竜の王様




第五章 
王座の真価








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 「どうやら聖樹は、この者にこの世界の言葉を教えてはいない様子」
 「そのようだな」
 コーヤよりもさらに華奢な人間の少年を見下ろしながら紅蓮は考えた。
(聖樹はまこと・・・・・この者を王と担ぎ上げるつもりなのか?)
王となる人物は誰よりもこの世界のことを知っておかなければならない。紅蓮は幼い頃からそう言い聞かされて帝王学を学んできた。
いや、それだけではなく、将来のために役立つからと人間の世界のことまで学んだのだ。
 しかし、目の前の少年は、わけの分からない言葉を話すばかりで、こちらの世界の言葉を口にしようとはしない。反意を示すために
分かるのに言わないのではなく、全く分からないのだろう。
 「どういたしますか」
 「・・・・・」
 「江幻がいればまた違うのでしょうが・・・・・」
 確かに、あの男の持っている玉を使えば意志の疎通は出来る。だが、あくまでもそれはお互いの言葉が分かるというだけで、理解
出来るというわけではなかった。
 「・・・・・」
 そう言えばと、紅蓮はコーヤのことを思い浮かべる。
コーヤもこの少年のように言葉を理解していなかったが、理解しようと努力はしていたように思う。その証拠に、江幻が現れる前は何と
か自分の意思を伝えようと、2つの言葉を駆使しようとしていたではないか。
 そこまで考えた紅蓮は、意地になったように自分を睨み上げてくる黒い瞳を見返した。コーヤと同じ黒い瞳、だが、その輝きは明らか
に違うものに感じた。
 「シュリ・・・・・と、申したな」
 名前を呼べば、肩が震えるのが分かった。
 「お前は、本当にこの国の王になろうと思っているのか?このように私1人にも意志が通じないというのに、この世界の竜人達を束ね
ることが出来ると本気で思っているのか?」
 『・・・・・』
 「聖樹がどのような思いでお前を連れて来たのかは分からないが、私は、私以上にこの世界を思い、民を思う王はいないと自負して
いる。会話の一つも出来ない者に、この世界をあけ渡すつもりはない」
改めて、そう思った。聖樹への対抗心とは別に、紅蓮はこの世界を支えるためにあらゆる努力をしてきたつもりだった。その自分の力
と、目の前の少年の力は明らかに違うはずだ。
 「敵方とはいえ、お前は人間で、聖樹に踊らされたにすぎないだろう。その命、奪うつもりはない故、安心しているがいい」
 『・・・・・』
 「・・・・・この私の言葉も分からないだろうがな」



 一方的に話した男が、供のような男を連れて部屋を出ていった。
それまで、ただ立っているしか出来なかった朱里は、ドアが閉められた瞬間、両手で激しく叩く。
 『何言ってるんだよ!ここから出せよ!』
 言葉の意味は分からなかった。しかし、その口調や眼差しで、男の言いたいことは肌で伝わった気がする。
(絶っ対、僕を馬鹿にしていた!)
何もすることが出来ないだろうと、まるで憐れむような視線だった。自分は聖樹に選ばれ、不思議な力を操ることだって出来るのだ。
普通の人間とは違う・・・・・そう、普通の・・・・・。
(た・・・・・だ、人間より・・・・・上だって、だけ?)
 『違う!』
(僕はっ、この世界の王になるんだ!聖樹と一緒に、この世界を支配するんだ!)
 『出せよ!馬鹿!馬鹿ぁ!』
朱里は何度もドアを叩きながら、ただ喚くことしか出来なかった。



 人間の少年の元から再び自分の執務室に向かっていた紅蓮は、
 「紅蓮様っ」
切迫したような声に足を止めた。眼差しを向けた先には蒼樹と浅緋がいる。
同じ軍に所属しているからか、この2人は常に一緒にいるという印象だが、今も浅緋は自分の方が将軍という立場なのに蒼樹の少し
後ろに立っていた。
(年齢だけでは無く、他にも理由があるかもしれないが)
 「・・・・・起きても大丈夫なのか、蒼樹」
 「え・・・・・」
 何気なく言った紅蓮の言葉に、なぜか蒼樹の頬が強張った。
 「江幻が、お前は極度の疲れのために倒れたと言っていたが・・・・・」
 この一大事に一番活躍してもらわなければならない四天王の、しかも軍を統べる将軍と副将軍。
ただ、一方で紅蓮は、蒼樹が本当にこの戦いに参戦すべきか否か、どこかで迷っていたことも事実だった。いくら断絶したと言っても、
蒼樹と聖樹は親子だ。その2人が、命を懸けて戦えるか疑問だった。
 蒼樹は見掛けはたよやかな麗人だが、剣術の腕は突出しているし、気の力もある。紅蓮に対する忠誠心も、他の四天王に負けな
いほどに強い。その力をもってしても、父親を前にしてはその力も半減するのではないか・・・・・紅蓮は戦力として蒼樹の存在を計って
いた。
 しかし、今目の前に現れた蒼樹の顔色は真っ白で、何時もまとっていた冷然とした強い気も弱まっている。
(江幻の言葉もいい加減なものではなかったということか)
真っ向から戦いを仕掛ける場合に、この2人の経験や戦術はとても必要となるものだが、今はあちらに出向いたコーヤ達の動向を見
なければならない。
僅かの期間かもしれないが、その間に蒼樹には静養してもらっていてもいいかと思った。
 「こちらのことは考えず、今は休んでいるがよい」
 「紅蓮様っ」
蒼樹のために言った言葉だが、なぜか悲痛な声を漏らしながら、蒼樹は紅蓮の足元に膝を折った。



