竜の王様
第五章 王座の真価
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※ここでの『』の言葉は日本語です
出撃にまで間が無いというのに、いったい自分は何をしようとしているのか。
「グ、グレンッ?」
「・・・・・」
(私の名前は言えるのだな)
当初は人間に自分の名前を呼ばれるのさえ不快に思っていたはずなのに、今の自分はコーヤにこの世界の言葉で名前を呼ばれるこ
とがとても嬉しいと思っている。
それは、自分の中のどんな感情がそう思わせているのだろうか。
「紅蓮様っ」
そのままその場を立ち去ろうと歩いていると、共にいた黒蓉が引きとめるように名を呼んできた。
以前の自分ならばそのまま歩き続けていただろうが・・・・・紅蓮は立ち止り、黒蓉を振り返る。
「直ぐに執務室へ戻る。先に向かっていろ」
「・・・・・どちらに行かれるのですか?・・・・・コーヤを連れて」
「・・・・・王宮を離れる前に、コーヤと少し話したいと思っただけだ。赤子達を取り戻した労もまだ労っておらぬからな」
自分の言っていることが言いわけだと紅蓮も自覚していた。本来、王が自分の言動を臣下に取り繕うことなどしなくてもいいのだが、
今の自分の感情を黒蓉に説明したとしても理解してもらえるとは思っていなかったし、また、分かってもらわなくてもいいと思っている。
紅蓮自身さえ、はっきりと説明のつかない感情だと言っていいからだ。
(この緊張の一時に、弟の碧香ではなく、コーヤと共にいたいなど・・・・・)
「直ぐに向かう」
それ以上口を開けば、何だか自分自身が思っている以上の不可思議な感情が溢れてくるかもしれないと、紅蓮はコーヤの腕を掴
んだまま黒蓉に背を向けた。
「黒蓉様、紅蓮様はいったい・・・・・」
共にいた兵士達の中にも戸惑いの色が広がっている。
無理も無い、あれほど人間を厭うていた紅蓮が、自らコーヤの腕を掴み、自分達をその場にとり残して立ち去って行ったからだ。
「黒蓉様」
それは黒蓉も同じ気持であったが、一方では紅蓮のこの行動も分からないわけではなかった。
コーヤには、あの人間には、眩しいほどの生命力と、前へ突き進む行動力がある。戦いを間近に控えた今、あの正の気を自分に取り
込みたいと考えてもおかしくはないだろう。
「・・・・・」
黒蓉自身、今コーヤと会っても、以前ほどの憎悪の気持は湧いてこない。
自分を嫌い、尚且つ襲い掛けた者を、笑みを向けたり守ったりするあの子供に、無闇な悪意を保つことはかなりの気持ちの負担だ。
「黒蓉様っ」
「今紅蓮様がおっしゃっていただろう。直ぐに執務室に戻られる、お前達は出撃の準備を整えていろ」
「はっ」
今からあの2人がどんな会話をするのか、興味が無いと言えば嘘になる。しかし、そこに自分という存在がいることもおかしい気がし
て、黒蓉は強く拳を握りしめたまま身を翻した。
グレンに連れて行かれたのは、見覚えのある彼の部屋だった。
(・・・・・ここ、あんまり来たくないんだけど・・・・・)
この部屋はグレンに襲われた部屋だ。自分の中では過去のことだと割り切っているつもりだが、進んで来たいと思う部屋ではない。
「・・・・・」
無意識のうちに身構えた昂也だったが、グレンは寝台の方へは向かわず、椅子に昂也を座らせると、自分はその前に腕を組みなが
ら立ち、じっと見下ろしてきた。
(な、何だ?)
