竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
2
※ここでの『』の言葉は日本語です
言葉で言うほど頭に来ているわけではなかった。
ただ、竜に変化している時はなかなかコーヤと会話も出来なかったので、その鬱憤を晴らすためにそう言っただけだ。
(俺から変化するって言ったのは別にして、な)
コーヤに関しては自分は驚くほどに視野が狭く、嫉妬深い自覚はあるものの、蘇芳はそれを直すつもりはさらさらなかった。
今まで、何に対しても執着無く生きてきた分、自分が気持ちを傾けることが出来る存在が見付かった今、思う存分その独占欲を発
揮したい。
ただ・・・・・その相手は自分以外の者も惹きつけてしまうほどに魅力的なので、敵が多過ぎるのは多少難だが、自分がそれに負け
るとも思わなかった。
「ほら」
「へ?」
手を差し出せば、コーヤは戸惑ったような眼差しを向けてきた。
綺麗な黒い瞳に自分だけが映っているこの状態はとても気持ちが良い。
「繋ぐぞ」
「え?で、でも、どうして?」
「俺が守ってやるから」
「あー、いや、その気持ちは嬉しいけど、別に手を繋がなくったって・・・・・」
「繋いだ方が良いんだよ」
(俺がな)
一番にコーヤの危機を救える位置にいるという事実が良いのだ。
そう思った蘇芳は勝手にコーヤの手を掴もうとしたが、
「コーヤはおれがまもるの!」
「・・・・・」
唐突に聞こえた高い声は、コーヤの腰辺りからした。
「青嵐・・・・・」
「コーヤはおれがまもるからっ、てはおれがつなぐ!」
そう言う青嵐に、コーヤが感激したように笑む姿が憎らしい。蘇芳はふんっと、自分の腰よりも遥かに小さな青嵐を睨んだが、その眼
差しに敏感に気付いたコーヤが大人げないと言い出す。
「・・・・・ったく」
(俺のことをもっと構え)
どれほど自分がコーヤのために動いているのか。見返りを望んでいるわけではないが、少しは自分のためだけに微笑んでくれてもいい
のにと蘇芳は舌を打った。
「どうだ?」
「・・・・・」
「紅蓮達の気配は感じるが、聖樹のものはどうだ?」
答えるわけは無いだろうと思ったが、江幻はそう琥珀に訊ねた。
気難しい表情のまま辺りを見回していた琥珀は、江幻の言葉にちらりと視線を向けて来る。
「私がその問いに答えるとでも思っているのか?こうして、今お前達と行動を共にしているが、私はまだ降伏したわけではない」
「・・・・・分かっているよ、今はね」
(それでも、思いはかなりこちら側に傾いているのだろう?)
竜人界のことを思うからこそ決起した琥珀。
紅蓮ではこの世界を任せられないと思っていたことは事実だろうが、その紅蓮が自らの非を認め、自分に刃を向けた相手に対しても
力を貸して欲しいと訴えている今、なおも反意を保つというのは難しいだろう。
後は、聖樹だけだ。あの男は紅蓮の統治能力というより、その存在そのものを憎んでいるように感じる。王家というより、紅蓮当人
に向ける憎しみと、それに相反するような碧香への態度。
(いったい、あの男は何を考えているのか・・・・・)
その心中はさすがに江幻にも分からないが、その不明瞭な部分が琥珀をこちら側へと引き寄せる切り札にもなりうると思う。
説明出来ない理由で紅蓮に立ち向かう聖樹と、確かな理念を持っている琥珀を引き離すことは可能だ。
「聖樹の居場所、予想はついているんだろう?」
「・・・・・」
「短くはない時間、共に行動してきたはずだ。多少は聖樹のことも分かっているんじゃないか?」
「・・・・・それを私に聞くのか」
「ああ」
詳しい理由など言う必要はないだろうと琥珀に笑みを向けながら言うと、琥珀の眉間に出来た皺はかなり深くなっていったが、それ
でも強烈な拒絶といった雰囲気は見せない。
「・・・・・」
時間の問題かもしれないと思っていると、不意に琥珀が歩き始めた。
「おいっ」
「お前達の言い分を全て信じたわけではないが」
「・・・・・」
「話し合う必要はあるかもしれない。私だとて・・・・・同族同士で殺し合うことなど望んではいないからな」
控えめな琥珀の肯定に、江幻の頬には小さな笑みが浮かぶ。力をぶつけ合うよりもまず、話し合うこと。それを望むのならば、方向転
換は容易なことだと思えた。
突然、自分を置いて歩き始めた琥珀を見て、朱里は慌てて追いかけた。
『まっ、待ってよ!』
(どこに行くつもりなんだっ?)
自分を1人だけにして行かないで欲しいと思うが、それを素直に口に出して言うことが出来ず、ただ文句だけが口から零れてしまう。
『お前は僕を守らないといけないだろっ!勝手に動かないでよ!』
『・・・・・』
『それともっ、このまま自分だけ逃げる気っ?卑怯者!!』
『・・・・・朱里』
『!』
『私はお前を見捨てはしない。だが・・・・・このままお前を王座に就かせることは違うのではとも思っている。それを確かめに聖樹殿に
会いに行くんだ、おとなしく待っていなさい』
まるで子供に言いきかせるような言葉に、朱里の頬は羞恥と怒りでカッと赤くなった。
言葉が通じなければ自分の意思が伝わらないと不便に思っていたのに、いざこうして自由に会話が出来るようになってしまうと、今度
はその言葉自体の辛辣さが胸を貫く。
見捨てないと言っているくせに、朱里がここにいる意味を根本から否定するのならば、自分がどうしていいのか全く分からない。
『・・・・・』
一歩、足を踏み出すことも怖いと思うようになった朱里の俯いた視界の中に、自分とそれ程変わらない小さな手が映った。
『行こうぜ』
『・・・・・』
『ほら』
『・・・・・来るなって言われた』
(・・・・・なんだよっ)
こんな言い方では、まるで自分がダダを捏ねているみたいだと思うのに、朱里は素直に昂也のその手を取ることが出来ない。
そもそも、どうして昂也はここにいるのか。自分のように気を操れるわけでもないくせに、この場にいても自分が邪魔になるとは思わない
のか。
(そこまで、気を遣うことが出来ないってこと?)
