竜の王様




第五章 
王座の真価



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 コーヤが紫苑の胸に縋りつくように訴えている。
2人の繋がりをよく知らない蘇芳は、どうしてそこまでコーヤが紫苑にこだわるのかと思うが、どちらにせよ今の紫苑は自分達の対極に
いる男だ。
(俺だって、紅蓮に付いているわけじゃないがな)
 紅蓮側にいるコーヤに付いているのだが・・・・・どちらにせよ、今の紫苑が危険人物であるのには違い無く、蘇芳は直ぐにコーヤの肩
を掴むと、紫苑から引き離すように自分の腕の中に抱いた。
 「スオーッ?」
 何をするんだと怒ったようにコーヤが自分を見るが、蘇芳はもちろん謝罪などしない。
 「お前、よく考えろ。こいつは俺達に何をした?黙って俺達の動向を探っていたあげく、とっとと聖樹へと寝返ったんだぞ?お前がどん
な思いをこいつに抱いているのかは分からないが、それは全て忘れることだな」
 「・・・・・だって・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・だって、ここに来て、一番最初に俺に優しくしてくれたの・・・・・シオン、なんだぞ。シオンだけが、俺と話してくれて・・・・・」
コーヤの訴えに、蘇芳はようやくコーヤの紫苑へのこだわりが分かった。
見知らぬ世界に来て、初めて自分の存在と向き合ってもらったことをコーヤは律儀にも覚えているのだろう。
(まあ、紅蓮や黒蓉の対応を想像すれば分からないでもないが・・・・・)
 第二王子碧香と入れ替わりにやってきたコーヤを傷付けることは無かっただろうが、元々人間嫌いの紅蓮が彼に対してどんな態度
を取ったのかは想像しやすい。心細い思いをしていたコーヤにとって、紫苑は唯一の味方のように感じたのだ。
(だが、それも芝居だったかもしれない)
 紫苑が何時から聖樹と通じていたのかは分からないが、翡翠の玉を盗まれた時には既に向こう側に付いていたはずだ。そんな中出
会ったコーヤを本気で世話をしていたとは考え難かった。



 自分を見るシオンの眼差しは静かで・・・・・とても静かで、僅かな感情の揺れも感じさせなかった。
 『蒼玉はどこにある?コーヤ』
 『シオン!』
 『話したくないというのならば、私はどんなことをしてでもその口を割らしてみせる』
 『!』
思いは、もう届かないのかもしれない。シオンはもう完全に聖樹の側に立っていて、自分が長年仕えていた紅蓮のことも、友のことも、
そして僅かの間世話をしていた人間のことなど、もう完全に切り捨ててしまっているのかも・・・・・。
(・・・・・そっ)
 コーヤは拳を握りしめ、泣きそうに歪む顔を何とか引き締めながらシオンを睨むように見た。
 『言わない!』
 『コーヤ』
 『俺は、こっち・・・・・グレンに手を貸すって決めたんだからっ』
この世界の人間ではないコーヤにとって、どちらに肩入れするのかというのはごく簡単な問題だ。
親しい人間がいる方。
自分と、近い気持ちを持つ方。
 今、自分がいる側には、こちらに来てから知り合ったほとんどの相手がいる。最初は自分に対してあまり良い感情を抱いていなかっ
たグレンも、コクヨーも、昂也にとってはもう近い存在になっている。
 本当はそこにシオンもいて欲しかったが・・・・・今の彼の様子を見ていると、それが無理なのだろうということはよく分かった。
 『玉のこと、絶対教えない!』
何だか・・・・・泣きそうだ。しかし、ここで泣いてもシオンの気持ちは揺らがないだろうとも分かるので、惨めな気持ちにならないためにも
我慢するしかなかった。



