竜の王様
第五章 王座の真価
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※ここでの『』の言葉は日本語です
(東苑・・・・・あなたは・・・・・)
王宮で龍巳を見送ってからまだ一昼夜も経っていないというのに、碧香は目の前に感じる龍巳の気配がかなり変化していることが
分かった。
目が見えないからこそ神経が鋭敏になっているのかもしれないが、それだけではない、明らかに分かる気の変化。
王都にいる時も感じた龍巳の力の大きさは、実践を経てさらに大きく、強くなったようだ。
(そして、兄様に良く似た・・・・・)
もう、間違いはないかもしれない。龍巳は兄と同じ、竜王になる資質を持った存在だ。
(たとえ純粋な竜人ではなくても、その血が東苑をこの世界に呼んだということ・・・・・)
「・・・・・っ」
肩に、何者かの手が触れてきた。それに力がこもり、痛いほどに掴まれて思わず苦痛の声が漏れてしまう。
『碧香!』
「・・・・・と、えん」
『碧香を放せっ、シオン!』
その言葉で、自分の肩に置かれている手の主が分かった。彼もまた、龍巳の纏っている気に戸惑っているのだろう。
いや、彼だけではない、紫苑の背後にいるはずの叔父、聖樹も、龍巳のこの力までは分かっていないはずだ。それならば、この戦い
を終わらせる鍵は龍巳が持っているといってもいいのではないだろうか?
(いいえ、出来れば戦いなどして欲しくない・・・・・っ)
龍巳が、兄が、そして愛すべき竜人達が傷つくことなどあって欲しくない。だからこそ、碧香はこうしておとなしく紫苑に連れられてこ
こまでやってきたのだ。
(叔父上が私に何をさせようとしているのかはわからないけれど、これ以上この世界を混乱させないためにも私がなすべきことは一つ)
碧香は背後にいるはずの紫苑を振り返って言った。
「早く、叔父上のもとに連れて行ってください」
「碧香様」
「あなたはそのために私を連れて来たのでしょう?」
「・・・・・」
翡翠の玉は一つ見付かった。あともう一つ見付かれば、新しい竜王は決まる。
そして、その在り処はきっと聖樹の近くだと思った碧香は、既に固い決意を胸に秘めていた。
紫苑は真っ直ぐに自分を見上げてくる碧香に、直ぐに返事をすることが出来なかった。
その目には何も映っていないはすなのに、碧香の瞳には真実を映す輝きがあるように思えて・・・・・自分の中の醜い感情まで晒して
いるような気分になってしまうのだ。
「紫苑」
再度名前を呼ばれ、ようやく紫苑は深い息をつく。
(何を躊躇うことがある)
「分かりました、それでは・・・・・」
「紫苑」
「・・・・・紅蓮様」
何時までもこの場に留まっていても仕方ないと碧香と共に移動しようとした時、自分の名を呼ぶ硬い声に紫苑は僅かに肩を揺らして
しまった。
(今更・・・・・)
既に主に対する様々な感情などなくなっていると思っていたのに、幼い頃から培われてきた紅蓮に対する服従心は簡単には払拭
をされていないらしい。
そして、そんな己の感情を見抜いているかのように、紅蓮はゆっくりと目の前に歩み寄ってきた。
「ここで何をしている」
「・・・・・」
圧倒的な威圧感と、虚言を許さない強い眼差し。
竜王に相応しい存在だとずっと思っていた紅蓮は、自分が離れている僅かの間にさらに成長したように見える。今の紅蓮ならば、もし
かしたら自分は・・・・・そう、過去を振り返りたい思いに駆られるものの、それでも紫苑は口元に静かな微笑を浮かべたまま、あなたに
は関係ありませんと告げた。
既に、紅蓮の側近ではなくなった自分には、彼の成長を共に喜ぶ資格など無く、間違っているかも知れないという自覚のある信念
に従って行動するしかない。
「思いの他、痛手を被っておられるようですが。紅蓮様、あなたは聖樹殿に勝てるとお思いですか?」
「・・・・・お前は、私の方が劣っているとでも?」
「・・・・・以前のあなたには、絶対この国を良くするのだという気概が感じられなかった。いえ、皇太子として、あまりにも当たり前のよ
うに時期竜王を継ぐことを約束されたあなたには、決死の覚悟というものが感じられなかった。多くの民が神官である私達に訴えてき
た悩みも、悲しみも、大事の前の小事として、あなたは気にも止められなかったでしょう」
それが、結果的に民の心を王家から離してしまうということを、その時の紅蓮はもちろん、紫苑も気付かなかった。
気づいた時には、離れてしまった民との溝は埋められないほどに大きくなって、直接恨みや悲しみを訴えられた紫苑もその感情に引き
ずられてしまい・・・・・。
(あなたを支える意味が、分からなくなってしまった)
なまじ、自分にも力があったせいで、紫苑は心の弱さを聖樹につかれてしまった。いや、その時にはもう、紫苑自身紅蓮を冷めた目
で見つめることしか出来なくて・・・・・。
(その時に、王が亡くなり、翡翠の玉は直ぐに輝かなかった)
長い間、竜人界を守ってくれていた翡翠の玉も、紅蓮を見放したのだと思った。
そして、玉が盗まれ、碧香が人間界へと旅立って・・・・・。
(コーヤに、出会った)
もっと早く、コーヤと出会い、彼が紅蓮を変えていたらと思うのは、自分の中の甘さが言わせるのかもしれないが、紫苑は今自分が
立っている場所がどこなのか、もう・・・・・考えることは出来なかった。
碧香を拘束したまま、真っ直ぐに自分を見つめ、意見を述べる紫苑を紅蓮はじっと見つめていた。
