竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ



プロローグ





                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 「お兄様は私の憧れの人なの。とても強くて、でも、優しくて。竜人界の王となるべくして生まれた方だわ」
 「妹でなければ、お兄様の花嫁になりたいくらいよ」
 「ふふ、でも、聖樹様。お兄様とあなたとは全く違うわ。わたくしの愛する方はあなた1人」

 蒼樹を産んでも、何時まで経っても少女のように愛らしく、清らかだった彼の人。
実の兄に対する思いを聞いても、それほどに肉親に対する愛情が強いのだろうと微笑ましくさえ思っていた。
 しかし、急に最愛の人が目の前からいなくなってしまった時、胸の中を占めたのは他愛無かったはずの言葉。夫である自分の他に、
愛する者がいると楽しそうに言っていた彼女の言葉が、どうしても耳から離れなかった。

 なぜ、彼女は自分を選んだのだろうか?
最愛だと言った兄のもとに居続けることをしなかったのだろうか?
何を思いながら・・・・・この腕に抱かれていたのだろうか・・・・・。
確かに愛し合っていたと思うのに、彼女の頭の中には、いや、胸の奥深くには、あの男が何時までも大きく存在しているのだ。


 憎い。
 どうすればいいのだろう。
 憎い。
 彼女のいない喪失感をうめるのは。
 憎い。
 どうして、彼女がいないのに、あの男は生きて自分の目の前にいるのか。

今のままでは自分が無くなってしまう。彼女を愛していた日々が、どす黒い闇の中に消えてしまう。





ならば、先に壊してしまおう。
あの男を。
あの男の血を引く者を。



彼女の生きていないこの世界など、壊れて無になってしまえばいい。










 『まだっ?』
 昂也は焦ってそう訊ねるが、直ぐ後ろにいるコーゲンはもう直ぐとしか答えてくれない。
(早くっ、早くしないと!)
竜の飛ぶ速度の基準など分かるはずが無いが、それでもかなり飛ばしているのだろうというのは体感でも分かるし、目まぐるしく流れ
ていく景色からも分かっている・・・・・つもりだ。
 それでも、今この瞬間にでもアオカがどうなっているのか、気になってしまってどうしようもないのだ。
(俺なんかが何も出来ないって分かってるけど、でも!)
 『焦ることは無いよ、コーヤ』
そんな昂也の肩を抱くようにして、コーゲンが穏やかな口調でそう言ってくれる。
 『きっと、間に合う』
 『でもっ』
 『そうだろう?諦めないのがコーヤだと思っていたけど?』
 どうなのと訊ねられ、昂也は唇を噛みしめた。確かに、自分が何度もそう言ったのだ、諦めない、何とか出来ると。
それを、自分自身で否定するなんて出来ない。
(大丈夫、大丈夫、きっと・・・・・間に合うっ)
 呪文のように口の中で繰り返せば、少しだけだが焦っていた気持ちが落ち着いたような気がする。昂也は後ろにいるコーゲンを振り
返った。
 『ありがと』
 『私は何もしていないよ?』
 『でも、ありがと』
自分の気持ちが落ち着いたのは確かなのでそう言うと、

 ギャアオォォゥゥ!!

 『うわっ』
いきなり、竜に変化しているスオーが自分の存在感を知らせるように嘶く。
それと同時に、自分にしがみついていた青嵐の手の力も強くなって、まるで2人共自分の存在を忘れるなと怒っているように感じた。
 『スオーッ、大きな声で鳴くなよ!青嵐もっ、ちゃんと鱗に掴まんないと落ちるぞ!』
(全く、面倒な弟が2人出来たみたいだよ)
 それでも、不思議と面倒だという気持ちにはならない。
今まで弟分だったはずの龍巳が何時の間にか一人立ちをし、さらに昂也に背中を向けるようにして闘いの最前線に行ってしまった寂
しさもあるのだろうか・・・・・昂也は自分に構ってくれる存在が嬉しいとさえ思っていた。



 流れる景色を見ながら、琥珀はもうそろそろ目的の場所に着くだろうということが分かった。
探った限りでは結界は張られていないようだし、聖樹や浅葱の力も感じない。先に行っているはずの紫苑の気も視えず、琥珀は既に
闘いは終わってしまったのかもしれないとさえ思った。
 王族側には紅蓮以下、黒蓉、浅緋、蒼樹がいる。
対する反乱者には、聖樹に浅葱、そして紫苑がいるはずだ。
どちらがより強いかなど、実際に自分が気をぶつけ合う場所にいなければ分からないものの、それでもこの地全体が死んでいないとい
うことは、自分達の仲間も随分と善戦しているということだろう。
 「・・・・・聖樹、無事かな」
 「・・・・・」
 不意に、琥珀の耳に小さな呟きが届いた。
はっきりと言葉の意味が分かるのは、ここに江幻がいるからだろう。琥珀は出来るだけ平坦な声でその相手・・・・・朱里に言った。
 「命が途切れた気配は無い」
 「・・・・・っ、ぼ、僕の言葉、分かったんだ?」
 「お前も、私の言葉が分かるのだろう?」
 「・・・・・」
 「この状態でお前のことを守ってみせるというのはおかしいかもしれないが、私はお前を見捨てることはしない」
 たとえ、朱里が竜人ではない人間でも、自分達がこの争いに巻き込んでしまったのだ。
自分達が不利になったとしても、琥珀は朱里を守らなければと思っているし、出来ればこの少年を無傷で元の居場所に帰してやりた
いと・・・・・。
(元の、世界・・・・・)
 そう思っている自分は、既に朱里を新しい竜王とすることを諦めているのだろう。なんだか、自分の中の張りつめていたものが途切
れたようで、琥珀は溜め息をつくことも出来なかった。



