竜の王様
第五章 王座の真価
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※ここでの『』の言葉は日本語です
大きな力が移動するのを感じる。
(行ったか・・・・・)
江幻は一瞬だけ立ち止り、見えない外へと眼差しを向けた。
「まさか、本当に自分も向かうとはな」
今回の出撃には紅蓮と共に黒蓉と浅緋、蒼樹も向かっている。今この王宮に残っている能力者は白鳴だけのはずだが・・・・・何
時の間にか自分や蘇芳まで頭数に入れられているらしく、門へと向かう紅蓮に偶然会った時、
「碧香と・・・・・コーヤを頼むぞ」
そう、改めて頼まれてしまった。
いや、本人は頼んでいるのではなく、そうするのが当たり前だと思っているのかもしれない。現に、江幻は自分でも当然そうするつもり
だったが、まさか紅蓮がわざわざ言葉を掛けてくるとは思わなかった。
(全く、自分がどれほど変わったのか、本人が自覚しているのかどうか・・・・・)
「・・・・・」
そんなことを考えながら、江幻はある部屋の前で立ち止った。
軽く何度か扉を叩き、中から反応が無くとも構わずに開けて中に入ると、そこにいた人物がじっとこちらを見ている。
「どう?」
「・・・・・」
「そちらが根城にしていた洞窟よりも、遥かに居心地がいいとは思うけど?」
嫌味ではなく本気でそう思ったので言ったのだが、その人物・・・・・琥珀は、難しい表情をしたまま黙って自分を見返してくるだけだ。
それでも、はっきりと言い返してこないだけ、琥珀の中ではこちら側、紅蓮側への敵意が確実に薄れてきているのだろう。良い変化だ
と思いながら、江幻は後ろ手に扉を閉めた。
「今、紅蓮が北の谷へと向かった」
琥珀の拘束は解いている。部屋自体に結界を施しているので、簡単には逃げられることは無いという判断からだ。
「これで決着がつくのかどうかは分からないが、それでも皇太子自ら制圧に向かったんだ、ある程度の結果は見えるだろう。琥珀、
今でも自分達の方が正しいと思っているのかな?」
「・・・・・」
琥珀からの答えが返ってこなくても構わなかった。江幻が知りたいのは、今の状況に対する琥珀の考えではない。地下宮殿に施し
た術のことが聞きたいのだ。
「多分、結界が壊されたことも分かっているんだろう?」
「・・・・・」
「私と紅蓮が壊した。そして、蒼玉も手に入れたよ」
ようやく、琥珀の顔色が変わった。
「蒼玉を?・・・・・あれは、ここにあったのか?」
初めて返ってきた反応。芝居などではない本気の声音に、江幻はやはり翡翠の玉の行くえは聖樹しか知らないことなのだと確信し
た。
王宮の地下神殿という、もっとも聖なる場所に術を施す際、先程の紅蓮と自分のように、片方には神官の力を持つ者が必要にな
る。聖樹はかなり強い力の持ち主だが、彼は元々武官の出身と聞いた。武官と神官では、扱う力の種類が全く違う。
聖樹の側には有能な神官が付いていると前々から感じていたが、琥珀と対峙して江幻は直ぐに分かった。この男が、聖樹がしよう
としていることの核となる男だ、と。
王族に対して猛烈な反意を抱きながらも、強い自制心を持っている琥珀はどちらかといえば扱い憎い存在だったろうが、聖樹はよく
彼をここまで導いてきたものだと思う。
「琥珀、聖樹はどんな条件を提示した?」
「・・・・・」
「用心深いお前が、皇太子への反逆という大罪を犯そうと思うほどのもの。興味があるんだよねえ」
わざと呑気に笑いながら言うと、江幻は琥珀の反応を待った。
(地下神殿に術を施したのか・・・・・)
自分の力がどれほどのものなのか、けして自惚れが強い方ではない琥珀は、よくも役にたったものだと先ずは感心した。
しかし、次に言われた言葉・・・・・謀反を行うのに、まるで自分が条件を出したかのようなことを言われるのは、純粋に竜人界のことを