自分の考えが卑屈だと自覚していても、今、朱里が格下に見ることが出来るのは昂也しかいない。
だから・・・・・朱里は昂也に向かって、お前は邪魔なんだよと言い捨てた。
(きっつー・・・・・でも、本当のことだけど)
朱里の言葉には毒が含まれていたが、それは昂也自身も感じていることだったし、さらにそう言った朱里の表情こそが泣きそうに歪ん
でいたので、直ぐに言い返すことはとても出来なかった。
『・・・・・』
『・・・・・』
俯いている朱里と、顔を上げている自分。何だか、どちらが責め、責められているのか、傍から見ると困惑してしまいそうだろうが、昂
也はどうしてもこのまま朱里を無視することは出来なかった。
『俺、確かに何も出来ないけどさ、何かしたいっていう気持ちだけはあるんだ』
『そんなの、何の役に立つんだよっ』
『うん、そうだよな。でも、トーエンのことも、アオカのことも心配だし、グレンやシオンのことも気になる。俺のせいで巻き込んでしまったコ
ーゲンやスオーが怪我しないかって、自分だけが安全な場所で心配するよりも、少しでも側にいたいって思うんだ・・・・・駄目かな』
『・・・・・僕に聞かないでよ』
切り捨てるような言葉だが、それでも朱里が否定しないだけ嬉しく思う自分は随分と単純だ。
『だから、お前のこともここに置いて、離れてから心配するなんて嫌なんだ。それにさ、お前強いんだろ?オマケでいいから、俺のことを
守ってよ?あ、青嵐もな』
『あのなあっ』
『無理?』
『無理なはずないだろっ』
『じゃ、そういうことで』
『あ・・・・・』
昂也に言いくるめられたことに気付いたのか、朱里が苦々しい表情になっているが、改めて嫌だとは言わないようだ。昂也はふっと笑っ
て、もう一度はいっと手を伸ばす。
『行こ』
『・・・・・勝手についてくればいいだろ。子供じゃないんだから、手を繋がなくったって歩けるはずだ』
どうやら、手を繋ぐのは却下らしい。
それは仕方が無いかと直ぐに諦めた昂也は、青嵐の手をしっかりと握ってコーゲンを振り向いた。
『急ごう!』
笑いながら頷いている江幻に、さらにコーヤに纏わり付いている蘇芳。
琥珀もシュリも、それには文句を言わないようで・・・・・一連の動きを見ていた白鳴は、その中心にいるコーヤを改めて見つめた。
(この世界に現れた時は、単に碧香様の身代わりとしか思わなかったが・・・・・)
元々人間を忌んでいた紅蓮と、その紅蓮に心酔している黒蓉に、単純な浅緋。
元から何を考えているか分からない紫苑は別にして、白鳴はただ、短い期間面倒を見なければならないことを面倒だと思っていただ
けだった。
人間であるコーヤがこの世界のことをどう思い、自分達をどう見ているかなど全く気にはならず、紅蓮がコーヤを陵辱した時も、後々
の処理をどうするかしか考えていなかった。
しかし、今は違う。もしかしたらコーヤは、この世界を照らす光になるかもしれないとさえ感じている。
何の力も無いくせに、誰かを動かすことの出来るコーヤを、紅蓮の意識さえ鮮やかに変化させたコーヤを、貴重なものと思う。
(もしかしたら、翡翠の玉のような存在かも知れないな)
「白鳴、ここにいるのか?」
「・・・・・」
しばらく考え込んでいたせいか、他の者達は随分と先を歩いていた。
「誘うな、江幻。頭を使う奴は力は無いんだよ」
「・・・・・それは間違った認識だな、蘇芳」
「何?」
「私からすれば、単純なお前の力こそ、私以下にしか見えないが」
「・・・・・口は達者だよな」
舌打ちをするものの、蘇芳は白鳴の言葉を何とか聞き流したようだ。ここで馬鹿馬鹿しい言い合いをしている暇は無いと自覚してい
るのか、そんな愚かな自分をコーヤに見せたくないのか。
どちらにしても、無駄な力をここで使うわけにはいかないので、白鳴も直ぐに足を進める。
(本当に、道案内をする気か)
江幻の説得に納得したのか、琥珀が先頭に立って歩いていた。
本当に従順になったのか、それとも罠か・・・・・考えながらも白鳴の足も止まらないのは、早く戦況を把握したい気持ちがあるからだ。
「・・・・・あ」
「・・・・・ああ」
「・・・・・ふんっ」
「・・・・・」
「・・・・・かってるよ、コーヤ」
「は?」
竜が降り立った場所から、先ほど赤い気が放たれていた場所へと近付くにつれ、コーヤ以外の者達は様々な気を感じ取ることが出
来、その大半はどうやらこちら側のものだ。
相手側の戦意が喪失しているということが、それだけでも分かる。
(紅蓮様も・・・・・他の者も無事のようだな)
信じてはいたが、どこかで不安にも感じていたらしい自分に苦笑した白鳴は、僅かに強張った表情のまま歩く琥珀の後ろ姿をじっと
見つめた。
(後は、聖樹だけだ)
![]()
![]()
![]()