竜の王様




第五章 
王座の真価








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 紫苑の気が最大限に近くまで膨れ上がってくるのを感じ、黒蓉は身構えた。
今自分が同じような力をぶつけてしまえば、その効力は相殺され、相手にほとんど痛手を与えることは出来ないだろう。それよりも、
一度紫苑の力を直前でかわし、その直後に自分の気をぶつけることが効果的だと思った。
 確かに、紫苑の力は想像以上に強い。しかし、実戦の経験は自分の方が積んでいるはずだ。
(身体全体を防御していかなければ・・・・・っ)
一体、どんな攻撃を仕掛けてくるのか分からない・・・・・黒蓉がそう思った時だった。
 「・・・・・!ト、トーエンはっ?」
 「!」
(コーヤッ?)
 背後で、コーヤの声が聞こえた。どうやら気づいたらしいと思う間もなく、紫苑の力が放たれたのが分かる。
黒蓉はとっさに、自分の背後にいるコーヤに力が行かないようにと、防御の力を自分だけではなくその周りにも分散させてしまい、
 「・・・・・ふぅぐっ!」
凄まじい熱が左腕を貫通するのを感じた。



 「・・・・・」
 自分が容赦する気が無いことを知った黒蓉は、持っている力を全てぶつけてくるだろう・・・・・そう思った。
いくら友人に対しての思いがあるとはいえ、黒蓉にとって一番大切な存在は主君の紅蓮で、彼の人を守るためにこの命をとろうとする
ことなど、黒蓉の性格からすれば当然の行動のはずだった。
 しかし、思いがけず黒蓉は自分に対して攻撃するのを躊躇い、まだ説得しようとする。そんな彼に本気を出してもらわなければと、
紫苑は今自分が持っている攻撃力の最大限で気を放った。
 「・・・・・っ?」
(黒蓉殿っ?)
 彼の力では、無傷とは言わなくても防御されるだろうと思った気。しかし、なぜか黒蓉は自分だけを防御せずに、その一帯にまで気
を張り巡らせていた。
そのせいで、紫苑の気はそのまま黒蓉の胸・・・・・からは少し逸れた、左腕を貫通した。
 「・・・・・どうして・・・・・」
 なぜ、自分だけを守ろうとしなかったのだろうか。
 「コクヨー!!」
 「・・・・・」
(まさか・・・・・コーヤ、を?彼を守る、ため?)
距離はないにしても、コーヤは自分達とは離れた場所で、すぐ傍には優秀な能力者の江幻と蘇芳がいた。彼らの力をすれば、自分
の攻撃は避けられたはずだと思うのに、黒蓉は、何時も冷静に物事を計算しているはずの彼が、そこまで考えることが出来なかった
のだろうか。
(私の知らない間に、黒蓉殿も変わっていたというのか?)
 人間など守る男ではなかったはずなのに。
(私の・・・・・いない場所で・・・・・)
少しずつ、紫苑の予想を外れながら、時間が流れて行っている。
何よりの誤算は自分自身がコーヤに強く惹かれてしまったことだが・・・・・紫苑は唇を引き結ぶと、左腕を押さえながらその場に膝を
ついた黒蓉を見つめた。
 「・・・・・細胞が、破壊されています」
 「紫・・・・・苑っ」
 「普通の気では治せませんよ」
 今放った気は、腕の細胞を破壊すると同時に、身体全体に負の気を巡らせていく。永久には無理だが、しばらく気を集中させること
は無理のはずだ。
命を奪うつもりで放った気が、腕一本しか破壊出来なかったことはそれだけ力が未熟だったということだが、紅蓮の側近1人を戦闘不
能にしたのはそれなりの成果だろう。
 紫苑は黙って背後に立っている浅葱に眼差しを向けた。
 「いかがでしょう」
 「命を奪わないのか」
 「戦えない者をさらにいたぶるという性質は持ち合わせておりません」
言外に、それはあなたもだろうという意味を込めた。今の黒蓉では、浅葱の攻撃1つで簡単に再起不能の重傷を負うか、もしくは命を
落とす危険さえあった。
(ここでは、駄目だ)



