだが、優しいアオカはそれを良い方へと考えてくれるのだろう。
 照れ臭いし、嬉しいし、それ以上に困るしで、昂也は早々にあの場から逃げ出したのだが。
 『あ、青嵐どこにいるんだろ?』
考えたら、今青嵐がどの部屋にいるのか分からないし、第一、ここにコーゲンがいてくれないと言葉も通じないままだ。
 『コーゲンッ、スオー!』
 声を出して2人を呼びながら歩いていると、静まり返っていた廊下の向こうにざわめきがある。
 『コーゲン?』
どこに行ってたんだと声を掛けようとした昂也は慌てて口を噤んだ。そこにいたのが鎧姿のグレンとコクヨーだったからだ。
 『あ』
 「・・・・・っ」
 2人の周りには何人もの兵士がいて、彼らは昂也の姿を見た瞬間、手に持っていた剣を持ち直してこちらを見る。警戒しているとい
う空気がよく分かり、昂也は思わず両手を顔の前で横に振った。
 「お、おれ、きらい、ちがうよっ?」
こちら側の味方であると、ちゃんと通じただろうか?
 「セ、セイラン、あの、あの・・・・・」
 青嵐を捜しているだけなんだと説明したかったものの、今までコーゲンのおかげで言葉が自由に伝わっていたせいか、頭の中にこ
ちらの言葉が直ぐに浮かんでこなかった。
これではいけないと思えば思うほど言葉は詰まり、このまま立ち去る方が得策だと背を向け掛けたが、
 「コーヤ」
 低い声が自分の名を呼んだ。
わざわざ自分を呼びとめるようなことがあるのかと、昂也は立ち止まってグレンを見上げる。すると、グレンはそのまま昂也の腕を掴み、
無言のまま歩き始めた。
 「グ、グレンッ?」
(どこ行くんだよっ?)