竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
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※ここでの『』の言葉は日本語です
碧香の兄であるグレンが、大切な弟めがけて気を放ったことに、龍巳はとても冷静ではいられなくて責め立ててしまった。
命にかかわることではないかもしれない。それでも、碧香が傷付いてしまったのは確かで、一体どうしてという思いのまま、龍巳自身が
グレンに向けて気を放った。
しかし、そんな龍巳の視線を真っ直ぐに見返したグレンの言葉が、意味が分からないはずなのに頭の中に響いてきたのだ。
「言葉が分からないか?だが、お前は私の感情を読み取ることが出来るはずだ。碧香は無事だ、そして、タツミ、お前は私と同様、
竜王になる権利を有する者だということがこれではっきりとした」
「どちらが竜王になるのに相応しいか、今は争っている場合ではない。しかし、タツミ、今この時が、王になる者の真価が問われる時
でもある」
「立ち上がれ、タツミ、そして、力を貸してくれ。この竜人界を救うために、お前の竜王としての力が必要だ」
複雑な発音や意味は、龍巳には全く理解出来ないはずだった。
それでも、グレンが自分に対して言っている言葉は龍巳にはきちんと聞き取れる。音が直接頭の中に響く感じで、龍巳はグレンに視
線を向けた。
『碧香は、本当に無事なのか?』
この青白い顔でも。
自分の声に少しも反応しなくても。
確かに生きている、大丈夫なのだとグレンは言えるのか。
「タツミ、もう一度言う。碧香は無事だ。そして、お前の力を私に貸して欲しい」
『・・・・・』
「・・・・・」
『・・・・・』
(俺は、力になれるのか?)
この戦いの中で、自分の力は役に立つというのか。
龍巳は唇を噛みしめた後、こみ上がる激情を抑えるために何度も深呼吸をした。今目の前で起こったことを全て受け止めた上で、そ
れでも自分はグレンを信じることが出来るかと思うが、それは・・・・・信じたいと思っている。
碧香があれほど慕い、尊敬しているグレン。人間に対して負の感情しか抱いていないという彼が、こうして自分に頼むと願っているの
だ。
(これで嫌なんて・・・・・子供のようなこと言えない、よな)
『グレン、俺は・・・・・』
龍巳は右手を見下ろす。
その時だった。
『トーエン!!』
『・・・・・っ!』
この場にいないはずの、最高の相棒の声が聞こえた気がする。躊躇う自分を、一歩前に踏み出すことが出来ない自分を後押しす
るような声。
龍巳は唇を噛み締めた。
『行こうっ、グレン!!』
次にしたことは、グレンに向かって手を差し出すこと。
迷う前に行動しなければ。この世界を救う手助けが出来るのならば、自分がすることは決まっていた。
『行こうっ、グレン!!』
自分に向かって手を差し出してきたタツミ。それまで、確かに迷っていたふうな様子を見せていたのに、なぜ急に前へ向かう意欲を見
せたのか理由は分からなかった。
それでも、紅蓮にはその理由を考えている時間は無い。こちらに碧香と紫苑を取り戻した今、聖樹を叩くのはこの好機を逃せばな
いと分かっていた。
「・・・・・!」
差し出したタツミの手に、自分の左手をかざす。二種類の赤い気が、その瞬間混ざり合うのが分かった。
「・・・・・っ」
(す、ごいっ、力だ・・・・・っ!)
同じ種類の力が倍になるだけではない。
その相乗効果で、気は数倍もの威力を含んだものになり、それをたった2人だけで支えるのは大変な労力だった。
しかも、タツミ自身がどこまでその気を扱えるのか、実際のところ紅蓮は想像するしかない。もしかしたら、あまりの気の大きさに、タツ
ミの精神に異常が現れてくるかもしれないが、それでも今この融合を止めるわけにはいかないのだ。
「耐えろっ、タツミ!」
自分1人の力でないことがもどかしい。
それでも、誰かと共にいるということが、1人で立ち向かっているのではないという事実が、紅蓮の中で大きな支えになっていることも事
実だった。
(捜せっ、聖樹の気を、あの男の存在する場所を見付けるのだ!)