思って行動した自分にとっては我慢のならないものだった。
「お前はっ、私が私欲のために動いたというのかっ?」
「違う?」
まるで自分の激高をからかうような物言いに、ますます腹立たしい思いが強くなる。
「馬鹿なっ!」
今回のことは、多くの竜人達の思いを背負って立ったつもりだ。王族に対して言いたい様々な不平不満を、極刑を覚悟して自分
が代弁する覚悟だった。それを、何か裏があるように思われたのでは心外だ。
「今の言葉は取り消してもらおう」
「・・・・・」
「江幻!」
「・・・・・悪かった」
きっと、どんなふうに言っても謝罪の言葉など言わないと決めつけていたが、意外にも江幻は素直にそう言い、頭まで下げてきた。
先程までの自分を軽んじた言葉と、真摯に頭を下げる目の前の態度。いったいこの男の本意は何なのだと、急激に感情が静まった
琥珀はそちらの方に意識が向いた。
(この男は、本来皇太子側ではない。もちろん、聖樹殿に賛同もしていない、いわば中立の立場のはずなのに・・・・・)
先程は、自分にとってあまりにも心外なことを言われて怒りの方が先にたってしまったが、冷静に考えると江幻の一連の言動は、琥
珀からすれば不可解なものばかりだった。
「・・・・・」
「・・・・・」
笑みを浮かべたまま、じっと自分から視線を逸らさない江幻。琥珀は、その奥を見透かすように焦点を当て、江幻と感情を抑えて名
前を呼んだ。
「お前は、何のためにここにいる?」
「何のため、とは?」
「これまでの皇太子のことを考えれば、お前がそちら側にいることがどうしても考えられない」
この部屋に1人軟禁されてから、琥珀はずっと考えていた。
自分が暴言といえる言葉を投げつけた時、頭を下げた紅蓮のこと。
噂でしか聞いたことが無い角持ちが、この王宮にいたという事実。
四天王であった紫苑が、聖樹側に寝返ったわけ。
そして、これまで一切王家とは係わっていなかったはずの江幻と蘇芳の行動。
全てが一貫性の無いものに見えるが、つき詰めて考えれば全てが繋がっているような気がする。しかし、琥珀はその答えを自分の
口からは出せなかった。
そんな自分の考えが分かっているのか、江幻は面白そうに目を細めて言った。
「私も、今の自分の行動が信じられない時があるよ」
「・・・・・」
「それでも、全く後悔はしていない」
「江幻」
「それに、お前も自分の変化に気が付いているんじゃないかな」
何が、と、琥珀は聞き返さなかった。
頭の中に浮かんでいる影。それがもっと明白な形になってしまうのが怖くて、琥珀は情けないと思いながらも江幻から目を逸らしてし
まった。
『・・・・・行っちゃった』
自分の隣で、昂也が寂しそうに呟くのが聞こえる。
今にも兄達の一行を追いかけて行きたそうな響きに、碧香は少しだけ口元を緩めた。しかし、直ぐにその笑みは消えてしまう。この先
のことを思えば、不安の方が大きいのだ。
『行ってくるから、碧香』
別れ際に聞こえた龍巳の声は強い響きであったし、感じる気も少しも薄れてはいなかった。
人間である彼の持つ力が聖樹にどれほど通用するのか分からないが、どうか無事で戻ってきて欲しいと思う。もちろん、兄も、そして
同行している兵士達も、1人も欠けることなく・・・・・。
『アオカ』
自分の思考に深く沈んでいた碧香は、不意に腕を取られて我に返った。
『俺じゃ、トーエンほど頼りにならないかもしれないけど、何かあったら絶対守るからさっ』
『昂也』
その言葉に、碧香は首を横に振る。
『いいえ、東苑がよく言っていました。昂也はとても頼りになると。私もそう思います』
龍巳のような強烈な力は感じないものの、昂也の纏っている雰囲気はとても温かい。
