竜の王様




第五章 
王座の真価








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 「シオン!!」
 「・・・・・コーヤ・・・・・来たのか」
 驚いたように目を丸くして自分の名前を呼んだコーヤの姿に、紫苑はこんな時というのに思わず目を細めて笑みを漏らしてしまった。
会いたいと思っていた相手に、思いがけず出会った。その喜びの方が先にたち、紫苑は一瞬、今の自分の立場も忘れてしまう。
(最後にもう一度、この顔を見ることが出来て良かった・・・・・)
 もう二度と会わないだろうと思っていた相手だけにしみじみとそう感じた時、
 「こんな所で・・・・・何をしている、紫苑」
凍えるような冷たい声にそう言われ、紫苑はゆっくりとそちらへ視線を向けた。
 「あなたも来られたのですね」
 「私は、紅蓮様の名代という立場でもある。紫苑、お前は何故あちら側に付いた?その理由も何も言わずに、あのような形で王宮
を出て行っては、私達も納得など出来るはずが無い」
 「あのような出方をしたからこそ、既に私など捨て置けばよろしいのに」
 「紫苑!」
 「黒蓉殿、私は全ての覚悟をしておりました。・・・・・いえ、出来ればもう少しあの場所にいたいとも思いましたが、どちらにせよ私の
考えていた行動に変わりは無かった。あれで・・・・・良かったのだと思っています」
 一生を捧げるのだと思っていた主君や、生まれた時から一緒だったと言ってもいい友人と決別するというのは、その以前から覚悟をし
ていたとはいえなかなか割り切れるものではない。だからこそ、半ば強引にも思えたあの立ち去り方が、結局は最善の方法だったと今
では思えた。
 「それよりも、黒蓉殿、腹は決めて来られたか?」
 「・・・・・何?」
 「私はもう、ここであなたを倒す気ですよ」
 コーヤの顔を見ることが出来たせいか、紫苑の気持ちは凪いでいた。後は、自分の信念のままに動くこと、もう躊躇う理由は見付か
らなかった。
 「覚悟を、黒蓉殿」
 そう言った紫苑は左の手の平を上に向ける。その手の平に気が集結してくるのを見た黒蓉は、ようやく紫苑が本気で自分を倒そう
としているのだということを覚ったようで、ぶわっと全身を赤い戦気で包んだ。
 「その身が骸になったとしても、王宮に連れ帰るぞ、紫苑・・・・・っ!」



(な、何?肌が、ピリピリして・・・・・?)
 昂也は無意識のうちに自分の肩を抱くようにして、視線だけを前に立つシオンとコクヨーに向けていた。
2人の言い合いはもちろん耳に聞こえたが、どうしてそういう言い方になるのかが分からなかった。シオンの気持ちは彼からはっきりと聞
いていないが、コクヨーは明らかに彼を救いに来たはずだ。
(それがっ、骸とかっ、選ぶ言葉間違ってるって!)

 『戻ってきてくれ!』

 言う言葉なんか、それ一言で十分のはずだ。紫苑はそれをちゃんと理解出来るはずだし、この世界に来て一番初めに自分ときちん
と向き合ってくれた相手だ。優しくて、気遣いが出来て・・・・・とにかく、話して分からない相手ではない。
 『ちょっと!コクヨーッ、喧嘩なんかすんなって!仲間だろ!』
 『仕掛けてきたのは向こうだ』
 『そんなの・・・・・っ』
 『コーヤ、離れていよう』
 昂也が一歩前へ踏み出そうとした時、その腕を掴んで止められた。パッと振り向いた昂也は、その手の主、コーゲンを睨みつける。
 『離せよ!』
 『この大きさの力がぶつかれば、周りにも結構大きな影響がある。俺達はともかく、何の防御も出来ないお前はとんでもない怪我を
するぞ』
コーゲンの代わりに、スオーが言った。お前には何の力もないのだとズケズケと言われているようなものだが、それが的を射ているので違
うという反論も出来ない。
 それと同時に、スオーの言葉を聞いて足が竦んだのも確かだった。このまま無防備に2人の間に入っていった時、一体自分の身体
はどうなるのか、どれ程の傷を負うのか、いや、命の危険さえあるのかと、一瞬のうちに頭の中に様々な可能性が渦巻いてしまい、動
けなくなってしまったのだ。
 「・・・・・っ」
 昂也は唇を噛み締め、拳を握った。
(俺はっ、何しに来たんだよ!)
ただ、2人争いを傍観しにやってきただけか?
シオンを救い出そうと、グレンに発破を掛けたのは、単にその場の勢いだけだったのか?
(・・・・・がう、違う、違う!)
 本当に自分も何かしたかったから、優しいシオンと争いたくなかったから、自分はここまでやってきたのだ。多少の怪我を負うのが怖い
からと、安全な場所に逃げていては、それこそただのお荷物だ。
 『俺はっ、逃げない!』