何か話があるのか・・・・・もしかしたらシオンを連れ帰ることが出来なかったことを改めて叱られるのか、それとも以前に怒鳴ったこと
がと色々考えたが、意外にもグレンの眼差しの中に厳しい色は無い。
「・・・・・」
『・・・・・』
静まり返った部屋の中、昂也はどうしようかと考えた。
一番の大きな問題は言葉だ。コーゲンがいない限り、自分とグレンは自由に会話出来ない。ジェスチャーで分かってくれるほどに自分
に対して好意的ではないだろうと思うので、コーヤは自分の話せるこちらの言葉を何とか掻き合わせてみようかと思った。
(俺の話せることって、挨拶と、飯の催促と、好きとか嫌いとかって・・・・・うわっ、全然二次利用出来ないものばっかじゃん)
それでも、この広い部屋の中、お互い黙ったまま見つめ・・・・・いや、睨み合っているというのも苦痛で、昂也はうんうんと唸った後、
顔を上げてグレンに言った。
「グレン、はー、はー・・・・・はら、いたい?」
どこか気分が悪いのかと聞いたつもりだ。
「・・・・・」
「おれ、おぱか、ぱんぱんよ?グレン、きらい、あるは・・・・・おれ、くう?」
俺は元気だから、出来ることはするよ・・・・・と、言ったつもりだが。
「・・・・・」
(ま、全く駄目なのか?)
シオンならば多少は通じたはずなのにと眉を下げて情けない顔をすると、それまで黙って自分の顔を見つめていたグレンの口元が僅
かに緩んだ。
「あ!にこ!」
「・・・・・お前を見ていると、自分自身が愚かに思えるな」
「お、おか?」
「愚か・・・・・馬鹿だということだ」
「ぱか?」
(・・・・・って、どんな意味だったっけ?)
筆記はともかく、ヒアリングは得意だったはずなのに、人間という者はいざという時にその知識が役立たなければ駄目だなと、改めて思
い知った昂也だった。
こんなにも緊迫した状況だというのに、コーヤと相対してしまうとその緊張感が何時しか崩れてしまうから始末に悪い。
いや、分からないなりにも、こちらの言葉で必死に話しかけようとしてくるコーヤが愛らしく思えてしまうのだ。
「・・・・・愛らしい・・・・・」
弟の碧香以外に抱いたことのない感情。かつて身体を重ねてきた同族の女達にもそんなことを思ってもみなかったが・・・・・これが人
間が持つとされる魔性なのかもしれない。
(人間を、人間界を厭うていたならば、過去何人もの王族が人間界にそのまま残ったりしなかったかもしれない)
自分の父も、竜人界へとやってきた人間の女を見初めたりしなかったかもしれないと、紅蓮はこんな切羽詰まった時に思い付いてし
まった。
「コーヤ」
「・・・・・?」
首を傾げるその仕草は、不思議な動物のようだ。自分の腕の中に抱いて、愛玩したい・・・・・そんな風に思えてしまうような生き物。
「私は聖樹と戦い、この混乱に終止符を打つ。出来れば同族同士、血の争いはしたくないが・・・・・私が竜王になり、この世界を背
負って行くためにも避けられないことだろう」
こんな難しい言葉は、コーヤには意味が分からないはずだ。
それでも真剣な眼差しを自分に向け、少しでもその意味を知ろうという姿勢が見えるのは好ましい。
紅蓮は自分の言葉を全てコーヤに分かってもらえなくても良かった。ただ、こうして自分の決意を伝える相手は、コーヤが一番適任
だと思う。
(私の王座への執着を断ち切り、竜人界を支配するのではなく、竜人界のために尽くすという気持ちを思い出させてくれた)
「・・・・・コーヤ、お前はこの戦いが終わり、私が王位に就けば・・・・・人間界に戻るのか」
「・・・・・」
「それを強く望んでいたのは私の方だったが・・・・・」
本当にそれでいいのか。
最初は、一刻も早く一連の混乱を解決し、コーヤを人間界へとつき返したかった。
次には、その身を支配した自分はコーヤの所有者で、自分のものであるコーヤをどうするのも自分の自由だと思った。
しかし、今は、コーヤの思いが気になってしまう。
「・・・・・お前がいなくなれば・・・・・寂しい」
「・・・・・」
「こちらの言葉が分からないままで良かった。このような弱音、私は絶対に吐いてはならない立場だからな」
