竜の王様




第五章 
王座の真価








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





(本当に変わった人間だ)
 笑いながら聖樹は思った。
年頃は多分朱里と同じくらいだろうが、その性質はまるで違う。虚栄心が強く、自信家で、誰もが自分に尽くしてくれるのが当たり前
だと思っている朱里と、誰かのために自分が動くことが当然だと思っているらしい少年。
 聖樹が接してきた人間の多くは朱里に近いか、卑屈なほどに自分を卑下して考える者が多かったので、この目の前の少年のよう
な考えはとても新鮮だ。
 「お前を竜王候補にしていたら、また違った結果になっていたやもしれぬな」
 ようやく笑いを静めた聖樹がそう言えば、少年は少し驚いたように言い返してきた。
 「俺っ、そんな気全然無いし!」
 「・・・・・一つの世界の王となるんだぞ?」
 「それでも、ここは俺の世界と違うし。この世界は、この世界に住んでいる人達が作っていくのが本当だと思う」
 「・・・・・」
(・・・・・本当に、面白い)
随分子供っぽいことを言うかと思えば、こうして物事の真理を突いてくる。
 確かに、この竜人界の王は竜人がなるのが本当だろうと聖樹も分かっていた。分かっているからこそ、あえて人間の血を引き入れ
てやろうと思ったのだ。
(このような世界、全ての秩序が崩壊したとしても構わない)
 既にこの世界は聖樹にとって大切な故郷では無くなっている。憎むべきものとして、崩壊だけを望んでいるのだ。
(それは、私だけの秘密、だが)
今自分に付いてきている琥珀や浅葱、そして他の竜人達も、その誰もが古い王族支配からの脱却と、新しい世界の創造に夢を持っ
ていると思うが、聖樹には全くその気は無かった。
もちろん、彼らの士気を高めるために、自分の気持ちを言うつもりは毛頭無いが。
 「・・・・・紅蓮は、我らとの戦いを覚悟しているのか?それにしては、側近まで寄越してくるとは、常の奴からは考えられないが」
 紫苑が気を封じているらしい黒蓉は、片手を押さえながら立ち上がり、自分の方へときつい眼差しを向けている。力は封じることが
出来ても、その気持ちはどうやら萎えさすことは出来なかったようだった。



 こちらに着いて早々の自分の醜態が情けなくてたまらなかったが、黒蓉は気概だけは失いたくなかった。
だからこそ、真っ直ぐに視線を向け、優位を感じ、余裕を抱いているような聖樹に向い、降参せよと言いきった。
 「今ならば、紅蓮様も慈悲を下さるやもしれん」
 「・・・・・」
 「仮にも、以前は叔父、甥の関係だったのだろう?自分の大切な身内に刃を向けるなど、その考え早々に改めるがいい」
 幼い頃から王宮に上がっていた黒蓉も、その当時のことは覚えていた。あんなにも紅蓮や碧香を可愛がっていた聖樹がいきなり反
旗を翻したことには驚き、悲しささえ感じていた。
 しかし、こうして自分達は成長し、聖樹が同じ過ちを繰り返そうとしていることを、今度は同情の目で見ることはとても出来ない。
 「面白いことを。きっと、紅蓮も私が身内だったということは忘れているはずだ」
 「聖樹!」
 「情など、今更感じることもない」
 「・・・・・っ」
(やはり、この男に私達の思いなど通じるはずが無い!)
代々の正当な血統で受け継がれてきた王族を、力でもってその地位から引きずり下ろす。あろうことか、人間などを新しい王として担
ぎ上げようとするなど正気の沙汰ではないだろう。
 「・・・・・」
 黒蓉は自分の前で聖樹と向かい合っているコーヤの横顔を見た。
(コーヤ、お前もこれで思い知っただろう)
いかに、自分の考えていることが甘かったのか、今の聖樹の言葉を聞けばいくら鈍いコーヤといえども分かったはずだ。
 しかし、今はコーヤの思い違いを正す時間など無い。話が通じなければ、今の自分達の立場は明らかに紅蓮の足手纏いになって
しまうだけだ。
(せめて・・・・・っ)
せめて、コーヤだけでも紅蓮の元に帰さねば。黒蓉は自然にそう思い、口元に笑みさえ浮かべている聖樹に言った。
 「そちらの要求は。紅蓮様を王にしないということだけか」
 「先ず、それが第一」
 「・・・・・他にもあるというのか」
 「それだけならば、紅蓮を暗殺すればいいだけの話」
 「・・・・・っ」
 まるで、紅蓮の命を奪うことなど簡単だと言われているようで腹立たしいが、黒蓉は拳を握り締めてその激情に耐えた。聖樹が、自
分の感情の変化を楽しんでいるということが分かっているからだ。
 出来るだけ、平静に、相手の思惑こそを引き出すように・・・・・黒蓉は今更ながらそこに焦点を絞り、真っ直ぐに聖樹の顔を見つめ
ていた。



