竜の王様




第五章 
王座の真価



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 碧香の潔さに紫苑は笑みを漏らす。
(強くなられた・・・・・)
少し前までは、こんな場面になれば同じ言葉を言うかもしれないが・・・・・きっと泣いてしまっていたと思う。それを押さえ、こうして毅然
と顔を上げてこちらを見ることが出来る碧香は、紅蓮と同じように良い方へと変化しているようだ。
 「では、私と共に来ていただこう」
 「行く・・・・・どこに?」
 「聖樹殿のもとに」
 「・・・・・っ」
 一瞬、碧香は何かを言い掛けるように口を開きかけたが、直ぐにそれを引き結んで頷く。
 「分かりました。どこへでも連れて行ってください」
 「碧香様・・・・・」


 「蒼玉は今王宮にある。お前が持っている紅玉と合わせて翡翠の玉の完成形とし、そのままそれを朱里に渡せ」
 「そのまま朱里に王位継承させよ。神官長であったお前ならば、戴冠式をとり行うことは出来るであろう」

 聖樹は自分に蒼玉を奪えと言った。今紫苑の身体の中にある紅玉と合わせて翡翠の玉を完成形にし、それで紅蓮が即位する前
にシュリをというつもりだったようだが、今ここに蒼玉がなければどうすることも出来ない。
 それと引き換えのように碧香を連れて行こうとしているのは紫苑の判断だ。
紅蓮に対しては負の感情を向ける聖樹も、碧香に対してはその攻撃の力は弱い。その理由を知っている紫苑は、今の膠着した状
況を打開する策の一つとして、彼を聖樹のもとに連れて行くことを決意した。
 けして、簡単に命を奪うつもりではないが・・・・・それでも、安全だという保障も出来ない。いや、むしろ、その命を危機に晒すといっ
た方が正しい。
 碧香もそれを分かっているはずだが、まとっている雰囲気に少しも変化は見えなかった。
 「・・・・・コーヤ」
 「・・・・・シオンッ」
コーヤの身体から手を離そうとした自分の手をしっかり掴まれてしまい、困ったようにその名前を呼ぶものの、コーヤは嫌々と子供のよ
うに首を横に振っている。
 コーヤを見ていると、心が温かくなる。
何かを欲するという気持ちが強くなる。
それでも・・・・・止められない。
 「・・・・・」
 拘束していない手をコーヤの首筋に当て、少しだけ気を放つ。
 「・・・・・っ!」
 「コーヤ!」
ビクッと震えたコーヤの身体からはみるまに力が抜け、紫苑はそのままゆっくりとその身体を床に下ろすと、呆然と立っている碧香の身
体を奪うように腕に抱き、コーヤに駆け寄る蘇芳や青嵐、とっさに結界を張ろうとする江幻の横をすり抜けて地下神殿を出て行った。







 ドンッ

 鈍い音をたてながら、自分にぶつかってきた気の塊。
無防備に受けてしまえばそれこそ命取りになってしまいかねないほど大きなそれをまともに身に受けた聖樹は・・・・・笑っていた。
 「ふふふ」
(思ったとおり・・・・・)
 無傷ではいられないほどの衝撃を受けても、自分の身体には何の影響もない。いや、そもそも影響を受けるべき部位が無いと言っ
てもいいかもしれなかった。
(我が身を犠牲にしてでも、その玉を身に隠して良かったということか)
 竜人界と人間界を自在に行き来する術として自らの身を犠牲にしたが、それだけではない。聖樹は持ち出した玉を人間界へと持
ち去る際にも、その身に隠していた。
 今・・・・・聖樹の身体には内臓がない。
本来、こうして立ち、話し、何より気を発することなど出来ない状態だったが、以前よりも更に気が充実しているように感じるのは身体
の中に紅玉の気が残っているからかもしれなかった。
 「聖樹殿っ!」
 「構うな」
 今にもこちらに駆け寄ってきそうな浅葱を押し止め、聖樹は今気が放たれた方向をじっと見る。
今の気を防御せず受け止めたことにより、相手側はこちらがかなりのダメージを受けたと思うだろう。その油断こそ、こちらの反撃する好
機だ。
 「何時でも気を放たれるように準備せよっ!」
聖樹は周りの同志達に向かって叫ぶと、もう一度こちらへと向かってくる大きな気を自身で受け止めるように両手を開いた。



 「落ちたっ!」
 先頭に立つ浅緋の声に、蒼樹は間を置くことなく気を溜めた。
 「急ぐなっ、蒼樹っ」
 「・・・・・っ」
今の気は、防御にって霧散すること無く、確実に相手方に落ちていった。自分と浅緋の混合した気だ、命を奪うことは出来なくても、
かなりの衝撃をあちらに与えているはずだった。
 「蒼樹っ!」
 「連続攻撃だっ、北の方角に気を放て!」
 「蒼樹っ!」
 浅緋の制止の声は無視した。紅蓮に先陣を任されたのは自分であって、副将軍という立場ながらこの場は自分の命令の方が強
いのだ。
(このままっ、この場で倒す・・・・・っ!)
 もう何年も会っていないが、父、聖樹がかなりの能力者だったという記憶はもちろんある。ここで情に負けたり、間を置いたりすれば、
どんな反撃を仕掛けてくるのか分からない。
優位のうちに一気に制圧してしまわなければ、どんな手を使って反撃をしてくるのか。父であっても、その心の内が全く分からない相手
に、蒼樹は何時もの冷静さをかなぐり捨てた。
 「二陣っ、行くぞ!!」
 気で攻撃しながら、地上から相手陣地へと攻め込む。
蒼樹は選りすぐりの兵士を引き連れ、そのまま相手先へと突き進んだ。



