竜の王様
第五章 王座の真価
6
※ここでの『』の言葉は日本語です
(え・・・・・?)
まるで子供のように自分に縋ってきたコクヨーに、昂也は心底戸惑っていた。
絶対に、余計なことをするなと手を振り払われるかと思っていたのに、反対に手を伸ばされたらどうしていいのか分からなくなってしま
う。
それでも昂也はコクヨーの頭をギュッと抱きしめた。
『みんな、ここにいるんだからなっ?』
『・・・・・』
『コクヨー1人じゃないんだから!』
情けないが、自分1人ではとても何か出来るとは思わない。それでも、ここにはコーゲンもスオーも、龍巳だっているのだ。
『・・・・・今の自分達の立場を理解しているのか』
『!』
そんな昂也の耳に、いきなり冷たい響きの声がして、昂也は反射的に顔を上げた。
紫苑の後ろから現れた男は、感情のこもっていない眼差しで自分達を見つめてきている。昂也の背筋に、つっと冷や汗が流れ落ちた
気がした。これが、怖いという感情なのかもしれない。
『ちょ、ちょっと、待てよっ』
とにかく、先ずはコクヨーの容態を確認しなければならないと、昂也はコーゲンを振り返った。
『コ、コーゲン』
『ああ、分かっている』
コーゲンはポンと昂也の肩を叩いて、笑みを向けてくれる。何だかそれだけで心強くなった気がして、昂也は一度落ち着くためにふ
うと深呼吸をした。
(子供を脅かさなくてもいいのにね)
江幻は、コーヤが浅葱の放つ負の気に押されて怯えている気配を感じて眉を顰める。確かに自分達は相容れぬ関係だが、それで
も何の力の無い者に向かって、脅しともとれる態度をとることは感心しない。
・・・・・いや、多分、戦いの中では仕方のないことなのかもしれないが、コーヤへの思い入れの強い江幻にはとても納得出来るもの
ではなかった。
「コ、コーゲン」
「ああ、分かっている」
江幻はコーヤを宥めるように肩を叩く。それに、ホッとしたような表情になったコーヤに笑い掛け、江幻は黒蓉の前に膝をついて手を
かざした。
完全な防御が出来ていなかったとはいえ、それでもさすが黒蓉だ、致命傷になる傷は負っていないかのように見えたが・・・・・。
(ん?)
身体の中に感じる気。これは・・・・・。
「・・・・・黒蓉、しばらくは力が使えないよ」
「な・・・・・に?」
「紫苑にやられたようだ。お前の身体の中に負の気が流し込まれている。それを完全に排除するには少し時間が掛かるし、気を集
中させる左手も駄目になっているだろう?」
江幻の言葉に黒蓉は左手を動かそうとしたのだろうが、直ぐに眉を顰めて唇をかみしめた。江幻の言葉よりも自分自身の身体がその
真実を教えてくれたのだろう。
「ここじゃ・・・・・とてもゆっくりと治療することは出来ないようだし」
江幻は浅葱を見、続いて紫苑に視線を向けた。
仲間を半ば戦闘不能にしたというのに、その表情に目に見えた動揺はない。
(これが本気だったら怖いし、もしも他に意味があるのだとしたら・・・・・たいした精神力だ)
紫苑の裏切りを感じていたとはいえ、江幻は本気で彼が紅蓮に向かって刃を向けようと考えているとは思えなかった。それだけ、紫
苑の忠誠心は江幻も認めざるを得なかったくらいだった。
(・・・・・さてと)
「そちらは、私達をどうするつもりだ?」
「・・・・・」
「このまま、ここで命を奪う?」
「・・・・・」
「そうだとしても、簡単にはあげるつもりはないけど」
江幻は立ち上がり、そのままコーヤと黒蓉の前に立ちふさがった。そして、浅葱に見せつけるように自分の気を集中し始める。紫苑と
同類の自分の気が、簡単に抑え込める類のものではないということは浅葱にも感じ取れただろう。
その江幻の意図が分かったのか、浅葱が皮肉気に口元を歪めた。
ここで、この男を潰しておくことが最良の策だということは分かっているものの、江幻が簡単に倒せる相手でないことももちろん分かっ
ている。
それに、相手は江幻だけではない、蘇芳も、そして、人間なのに力を使える男も一緒にいるのだ。
(ここでは拙いな。聖樹殿に指示を仰ぐ方がいいか)
「拘束させてもらう」
「・・・・・分かった」
「紫苑」
「はい」
何時反撃されるか分からないので、浅葱は紫苑に命令する。
紫苑は素直に足を動かすと、先ずは江幻に腕を後ろに回させ、気の拘束を施している。次に蘇芳に、そして、人間の青年に同じよう
に拘束の気を掛けると、その眼差しは膝をついている黒蓉と少年に向けられた。
「・・・・・」
黒蓉に関しては、気は使えないものの、紅蓮を守るための体術も習得しているので拘束はしておかなければならない。
「紫苑」
「・・・・・」
傷を負った者とはいえ、能力者に対する対応は厳しいことが原則だ。それは紫苑も分かっているのか、躊躇いは一瞬で、黒蓉も拘束
し、最後にあの人間の少年と向かい合っている。
「・・・・・シオン」
震える声に、紫苑が少しだけ笑った気配がした。
「最後に、コーヤと会えて良かった」
「さ、最後っ、なん、て!」
