竜の王様
第五章 王座の真価
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※ここでの『』の言葉は日本語です
碧香はある扉の前に立っていた。ここに誰がいるのかもちろん知っているし、その人物に会いにここまで来たのだ。
(部屋自体に結界を張っている・・・・・)
中にいる人物に対してかなり警戒していることが分かるほどの強さ。碧香は一瞬だけ考えたものの、そのまま扉を叩いて開けた。
「・・・・・碧香様」
少し驚いた声が聞こえる。
「少し、宜しいですか?」
「このような罪人がいる場所に供も連れずに来られるとは・・・・・まあ、この王宮内で私が何をしでかすことも出来ないと思われてい
るのかもしれないが」
その言葉は皮肉ではなかった。ただ淡々と事実を述べている・・・・・碧香は人間界で会った時の男、琥珀のことを改めて思い出して
そう思った。
身分は無いような口ぶりだったが、知性は十分に感じられたし、能力もとても高い。
(こんな立派な竜人が民の中に紛れていたとは・・・・・とても思い浮かばなかった)
本来、能力の高い者は子供の頃から王族に仕えるために王都に集まり、各専門部署に配属される。大きく分けて、神官になる者と
武官になる者だ。
(琥珀ならば立派な神官になっていただろうに・・・・・)
しかし、今更そんなことを思っても仕方が無い。
「あなたの力のことは兄も認めていると思います。・・・・・本当は、あなたの目を見てきちんと話したいと思うのですが、このような姿で
大変申し訳ありません」
「・・・・・その目は、我らの真似をなさったのですね?あのような怪しい方法を教えてしまったことを後悔しています」
「・・・・・」
「とても美しい瞳を持っていらしたのに」
「琥珀・・・・・」
碧香は思わずその名前を呼んでしまった。
碧香の瞳は自分を見ている。
しかし、自分の姿が映っていないことを琥珀は素直に残念に思っていた。王族に対する不信感は持っているものの、それと碧香の人
格を一緒にするつもりは無い。
元々第二王子の碧香は紅蓮とは違い、国策に関して口をはさむ立場ではなかったはずだ。
もちろん、紅蓮の無能さを是正しなかった罪はあるかもしれないが、それでも琥珀にとっては、碧香は大人しい王子という印象でしか
なかった。
(いや、人間界で会い見まえた時は、多少様子は違っていたが・・・・・)
それも、あの人間の存在のせいだ。
「琥珀」
再び名前を呼ばれ、碧香は顔を上げた。
「あなたが兄に・・・・・私達王族に対し抱いていた思い、聞きました。その場にいた兄がどういう態度を取ったのかも」
「・・・・・皇太子が私のようなものに頭を下げるなど笑止と思われたか」
「いいえ。私もその場にいれば、兄と同じようにしたと思います」
「・・・・・碧香様」
そう言うと、碧香はいきなりその場に膝をつき、そのまま頭を下げた。
「何を・・・・・っ」
「申し訳ありませんでした、琥珀」
焦って碧香の名を呼んだが、本人は自分の行動を少しも恥じてはいないらしい。
「今の竜人界をここまで追い詰めたのは、確かにこの世界を統べるべき我が王族の責任。もちろん、兄が何もしていなかったとは言
いませんが、結果的に民にそんな風に思わせてしまったのならば同じことでしょう」
「・・・・・」
「ですが、私は今が遅いとは思いません。父上が亡くなって直ぐに王座に就かなかった兄は、私達が考える以上の長い時間考え、
努力をなされてきた。そして、今この危機に、兄は大きく変わっています。琥珀、今の兄を見ても、あなたはこの世界を託せないとお思
いでしょうか?」
琥珀は即座に返事をすることが出来なかった。
紅蓮にこの世界を守ることなど出来ないと焦れたあげくに反旗を翻したはずなのに、実際に会い、言葉を交わした紅蓮は琥珀の想
像とは違った。むしろ、自分達と同じ所まで下りてきて、共に同じ方向を見るといったふうにも感じられ・・・・・だからこそ、琥珀はこの
部屋から脱出するという気概さえ生まれてはこなかったのだ。
(皇太子と聖樹殿・・・・・)
どうすればいいのか迷っている。
以前は圧倒的な力強さと求心力を感じ取った聖樹に対して、今・・・・・全ての信頼を預けることが出来ないのだ。
今の聖樹は竜人界を立て直すというより、全てを打ち壊すといったふうに見える。未来の光というよりも闇を感じて、琥珀は彼を信じ
ることも出来なくなっている。
(あの方に付いて行くのが良いのか、それとも皇太子にもう一度再生の機会を与えるのが良いのか・・・・・)
「・・・・・私は・・・・・」
どう答えようか、まだこの時点でも迷いながら琥珀が口を開き掛けた時、
「碧香」
部屋の中に蘇芳がやってきた。
どうして自分がコーヤの傍を離れるのだと面白くないものの、紫苑と対するのには同じ種類の能力を持つ江幻が対する方がいいとい
うことも分かっていた。
「では、コーヤと交換に、ここに碧香様を呼んでもらおうか」
本来なら、紫苑が言うことなど聞かなくてもいいのに、蘇芳はどうすればいいのかと迷って江幻を見た。江幻もしばらく探るように紫苑
を見ていたが、その頬に静かな笑みを湛えたままでいる紫苑はそれ以上答えない。
