竜の王様




第五章 
王座の真価



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 それほど広い場所ではない地下神殿。
その祭壇の前に立った江幻は、チラッと周りを見回した。そこかしこに感じる強い気、今まで気付かなかったことが本当におかしいと思
えるほどだ。
(それほどに、聖樹の術が凄まじいということか)
 ただ、聖樹が相当な気の持ち主で術も会得しているとしても、それが翡翠の玉を二つに分ち、さらにその一つを神殿の気と同化させ
るほどの力を持っているとは思えなかった。
(・・・・・琥珀、か)
 あの男と聖樹が力の授受をしていたとしたら、それも可能かもしれない。
思った以上に琥珀には神官としての力があるのだろうと、江幻は一度その力を見せて欲しいなと思った。
 「江幻」
 「あ、ああ、ごめん」
 少しもの思いに沈んでいた江幻は、紅蓮の言葉に顔を上げた。
この場から避難させておかなければならないコーヤは、蘇芳と共にタツミと碧香のもとへと行っている。蒼玉のことも言わなければとい
けないと言っていた。

 「俺達が戻るまで待っててよっ?俺、見たいから」

 この地下神殿がどうやって蒼玉になるのか、話を聞いただけではどうもよく分からないらしいコーヤはその様子を見てみたいらしい。
それまでに下準備をしておこうと、江幻は今神殿の隅々に術を施していた。
 一度、この地下神殿の気を壊さなければならないが、もちろんこの上の王宮まで壊すことが出来ないのは当然で、それを防ぐための
前準備はきちんとしておかなければならない。
 「江幻」
 「ん〜?」
 「・・・・・これは、本当に聖樹がしたことか?」
 「聖樹の力の種類は違うしね〜、多分、あの男だけの力じゃない」
 江幻の言葉に紅蓮は眉を顰める。いったい誰がと思っているのだろうと、江幻はあっさりと教えてやった。
 「多分、琥珀」
 「・・・・・琥珀?」
 「ああ見えて、結構力があるね、あの男は。・・・・・紅蓮、紫苑がいなくなった今、あの男を神官長にしたらいいんじゃないか?」
 「江幻」
 「悪い、失言だった」
うっかり口が滑ったという風を装ったものの、江幻は今の言葉を本気で言っていた。
紫苑が紅蓮を裏切ったわけは未だはっきりと分からないが、四天王の1人だった彼がそれだけの決意をしたのならばここに戻る可能性
はほとんどない。
それよりは、紅蓮に対しても堂々と物を言える琥珀にその後継を託した方がいいのではないかと思ったのだ。
(あの男は使えるはずだ)
 有能な男をどう扱うか、それこそ紅蓮の手腕だろう。
こんなことを言えば、きっとコーヤは文句を言うだろうが・・・・・そう思った江幻は顔を上げた。



 「お前にはコーヤがどう見える?」
 いきなりそう言いだした江幻に、紅蓮は直ぐに応えることが出来なかった。
それは、江幻の質問を馬鹿馬鹿しいと思っているわけではなく、自分の中のコーヤの位置を、紅蓮自身がはっきりと確定出来なかっ
たからだ。
 以前の自分は人間は厭うもの、卑下するべきものだと思っていた。
その自分の気持ちを全て覆すことは出来ないが、それでもコーヤは違うのではないか・・・・・そう感じている。
(多分、私はコーヤを人間だとは思っていないのかもしれない)
人間というのではなく、コーヤという存在。そう、コーヤはコーヤでしかないのだ。
 「あれは、私のものだ」
 「紅蓮、それは・・・・・」
 「お前が言いたいことは承知している。それでも、私はあれを手放すことを考えていない」
 「・・・・・コーヤが帰りたいと言ったら?」
 「・・・・・」
(どうするのだ・・・・・私は)
 戻すことはあり得ない。それでも、コーヤが人間界へと帰りたいと言った時に自分はどうするのか・・・・・帰るなと命令するか、帰らな
いで欲しいと懇願するか、今の時点でははっきりとした自分の気持ちが分からないままだ。
 「私はね、コーヤをとても気に入っているよ」
 「・・・・・」
 「蘇芳も、本気で欲しいと言っている。今まで何にも執着を持っていなかったあの男の言葉だ、紅蓮、お前もそろそろ自分の気持ち
をはっきりと見つめた方がいい。自分のものだと口で言っていても、コーヤの気持ちはお前の自由にはならないよ」
 耳に痛い言葉だが、それが真実だと紅蓮も感じている。本当に、分からないままで済ませられる時間はもう無いと思いながら、紅蓮
は着々と準備を進めている江幻の手先を見ていた。