「浅葱殿、この人間には何の力もありません。拘束する必要はないと思いますが」
振り向いた紫苑は、浅葱に向かってそう言う。しかし、浅葱はそれを許すつもりはなかった。ここで特別扱いをしたとしたら、それこそこ
の人間の少年に何らかの意味があるかと思い、余計な警戒をしてしまう。
「同じように」
「・・・・・分かりました」
紫苑はそれ以上言うことはなく、同じように少年を後ろ手に拘束した。ただ、その手を労わるように撫で、痛みを感じさせないようにし
た姿も目にしてしまい、浅葱は紫苑にとってのこの少年の存在意義をひしひしと感じていた。
聖樹の元へコーヤ達が旅立った後、紅蓮も呑気に待ち構えているわけではなかった。
今回の騒動に加え、1年間も王不在だった竜人界の秩序が乱れてしまったのを改めなければならないと、紅蓮は自分の言葉を持っ
た神官や役人を地方へと次々と差し向けていた。
本来ならば、紅蓮自身が各地域を回り、民達と直接対話をし、思いを伝えたいと思っていたが、今のこの緊急事態に、王宮を空け
ることは出来なかった。
「紅蓮様」
それでも、せめてにと直筆の書状を書いていた紅蓮は、名前を呼ばれて顔を上げた。そこにいたのは、白鳴だ。
「どうした」
「あの少年のことですが」
「少年?」
「江幻が連れてきたシュリという少年です。あのままでよろしいでしょうか」
白鳴がどういった意味でそのことを聞いてきたのか・・・・・紅蓮は持っていた筆を置いた。
「暴れたりしているのか?」
「いいえ、大人しく宛がった部屋におりますが、敵側の者ということで、召使い達が恐れているようです。実際に力はあるようですし、
もっと強力な拘束をした方がよろしいかもしれないと」
「・・・・・」
(恐れられている、か)
紅蓮にとって、あの少年の存在はほとんど視界の中に入っていなかったというのが本当だ。全てを操っているのはその背後にいる
聖樹だと思っていたし、あの男を先ず倒すことが先決だとしか考えていなかった。
ただ、考えればあの聖樹が、竜王候補として選んだ人間だ。
「・・・・・」
そこまで考えた紅蓮は立ち上がった。
「紅蓮様」
「会おう」
「では、誰か供を」
「よい。あのような子供相手に、私の方がぞろぞろと守る者を連れていく方が恥ずかしい」
もしも、向こうが何か攻撃を仕掛けてきたとしても、自分ならば十分対応出来るはずだ。それだけの自信がある紅蓮は、案内をする
白鳴の後に続いた。
ドアがノックされ、朱里は顔を上げた。
この部屋に食事を運ぶ以外に誰かが来ることはなく、今はその時間でも無い。
(誰だ?)
自分をここに連れてきたあの赤い髪の男だというのならば分かるが、あの男は昂也と共に聖樹のもとへと向かったばかりだ。
まさか、行く前から恐れて止めたのか、それとも撃退されて戻ってきたのかは分からないが、どちらにしてもあの男が姿を見せたのなら
笑ってやれと思いながら、朱里はそのままドアが開くのを待った。
自分が自ら歩いて行って開けてやるつもりなんかなかった。
『!』
(・・・・・どうして?)
ドアを開けて入ってきたのは、朱里が想像していたあの赤い髪の男ではなく、腰まで長い豊かな銀に近い金髪で、燃えるような紅い
瞳の、綺麗な男だ。
それが、この国の皇太子で、次期竜王とされている男だということは知っていたが、こうしてきちんと目が合うことは初めてのような気
がする。
(・・・・・威圧感、垂れ流しじゃん)
そうでなくても整った顔は冷たく見えるのに、眼差しが鋭いのでさらに冷酷に見えた。
それでも気の強い朱里は自分が怖がっていると思われるのが嫌で、精一杯胸を張り、下から睨み上げるようにして言う。
『何の用?』
「・・・・・」
『でかい図体で立ちふさがれていると迷惑なんだけど』
「・・・・・」
『聞いてるっ?』
「白鳴、この者が何を話しているか分かるか?」
『・・・・・っ』
(な、何の言葉だよ、これっ?)
耳に届いてくる音に、朱里は一瞬で青褪めた。
あの赤い髪の男とも普通に話せていたので、その可能性を今まで全く考えていなかったが・・・・・朱里はこの世界の言葉がほとんど分
からなかったのだ。
(・・・・・っ)
聖樹は出会った当初から日本語で対応してくれていた。
琥珀や浅葱、そして他の竜人達も聖樹の命令からか、片言ながらも日本語を話していた。
だから、ではないが、朱里は簡単な挨拶程度はこの国の言葉を覚えたが、会話を成立させようという努力を全くしていなかったのだ。
「お前、私の言葉が分からないのか」
『・・・・・』
なんだか、朱里は急に怖くなってしまった。
ここに1人でいるということは自覚していたはずなのに、言葉も分からず、全く意志の疎通も出来ないということを改めて見せつけられて
しまうと、心細くて泣きたくて・・・・・ただ、どうしても弱い自分を見せたくない朱里は、ギュッと拳を握り締めて、溢れ出そうな感情を押
し殺した。
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