竜の王様




第五章 
王座の真価



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 自分に向けられた目が不思議そうな色を残して閉じられた。
ドサッと音をたてて足元に倒れた昂也の顔を覗き込み、その口元に手をやって・・・・・息をしていることにホッとした。
加減をして相手に力を向けることに慣れていないというわけではないが、高ぶった感情のままだとそれが制御出来たのかどうか、自分
でも一瞬不安になってしまったのだ。
 『・・・・・』
 自分より僅かに体格の良い昂也を担ぐのはさすがに無理で、どうやってこの場から連れて行こうか朱里は考える。
変に愛想の良い昂也は、姿は見えなくなると直ぐに捜されるかもしれない。琥珀を見つけ出す前に見付かっては、さすがに朱里も動
けないと思った。
(誰か、手があるといいんだけど・・・・・)
 「あ!コーヤいた!」
 『!』
 不意に聞こえた甲高い声に、朱里はハッと顔を向ける。
そこには、小学校低学年くらいの子供が立っていた。



 大好きなコーヤがやっと戻ってきたというのに、青嵐は大人しくしているようにと他の仲間と共に部屋の中に閉じ込められたままだっ
た。コーヤがお願いと言ったお兄ちゃんもちゃんと守ったのに、偉かったねという言葉と笑顔が欲しいのに、どうして会いに行ってはいけ
ないのかと思った。
 だから、大人が仲間の世話をするために部屋の中に入ってきた時、青嵐はその相手を眠らせた。
堂々と扉から外に出て、コーヤの気を辿って・・・・・ようやく見つけたと思ったら、コーヤは見知らぬ部屋の床の上で眠っている。
 「コーヤ?」
 駆け寄ると、大好きな笑顔が目を閉じられたまま見えない。
どうしたんだと不思議に思った青嵐は、ようやくそこに昂也以外の存在がいることに気がついた。



 突然目の前に現れた子供。
しかし、それが普通の人間の子供とは違うことは直ぐに分かった。目の色や髪の色だけではなく、額にある角の存在が、この子供が
人間ではないと如実に示していたからだ。
 『角を持ってる子・・・・・』
 竜に変化出来るのだ、角を持つ者がいても可笑しくはないが、ほとんどの者が外見的には人間に近い容姿を持っている中で、こ
の角は朱里の目には禍々しく映る。
 『・・・・・お前、誰?』
 『青嵐』
 『せい、らん?・・・・・お前、日本語分かるの?』
 『・・・・・』
 日本語の響きの名前に驚いて聞き返したが、セイランと名乗った子供は首を傾げてシュリを見つめるだけだ。どうやら名前という言
葉の響きに反応した答えらしい。
 『なんだ、名前しか言えないのか』
(どうする・・・・・)
 しかし、昂也の名前を知っているということは、近しい場所にいるということだ。このまま見逃してしまって誰かを呼んで来られたら元も
子もない。こんな幼い子供なら、朱里が皇太子と対立しているとは知らないはずだし、昂也が倒れているわけも、子供が納得出来
る程度のことを伝えればいい。
 『昂也、眠たいんだって。他の部屋に運びたいんだけど、僕、力が無くって』
 「・・・・・」
 『だから、このまま床に眠らせていたんだ、別に僕が何かしたわけじゃ・・・・・』
 ただ、日本語が通じないという状態で、子供がどこまで事情を察するだろうかと思ったが、どうやら全く朱里の話を聞いていなかったら
しいセイランは、その場にしゃがみ込んで昂也の頬に小さな手を触れた。
 「コーヤ、さむい」
 『!』
 何かを言った子供・・・・・セイランは、いきなり昂也の身体に指先を向けた。何をするのだと思う朱里の目の前で、昂也の身体がま
るで羽のように宙に浮く。
 『お前・・・・・力があるのか?』
こんなにも幼い子供の能力者には初めて会ったので、朱里は呆然とその顔を見つめてしまった。



 「・・・・・」
 蘇芳と江幻は顔を見合わせる。
 「今」
 「ああ、確かに」
自分達とは違う種類の力を感じた2人は立ち上がった。先ほど、コーヤが部屋を出て行ったが、その行く先は分かっていた。
本人は自覚していないが、昂也の感情はとても読み取りやすい。今も、自分と同じ人間であるシュリが気になって様子を見に行って
いるのだろうと思っていたが・・・・・。
 「おい」
 「まさか、脱走しようという気力は残っていないと思っていたけれどね」
 江幻はシュリのことを心配いらないと言っていたし、蘇芳もあんな子供が何をする力もないと思っていのだが、竜人の放つ気とは違う
種類のそれは、人間であるあの少年が放ったものだろう。
 「何かあったらどう責任取る?」
 この王宮の中で危険なことがあるとは思えないが、万が一ということはある。そう思いながら蘇芳が早口で言うと、江幻は涼しい顔で
答えた。
 「コーヤの気は消えていない」
 「そうだったら、今頃お前の命もない」
 「怖いねえ」
 江幻と言い合いながら、蘇芳はそのままあの人間の少年が軟禁されている部屋へと向かおうとする。すると、江幻が待てと腕を掴
んできた。
急いでいる時にと睨みつけると、江幻は向かう場所が違うと言う。
 「何?」
 「多分・・・・・」
その言葉に、蘇芳はすぐさま踵を返した。