 江幻は、痛いほど自分の腕を掴んでいるコーヤを見下ろした。
先程までも青かった顔は、今は真っ白に血の気が失せ、零れそうなほどに大きく目を見開いて前方を見ていた。
 「コ・・・・・ゲン」
 「どうした?」
 「・・・・・コクヨー・・・・・死んじゃう?」
 「・・・・・いや、多分緊急な命の危険はないと思う。ちゃんと診ないと分からないけどね」
 一歩でも動けば、紫苑の後ろにいる浅葱が攻撃を仕掛けてくるだろう。
人数的には負けるとは思わないものの、今自分の傍にはコーヤが、そして、まだ気を食らって意識がしっかりとしていないタツミがいる
のだ、下手な真似は出来なかった。
 「・・・・・」
(まさか、ここで紫苑が出てくるとは思わなかったが・・・・・)
やってきたのが自分達だと分かった上で、聖樹が寄越したのだろうか?そうだとすれば間違いなくその作戦は功を奏したと言ってもい
いだろう。
(後は・・・・・私達をどうする気だろうね。このまま人質に取ろうとするか、それとも邪魔だとこのまま処分しようとするか)
 「・・・・・っ」
 「コーヤ?」
 コーヤが、何かを小さく呟いた。そして、
 「おいっ?」
江幻の腕を押し退けながらフラフラと立ち上がると、そのまま蹲る黒蓉の元へと向かい始める。
 「コーヤ!」
何を無茶なことをしようとしているのかと江幻も一緒に立ち上がったが、コーヤはその声にも足を止めない。いったい、どんな思いがコ
ーヤの身体を突き動かしているのだと思った江幻は、先程コーヤが呟いた言葉を自分も繰り返した。
 「カチバノ、クソ、チカラ?」
(どんな呪文なんだ?)
 痛む身体を突き動かす不思議な言葉。
江幻はその効力を知りたいと思いながらも、今はコーヤの安全を確保するために自分も後をついて歩き始めた。



 あの人間が勝手に動いている。
緊迫した空気の中で、ここにいる誰もがこちら側の優勢を感じて動けないというのに、その雰囲気をこの鈍感な人間は感じることが出
来ないのか。
 浅葱は眉を顰め、冷たく言い放った。
 「動くな」
 「・・・・・」
その動きは止まらない。
 「聞こえなかったのか、止まれと言っている」
 「あ、あのなあっ、どんな戦争だって、傷ついた奴を手当てするっていうのは、暗黙のルールなんだよ!」
 「何?」
 「今、コクヨーが、あんた達に何も、出来ないのは、見てて、よく分かってるだろっ。俺だって、そんな不思議な力を持っているわけじゃ
ないっ。そんな俺達が、少しでも動くのが、怖いのかよ!」
 「・・・・・」
(何を無礼なことを・・・・・)
 力など使う必要もなく、このままあの細い首を片手で掴み、折ってやろうかと思ったが、真っ直ぐに自分を見据える黒い瞳の中に恐
怖の色はなかった。
そのことに少しだけ胸がざわめいた浅葱だったが、その後ろに見える赤い髪の男に、薄れかけた警戒心を強くした。
 「動くな」
 「まあまあ」
 江幻は浅葱の威嚇の言葉など少しも気にしていないように笑みを浮かべている。
 「黒蓉の身体を少し診させてくれるだけでいいよ。今の私達はそちらに奇襲を掛けることはしない、そうだね、蘇芳」
何時の間にか、もう1人の男、蘇芳も、こちらに向かっていた。
 「俺は無駄なことはしない主義なんだ。ただ、コーヤに何かしようと考えるなよ?」
暴れちゃうかもしれないしとうそぶく蘇芳がどこまで本気なのか、それはさすがに浅葱にも分からなかった。