 江幻はそっとコーヤの背に手を置いた。
 「・・・・・っ」
びくっと身体を震わせて振り向いたコーヤの顔は泣いてはいなかったものの、圧倒的な聖樹の負の気によって何時も見せないような
沈んだ表情になっていた。
 「大丈夫」
 「コーゲン・・・・・」
 「コーヤの言っていることは正しい」
 そう、コーヤの思いは誰もが望んでいることだったが、その相手が悪過ぎる。
一度王家に対して反旗を翻し、自分の息子の手によって撃退され、反逆者という名を着せられて・・・・・その上でまた、同じことをし
ようとしているのだ。いや、一度失敗しているだけに、その暗い情熱はさらに大きいものになっているはずだ。
(そこで私達がどうあがこうと無駄なのかもしれない)
 「・・・・・」
 本来なら、江幻はそこで全てを諦めていた。いや、元々江幻自身に王族への特別な感情は無く・・・・・どちらかと言えば、この見た
目から連想されることへの煩わしさがあって、出来るだけ自分は係わらないようにしたいくらいだった。
 「・・・・・コーゲン、本当に駄目だと思う?」
 「コーヤ」
 「俺、絶対に方法はあると思うんだ」
 「・・・・・コーヤがそれほどに言うのなら、もしかしたらそんな方法はあるのかもしれないね」
 「・・・・・うん」
 「・・・・・」
 この世界の事情も分からない人間の子供の言うことなど聞き流せばいいと思うのに、コーヤの言葉は一々江幻の胸に残り、沁み
渡っていく。
コーヤがそれほどに言うのなら、もしかしたら本当に何か打開策が見付かるかもしれないと、江幻は黒蓉と話す聖樹の言葉に耳を傾
けていた。



(何を無駄な言葉を聞いているのか・・・・・)
 今更自分達の計画が変更されるわけではないと思っている浅葱は、黒蓉と話す聖樹の思惑が分からなくて眉を顰めた。
紅蓮の側近中の側近をこちら側に手にした今、相手との交渉はかなり優位になるはずで、直ぐにでも王宮に使いを出すのが妥当だ
と思えた、
いや、出来れば自分を差し向けて欲しいと思っているくらいだが・・・・・。
(あの皇太子に向かって、こちらの意見を述べるよい機会だ)

 一つの世界を誰かが制すというのは当たり前だと浅葱も思う。
代々の王家の者達がしてきたことも、全てを否定するわけではない。
 しかし、先王が崩御する少し前から、民の中には漠然とした不安が産まれていた。それは、変わらない生活と、ほとんど産まれなく
なった子供のことだ。
 いくら青年期が長い竜人とはいえ、やがて老い、命を終える。その間に次世を担う者達が産まれてこなければ、この世界自体崩壊
しかねないのだ。

 そのことについて、真剣な策を取ってくれたとは思えない先王と、そのまま跡を継ぐだろう皇太子に期待しても無駄なのではないか。
自分達で、新しく時代を切り開いていかなければならないのではないか。
そんな思いがくすぶっている時に出会ったのが、聖樹だった。

