竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 
私が、あなたを葬らなければならない。
他の手があなたの身体を引き裂く前に、私のこの手で・・・・・・・・・・。







 『なっ、え・・・・・あっ』
(な、何が・・・・・っ?)
 身体を押さえられ、昂也は自分が一体どうなっているのか全く分からなかった。
ただ、仰向けになってしまった自分の顔にポトポト落ちてきている液体がセージュの身体から溢れているものだというのは分かり、その
瞬間自分でも分からないほどに身体が震えてしまった。
 『な、なに・・・・・』
 『初めてお前を見た時には、これほど価値があるとは思わなかった。あの時・・・・・紅蓮と引き離してこの手に中にあった時、そのまま
身を引き裂いてしまえば良かったと思うぞ』
 淡々とした口調なのに、昂也は思わず息をのむ。
 『・・・・・っ』
肌が焼けるほどの憎しみをぶつけられ、昂也はただ瞬きも出来ないままに目の前のセージュの顔を見つめることしか出来なかった。
どう見ても、セージュの命は尽きる直前だ。
人の生死というものを面前で見てしまうという恐れと、その相手からこれほどの憎悪を向けられているという恐怖。
 逃げ出したくても、大きな身体のセージュに押さえ付けられているので身体は少しも動かない。
 『は、はな、し・・・・・』
 『お前の命を奪えば、ここにいるどれほどの者の希望を奪うことが出来るだろうな』
 『はな・・・・・』
 『この世界に引き込んだ紅蓮を恨め、人間の少年。もう、その目に明日が映ることはないだろう』
 『!』
大きく振りかぶったセージュの右手の爪は鋭い。蒼い血を滴らせながら、それが自分の胸を貫くのだということがコーヤには不思議と分
かってしまった。
(こんなとこで死んじゃうのか・・・・・?)
 『昂也!』
 『コーヤ!』
 『コーヤ!』
 何人もの声が自分の名を呼ぶ。
そのどれもに必死さがあり、コーヤは死を前にして何だかおかしくなってしまった。
(俺って、結構好かれてるのかも)
 自分が住んでいる世界とは全く違うこの竜人界で、始めから友好的だったコーゲンやスオー以外は自分に懐疑的な思いを抱く者が
多かったが、さっき聞こえてきた声の中には、グレンのものもコクヨーのものもあった。
 恐怖は未だ感じているが、それでも昂也は目の前のセージュを必死に見つめた。誰が正しいのか、間違っているのか、セージュ自身
に問いかけるかのように。
 『そのような目で見るな・・・・・っ!』
 しかし、その昂也の眼差しはセージュには伝わらなかった。いや、もしかしたら感じ取ったかもしれないが、それを今更分かっても仕方
が無いというように、鋭い爪がスローモーションのように落ちてきた。
(駄目・・・・・だ!)
その瞬間、昂也は恐怖から逃れるように堅く目を閉じてしまった。

 『ぐはっ』
 『・・・・・っ』
 どんな痛みが自分を襲い、そのまま命を奪われてしまうのか・・・・・それだけを考えていた昂也は、頭上で自分以外の者の鈍い呻き
声がした気がして、思わずパッと目を開いてしまった。
 『え・・・・・?』
 自分の胸に突き刺さるはずだったセージュの右手は、まるで空を掴むかのように上に向けられていた。
そして、自分よりも厚い彼の胸板から、鋭い剣先が覗いている。
(こ、これ・・・・・って・・・・・)
 自分が目を閉じた直後に何があったのか。
昂也はセージュの背後に視線を向け、そこに立つ男の姿に思わず目を見張ってしまった。
 『ソ・・・・・ソージュさ・・・・・ん?』



 何の力も無いくせに、この世界を変えようとでもしているのか。
コーヤにしても、自分が見付けてきた朱里にしても、人間は馬鹿で愚かな存在で、けして竜人に勝ることはないはずだった。
それでも、紅蓮や、彼に付く者達が、コーヤに希望の光を見出そうとしているのならばそのまま潰してやる・・・・・そう思った聖樹は己の
手でコーヤの命を奪おうとした。
 まだ僅かに残っている気でコーヤの命を奪うのは簡単だったが、そんなことをしなくても人間にはこの爪先で心臓を貫くだけで十分だ
ろう。
 それなのに、コーヤの黒い瞳は聖樹の胸を貫く。
まるで、誰が一番愚かなのかを見せ付けられているようで、聖樹はカッと頭に血がのぼってしまった。
 「そのような目で見るな・・・・・っ!」
 今ならば、紅蓮も、あのタツミという少年も動けない。
角持ちも、自分を止められない。
多くのものに絶望を与えられるという黒い喜びを抱き、口もとに笑みさえ浮かべながらコーヤの命を奪おうとした聖樹は、
 「ぐはっ」
(な・・・・・に?)
 突然、胸に熱い衝撃を受けた。
 「・・・・・く・・・・・ぁ・・・・・っ」
 視線を下に移せば、自分の胸元から剣が生えていた。背後から何者かに胸を貫かれたのだとようやく思考が回った聖樹は、震える
頭を何とか背後に向け・・・・・思わず、口を歪めた。
 「そ・・・・・じゅ」
 「お前の、愚かな行動を止めるのは、私しか・・・・・いないっ」
 「・・・・・っ」
 亡き妻に良く似た息子の叫びに、聖樹の身体が大きく揺れて、コーヤの脇に崩れ落ちた。
 「ち・・・・・ちを、その手に・・・・・かけた、のか」
 「私を捨てたあの時から、お前は父ではない」
 「・・・・・そのような、綺麗事を・・・・・。私が、死んでも・・・・・お前へ、向けられる蔑みは・・・・・きえ、ぬ」
 「分かっている。だからこそ、私はここでお前を討ち、自身の命も絶つ」
 「・・・・・」
 「・・・・・あなた1人では、寂しいでしょう」
久し振りに蒼樹の笑みを見た。
記憶の中の笑っている蒼樹はまだとても幼くて・・・・・知らぬ間にこれほど成長したのだなと感じる。
 涙を溢れさせながら笑う顔は本当に妻に良く似ていた。本来なら、この子を新しい竜王に据えたかった・・・・・今更ながらそんな野望
も顔をのぞかせるものの、紅玉の力によって既に空洞になってしまっている自分の身体はもう、持たない。
 「グ・・・・・レン・・・・・ッ」
 「叔父上!」
 今更、その名で自分を呼ぶ紅蓮の甘さに、聖樹はただ・・・・・嗤う。
 「い、ばらの・・・・・道を、進むが、いい・・・・・っ」
どれほどの犠牲を払って自分がその座に就くのか、生涯悩み、苦しめばいい。
(その姿を見られないのが残念だ・・・・・)
 ゆっくりと、聖樹の視界には何も映らなくなっていく。
 「・・・・・」
最後に呟いたその名を、傍にいた蒼樹だけは聞き取っていた。