 『おい、しっかりしろっ。自分の中の気を、ゆっくりと体中に注いでいくんだ、暴走しないように、ゆっくりと・・・・・』
 途切れ途切れの意識の中で聞こえてきた叱咤する声に、龍巳は無意識のうちに従うように気を体中へと注ぎ始めた。
今までは攻撃する武器として、一か所に集中する練習ばかりしていたので、どうしたらいいのか一瞬困惑してしまったが、それでも身
体は聞こえてきた言葉に従順に、自身の中を見分し、癒すようにと力を流していく。
 『・・・・・ふぅ・・・・・』
 やがて、大きな吐息と共に、龍巳は目をゆっくり開いた。
 『大丈夫だな?』
顔を覗き込んでいたのは、この世界に来てから自分の力を見てくれた眼鏡の男。口調は粗野だが、昂也に対しては十二分な気遣い
を見せていたスオーは、瞬きすることで言葉に同意した龍巳に、口元を緩めるだけの笑みを見せ、髪をクシャッと撫でてきた。
 『悪いが、後のことは自分でしてくれ』
 『・・・・・え?』
 『コーヤがまた無茶しようとしている。江幻1人に任せるのはしゃくだからな』
 そう言って、立ち上がったスオーを目線だけで追った龍巳は、ギシギシと関節が軋む身体に歯を食いしばりながら起き上った。
 『昂・・・・・也』
さっきも、凄まじい気のぶつかり合いの中心に無謀に飛び込んで行ったが、また同じようなことをしようとしているのだろうか。
いや、多少は力を扱える自分がこれだけのダメージを負ったのに、昂也は何もなかったのだろうか?それが気になってしまい、龍巳は
昂也の姿を捜して・・・・・見付けた。
 顔に、擦り傷があった。
服も、所々切り裂かれたようになっていて、そこから赤い血が見えるものもある。
足は少しふらついて、服を着ている内側がどうなっているのか分からないが、やはり無傷ではなかったのだ。
 『・・・・・っそ』
 また、昂也から出遅れる所だった。
龍巳はもう一度目を閉じて何度も大きな深呼吸を繰り返し、手足が動くのを確認してから、ゆっくりと立ち上がる。
一瞬、くらっと立ち眩みがしてしまったが、それは何時もと違う力の使い方をしたせいだと分かっているので、構わずに歩き始めた。
(・・・・・大丈夫だ)
筋肉痛のような痛みはあるが、あんな大きな力を受け止めても何とか動けるようだ。



 左腕を貫いた紫苑の気が、中から身体を苛んでくるのが分かる。
その痛みにはもちろん堪えることは出来るが、紫苑が自分に対して本気で・・・・・命を奪うことも厭わずに気を放ったことに衝撃を受け
てしまった黒蓉は、地についた膝を上げることが出来なかった。
(紫苑は・・・・・本当に私達を切り捨てたのか・・・・・っ)
 自分も、そして命を下した紅蓮も、紫苑を再び取り戻す気であったが、紫苑自身はとっくに甘い感情を消し去っていたのだ。
それが、寂しくて、悲しくて・・・・・たまらなかった。
 「・・・・・コクヨーッ」
 「・・・・・っ」
 そんな自分の肩に、不意に置かれた小さな手。反射的に振り返った黒蓉は、そこに先程まで倒れていたはずのコーヤが、眉を潜め
た心配そうな表情で立っているのを見た。
 「・・・・・」
 「大丈夫かっ?痛いっ?」
 「・・・・・」
 「なあって!」
 「・・・・・っ」
 今の自分はおかしいと分かっている。長年の友に裏切られ、その相手に容赦ない攻撃を受けて。
(そうだ・・・・・今だけ、だ・・・・・)
思わず、動く右手を伸ばして抱きしめた身体は柔らかくて温かくて、竜人である自分達とは全く違う。黒蓉はその温もりに縋るように、
さらに抱きしめる腕に力を込めた。