竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 嵐が来るかと思うほどにどんよりと重たい空。
ピリピリと肌に突き刺す気の力に、龍巳は必死に歯を食いしばっていた。
(絶対に・・・・・負けられないっ)
 自分の力は僅かでも、それでもグレンの助けになるのならば頑張りたいし、何よりすぐ傍にいる碧香や昂也を守りたいと強く思った。
ここで自分が膝を折ってしまったら、彼らにどんな大きな衝撃が加わってしまうか分からない。
 『・・・・・っ』

 ガンッ ドンッ

 神経を集中させるために目を硬く閉じているので、今何が行われているのか実際に見ることが出来ないが、それでも耳に聞こえる音
と、身体に感じる振動で、戦いがクライマックスに近付いている気配は分かる。
(グレン・・・・・ッ!)
 グレンは耐えてくれているのだろうか。
荒れ狂う気は、碧香や昂也を巻き込んではいないだろうか。
そんな思いを抱いていた龍巳は、そこで苦しげな声を聞いた。
 『ぐ・・・・・れんっ、さまっ、これを・・・・・っ!』
 『紫苑!』
 『寄越せっ、紫苑!』
 『・・・・・!』
 とっさに開いた視界に飛び込んできたのは、信じられない光景だ。
胸を真っ青な液体で染めたシオンが、必死に投げ出したガラスのような玉が空に飛んでいる。
(血か・・・・・っ?)
 碧香が流したことで、その液体が竜人の血液であることが分かっている龍巳は、どうしてとか、なぜとか、理由を考えることが出来な
かった。
 『タツミッ?』
 それよりも、あれが捜し求めていた紅玉だと瞬時に判断すると、一刻も早くそれをグレンに手渡さなければならないと感じ、龍巳は
とっさに立ち上がると、ダイブするように地を蹴って手を伸ばして・・・・・落ちて来る玉が地面に叩きつけられる寸前で受け止めた。
 『く・・・・・っ』
 岩が剥き出しの地面で身体を擦り、血が流れてしまったが、それでも玉を受け止めたことにホッとする。
(あ・・・・・っ)
 『グレン!!』
いや、ここで安心してはならないのだと、龍巳は即座に立ち上がると、グレンに向かって手を伸ばした。



 全てが一瞬の出来事だった。
己の身体の中から紅玉を取り出した紫苑がこちらに向かってそれを投げ渡そうとするのを聖樹が遮ろうとして・・・・・一瞬早く、何時
の間にか立ち上がっていたタツミがそれを受け止めた。
 「グレン!!」
 そして、その紅玉を紅蓮に向かって差し出してくる。それを持っているだけでも竜王になる可能性があるというのに、タツミは全くそん
なことは念頭に無いようで・・・・・紅蓮は、自身の中の様々な疑念を瞬時に振り払い、龍巳が差し出した紅玉を掴んだ。

 パシッ!!

 「・・・・・っ?」
 甲高い音と共に、眩しい光が紅玉から放たれ、
(熱、い!)
痺れるほどの熱さを手の平に感じる。
 続いて、物凄い勢いで身体の中に気が流れ込んできて、今の今まで放出し続けて疲弊していた気が見る間に充実してくるのが
分かった。
 「な、こ、これ?」
 「タツミ、お前もかっ?」
 「あ、あの、これって、グレンも感じてるんですかっ?」
どうやら、その感覚はタツミも同時に感じているらしい。紅玉が竜王となる者に力を分け与えてくれているのかもしれないと自然に思っ
た紅蓮は、そのまま目の前の聖樹に視線を戻した。
 「お・・・・・のれっ!」
 紅蓮の手にある紅玉を見据えた聖樹は全身を血で染めながら、それでも敵意をますます増大させて唸っている。
 「し、おんっ、一度主を裏切ったお前を、信用したのが間違いだなっ」
 「紫苑!」
腹と口から血を吐いた紫苑は、地面に倒れ伏している。
その髪を無造作に掴んで身体を起こした聖樹は、もはや敵は紅蓮ではなく紫苑であるかのような敵意を目に浮かべたまま、高々と
手を上げて叫んだ。
 「どうせ捨てようとしたその命っ、私がこの場で終わらせてやる!!」
 「止めろ!!」
 聖樹が何をしようとしているのか、とっさに判断した紅蓮はそのまま紫苑の腕を掴み、自分のもとへと引き寄せようとする。
しかし、聖樹の手の力は弱まることなく紫苑の髪に絡みつき、そのまま心臓へと勢いよく背中から手を突き刺した。
 「聖樹!!」
 「大切な者を奪われる苦痛を少しでも味わったかっ、紅蓮!」
 「お前はなにを・・・・・っ!」
 「もはや、紅玉がこの手から離れても構わん!次期竜王になる者が受け継ぐこの世界など、このまま滅ぼしてやるわ!!」
 「何をする!!」