(・・・・・変だ)
 龍巳は何か不安な気配を感じ取っていた。
どう見ても、こちらの方が優勢にしか思えないし、先ほど放った気は確かにあちら側に影響したはずだが、それにしては気の揺れがあま
り感じ取れないのだ。
自分などがそれを感じているので、グレン達にも十分分かっていると思うが、もしかしたら自分が感じているものは違うのか?
 『あ、あのっ!』
 思わず声を出した龍巳だったが、周りは全く振り向いてもくれない。
今感じていることがただの気のせいだったとしても、もしも、ほんの僅かでもその可能性があるのならば伝えなくてはならないと思い、龍
巳は視線を巡らして、
 『・・・・・っ』
少し離れた場所に立つ人影に駆け寄った。

 『グレンッ!』
 グレンの前まで駆け寄った龍巳は直ぐに自分の不安を伝えようとしたが、口を開きかけてあっと気付いてしまった。
(言葉!)
簡単な挨拶程度ならば碧香から習ったものの、彼が早々に日本語が話せるようになったので龍巳はこちらの言葉が話せない。そうで
なくても伝え難いこの思いをどうすればいいのか、龍巳は必死にグレンを見つめる。
 「・・・・・」
 龍巳が何かを伝えようとしていることは分かるのか、グレンは眼差しを向けてくれるものの、その表情は氷のように冷たく、理解しよう
としてくれる雰囲気は皆無に見えた。
(い、いや、違うっ)
きっと、グレンもこの戦いの場で緊張して余裕がないのだと思い直し、龍巳は自分の中の知っているこちらの言葉を頭の中で探して探
して・・・・・、
 『グレン!』
 その腕を掴むと、自分でも見上げるほどに背の高いグレンに向かって叫んだ。
 「おやすみっ、ない!」



 「何をしているっ?」
 突然紅蓮の腕を掴んだタツミに思わず厳しい声を掛けた黒蓉だったが、紅蓮はよいと声を出し、そのままタツミの顔を見ている。
全く言葉が通じないはずなのに、まるで2人が眼差しだけで会話をしているような様子を感じて、取り残された形の黒蓉は唇を噛み
締めてしまった。
 コーヤにしても、このタツミにしても、本来ならば紅蓮と言葉を交わせる立場ではない。それなのに、何時の間にか自分達の重要な
位置に勝手に収まっていて、引きずり出そうとしても出来ない。
(何を・・・・・言おうとしている?)
 一方で、一体この男は何を告げようとしているのか気になった。
コーヤも、何の力もないくせに何かを感じさせ、不思議な行動を取ったが、この男・・・・・タツミは自分達に近い力を持っているのだ、も
しかしたら何かと、そう思ってしまう。
 「・・・・・」
 『グレンッ』
 「・・・・・っ」
一体、何を言い出すのだと、黒蓉は2人の顔をじっと見ていた。



 「おやすみっ、ない!」
 「・・・・・」
(どういう意味だ?)
 就寝の言葉と、有無の、無い。いったいこの2つを合わせて何を言いたいのかと紅蓮は考えた。コーヤも良く自分の持つ語彙の中で
紅蓮に話しかけてくることが多かったので、当惑するよりそこに何か意味があるのではないかと思うようになっているのだ。
(おやすみ・・・・・夜、寝る、安心、静寂・・・・・。無いは、そのままか?)
 「・・・・・安心が、無い・・・・・!」
 紅蓮はハッと前方を見た。既に蒼樹が引き連れた先陣の姿はなく、第二陣が攻撃の準備をしている所だ。
 「蒼樹はっ?」
 「蒼樹は既にあちらの陣地へと向かっておりますっ」
 傍にいた黒蓉の答えに、表情を険しくした紅蓮が叫ぶ。
 「戻れっ!蒼樹!引け!!」
 「紅蓮様っ?」
突然叫んだ紅蓮に何事かと思った黒蓉は訊ねてくるが、紅蓮は早く引き止めるようにと命じた。
 「今の攻撃で相手は痛手を負っているとは限らないっ!」
(そうだ、それがどうにも不思議だった!)
 聖樹という能力者だけではなく、あちら側にはかなりの気の使い手が何人もいるはずで、それが何の防御もせずに攻撃を受けると思
う方が間違いだった。
どういう手段かは分からないが攻撃をそのまま受けたと思わせ、攻めこんだこちらを向かい討つ。それが出来るほどにはあちら側には力
があるはずだ。
 「一陣はっ?」
 紅蓮の言葉に黒蓉も叫ぶが、二陣の先頭に立つ兵士は必死に首を横に振った。
 「既に姿は見えません!蒼樹様は合図があってから後を追ってくるようにと言い残されましたっ!」
 「・・・・・っ」
このままでは、蒼樹達がまともに攻撃を受けてしまいかねない・・・・・紅蓮は悩む間もなく、身体中の気を一気に呼び起こすと、

 ギャアアアアアウウ!!!

 一瞬で竜に変化し、大地を蹴って空を泳いだ。
 「紅蓮様!」