彼の言葉には反論する所も多くあるものの、結果的にそう思わせてしまったのは自分の不徳だと言わざるをえない。
ただ、それならばどうしてもっと早く、聖樹と手を結ぶ前に自分に訴えてきてくれなかったのかという思いはあった。確かに以前の自分
は臣下の言葉を真っ直ぐに聞く心の余裕は無かったかもしれないが、それでも全てを無視するということも無かったはずだ。
(もう、遅いのか・・・・・っ)
まだ、間に合うのか。
「紫苑」
「紅蓮様、今頃になってこのような戯言を口にすることをお許し下さい。あなたばかりを責めていますが、結果的に私も同じ罪を背
負っているのですから」
「紫苑、私は」
「もう、止めることは出来ないのです。既にこの世界は聖樹殿や私達のせいで大きく揺れてしまった。私だけが何もないような顔を
して、安全な場所へと逃げ込むことは出来ません」
その言葉に、紅蓮は絶望よりも一縷の望みを感じ取った。紫苑はまだ、自分達の方へ呼び戻せる。
(・・・・・くっ、こんな風に考えるのも、コーヤに毒されたのかも知れぬな)
諦めよりも、さらに未来へ一歩踏み出す勇気。
それを教えてくれたコーヤのためにも、紅蓮はこのまま紫苑を行かせるわけにはいかなかった。
「紫苑、罪を感じているというのなら、私の側で共に償おう。私はけして民から逃げない、そして、お前からも」
「紅蓮様・・・・・」
紫苑の眼差しが揺れた。
それを見た紅蓮は目を眇め、次の瞬間、一気に気を高める。
「ふぅぅぅぅぅ・・・・・!」
「!」
「兄様!」
「そのまま動くな碧香!」
深紅に光る気の塊が、紅蓮の手から放たれた。
(・・・・・紅蓮)
空気と地が大きく揺れた。
それが何のためか、聖樹には手に取るように分かっていた。なまじ、前王が少年の時から共に成長してきたわけではない。
「そろそろ・・・・・時が来たのか」
聖樹は慢心しているわけではない。どれ程自分が仲間を募り、翡翠の玉の恩恵で力を大きくしたとしても、純粋な王族である紅
蓮に勝てるはずがないと分かっていた。
それでも足掻き、紅蓮の命を狙うのは、もう私怨だという一言に尽きる。
「義兄上、あなたの血を引き継ぐ者を私は生かしておくわけにはいかない。このまま、私は命を落とすわけにはいかないのですよ」
(それが、あなたに対する私の復讐だ)
聖樹は胸の中で呟くと、次の行動に移るために立ち上がった。
『碧香!』
グレンの放った気が、碧香の胸を貫いた。いや、碧香だけではない、その後ろにいたシオンの身体をも貫通し、2人の身体が大きく
揺れてしまう。
『!』
龍巳は躊躇うことなく走り出し、地面に崩れ落ちる寸前の碧香の身体を抱きとめた。
『碧香!!』
龍巳が必死になって探したのは胸元にあるはずの傷だが、見た限りではそこに傷は無かった。着ている服も裂けてはおらず、血を流し
ているわけでもない。
それでも、青白い顔色のまま目を閉じてしまっている碧香は、まるで息をしていないようにも見えてしまった。
『ど・・・・・してっ、どうして碧香を!!』
シオンを拘束しなければならないことは分かっている。それでも、それは碧香という犠牲をはらってまでのものではないはずで、実の弟
の胸を気で貫いてしまったグレンを、涙でかすむ眼差しで睨みつけることを止められなかった。
「タツミ、碧香は・・・・・」
『どうして!!』
感情が暴走してしまう。それが分かっているのに止められない、止めたくない。
龍巳はしっかりと碧香の身体を抱きしめたまま、己の身体の中を駆け巡る力を無条件に放出した。
「!!」
鮮やかな、先程よりも赤くなった気。
それが、躊躇うことなく自分に向かって放たれる様を紅蓮は見つめてしまった。
「紅蓮様!!」
「構わないっ」
(これで、はっきりと分かるはずだ)
先ほど自分が碧香と紫苑に向かって放った気と、今龍巳が自分に向かって放った気が同種のものかどうか、これを受ければ直ぐに
分かるはずだと思った。
「・・・・・っ!!」
凄まじい衝撃と熱さが紅蓮の身を焼き尽くすかのように取り巻くが・・・・・それが、自分の命を奪うものではないと身をもって確信し
た時、紅蓮は目の前のタツミの腕を掴んで言った。
「王族は、同じ血を持つ者の力では命を失わない。碧香は衝撃によって気を失ったかもしれないが、私の力で死ぬということはない
のだ。タツミ、それはお前も同様」
『な・・・・・にを、言ってる?』
「言葉が分からないか?だが、お前は私の感情を読み取ることが出来るはずだ。碧香は無事だ、そして、タツミ、お前は私と同様、
竜王になる権利を有する者だということがこれではっきりとした」
「グ、レン」
「どちらが竜王になるのに相応しいか、今は争っている場合ではない。しかし、タツミ、今この時が、王になる者の真価が問われる時
でもある」
紅蓮はそう言い放ち、タツミを見据えた。
「立ち上がれ、タツミ、そして、力を貸してくれ。この竜人界を救うために、お前の竜王としての力が必要だ」
自分以外に竜王になる者がいるというのは重い事実ではあるが、それでも紅蓮は民のためにタツミの力を必要とした。
その結果、もしも時期竜王が自分ではなく、タツミになったとしても・・・・・紅蓮は、全ての可能性を試すという今下した自分の判断
を、けして後悔しないだろうと思った。
(そうだろう、コーヤ)
第五章 完
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