頭の中でそう念じると、まるで呼応するようにタツミの気が高まる。
この北の谷のどこかに息を潜めて状況を見つめているだろう聖樹を捜し出すのは、けして無理なことではないはずだった。
『早く!早く下りてってば!』
昂也は下の状況から目を逸らすことが出来ずに叫んでいた。
いったい、今戦況はどうなっているのか、怪我人はいるのか、それとも・・・・・。龍巳は、アオカは、それにグレン達はと一気に感情は高
まるまま落ち着くことが出来ず、青嵐を支えていない方の手で何度も竜の背を叩いた。
『コーヤ、落ち着いて』
『早く!!』
『コーヤ』
『・・・・・っ』
けして張り上げた声ではなかったが、コーゲンの言葉に昂也はハッと我に返った。
呆然と眼下を見つめ、その後自分の背後にいるコーゲンを見やり・・・・・やがて、ごめんと小さく呟く。
(下りるって言ったって、簡単なことじゃない、よな)
自転車や車から降りるといったこととは違う、この巨大な竜が無事に地に降り立てる場所を探さねばならないのだということを、昂也
はようやく思い立って口を噤んだ。
あの赤い光が何か良くないような気がして、とにかく早くしてくれと自分は叫ぶだけで良かったが、竜であるスオーはその間も着陸地
点を探していたのだろう。何度もこの辺りを旋回していることにやっと気付いた昂也は、先ほどまで叩いていた鱗を何度か撫でながら、
もう一度ごめんと言った。
『自分で気が付いたのならいい。今あの気の中に降りていくのは得策ではないんだ。蘇芳に任せておこう』
『うん・・・・・コーゲン』
『どうした?』
『あれ、あの赤い気って・・・・・誰のもの?』
眩しいほどのあの光は一体誰のものか。
こちら側か、それとも相手のものか、一見しただけでは昂也には判断が出来なかった。
『・・・・・赤は元々王族が持つ気の色だ。あれは紅蓮のもので間違いはないと思うが・・・・・少し、違う色も混じっているようだね』
『違う色って・・・・・でも、俺には赤に見えるけど・・・・・?』
『そう、だから、同じ赤でも資質の違うものだということ』
『違う赤って言うなら、アオカの?』
『・・・・・どうだろうねえ』
分かっているのか、それとも知らないのか、コーゲンはそう言ってじっとその赤い気を見つめている。
(コーゲンが分からないんだったら、俺なんかとても無理)
そうは思っていても、あの赤い光は昂也の視界から離れず、なぜか惹き付けられてしまった。本当はこのままあの真下に下りて、自分
の中のもやもやを解消したいくらいだが、それも出来ないということは十分分かっているつもりだった。
『うわっ!』
その時、竜が大きく身体を揺らして、そのまま一気に下降し始める。
『どうやら、降りる場所が見付かったようだ』
『・・・・・くっ』
(それならそれでっ、一言声を掛けてくれよ!)