 何時も光を背負っているかのような明るい笑顔を浮かべていたコーヤ。
理不尽に見知らぬ世界に引き込まれても、自分の出来ることを探し、真っ直ぐに前を見て歩いていた。
(・・・・・完全に、嫌われてしまったか)
 自分などのために泣く必要などないのに・・・・・しかし、そんな表情をしてくれるほどに自分のことを考えてくれていたかと思うと、紫苑
は面映ゆい気持ちさえした。
二度とは会わないかもしれないと思っていたコーヤとこうして会えただけで、もう十分だと思う。
 紫苑は眼差しを地下神殿へと向けた。
 「・・・・・」
(ここにあったのか・・・・・)
聖樹をこの王宮内に侵入させることに協力したものの、その間どんな行動をしたのかは全く知らなかった。
紅玉を聖樹が自身の身体の中に持っていたということにも驚いたが、もう一つの蒼玉が、まさにか自分達の足元に隠されてあったとは
全く気がつかなかった。
(・・・・・どうするか)
 蒼玉が紅蓮の手に渡ったということは、そのままこの王宮に置かれているとは考え難い。今回の件が解決するまで、多分紅蓮本人
が所持している可能性が高いだろう。
 「・・・・・」
 そのまま紫苑が足を踏み出すと、江幻と蘇芳が身構える。まるで王家側の兵士のようだと、普段の彼らの生き方から考えれば笑み
が浮かんでしまった。
 「どこに行く、紫苑」
 「このまま、こちら側に拘束された方がいいんじゃないかな」
 「紅蓮も、お前のことを諦めきれないようだしな」
 「何を思って聖樹の方へと寝返ったのかは分からないが、紫苑、少し落ち着いて考える時間を持ったらどう?」
 交互に自分に話し掛ける2人の言葉に、紫苑はゆっくりと首を横に振る。
 「もう、遅い」
(私はもう、紅蓮様の手を離してしまった)
そればかりか、こちらが不利になることを・・・・・元々の原因である翡翠の玉を奪う手筈さえ整えた。今回の混乱の原因を作った自分
を、自分自身を、紫苑は許してやることは出来ない。
 と、その時だった。
 「遅いなんて、誰が決めるんだよ!」
そんな叫び声と共に、

 バシッ

 「・・・・・」
紫苑は頬に痛みと熱さを感じ、自分の頬を打ったコーヤをじっと見つめた。



 「遅いなんて、誰が決めるんだよ!」
 そう叫んだと同時にコーヤが紫苑の頬を打った。自分よりも盾も横も大きな男に、それも自分が持っていないような力を持っている
男に向かい、堂々と手を出すコーヤの根性に江幻は感心した。
(もう、紫苑のことは諦めたと思ったが・・・・・)
 泣きそうな顔で紫苑に向かったコーヤを見た時、さすがに紫苑のことは諦め、敵と認識したのかと思った。
しかし、どうやら彼は諦めていないようで、その諦めの悪さに思わず笑ってしまうほどだ。
 「シオンがっ、本当に悪の親玉になりたいって言うんなら諦めるしかないけどっ、どうせ、謝っても駄目だと諦めているっていうんなら、
俺は絶対にこの手を離さないからな!」
 「・・・・・」
 「覚悟しろっ!」
 それとも、目が覚めるためにもう一発殴ろうかと言うコーヤをじっと見下ろしている紫苑は、先程までとは少し雰囲気が変わったよう
な気がする。ここまで自分のことを本気で心配してくれる相手に初めて会った・・・・・そんな様子だ。
(羨ましいねえ)
 こんな風に誰かに必死で思われるのも心地良いかもしれないなと、江幻は呑気に考えているが、蘇芳にとってはあの2人の距離は
面白くないものらしい。
 「・・・・・コーヤは馬鹿か」
 「聞こえたら文句を言われるよ」
 「言われるように言ってるんだ」
 「・・・・・」
 「さっさと紅蓮を見捨てた男に、あれ以上未練を持ってどうするんだ?聖樹を選んだ時点で、こちら側とは明確に対立しているという
ものだろう」
 腹立ち紛れに言っているのだろうが、蘇芳の言葉の端々に王族への擁護の想いが見える。やはり同じ父親を持つ者だからこそ、歴
史を積み立てた者を守りたいと思うのだろうか。
(本人に言ったら猛烈に反発しそうだけど)
 どちらにせよ、せっかくここまで足を運んだ紫苑をみすみす逃がすわけにはいかない。
何とかして拘束しなければと、江幻はひそかに自分の気を集中し始めていた。
(一発じゃ倒れないかな)



