竜の王様




第五章 
王座の真価



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 人型になっている時に髪の色や瞳の色が違うように、竜の姿になった時もそれぞれに特徴が出る。
頭上を舞う竜の姿を見た紅蓮は、それが何者かが直ぐに分かった。
 「紫苑っ?」
(なぜ、紫苑がここにっ?)
 いや、考えれば当たり前かもしれない。今は聖樹達と行動を共にしている紫苑が、今までこの場に姿を現さない方がおかしかった
のだ。
 「紅蓮様!」
 「防御をとれっ!」
 上に立つ者として、紅蓮は将来自分を支える四天王の能力を把握していた。その指導者達からの話はもちろん、自身の目でも見
てきたつもりだ。
 しかし、紫苑にはそんな自分の認識以上の力があると思わざるをえず、それならば更なる警戒をしなければならない。
どちらかといえば攻撃よりも守りの力の方が大きいはずであろう神官の力。
ただ、つきつめたその先には、どれほどの大きなものがあるのか。今の紅蓮にはそれを計る術は無かった。
(なぜ私を裏切り、聖樹側に立ったのか、その口から理由を聞かなければ・・・・・っ)
 紅蓮はザッと辺りを見回す。
本当は傷を負った者は避難させなければならないのは十分分かっていたが、そんな時間が無いというのもまた・・・・・分かっていた。



(紫苑・・・・・っ!)
 黒蓉は心の中で叫んだ。
今自分達の置かれている立場は、人数的には優勢だと思うものの、聖樹と言う存在の不気味さに浮足立っているというのもまた現
実だった。今ここに紫苑が来て聖樹に加勢すれば情勢がどう転ぶかなど予想はつかない。
 そんな中の、人間であるタツミの不思議な気。紅蓮と似たその気の意味を早く知らなければと思うのに、今はそんな余裕さえなかっ
た。
 「紅蓮様!」
 「防御をとれっ!」
 それは紅蓮も同じ気持ちなのか、鋭い声で命じると自分も気を高めている。
きっと・・・・・紅蓮は己だけではなく、この場にいる兵士達皆を守ろうとしているのだろう。厳しいと、傲慢だと思われがちではあるもの
の、今この竜人界のことを一番に思っているのは間違いなくこの主君だ。
 「はっ」
 そのことを十分分かっている黒蓉は短く同意し、直ぐ傍にいるタツミを振り返った。
 「お前は退けっ!」
ここからは、本当に竜人同士の力のぶつかり合いだ。たとえ秘めたる力が大きくても、人間に手助けされるわけにはいかない。
 「早くっ!」
言葉が通じていないのは十分承知しているものの、黒蓉は眼差しと拒絶する態度でタツミに分からせようとした。



 頭上を舞う竜が何者なのか、龍巳も分かっていた。
 『シオン・・・・・ッ』
この世界に迷い込んだ昂也を、最初に受け入れてくれたという相手。
昂也を見つめる眼差しも、態度も、龍巳の目から見てもとても偽物には思えなかった。
 そんな彼が裏切ったという事実をなかなか認めず、認めたうえでも取り戻そうと思うほどに昂也が気持ちを向けた相手を、龍巳も信
じたいと思っている。
 ただ、彼が自分達に向ける凍えるほどの敵意も偽物ではなく・・・・・いったいどうしたらいいのだろうと思っているのも事実だった。
 『・・・・・っ』
気を、高める。
竜に変化した相手が、その力のままにこの地上に降りてきてしまえば、鋭い爪や牙、太い尾でたちまち自分達は窮地に追い込まれ
てしまうはずだ。対抗するには、同等の力を、あの竜の姿になるしかないのだが・・・・・。
(俺にそんなことが・・・・・)
 いや、出来るか、出来ないかではない。しなければならないのだ。
 『・・・・・ぅぅぅぅぅ・・・・・っ!』
両手の拳を握り締め、龍巳は身体の内側から気を高める。
内側から血が沸騰するような熱さを感じたが、それでも龍巳は気を高めることを止めず、さらに意識も集中した。
(な・・・・・ん、だろ、この感覚・・・・・)
 今龍巳の身体を包んでいるのは、先程赤い気を纏った時と同じような高揚感。
自分が理解している以上の力が身体の中に漲っているような感覚に、戸惑うよりもそれが当然のような気がしてくる。
何かが、変わろうとしているのかもしれない・・・・・高まってくる力とは反対に、冴えた思いが頭の中を支配していて、龍巳は真っ直
ぐに上空を見上げた。
 『え・・・・・?』
 不意に、違和感を感じた。
(何か・・・・・)
先程までは突然現れた竜と、自分の気を高めることに意識が向いていて気付かなかったが、上空から感じるのはシオンだけの気では
なかった。
もう一つ感じる、龍巳にとっては一番馴染みのあるこの気の持ち主は・・・・・。
 『碧香っ?』
 肉眼でその姿が見えたわけではない。それでも、龍巳はシオンと共に碧香がそこにいることを確信した。
(どうしてっ?)
今頃、王宮で昂也達と共にいるはずの碧香が、なぜこの場にいるのか。
自分達がいなくなった後の王宮内で、何かあったのか。
様々に膨れる疑問で頭の中がパンクしそうになりながら、龍巳はもう一度大声でその名を呼んだ。
 『碧香!!』



 『碧香!!』

 実際に、耳で聞き取れたわけではないが、碧香の頭には龍巳の驚愕の声は響いた。
(東苑!)
恐ろしい速さで王都から北の谷に飛んだ紫苑は、やはり今まで本当の力というものを隠していたように思う。
物静かな彼の、驚くほど大きな力に戸惑いはしたものの、碧香はそれでも紫苑を恐ろしいとは思わなかった。