 『昂也!』
 目の前の小さな背中が、一瞬だけ力が入ったように強張った次の瞬間、お互いに気を高めあっている2人の間へと身体を滑り込ま
せようとする。
それを見た龍巳は、反射的に昂也の腕を掴み、そのまま自分の胸元に抱き込んだ。
 『トーエンッ?』

 ガッ!!

落ち着けと、昂也を宥める暇も無く、眩い赤と蒼の閃光が左右から放たれた。その瞬間、龍巳は雷に打たれたかのようなショックを感
じ、ビクビクと激しく身体が震えたのが分かったが、次にはもう、全く意識は無くなってしまった。



 「おい!!」
 駆け出したコーヤを捕まえようとした蘇芳よりも一足だけ早く、タツミがコーヤを抱きこんだ。
その次の瞬間、黒蓉と紫苑の手からそれぞれ放たれた気が、ほぼ2人の真ん中・・・・・ちょうどコーヤ達の身体を介して激しくぶつかっ
てしまう。
 「・・・・・っ」
 蘇芳は舌打ちを打ちながら駆け寄った。
まさか、コーヤがこんな無謀なことをするとは思わなかったし、そのコーヤの友人とはいえ、人間であるタツミが身体を張るとは思わなかっ
た。いや、ある程度の力が使えるタツミは、力の威力や怖さも多少は知っているはずで、その恐怖を乗り越えてまでもタツミはコーヤを
守りたいと思ったのだろうか。
(なんて奴だ!)
 「コーヤ!タツミ!」
 一瞬の出来事で、黒蓉も紫苑も力の軌道を外すことは出来なかったようだが、それでも僅かに力の大きさが下がったのは感じた。
2人共、この人間達を傷付けても構わないとまでは思っていなかったらしい。
 「おいっ!」
 蘇芳が駆け寄ると同時に、江幻も傍に膝を着いた。
 「どうだっ?」
その場に蹲るように倒れている2人を仰向きにさせながら蘇芳は訊ねた。コーヤはタツミが全身で庇うように抱き込んでいたせいで大き
な火傷などは目に見える場所には無かったが、かなりの衝撃を受けたのだろう、気を失っているようだ。
それでも、顔の前にやった手に僅かな呼吸の気配を感じると、蘇芳は一先ず安堵した。
(タツミは・・・・・ん?)
 コーヤを庇って、いくら直前に弱められたとはいえ力のほとんどをまともに食らったタツミは、全身火傷に、身体の骨が折れていても何
の不思議も無いはずなのだが・・・・・。
 「・・・・・ほぼ、無傷だな」
 「ああ、みたいだ」
 コーヤと同様、力をぶつけられたショックで気を失っているものの、その身体には目に見える傷は無い。
 「・・・・・」
蘇芳は江幻を見つめ、ポツリと呟いた。
 「こいつ・・・・・いったい、何者なんだ?」