 琥珀の言葉、見捨てないという言葉にホッと安堵している自分がいて、そんな自分の気持ちが外見からは分かるはずが無いのに、
朱里は俯き、唇を噛みしめた。
 本当は、このまま逃げ出してしまいたかった。いくら力があるとはいえ、実際に誰かと向き合い、闘うことなど、普通の生活をしてきた
朱里にはあまりにも別次元な話だった。
 いや、実際に自分が王になろうとした世界は別次元のものなのだが・・・・・。
 「・・・・・琥珀」
 「・・・・・」
 「琥珀・・・・・」
唯一、自分の味方である琥珀の名前を何度も呼ぶが、男は何か別のことを考えているのか朱里の言葉に答えてくれることはない。
寂しくて、辛くて、この世界に自分は1人きりなのだと思い知らされている気分になってしまった。
(どうして僕がそんな風に思わないといけないんだよ・・・・・っ)
 どこから、何が違ってしまったのか、誰か教えて欲しいと思う。
(聖樹・・・・・聖樹!)
そして、それは自分を認めてくれた唯一の存在である人しかいなくて。
(聖樹・・・・・っ)
何度呼んでも返ってこない反応に次第に追い詰められながらも、それでも朱里は聖樹の名を呼び続けた。
まるでそうすれば、聖樹が自分を助けにここまで来てくれると思っているかのように・・・・・。



 『あ・・・・・っ!』
 眼下に広がる景色が、何度も見慣れたそれに変わってきたことに昂也は気が付いた。
以前ここまで来た時にはほぼ1日近く掛かっていたと思うが、今日は王宮を出てから数時間というところだろう。
(スオー・・・・・やれば出来るんじゃん)
 早くて凄いという前に、どうして以前もこの実力を出してくれなかったのだろうかと不満を先に感じていたが、やがて違和感を覚えて意
識を切り替えた。
(な・・・・・んか、違う?)
 目的地に着いたせいか、スオーのスピードは目に見えて減速してきた。そのせいで下の様子もよく分かるようになってきたが、見知っ
ていたはずのうっそうとした森や切り立った岩山があったはずのそこは・・・・・記憶の中にあるものとは違って見える。
 『・・・・・違う、実際に変わってるんだ』
 『コーヤ?』
 『コーゲン、下、下の景色って変わったよな?』
 自分の記憶が確かだったのかをコーゲンに確かめると、今までの軽い口調から少し固い調子に変わったコーゲンが答えてくれた。
 『気付いた?』
 『気付いたって、やっぱりっ?』
 『かなり大きな気を放ったんだろうね、地形が変化するくらいなんだから』
 『!』
(地形が、変化って・・・・・)
昂也の感覚で言えば、地形が変わるなど大地震が起こった時くらいしか考えつかない。その、大地震にも似た力がこの地に限定され
て作用したのかと思えば、今闘っている者達の力の凄まじさが身にしみて分かった。
 今までも、目の前で不思議な力を見てきた昂也だが、それがここまで大きなものだとは・・・・・不意に、今この地にいるはずの龍巳の
ことが気になった。
この世界に来て、龍巳の成長ぶりというか、自分とは違う何かを持っていることは感じていたものの、それがこの世界の者達に通用す
るほどなのかということは全く分からない。
 『トーエンは・・・・・』
 『コーヤ』
 『トーエン、無事かな』
 ここで自分が心配したところで何も変わらないというのは分かっているものの、それでも昂也は龍巳の無事を願わずにはいられなかっ
た。
すると、そんな自分の頭を、まるで宥めるようにポンポンと叩いてくれる存在に気付き、昂也は無意識のうちに縋るように見つめる。
 『願いというものは、ちゃんと相手に届くものだよ』
 『コーゲン・・・・・』
 『そうだろう?』
 その場しのぎの慰めではなく、コーゲンがそう言えば何だか本当に願いが届くような気がして・・・・・。
(コーゲン、だからかな)
これがスオーだったら、やはり本当だろうかと疑ってしまうかもしれない・・・・・そんなことを考えてしまい、昂也は心の中でスオーに謝っ
てしまった。
(ごめんっ)
 『ああ、気が見えてきた。コーヤ、そろそろ目的の地に着くようだよ』
 『!』
自分には全く感じられない気というものを見ることが出来るコーゲンの言葉に、昂也も反射的に地面を見下ろす。
 『うわ・・・・・っ』
そこは・・・・・地上は、昂也の目にも見えるほどの赤い光に包まれていた。