 ガガガッ

 両手を高く掲げた聖樹の全身が金色に輝く。
しかし、その光は直ぐに青白いものに変わり、次の瞬間、大きく地が波打ち、ひび割れ始めた。



(これが・・・・・聖樹殿が望んでいたこと、なのか・・・・・)
 北の谷は元々薄い雲に覆われた、生命のきらめきなど感じない土地だが、今はもう全ての終わりを示しているかのように気は乱れ、
地が、空が悲鳴を上げているのが分かる。
 琥珀はただ呆然とその様子を見ていることしか出来なかった。
 「・・・・・」
 「これが、お前達の望んだものなのか・・・・・っ」
白鳴が、振り絞るように言葉を押し出す。
 「この世界を滅亡に追いやることがっ、全てを無にすることが、お前達の本懐か!」
 「違う!!私達はっ、私達は新しい竜人界を、民のための世界を取り戻そうと・・・・・っ」
 「このままではこの世界は滅ぶ。己達のしてきたことを、その目に焼き付けるがいい!」
 「・・・・・っ!!」
(こんなことを・・・・・望んでなどいない!)
 民のことを顧みない皇太子紅蓮の代わりに、新たな王を望んだ。それがたとえ純粋な竜人ではなくとも、皆のために尽くしてくれる
相手ならばと、人間の朱里を聖樹が連れて来た時も承諾をした。

 「琥珀、私は現王族がこの世界を凋落させてきたのだと思っている。どうだ、私に力を貸してくれないか?共にこの竜人界に新しい
光を呼び込もうではないか」

 その言葉を、琥珀は、浅葱は、そして幾人もの竜人達は信じた。
最近になり、そんな聖樹の言動に琥珀は疑念を抱くようになったものの、ここまで共に戦ってきたのだからと信じて・・・・・信じて。
だが、結局はこの戦いは聖樹個人の私怨の為で、彼は他の竜人達のことなど考えてもいなかったのだ。
 「・・・・・こ、はく」
 「・・・・・私達は、どこから道を違えていたのか・・・・・分かるか、浅葱」
 「わ、たしは・・・・・っ」
 「後悔しても、償えなかったとしたら・・・・・誰が私を罰してくれるのか・・・・・っ」
 このまま竜人界が滅亡してしまったら、自分の後悔は宙に浮き、死して詫びても詫びきれ無いものになる。
 「・・・・・っ」
琥珀はその場に膝をつき、地面に両手を置いて気を注ぎ始めた。今出来ることは、この僅かな力で荒れ狂う竜人界の気を鎮めるこ
と、それしかないと思った。



 『い、痛っ』
 目に見えない何かが身体にひきりなしにぶつかってくる。
身を捩ろうにも、目に見えないもの相手にどうすることも出来ず、昂也は焦ってアオカを庇おうと動いた。
 『大丈夫かっ、碧香!』
 『私のことは気になさらないで下さいっ』
 目が見えるようになり、その声にも力が戻ったアオカだが、そんな彼も痛みを感じているのは分かった。いや、不思議な力を操ること
が出来る者達は一様に、自分よりもこの空気の変化を敏感に感じているようだ。
(もうっ、どうすればいいんだよ!)
 真っ青な液体に塗れたセージュ。
そのセージュの手に胸を貫かれたシオン。
 怖くて、身体が震えて、視界など涙で潤んで見えにくくて仕方が無いが、昂也は目を背けることはしなかった。
(シオンは、シオンはっ、大丈夫だ!)
あの、青い液体の正体など考えたくはない。
 『ぅ・・・・・ぅ・・・・・』
 『あっ』
 唇を噛み締めた時、直ぐ傍で低い唸り声がするのが分かった。
目の前の衝撃的な光景で一瞬忘れていたが、先ほどから青嵐がずっと両手の拳を握り締めて何かを念じているのだ。
 『青嵐っ、どうしたっ?』
 『ぅ・・・・・ぁ・・・・・』
 『青嵐!』

 『コーヤ、ぎゅっとしてくれる?』

さっき言った意味の分からない言葉。それが、今の状況に何か関係しているのだろうか。
 『せい・・・・っ』
 『はあ-----------------!!』
 『?!』
 突然、青嵐の全身が黄金色に輝いた。
そして、いきなり軽く地面を蹴ったかと思うと青嵐の身体は宙に浮き、
 『!』
さらに眩しい光がその身体を包んだかと思った次の瞬間、空を飛んでいたのは金の鱗に金の瞳を持つ、額に1本の角を持った雄々
しい竜だった。
 『せ・・・・・らん?』
 『昂也、あれは、あれは・・・・・角持ちの成獣ですね?あれは、あの青嵐なのですかっ?』
 腕を握るアオカの手の力は強い。
それだけ衝撃を受けていることが分かるし、昂也自身も驚きで痛みなど今は感じられなかった。

 ギャアアァァァァァオゥ!!

 凄まじい咆哮に、周りの者も一様に空を見上げ、そこにいる金竜を驚きの眼差しで見つめている。
 『あれは・・・・・角持ち・・・・・』
コハクの呟きに、昂也はうんと頷いた。
 『あれは青嵐だよ。青嵐の竜に変わった姿・・・・・』
(青嵐、どうしてお前・・・・・)
 自分達の頭上をゆったりと飛んでいる金竜。青嵐がどうして竜の姿に変化したのかと昂也が考える前に、鋭い角からまるで帯のよ
うな光が辺りに撒かれ始めた。
キラキラと目に眩しい光に目を奪われていた昂也は、

 ガガッ

 『うわっ!』
再び大きく揺れ始めた地面に、思い切り尻餅を着いてしまう。
 『えっ、う、うわっ』
尻の下でも感じる地面の動きに、昂也はしばし翻弄されてしまった。