 浅葱が幼い頃に起きた反乱の話は話だけ聞いていたが、遠い王都での出来事であまり身近な話とは思えなかった。
だからなのか、聖樹の言葉も身構えることなく聞くことが出来、彼の言う、新しい竜人界という構想に希望が産まれ、先王が崩御さ
れてもなかなか王位に就かない紅蓮への失望感が高まって・・・・・浅葱は聖樹の支配下に身を置くことにした。

 新しい王が人間だということに抵抗が無いわけではなかったが、新しい血を入れることが結果的に竜人界の存続のためになるのな
らば・・・・・そう、自分自身を納得させ、今浅葱はこの場に立っている。
出来れば紅蓮と向かい合い、民を代表してたまった不平不満をぶつけたい。そう思っている浅葱は、どうして聖樹が紅蓮側の者と対
話をしているのか、それが理解出来なかった。



(さて、何を要求しようか)
 黒蓉に思わせぶりに言った聖樹だが、自分の思いはただ一つ、この竜人界の壊滅だ。
しかし、今それを言ってしまえば、自分についている竜人達に動揺が広がり、使い物にならなくなるだろう。めくらましのために、それ
なりの条件を言わなければならないと考えた。
(今の王家の象徴、紅蓮は・・・・・そうだな)
 「紅蓮には、人間界へと行ってもらうか」
 「何っ?」
 「あれほど忌み嫌う者達の中で、力もなく生きていく・・・・・はは、なかなか面白いと思わないか」
その前に、力が扱えないようにしなければならない。
(皇太子だけに、無駄な力はあるからな)
 聖樹はそこまで言って、反応を確かめるように黒蓉を見る。青ざめていた男の顔は怒りで赤く染まっているかと思ったが、どうやら感
情をコントロール出来ているようだ。
 「・・・・・戯言だな」
 それでも、黒蓉の眼差しの中に、今まで以上の殺気が浮かんだ。さすが彼の守役として常に傍にいる男だ、紅蓮にとって何が屈辱
的なのか、処刑さえも超えるものか、良く分かっているようだ。
(簡単に殺しては面白くない。絶望を感じさせるのは奴を生かし、一番大切なものを・・・・・)
 「ああ、碧香は自害してもらわねばな」
 「・・・・・っ」
 「あれも、兄のためだと言えば喜んでその命を差し出すだろう。麗しき兄弟愛、だな」
 さすがに碧香の名前を出されたのは予想外だったのか、黒蓉は今まで怒りに燃えていた瞳の中に驚きを交え、掠れるような声で聞
いてくる。
 「本気で・・・・・言っているのか?」
 「今更戯言を言ってどうする」
 思い付きで言ったことだが、何だかそれが自分が一番望んでいたことのように思う。
最愛の亡き妻が可愛がっていた2人の甥の未来を摘むことに、聖樹は今暗い喜びを感じていた。



 聖樹の言葉を聞いて愕然としたのは黒蓉だけではなかった。
(碧香を・・・・・自害?)
耳慣れない言葉だが、もちろん意味は分かる。兄のために自殺をしろという聖樹に、龍巳はとっさに立ち上がろうとした。
しかし、
 『落ち着け』
そう、龍巳を制したのはスオーだった。
 『今ここで力をぶつけたって、あいつが倒れるとは思えない。感情的になるな』
 『スオー、さんっ』
 『聖樹の言っていることを真に受けることはない。あいつは自分の言葉で俺達が動揺するのを楽しんでいる』
 『・・・・・っ』
 それでもと、龍巳は訴えようとした言葉を飲み込む。スオーの言うことを納得したのではなく、自分が今何を言っても言葉だけだと思
われれることが分かっているからだ。
(碧香はこれまで政治とは全く係わっていないって言っていたっ)
王族の一員であるとはいっても、碧香にほとんど政治的な責任は無いはずだ。そんな碧香の命を奪うというのは、明らかにその兄、皇
太子である紅蓮へのあてつけとしか思えない。
(・・・・・くそっ)
 自分には、普通の人間にはない力がある。その力を使って何か出来るかも知れないと思っていたが、今の龍巳はただ言われる一方
で、それが悔しくてたまらず、歯型が付くほどに唇を噛みしめることしか出来なかった。