 自分の目の前で見せ付けられているのは・・・・・痴話喧嘩だ。
昂也を取り巻く男達の諍いを見た所で腹立たしさしか感じない朱里は、今にも感情が爆発しそうなほどに苛立っていた。
(僕を・・・・・無視して!)
 琥珀を見付けることが出来ない。
ここから逃げ出すことも出来ない。
皆・・・・・自分ではなく昂也にしか視線を向けていないという状況に、朱里は拳を強く握り、唇を噛みしめた。
(・・・・・っ)
 自分を無視する目の前の男達をどうしてやろう・・・・・もうそんなことしか考えられなくなった朱里は、ふと巡らした視線の先の、あの
赤い髪の男の動きが目に止まった。
(あいつ・・・・・)
 ごくごく僅かずつながら気を溜めているように見える。その眼差しはシオンに向けられていて・・・・・。
 『シオン!赤い髪の奴っ、お前に力をぶつける気だぞ!』
 『!』
自分の言葉と同時に、シオンは目の前にいた昂也をまるで自分の盾にするように腕に抱き、その赤い髪の男と向き合う。
あまりにも一瞬の出来事で、昂也も自分がどうなってしまっているのか全く分かっていないようで、自分を拘束するシオンと目の前の
男を交互に見て・・・・・、
 『朱里?』
 最後に自分の名前を呼ぶ昂也の視線を見つめ返すことが出来なくて、朱里は首を横にして無視を決め込んだ。
(僕のせいじゃないもん!)



 「馬鹿っ」
 「・・・・・すまない」
 やるならさっさとやればいいのに、あんな子供に気取られるというのは江幻の失態だ。
しかし、それを問い詰めている場合ではなかった。今の状態ではコーヤが人質で、自分達は手が出ない。
(コーヤを傷付けることは無いだろうが・・・・・)
 このまま連れ去られたりしたら、それこそ今度は聖樹にその身柄を捕らわれてしまうかもしれない。その方が面倒だ。
 「紫苑、その手を離せ」
 「・・・・・」
 「コーヤを離したら、お前を拘束せずに見逃してやる」
今ここで紫苑に逃げられてしまうのは痛手だが、紅蓮とコーヤのどちらが大切なのかといえば、分かりきっている問題だ。
文句は無いだろうと隣にいる江幻を見れば、肩は竦めるものの反論は無い。ここに紅蓮側の者が1人もいないことが大いに助かった。
 「コーヤ?」
 青嵐が、不思議そうにコーヤを見ている。
 「大丈夫だから、大人しくしてろよ、青嵐」
 「うん」
当の本人であるコーヤも落ち着いている。
蘇芳は早く決断しろと紫苑に迫った。
 「ここから逃げ出すことがお前にとって良策だろう、ほら、とっととコーヤを離せ」
 「・・・・・」
 「紫苑っ」
 「では、コーヤと交換に、ここに碧香様を呼んでもらおうか」
 「・・・・・碧香を?」
 驚いたのは蘇芳だけではなった。江幻も、そしてコーヤも、突然出てきた碧香の名前に、紫苑の思惑が全く分からなくなってしまう。
(・・・・・まさか、王位継承権を持つ第二王子も亡き者にするつもりか?)
仮に、今回の聖樹との争いで紅蓮に万が一のことがあれば、次期竜王の椅子は普通に考えれば碧香に回ってくるだろう。
もちろん、翡翠の玉という存在がそこには必要だが、火急の事態になれば、王族の血を一番に考えるという可能性が高い。
 「・・・・・碧香をどうするつもりだ?」
 「碧香様を、ここに」
 「・・・・・」
その言葉にどうすればいいのか・・・・・さすがの蘇芳も直ぐには応えることが出来なかった。