根負けしたのか、それとも何か考えがあるのか、やがて江幻は蘇芳を振り返り、碧香を呼んでくるようにと言ったのだ。
(俺を使い走りにするのは、あいつとコーヤくらいだ)
「碧香」
「・・・・・蘇芳?」
「・・・・・」
江幻が予想したように、碧香は琥珀の部屋にいた。
床に跪いた状態の碧香を見て蘇芳は一瞬琥珀の顔を見たが、直ぐに碧香の腕を取って立ち上がらせる。
「少しいいか?」
「え?」
「地下神殿に来て欲しい。・・・・・紫苑が呼んでいる」
「紫苑がっ?」
さすがに驚いたようにその名を呼ぶ碧香と同じように、琥珀も目を見張って蘇芳を見る。
(こいつは・・・・・知らなかったようだな)
その表情はとても芝居には見えなかった。同じ聖樹の手先になっているとはいえ、与えられている役割を互いには知らないようだ。
「来てくれるか?」
「・・・・・はい」
驚きから覚めた碧香は、迷いなく頷いた。
その返事は予想できたので、蘇芳は碧香の腕を取ったまま部屋から出ようとしたが、
「待て」
後ろから呼び止められた蘇芳は、目線だけを後ろに向ける。
「私も連れて行ってくれ」
「・・・・・二人して俺達に攻撃する気か?」
「いや。私も紫苑の行動は全く把握していない。それどころか、今でも仲間だとは思えない」
「・・・・・」
「その真意を私も知りたいのだ」
どうするか・・・・・考えるのは自分しかいない。
蘇芳は琥珀の真意こそ探るように、じっとその目を見返した。
『どうして?どうしてなんだよ、シオン・・・・・』
昂也の呟きにもシオンは答えない。
背中を向けているのでその表情は見えないものの、拘束しているはずのシオンの優しさはまだ感じ取れたままだ。逃げ出すことは出来
ないが、痛みを感じさせるほどには腕の力は強くない。
(今だって、こんなに優しいのに・・・・・)
『シオン、アオカをどうするんだ?』
『・・・・・』
『も、もしも、逃げるための人質のつもりなら、アオカじゃなくって俺を連れて行けよっ。アオカ、目が見えないんだ、身体だって細いし、
お、俺だったら、少々のことがあっても大丈夫だしっ』
自ら人質をかって出た昂也の言葉に、頭上から苦笑する気配が聞こえた。
『私がコーヤを傷付けるとでも?』
『え、あ、えっと・・・・・』
『そう思われても仕方が無いかもしれないが・・・・・』
『ごめん!違うんだっ!』
(俺、何言って・・・・・っ!)
信じたいと、こちらに戻って来いと言っているくせに、疑うようなことを言ってどうするのだ。
『・・・・・っ』
自分の胸元にあるシオンの腕を強く握りしめ、自分自身に強く押し付けるようにした時、開け放たれた扉の向こうに、数人の人影が
見えた。
「・・・・・一緒に連れてきたんだ」
「拘束はしている」
憮然とした蘇芳の言葉に江幻も苦笑する。
碧香が今頃どういった行動を取っているのか想像したが、その通り彼は琥珀の部屋にいたようだ。そして、そのまま琥珀までこの場に
連れてくるとは蘇芳らしくないとも思ったが、その判断を今この時点でからかう時間は無い。
江幻は、蘇芳が腕を取ってきた碧香に視線を向けた。
「悪かったね」
「いいえ、江幻。これは私の問題でもありますから」
「・・・・・」
(怯えてはいないようだな)
大人しい性格の碧香は、もしかしたら怯えた様子を抱いたままくるかもしれないと思ったが、江幻が認識している以上に碧香は王子
としての自覚があるようだ。
普段が、皇太子の紅蓮だけが全面的に表に出て、碧香は影が薄いという印象は、この機会に大きく改めておいた方がいい。
江幻がそう思う間に、碧香は蘇芳の手を離し、そのままゆっくりと前へと歩み出た。その足取りには全く不安定なものは無い。
「紫苑」
「・・・・・碧香様」
「あなたともう一度話すことが出来て良かった」
そう言いながら歩き続ける碧香に、止まってと叫んだのはコーヤだ。
「そこ、そこでストップ!」
「・・・・・昂也?」
「そ、そこでストップ!」
「・・・・・昂也?」
(昂也の声・・・・・)
それが、紫苑のいる方向から聞こえているのが分かり、碧香の頬は緊張に強張った。
紫苑が第二王子である自分を呼ぶのは分からないでもなかったし、ここに自分が来ることに全く躊躇いは無かったが、まさか昂也が
ここにいるとは思いもしなかった。
(何のために・・・・・)
紫苑がいる方向から感じるということは、昂也は拘束されている可能性が高い。自分の言葉、行動で、昂也の運命が変わってしま
う可能性があることを改めて感じられ、碧香はゆっくりと深呼吸をしてから再び口を開いた。
「あなたが私に望むものはなんですか?」
「・・・・・」
「もしも、この命を望むというのなら、私は喜んで差し上げます」
「アオカ!」
昂也が焦ったように叫んでいる。自分を心配してくれている様子がそれだけでも分かり、碧香はこんな時だというのに思わず笑みを
浮かべてしまう。
「ただし、その前に、昂也の拘束を解いて下さい。そして、どうかもう一度兄に力を貸して下さい。私達にはあなたの力が必要なんで
す、紫苑」
不思議と、碧香の心は静かで、恐怖や焦りは全く感じていなかった。
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