 『どこに向かうんだ?』
 朱里は、セイランが昂也をどこにつれて行こうとしているのか分からなかった。
言葉が通じないので、自分が琥珀のもとに行きたいのだという訴えが出来ないし、かといってせっかく外に出れるという時にあのまま部
屋の中にいる方が馬鹿だろう。
 結果的にセイランの後を付いていくことしか出来ないが、その足はどんどん建物の下の方へと向かっている気がする。
(本当に、どこに行く気なんだ?)
宙に浮いた昂也の身体を両手でしっかりと支えながら、時折嬉しそうににっこりと笑っているセイラン。昂也のことが好きなんだなとそれ
だけで分かる仕草に、どうしてこいつばかりがと唇を噛み締める。
 誰もに好かれるなんて、卑怯だ。
それならば、自分は王座の他に何を欲すればいいのだろう。
 『・・・・・』
 やがて、周りの景色は変わり、空気までひんやりとしている気がする。
(ここ・・・・・)
やがて、一つの扉が目の前に現れた。

 『・・・・・』
 気を探ってみたが、その場には何も感じない。ただの場所だと思うが、そんな意味のないものがまるで隠されるように建物の地下に
あるだろうか。
(もしかして、何か・・・・・)
 まるで開けてくれというようにセイランが振り向いたので、朱里は恐々とその扉を開けてみた。
中もそれ程広くはなく、何の力も感じないが、置かれてあるものや様子を見れば、そこが教会か何かだったように思えた。
(こんな所に、教会?)
 初めて見るその光景に圧倒されていると、何時の間にかセイランは昂也の身体を祭壇のようなものがある場所の床の上にそっと下
ろしていた。



 大好きなコーヤとずっと離れないでいる方法。それを青嵐はずっと考えていた。
自分が特別な存在であることを知っているし、そのせいで自分は厭われて捨てられてしまったが、コーヤは見付けだしてくれ、名前まで
付けてくれた。
 今この世界の気全体がざわついているのは知っているが、青嵐にとっては関係のないことだ。もしも、コーヤが世界を破滅させて欲し
いと言えば、直ぐにでも出来るほどにこの世界に何の執着もない。
 それ程大好きなコーヤは、なかなか自分の側にいてくれない。彼と自分が全く違う存在だということがその理由かもしれない。
 「あのね、コーヤとずっといるほーほー、しってるよ」
自分には、コーヤの身体を作り変えることが出来る・・・・・そう思い、にこにこと笑いながら手を上げる。
 「いたくないからね」
 『ちょっ、何するんだよ!』
 「・・・・・」
 『おい!』
 「うるさいなあ」
 ワーワー、側で騒ぐ声を即座に消してしまおうと振り向いた青嵐は、
 「あ」
振り上げた手を掴まれて顔を上げた。
 「駄目だ」
 やんわりと注意してくるが、男の目は笑っていない。怖いと思うことはないが、この種類の気を持っている者は苦手だった。
 「だって、コーヤあそんでくれないもん。もっと、いっしょにいたいんだ」
自分の気持ちを訴えれば、ようやく掴まれた手は放された。そして、今度は柔らかな笑みを浮かべた目で自分を見つめ、頭を何度も
撫でてくれる。
 「それでも、コーヤの意志も確認しないまま、その身体を作り変えることは罪だ。コーヤに嫌われてもいいのか?」
 「・・・・・いや」
 「それならば、一緒にいたいと言葉で伝えなさい。彼はきっと分かってくれる」
 「・・・・・うん、分かった」
コーヤに嫌われたくない青嵐は素直に頷いた。



 いきなり現れたその姿に、朱里は全く気がつかなかった。相手は煙のように実体がないわけではないのに、何時の間に自分の側を
すり抜けて2人に近付いたのだろうか。
 『おいっ』
 その人物を朱里は知っている。
 『お前、どうしてここに?僕達の側に付いたんじゃないのっ?』
 「自由に動いているとは、予想外だった、シュリ」
感情の読めない笑みを浮かべたままそう言った男・・・・・シオンは、朱里から昂也へと視線を向けていく。
 『こっちの言葉分かんないんだよ!僕に分かるように説明しろ!』
 ほとんど会話に不自由しない聖樹は特別だが、琥珀と浅葱も僅かだが日本語を話せる。
いずれこの国の王になる自分に合わせるのは当然で、それならば自分達側に付いたシオンも日本語を話してもいいのだが、シオンは
怒って言う朱里の言葉にも肩を竦めるだけだ。
(こんな所にいるなんて・・・・・こいつ、やっぱりこっち側なのか?)
 聖樹は騙されたのかと眉を顰めたが、シオンはコーヤの側に膝を付き、その頬に手をあてる。
 「・・・・・眠っているだけか」
 『おいっ』
 「力の制御を知らない者が、防御も出来ない相手に力をぶつけるなど、相手を殺してしまいかねない。そのこと、ご自分で分かって
いるのか・・・・・」
シオンは首を横に振る。仕方ない子供だと言われているようで、朱里はカッと頭に血が上った。
 「シュリ」
 『気安く呼ぶな!』
 「静かに・・・・・といっても、もう遅いようだな」
 『どこを見ているんだっ?』
 文句を言っているのは自分なのに、シオンの視線は自分の向こう・・・・・後ろ側に向けられている。まるで相手にされていないという
気がした朱里だが、
 『落ち着いて、シュリ』
 『!』
いきなり日本語で話しかけられ、肩を叩かれて、一瞬にして心臓が飛び跳ねた。