 自分の体調が万全ではないことは分かっている。
それは浅緋の暴行のせいでもあったし、自分自身の気力が萎えてしまったせいでもあった。
 父親が再び主である紅蓮に刃を向け、戦いに赴く決意をした時に浅緋に凌辱された。そして、それにも父の暗躍を感じた時、蒼樹
は父親の中で自分という存在が全く無視をされているのだと思ってしまった。
(その上、このまま戦いにも参戦しなかったら、私がこの世界に存在する価値は無いっ)
 「紅蓮様、お気遣い感謝致します。しかし、私はこのまま前線に赴きたいのです」
 「蒼樹」
 「どうぞ、御命令を」
 一度はその命を伝えられたものの、あの時と今の事情が変わったことを蒼樹も分かっている。だからこそ、もう一度改めて紅蓮の許
可をもらい、無心で父親に・・・・・いや、聖樹に挑みたいと思った。
 「その身体でか?」
 「はい」
 「・・・・・」
 「紅蓮様、私が共に参りますので」
 「・・・・・浅緋、何を迷いごとを言っている。お前はこの王宮に残り、紅蓮様をお守りするのが最大の使命だ」
 「勝手ながら、私はこの蒼樹殿を1人で敵地に向かわせることは出来ません」
 「・・・・・っ」
 普段は直情的な浅緋が、なぜか静かに、それでも固い意志を込めた声で紅蓮に訴える。まるで守られていると感じた蒼樹は、とて
も顔を上げて紅蓮を見ることなど出来なかった。



 自分の言葉が紅蓮にどう取られるのか、浅緋は今そんな自分の保身は全く考えなかった。
もちろん、主である紅蓮の身を守ること、彼をこの世界の王にするという強い思いは失われてはいないものの、それと同じくらい、蒼
樹を1人にしてはおけないとも考えていた。
 目を離せば、蒼樹は父親である聖樹を道連れに命を落としかねない。自分にとってこんなにも大切な相手を危険なめに遭わすこ
とは、どうしても出来なかった。
(どうか・・・・・っ)
 膝をつく蒼樹の後ろで浅緋もまた同じように紅蓮に頭を下げる。もしも否と言われてしまった時どんな行動を取るのか、浅緋は自分
自身でも全く想像がつかなかった。
 「・・・・・分かった」
 「!」
 「紅蓮様っ」
 「今あちらではコーヤ達が聖樹と接触を計っている。その返答次第では直ぐに攻めいることも考えなければならないからな、軍を整
え、北の谷に向かう準備をするように」
 紅蓮の眼差しは自分に向けられている。今の言葉は自分に向けられたことだと受け止め、浅緋は力強く頷いた。
 「はっ」
 「蒼樹」
 「・・・・・はい」
 「浅緋に協力し、必ず勝利を私の手に掴ませろ」
 「・・・・・御意」
自分自身に直接命令されなかったことに思うこともあるようだが、蒼樹は硬い表情で静かに頷いていた。







 聖樹は口元を僅かに緩めた。
 「では、黒蓉と江幻、蘇芳、そして2人の人間が来たということか」
琥珀の報告を聞いた聖樹は、紅蓮がよく黒蓉を手放したなと感じた。黒蓉は紅蓮の守役として、常に傍にいる存在のはずだ。いざ
となれば自分の身体を張って紅蓮を守るべき黒蓉が、なぜ自分の前に現れたのか。
 「琥珀、下がれ」
 「はい」
琥珀を下がらせた聖樹は、ゆっくりと紫苑の前に歩み寄った。
 「ご苦労だった。お前の働きは先に浅葱から報告を受けた」
 「恐れ入ります」
 「・・・・・お前が、私の側に付くつもりなのは分かった。だが、私は疑り深い性格でな、産まれた頃から紅蓮の未来の側近として教
育を受けてきたお前を、まだ信じることは出来ないんだ」



 「それは、仕方がありません」
 聖樹が信じるのは、もしかしたら聖樹自身しかいないのかもしれない。今の自分の仲間・・・・・琥珀も、蒼樹も、そして新しい竜王
として選んだあの人間の少年も。周りは寂しい男だと感じるが、きっと本人は何も考えていないのだろう。
紫苑はそんな聖樹の顔をじっと見つめた。
 「しかし、お前の力はやはり必要なものだと今回のことでも改めて認識出来た。紫苑、私のためにその命、本当に捧げることが出
来るのならば、お前に頼むことがある」
 「・・・・・私に出来ることでしょうか?」
 「今なら、お前が適任だろう」
 「・・・・・分かりました」
 「では、そのままその場から動くな」
 そう言いながら、聖樹は自分の左手に気を集中し始めた。どんどん大きくなっていくその力は、こんな至近距離では多分自分の身
体を吹き飛ばすことも容易なくらいで・・・・・。
(私をまだ疑っているというのか・・・・・)
 このまま、自分の命はここで途切れてしまうかもしれない・・・・・そう思っても、紫苑はその場から動かなかった。
逃げようとすれば、それだけで疑われてしまうだけだ。
命を失うことを恐れることはない。そう思いながら、紫苑が静かな眼差しで聖樹のしようとすることを見つめていると、
 「!」
(何・・・・・を?)
 最大限に気を集中させた左手を、聖樹はいきなり自身の腹に突き入れた。まるで水の中のように、呆気なく手を飲み込んだ腹から
は血も流れることは無く、
 「!」
やがて、ゆっくりと引きだされた聖樹の手の中には、ほのかに赤い玉が握られていた。
 「紅・・・・・玉」
(そんな所にあったのか・・・・・)
人間界で、碧香が見つけることが出来ないはずだ。紅玉は持ち出した当人の聖樹の身体の中に隠されていたのだ。