 「少し冷えますので」

 竜に変化する前、そう言って自分の衣を脱いで碧香の肩に掛けてくれた紫苑。強引に連れてこられたとはいえ、無理に拘束される
ことは無く、ここまで来たのは半分は自分の意思でもあった。
 龍巳に、兄に、そして兵士達に守られることを嬉しく思う反面、王族としてもこのたびの争いに何らかの動きをしなければならないと
も思っていた自分の思いを、まるで見透かすように紫苑が手を取った。足手纏いになる可能性の方が大きいが、それでも、碧香はこ
こに来たいと思っていたから・・・・・。
 「東苑・・・・・」
 今の自分の呟きは、心許無いものにはなっていないだろうか。紫苑だけを悪者にしたくない・・・・・そんな思いのまま鱗を握り締める
と、まるでその碧香の思いを宥めるかのように竜が嘶いた。
(綺麗な・・・・・竜)
 この世で一番美しい竜。
この美しい存在が悲しみの存在にならないようにしなければ。碧香は心の中で強く願いながら、見えない目で眼下の存在を探った。
(同じ、だ)
 近づくにつれて感じていた二つの似通った気。
一つは馴染んだ兄のものだが、もう一つは・・・・・。
(やはり東苑、あなたは・・・・・)
それは自分が口にしてはならない言葉のように思えた。



 ゆっくりと竜が舞い降りてくる。
先程までは下りる場所さえなかったその場所は、今は大きく岩山が崩れ、木々も押し倒されていた。地面には無数の亀裂が走って
いたが、巨大な竜がその亀裂に落ちてしまうことは無い。
 「・・・・・っ」
 紅蓮はじっと降下してくる竜を見つめていたが、その姿が鮮明になると同時に背に何者かが乗っていることが分かった。
いや、気を探っているうちにそれが何者かを紅蓮は少し前に気付き、眉間の皺を深くしながら一心に同じ方向を見つめ続けた。
(碧香・・・・・どうしてお前が?)
 紫苑が碧香をここに同行するということを白鳴が許すはずが無い。それならば、王宮内で何らかの諍いがあったはずだ。
(あいつらは何をしている・・・・・っ?)
なまじ力があるくせに、江幻と蘇芳は何をしているのだ。そこまで考えた紅蓮は、更なる不安を抱えてしまう。
(コーヤの身にも何か・・・・・)
 比較的始めからコーヤのことを気に入っていた紫苑がコーヤを傷付けるとは思えないが、それでも、自分が知らない間に何があった
のか気になって仕方が無い。
それを知っているのはこの場では紫苑1人きりだ。紅蓮は早く降りて来いと射るような眼差しを向けた。

 竜が地面に降り立った。
竜の背からふわりと碧香が下り立つと、やがて雄々しい竜は見る間にその姿を人の形に変えた。
 「碧香っ」
 「・・・・・ごめんなさい」
 紅蓮が名前を呼ぶと、碧香は直ぐにそう謝罪してくる。自分の存在が紅蓮達にとって枷になることを自覚しているのだろう。
本来ならばどうしてこんな所に来たのだと怒鳴りたい所であるが、とりあえずは無事だということに安堵した。
 「怪我は?」
 ざっと全身を見た所大きな怪我などは無いが、身体の内面が傷付いている場合もある。
 「大丈夫です」
 「碧香」
 「碧香様にお怪我など負わせておりません」
 「・・・・・紫苑」
湧き立つ感情を辛うじて押さえ、紅蓮は目の前に立つ紫苑に視線を向けた。
 「なぜ碧香を連れてきた」
 「・・・・・
 「楯にするつもりか」
 「・・・・・聖樹様が御所望ですので」
 「聖樹が?」
(どうして碧香を?)
その理由が分からない紅蓮が次の言葉が言えないでいると、その背後から1人が駆けだして紫苑と碧香の直ぐ目の前に立った。



 『碧香!』
 『・・・・・東苑』
 名前を呼ばなくても、碧香はそこに龍巳がいることが分かっているかのように微かな笑みを浮かべた。
目が見えなくても気配を探ることの出来る碧香には当然のことかもしれないが、龍巳は碧香が自分の存在に気付いてくれていること
が嬉しかった。
 それと同時に、どうしてこんなに危ない場所にいるのかという思いが溢れる。自分はもちろん、グレンも碧香のことを考えて王宮に置
いてきたというのに、当の本人がここに来てしまっては・・・・・いや。
(多分、こいつが碧香を無理に・・・・・っ)
 身体は拘束されていない。それでも、その心までが縛られていないとは言えないだろう。どんな方法で碧香をこんな所まで連れてき
たのか、龍巳はシオンに視線を向けた。
 『碧香をどうする気だっ?』
 「・・・・・」
 『どうしてここに連れてきたんだ!』
 傷付けたくないのに、泣かせたくないのに・・・・・それはシオンも同じではないのか?
しかし、シオンは龍巳の眼差しを真っ直ぐに捉えながら、全く別のことを言いだした。
 「その気は、どうした?」
 『・・・・・』
 「紅蓮様に良く似たその気・・・・・なぜ、お前が持っている?」
 『何を言っているんだ?』
 静かな口調で、それでも眼差しは何かを分析するように自分に向けて来るシオンに、どうしても敵意というものは感じられない。
そんな相手と戦うことなど、今まで誰かを激しく憎んだことのない龍巳に出来るわけが無いが、もしも、もしも碧香を傷付けられたりす
れば・・・・・。
 『碧香を、放せ』
 身体の中を駆け巡る理由のつけられない力を何とか理性で押し止めながら、龍巳は自分でも出したことが無いような低く威嚇する
声で言った。