 「・・・・・」
 最後に父の口から零れたのは、自分ではなく亡くなった母の名前だった。
(最後まで、私をその視界に入れてはくれなかったのか・・・・・っ)
どれほどの悪行を働いたといえど、聖樹は自分の父親だ。その父を手に掛ける自分の想いを、とうとう最後まで考えてはくれなかった
のだ。
(それでも・・・・・1人で逝かせることはしない)
 紅蓮が竜王になるための一番の憂いは晴れた。
蒼樹は剣を引き抜いた。父の血で濡れている剣を見つめた後、茫然と自分を見上げているコーヤに頭を下げる。
 「怖がらせてすまなかった」
 「ソ、ソージュ、さ・・・・・」
 「父は自分の命で罪を贖った。どうか、許してやって欲しい」
 「ま、待ってっ、ソージュさん!」
 「紅蓮様っ、どうか我らの汚れた血を、この地に流すことをお許しください!」
父を貫いた剣で、蒼樹は何の躊躇いも無く自身の胸を突き刺した。



 「蒼樹!」
 紅蓮は直ぐに聖樹の身体の上に倒れた蒼樹の身体を抱き上げた。
深く腹を突き刺していた剣を引き抜いて直ぐに傷口に手をやったが、なぜか傷はふさがらずにどんどん血は流れてしまう。
 「・・・・・っ」
(なぜだっ?)
 聖樹との戦いで極限まで力を使ったとはいえ、傷を塞ぐぐらいの力は残っているはずだ。
 「蒼樹っ」
 「ゲレ・・・・・ぐふっ」
その名を呼ぼうとした蒼樹の口からは血が溢れ出る。それが紅蓮の服に掛かったことが分かったのか、申し訳ありませんと小さな声で
謝罪してきた。
そんなことなど気にするなと叫んだ紅蓮は必死に気を注ぎ続けるが、どうしても流れる血は止まらず、紅蓮は直ぐにタツミを呼んだ。
 「タツミッ、力を貸してくれ!」
 コーヤの身体を抱きかかえていたタツミは、
 「は、はい!」
直ぐにそう返事を返してきた。



 あまりにも連続して目の前で行われた出来事に、龍巳はただ呆然と見ていることしか出来なかった。
せっかく青嵐が竜に変化して、セージュが壊し掛けた世界を修復してくれているというのに・・・・・戦いの結末はもう付いているはずなの
に、2人の命が消えようとしている。
 『・・・・・っ、昂也!』
 そして、龍巳は直ぐに仰向けに倒れたままの昂也を抱き起こした。
服だけでなく、顔にもセージュの蒼い血が掛かっている昂也は、声も無くセージュとソージュを見つめている。
 『昂也っ、大丈夫かっ?』
 『・・・・・』
 『昂也!』
 『ト、トーエン、し、死んじゃう?』
 『・・・・・っ』
 セージュの命はもう駄目だろう。龍巳にはその生命の光が消えていくのが見えていた。
(ソージュさんは、もしかしたら助かるかも、しれないけどっ)
青い血に塗れた昂也の手が、痛いほど龍巳の腕を掴んでくる。どうしたらいいのかと龍巳も焦っていると、自分の名を呼ぶグレンの声
が聞こえた。
 『タツミッ、力を貸してくれ!』
 『は、はい!』
 それがソージュのためだということは分かっていたが、今自分にしがみついている昂也をどうしたらいいのかと見下ろす。
そんな時、ポンと肩が叩かれた。
 『ご苦労さん』
 『あ・・・・・』
 『コーヤは蘇芳に任せていたらいい。タツミは私とこっち』
 『コ、コーゲンさんっ?』
 龍巳の腕の中の昂也はスオーがそのまま抱きとり、自分はコーゲンに引っ張られてグレンのいる場所へ連れて行かれる。
 『コーゲンさんっ』
 『もう一頑張りしてくれ』
間近で見るソージュの傷はかなり深い。自分の手でこれほど躊躇いも無く傷付けることが出来るなど、ソージュの意志の強さが悲し
かった。
 しかし、それ以上に絶対に彼を死なせてはならないという思いが強くなり、龍巳は萎えそうになっていた気力を振り絞ってグレンが押
さえているソージュの傷に手を当て・・・・・残っている力を一心に注ぎ始めた。