 『地下神殿が、蒼玉?』
 驚いたようなアオカの呟きに、昂也は頷いた・・・・・と、言っても、事情を説明してくれたのはスオーで、昂也はコーゲンから預かった
緋玉を手に隣に立っているしか出来なかった。
 しかし、スオーが説明をし終えたのを確認すると、アオカの隣にいた龍巳を見上げて言う。
 『トーエン、勝手に決めてごめんっ』
昂也はガバッと頭を下げた。グレンには龍巳もきっと賛成してくれるはずと言ったが、それはあくまで昂也がそう思うだけであって、龍巳
の気持ちを本当に分かっているのかと言われたら自信は無かった。
 きっと、そうであろうと思うがという不安を、僅かながらも感じていたが、
 『昂也』
 『でも、俺っ』
 『うん、俺も賛成』
そう言った龍巳は、昂也の髪をくしゃと撫でて笑ってくれた。
 『俺も、手に入る方法が分かっているんなら試した方がいいと思う。よく言ったな、昂也』
 『・・・・・うんっ』
 元の世界に帰れないかもしれない・・・・・それは、自分達にとって大きな問題だ。
何も分からないままこの世界へと来てしまった自分は、まだ現実味を感じていない所もあるが、龍巳は全てを分かった上でこちらの世
界へとやってきた。帰れる、帰れないの問題は、昂也以上に切実に感じているはずだった。
 そんな龍巳が、勝手なことを言うなと昂也を責めることもなく、反対に褒めてくれた。それが嬉しくて、昂也は思わず龍巳の腰に抱き
ついてしまう。
 『コーヤ』
 そんな昂也に、スオーが呆れたように声を掛けてきた。グレンに言った時よりは、声が柔らかいのは気のせいなのか。
 『お前は〜。そんなに簡単に男に抱きつくな』
 『いいじゃん、嬉しかったんだからっ』
 『嬉しかったら抱きつくのか?』
 『そりゃあ、相手がトーエンだから?』
いや、友人だったら、じゃれるように抱きつくのは珍しいことではない。スオーは何時も昂也の行動に文句を言うが、竜人達はあまりそ
ういったコミュニケーションをとらないのだろうかと不思議に感じる。
(自分なんか、俺をからかうためにキスまでするくせに)
抱きつくくらいは可愛いものではないかと思った。



 探していた玉の一つが元々の場所に隠されたと聞いた時は驚いたが、それを取り出す方法があるのだと喜んだ気持ちも本当だっ
た。
 碧香が、自分の危険を顧みずに人間界にやってきてまで探していた竜王の証という玉。その、二つのうちの一つが、少しでも早く目
の前に形となって現れて欲しい。
(昂也の言った通り、帰る方法がそれ以外に無いとは限らないし)
 確かに、自分と、それも昂也もらしいが、あの地下の泉のような場所に現れることになったが、聖樹達は・・・・・あの男達は、自分の
身体の一部を犠牲にして、自由に人間界と行き来していたではないか。
 最悪、自分達もそんなことになっても、龍巳は自分の何かを犠牲にして昂也を人間界へと戻すつもりだ。自らこの世界にやってきた
自分と、不可抗力に呼び寄せられた昂也とでは、覚悟のほどが違うからだ。
 『大丈夫だ』
 『うん。あっ、早く戻らないと!』
 『でも、俺達邪魔にならないのか?』
 『俺が見たいって言ったんだ!戻るまで待ってくれているはずだからっ』
 こんな時にでも、昂也の好奇心の虫は大人しくはしていないらしい。
龍巳は口元に笑みを浮かべると、まだ茫然としている碧香の手を握り締めた。



 「お待たせ!」
 思ったよりも早く戻ってきたコーヤに、下準備を終えて待っていた江幻は顔を上げた。
 「ああ、碧香とタツミも連れて来たんだね」
話をするだけでは終わらないと思ったが、やはりこの2人も事実をその目で見るためにやってきたようだ。
 目が見えない碧香だが、だからこそ今の地下神殿の気のざわめきを感じ取っているのか、落ち着かないように周りに顔を向けてい
る。
 「この中にいるのはちょっと危ないから出ているように」
 「え〜っ!」
案の定、コーヤが不満そうに声を上げた。
 「俺、見たいんだけど!」
 「扉を開けていてもいいから」
 「見ること出来る?」
 「どうかな・・・・・でも、感じるとは思うよ」
 「・・・・・うん」
 地下神殿の扉を開け、コーヤは大人しく外へ出る。他の者達もそれに続き、コーヤは蘇芳が、碧香はタツミが、その身体を守るよう
にしっかりと肩を抱いた。
 「・・・・・」
 紅蓮の眼差しがそちらに向けられたのを見て、江幻は苦笑を零す。気持ちは分からないでもないが、今はこちらの方に神経を集中
させてもらわなくてはならなかった。
 「紅蓮」
 「・・・・・分かった」
 名前を呼べば、江幻の言いたいことを悟ったのか、紅蓮は改めて祭壇へと目を向ける。
江幻も同じように祭壇へと眼差しを向け、続いて両手を翳した。
 「一気に高めてくれ」
 「・・・・・」
紅蓮は顎を引いた。

 ズンッ

 その途端、足元が大きく揺れた感覚がある。
実際に地面が揺れているのではなく、地下から気が崩れていっているのだ。
 「・・・・・」
 代々の王族の気を、同じ王族の紅蓮が破壊していく先から、今度は江幻が飛散した気を集めて一つの形に形成していく。
目に映る光景は、光が様々に飛び交う姿くらいだろうが、その間に凄まじい気が流動していた。
 「・・・・・っ」
 「・・・・・」
 目の前の紅蓮の表情が歪んでいた。長い歴史の中、形成された力の結晶を自分が破壊することに抵抗が無いわけではないだろ
う。それでも、その力には少しの躊躇いも無い。
(間違いなく、紅蓮は歴代でも一、二を争う能力者だな)
 こうして向き合い、互いの力が混ざり合うからこそ分かる感覚。こんなにも強い力の持ち主なのに、なぜ翡翠の玉は1年もの長きに
渡り光ることが無かったのだろうか?
 紅蓮を王として認めない原因とは何なのだろう・・・・・そんなことを思いながら、江幻は自分の左手を強く握りしめた。
 「核を捕えた。もう少しだ」
 「・・・・・」
蒼玉の気は、既に神殿の気と離れた。後はそれらを一つの欠片も逃さず集め、形成すれば、元の蒼玉の形となるはずだ。
(上手くいけばいいが・・・・・)
 「・・・・・っ」
 出来るだろうとは思っても、初めての試みなので絶対に成功するとは言えない。それでも、ここまで来て失敗しましたと言えばコー
ヤに怒鳴られるだろうなと思いながら、江幻はさらに自身の気を高めた。