全てが終わった時、いったい自分は、コーヤはどうなっているだろう。紅蓮は見えないはずの未来を見るように、コーヤから視線を逸ら
した。
(あからさまに気を遣い過ぎだって)
昂也が部屋を出て行った後、残された龍巳はどうしようかと逡巡したが、やがて思い切ったように碧香に歩み寄り、その肩を抱き寄
せた。
「東苑・・・・・」
碧香も、直ぐに背中に手を回してくれる。
「無事に帰ってくれて・・・・・嬉しい」
「俺も、こうしてまた碧香の前に立てて嬉しい」
そう言うと、龍巳は少しだけ碧香の身体を離し、そっと唇にキスをした。こんな時なので舌を絡める濃厚なものはとても出来なかった
が、それでも身体の一部分を触れ合わせただけでも安堵感はより増した気がした。
「何も役に立てなかったのが悔しいけど」
「そんなことはありませんっ!」
「碧香?」
「人間であるのに、あなたはこの国のために自ら動いてくれている。それはとても凄いことですっ」
恋人として、少し贔屓をしてくれているのだろうが、碧香にそう言われるとやはり嬉しく、龍巳は笑みを浮かべながらありがとうと素直
に言った。
役に立てなかったのは悔しいが、この世界の、碧香のために何かをしたいという気力が萎えたわけではなく、龍巳はまだ動く気が十
分にある。多少は使えるこの力を、1人でも多くの碧香の仲間を助ける手段に使いたい。
「碧香、俺、碧香の兄さん達と一緒に行こうと思ってる」
「えっ?どうしてっ?」
意外に思ったのか、碧香がパッと顔を上げた。
見えないはずの目を見張り、真っ直ぐに自分を見つめてくる瞳を、龍巳の方もしっかりと見つめ返しながら言葉を続ける。
「俺のこんな力でも、無いよりはましかなって思うんだ。もちろん、足手纏いにならないように気を付けるし、それに・・・・・」
「・・・・・っ」
「あ、碧香?」
いきなり、碧香は龍巳にさらに強くしがみついた。まるでここから龍巳がいなくなってしまうと思っているかのように、碧香の手の力は
強い。
「・・・・・大丈夫。碧香はここで、昂也と一緒に待っていてくれ」
碧香は嫌だとは言わなかった。龍巳の気持ちも、そして龍巳の力が兄の助けになることをよく分かっているからだろう。
それでも、しがみつく手の力は徐々に力を増して、龍巳もそんな碧香を宥めるように自分も細い身体に腕を回した。
(ど、どうしたらいいんだろ)
慰めるべきなのか、発破を掛けるべきなのか。
どちらにしても言葉が通じないと意味がないと思ったが、昂也はふと考えて立ち上がり、自分よりも随分背の高いグレンの外套を引っ
張った。
「何だ?」
『いーからっ』
そのままさらに引くと、グレンの上半身が下へと屈められる。それでようやく手が届くなと、昂也はグレンの頭を手を伸ばして何度も撫
でた。
頑張れというつもりだったが、グレンには通じなかったのか。眉を顰めたまま、腰を屈めて自分と視線を合わせようとしてきた時だった。
『な〜に、いい雰囲気出してるんだあ?』
からかうような言葉とともに、いきなり扉が開かれた。
『あ、スオー』
『あ、スオーじゃないだろ、コーヤ。こんな部屋でそんな獣と2人きりじゃ、食われたって文句は言えないんだぞ』
そう言いながらズカズカと中に入ってきたスオーは、昂也の腕を掴んで自分の方へと引き寄せ、そのままグレンを睨む。
『人がせっかく玉探しをしてやってたっていうのに、自分はコーヤと何イチャ付いてるんだ?』
『玉探しだと?』
グレンはスオーの言葉に眉を顰めたが、昂也は何時の間にか言葉が苦も無く意味を伴って耳に届いていることに気付き、そこにコー
ゲンがいることが分かって思わず笑みを浮かべてしまう。
『助かったあ、コーゲン』
『別に、危険そうでも無かったけど』
『・・・・・おい、俺には何の言葉もないのか?』
笑いながら部屋の中に入ってきたコーゲンを見た後、昂也は口をへの字にしている蘇芳に向かってまあまあと宥めながら笑った。
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