物凄い風圧に身体が飛ばされたりしないように体勢を屈めた昂也は、青嵐をしっかりと抱きしめたまま硬く目を瞑ってこの衝撃に耐え
ることにした。
紅蓮が碧香に、いや、碧香を拘束している自分に向かって放った気は確かにその胸を貫いたが・・・・・両膝を地面に着け、片手で
胸を押さえた紫苑は、自分が致命傷を受けていないことに呆然としていた。
(私の命を奪う気は無かったと言うことか・・・・・)
どうしてと訊ねる前に、紫苑の唇から漏れたのは深い溜め息だった。
本当はあのまま、紅蓮の気に胸を貫かれて命を費えてしまいたかった。
「・・・・・」
「・・・・・紫苑」
「・・・・・」
真上から聞こえた声に顔を上げれば、そこには碧香を抱いた黒蓉が立っている。
「この場から逃げることは許さない」
「・・・・・」
「命を賭して詫びたいというのならば、紅蓮様の前で請うがいい。それまで、お前は己の命といえども自由に扱うな」
それが、幼友達としての憐憫の言葉に聞こえてしまうのは、自分がまだ甘いせいだろうか。
「・・・・・どちらにしても動けませんよ。紅蓮様のあの気で、今の私には己の気を放つことが出来なくなっている」
身体中の細胞が凍ったように動かない。今の紫苑は自身の身体しか武器ではなくなっていたが、その身体も気の使い過ぎで疲弊
し、走り出すことも困難だ。
「紫苑、お前はこれで満足か?」
「黒蓉殿」
「紅蓮様以外に、王座を継ぐ者がいるやもしれん。あの気をお前も感じただろう?紅蓮様が厭うた人間が、この世界を制するかも
しれない・・・・・お前はこの状況を望んでいたのか」
「・・・・・」
分からなかった。
大きな焦燥感を感じ、民のことを顧みない紅蓮を王座に就かすわけにはいかないと思っていたはずなのに、それがいざ現実に目の前
に迫った時、紫苑の胸に広がったのは・・・・・虚無感。
(達成感など、少しも無かった・・・・・)
自分の意志で動いていたはずなのに、もしかしたら聖樹に踊らされていただけなのか。
「わ・・・・・かりま、せん」
喉に張り付いた言葉は、小さく、弱々しいものだ。
そんな自分を黒蓉は厳しい眼差しで見下ろしていたが、やがて見ろと視線を前方に向けた。
「紅蓮様が真に新しい竜王に相応しい方か、そうでないか、お前のその目でしかと見るがいい」
「・・・・・」
怖い。何かが分かりそうで、自分が動くことが怖い。
それでも、黒蓉に促されるまま、紫苑はノロノロと視線を上げるしかなかった。
先ほど見た赤い光の場所より、少し離れた岩地に下り立った竜。
その背からもどかしげに飛び降りた昂也は直ぐに走ろうとしたが、その腕をしっかりとコーゲンに掴まれてしまった。
『コーゲンッ?』
『落ち着いて、ね』
落ち着いていると叫びそうになったが、それが自分が興奮している証だとさすがに昂也も気がついた。
さっき、竜の背の上で反省したばかりで、さすがに同じことは繰り返さない・・・・・しそうにはなってしまったが。
『青嵐』
気まずさを誤魔化すためではけしてないが、昂也はしっかりと手を繋いでいる青嵐に視線を向けた。
『いいか?今から向かうのは危ない所なんだからな、ぜーったいに、俺の側から離れるなよ?』
『うん!』
『本当に分かったか?』
『ぜったい、コーヤのそばからはなれない!!』
にこにこと笑いながら言う青嵐は、ここがどこだかちゃんと分かっているのだろうか。しかし、まだ幼い青嵐にあまり強く言っても、逆に反発
しかねないかもと、自分の経験も考えて昂也は頷いた。
その時、肩をポンと叩かれて振り向くと、そこには珍しく眉を顰めたスオーが立っている。何時ものニヤニヤした顔とは違うなと思ってい
ると、スオーは自身の肩を軽く叩いた。
『さっき、叩いたろ』
『は?』
『俺のここ』
『さっきって・・・・・え、分かった?』
『他の奴はともかく、俺は繊細なんだよ』
何気に自慢っぽく言ったスオーの言葉に突っ込むことも無く、昂也は直ぐにごめんと頭を下げた。さっき、我を忘れたとはいえ、自分
達を乗せてくれていたスオーを遠慮なく叩いたのは本当だったからだ。
(でも、今怒んなくてもさあ〜)
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