兄も、そして周りの者達も、自分が人間界に行く前とは確実に変わった。その変化はきっと、昂也が持つ雰囲気のせいだと思う。
(昂也にとっては、こちらの世界に呼ばれてしまったことは不本意なものかもしれないけれど・・・・・この世界にとって新しい風が吹い
たことは良いことなのかもしれない・・・・・)
そして、それがどうか誰にとっても良い結果になって欲しいと思う。
碧香は自分の腕を掴んでくれている昂也の手に自分の手を重ね、黙って何度も頷いた。
紫苑は聖樹の前に立った。
「お呼びでしょうか」
「分かっているんだろう、大きな気が近付いてきているのを」
声には出さず、紫苑は眼差しを伏せる。まだ微かなものだが、確かにこちらに向かってくる大きな力を感じていた。
(多分・・・・・浅緋と蒼樹殿が向かって来ている)
今回の聖樹の謀反。
自分の裏切りに、紅蓮はもしかしたら衝撃を感じているのかもしれないが、それ以上に蒼樹が父親である男の再度の反乱に心を乱
されていることは確かだろう。
前回の出来事からずっと、蒼樹が厳しく自分を律し、盲目的ともいえる忠誠を紅蓮に捧げていたのは、父親に対する反発もあった
はずだ。
その彼が、再び紅蓮に反意を示した父親に、自ら刃を向けるのは当たり前のように思えた。
「それでは、私が先陣を?」
「いや、先陣は浅葱に任せる」
「・・・・・」
(それはまだ、私を信用しきれていないということか?)
聖樹の腹の内は全く分からないので、紫苑は黙って続く話に耳を傾ける。
「お前には、今から王都へと向かってもらう」
「王都に?」
「蒼玉は今王宮にある。お前が持っている紅玉と合わせて翡翠の玉の完成形とし、そのままそれを朱里に渡せ」
何気ない言葉の中の大きな事実。今まで分からなかった蒼玉の在り処に、紫苑は僅かに声を震わせてしまった。
「・・・・・それでは」
「そのまま朱里に王位継承させよ。神官長であったお前ならば、戴冠式をとり行うことは出来るであろう」
「・・・・・紅蓮様が黙っているとは思えませんが」
何のために紅蓮が今まで王位継承を待っていたのか。それは翡翠の玉が光らなかったことに尽きる。
代々の王が翡翠の玉が認めてからの即位だったので、紅蓮もその慣例に習い、1年もの長い間その時を待っていた。
そして、ようやく光ったかと思った時に、それを聖樹が持ちだしてしまったのだ。
(玉が戻れば、紅蓮様は正式な戴冠式の前に即位を宣言されるだろう)
今の紅蓮には、以前のような凝り固まった掟に縛られるという考えは無い。玉が戻れば、即座に王になるくらい、紅蓮が柔軟な思考
に変化しているということを、聖樹はまだ知らないのだろう。
「心配することは無い」
「・・・・・」
「紅蓮はこちらに向かっているはずだ」
「紅蓮様が?」
「今、王宮には、お前の敵となる者は残っていないはずだ。紫苑、お前が信に私の身の内に入りたいと思うのならば、朱里を王座に
就かせろ、いいな」
紫苑の意志など聞くつもりもないようで、そう言った聖樹は直ぐに手を振って退座を知らせてくる。
紫苑は一礼し、そのまま聖樹の前から立ち去ったが、頭の中では様々な考えが渦巻いていた。本当に紅蓮は聖樹の言う通りにこち
らに向かって来ているのか。それに、蒼玉は王宮にあるという言葉はどういうことなのか。
(行けば分かる・・・・・そういうことか?)
今この時点で蒼玉のはっきりとした在り処を言わないのは、それを紅蓮側に知らせる可能性をまだ考えているのだろう。
それならば、どうして自分に紅玉を託したのか。
接する時間が短過ぎるせいか、今もって紫苑は聖樹の考えが分からない。しかし、同時に聖樹も自分の真意は分かっていないは
ずだ。
(どちらが優位かは言えないな)
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