(しまった・・・・・っ!)
 紫苑相手に手加減は出来ない。本当にその骸を連れ帰るという気持ちで集中していた黒蓉は、そこに飛び出してきたコーヤの姿
に一瞬反応が遅れてしまった。
 それでも何とか直前に気を弱めたつもりだったが、直撃は避けられなかった。
 「コーヤ!タツミ!」
蘇芳と江幻が真っ青な顔をして駆け寄っていくのが見え、黒蓉は呆然と、今気を放ったばかりの自分の手を見つめた。
 「・・・・・」
(私、は・・・・・)
 今まで何度もこの力を使ってきた。
主君である紅蓮のために、この竜人界のために、当然の力の行使だと思っていた。だからこそ、その力をぶつけられ、傷付いた者の痛
みなど全く気にも留めていなかったが、今・・・・・黒蓉は、地面に蹲るコーヤの姿に、初めて自分の身体が震えていることに気付く。
全く何の力も無い、耐性も無い人間の子供に自分の力をぶつけ、傷付けたことに、深い後悔と苦痛を感じてしまったのだ。
 「コーヤ・・・・・」
 それは紫苑も同じだったらしく、自分と対峙していた時は全く表情を変えなかったというのに、今は真っ白な顔色をして、紫苑自身
が倒れそうなほどの痛みを感じている表情をしている。
(紫苑は、コーヤのことを・・・・・特別に思っているのか)
 単に碧香の代わりだと思っていないからこそ、あの少年のために一緒に苦痛を感じている。そして・・・・・。
(私も、か・・・・・?)
紫苑と同じ意味かどうかは別にして、黒蓉にとってもある種コーヤが特別な存在だということに、黒蓉は自身がその存在を傷付けるよ
うな真似をしてから初めて気が付いた。



 江幻はコーヤの服の胸元を大きく開き、素肌に手の平をつけた。
(・・・・・大丈夫だ)
人間と竜人の身体の構造がどこまで同じかは分からないが、今ざっと気で全身を探った結果、大きな損傷というものは感じなかった。
同様にタツミの身体も調べたが、彼にも全く異常はない。
 「江幻」
 「大丈夫」
 「・・・・・」
 神官と医師の修行をした江幻の言葉に、蘇芳はあからさまな安堵の息をついた。
いや、それは蘇芳だけではない。息をのむようにしてこちらの気配に耳を済ませていたらしい黒蓉と紫苑の気配も、自分の言葉に明
らかに和らいだのが分かる。
 江幻はそのまま顔を上げて紫苑を見つめた。
 「紫苑、本当にそちら側にいて後悔していないのか?」
 「・・・・・」
 「以前の紅蓮は、一度裏切った者を許すような男ではなかったが、今の彼は少し違う。多少は上に立つ者らしく、広い視野で物
事を考えるようになってきているようだ」
紫苑は黙って江幻の話を聞いている。問答無用で力をぶつけてくるほどには、凝り固まった反意を抱いている様子ではない。
(紫苑は、何の為に紅蓮の傍を離れた?神官長という位にまで就いた男だ、容易なことでは反逆者の汚名を被るとは思えないが)
 「・・・・・」
 「紫苑」
 「これも、私の生まれ持った定め。江幻殿、私は紅蓮様の許しを欲しいとは思っていません。むしろ・・・・・」
 淡々とした紫苑の言葉は不意に途切れた。
(あ〜あ、いいところで・・・・・)
せっかく紫苑の真意を聞くことが出来るかと思ったが、その前に邪魔者が現れた。
 「何を馴れ合っている、紫苑。やはり、お前は王族側の間者か?」
 「・・・・・それは違うと何度も申しましたが、浅葱殿」
 「お前の態度を見ているとそうとしか思えない」
 そう突き放すように言い放った男は、そこに居並ぶ自分達を1人1人検分するように見つめていたが、その足元に倒れているコーヤ
達の姿を見ると、僅かながら口元を歪める。
 「力の無い人間を殺めても、お前の功労にはならないと思うぞ」
そう、不遜に言い放った浅葱は、江幻達の方へと再び視線を向けてきた。