竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 何度も頭を下げるタツミを、青嵐は不思議に感じながら見つめた。
大好きなコーヤの、大切な相手。だが、自分のコーヤに対する思いとは違うようなので、青嵐はタツミのことが嫌いではない。
 ただ、その容貌は羨ましかった。コーヤと同じ、黒い髪に黒い瞳。コーヤを抱きしめることが出来る身長に、長い腕。
何より、額に邪魔な角も無い。
 「・・・・・」
 「青嵐!」
(私がタツミだったら・・・・・)
 今よりももっとコーヤの傍にいることが出来たかもしれないと思うと、今ここでタツミの命を奪い、入れ替わってしまいたい欲求にかられ
てしまうが、そんなことをしたらやはり優しいコーヤは悲しんでしまうと分かるし、タツミの纏っている空気は心地良くて好きなので、彼を
殺すのはやはり止めようと思った。
 「手、退けて」
 「青嵐っ?」
 「ほら、タツミも、コーゲンも・・・・・お前も」
 次期竜王となるらしい皇太子紅蓮は、好きじゃない。
コーヤを苛めるような言葉を言っていたのはちゃんと聞こえていたし、そのくせ今の心の内から醸し出している気は・・・・・多分本人に自
覚はないのだろうが、青嵐にとってはあまり良いものではなかった。
(この身体、気に入っていたんだけれど)
 小さなコーヤを抱きしめることも出来なかった幼い自分から比べれば、周りの男達よりはまだ少し小柄ながら今のこの身体に早くなっ
たことが嬉しかった。
しかし、コーヤにもっと喜んでもらわなければならない。
 「グレン」
 青嵐はチラッとグレンを見た。
 「コーヤは私のものだから」
お前なんかには渡さない。それだけは言っておかなければと、青嵐はまだ塞がらない蒼樹の腹の傷に両手を押しあてた。



 「コーヤはわたしのものだから」
 「・・・・・っ」
 なぜ、それを今自分に向かって言うのか分からない。外見はまだ子供のくせに、その眼差しは成人している大人と遜色ない輝きだっ
た。
青嵐がコーヤを気に入っていることは感じていたが、まさかこれほどとは・・・・・。一体2人の間にどんな感情が通い合っているのだろう
かと紅蓮が考えた時だった。
 「!」
 蒼樹の腹の傷に両手を当てた青嵐が、そのまま身を屈めて蒼樹の唇に己のそれを重ねる。
 「なにを・・・・・っ?」
怪我人に何をしようとしているのか。それが肉欲を暗示するような行為には見えなかったものの、いったい何をしようとしているのか全く
分からなかった紅蓮が鋭く声を掛けたが、青嵐はそれに応えることなくそのままの体勢で蒼樹の唇から離れない。
 「・・・・・!」
 口付けを交わしているというよりは、相手の呼吸を奪っているのか・・・・・それとも、自身の何かを吹き込もうとしているのか、不思議
な光景に紅蓮以外の者もどうすることも出来なかった。
 そんな時だ。
 「き・・・・・ん?」
金の光が舞い始めた。
いや、これは光ではない。まるで身体の薄い膜が剥がれていくように、青嵐の体中からパラパラと金の粉のようなものが飛んでいる。
同時に・・・・・。
(身体が・・・・・融けて、いる?)
 唇を合わせたまま、下になる蒼樹の顔や身体に零れ落ちている液体は血の色ではなく、透明な水のようなものだ。
 「青嵐・・・・・」
紅蓮の呟きが聞こえたのか、青嵐が眼差しだけを向けてくる。

 「コーヤは私のものだから」

その言葉を自分に向かって投げつけてきた青年の全身から溢れ出てくる透明な液体。
それが蒼樹の身体を包んでいったが、それと同時に青嵐の身体には驚くような変化が出てきていた。



 『青嵐っ?』
 龍巳の叫び声に、昂也は思わず地を蹴っていた。
 『コーヤッ!』
スオーの制止の言葉も耳に入らずに皆が固まっている場所に駆け寄る。
 『せ、青嵐っ?』
 そんな昂也の目に映った光景は、とても信じられないようなものだった。
青嵐も、そして横たわっているソージュも、2人共全身びっしょりと濡れていて、その周りには金の粉のようなものが飛んでいた。
まるで、金メッキが剥がれていくような・・・・・それが剥がれていくごとに、液体が零れていくごとに、青嵐の身体が見る間に縮んでいく
のが分かった。
 『な・・・・・に・・・・・?』
 このまま、青嵐はどうなるのだろう。
 『せ・・・・・ら、ん』
まさか、このままその存在が消えてしまうのか?

 「頼む、青嵐、力を貸してやってくれ」
 「・・・・・コーヤは、そうして欲しいのか?」
 「うん。絶対に死んで欲しくないんだ」

 自分のその言葉で、青嵐の存在が脅かされているとしたら、いくらソージュの命を助けるためだとはいえ、自分はどれほどの残酷なこ
とを言ったのだろうかと、胸が苦しくなってしまった。
 『青嵐!!』
 『昂也!』
 手を伸ばして駆け寄ろうとした昂也の身体を、龍巳が反射的に抱きとめる。
しかし、僅かに2人の身体に触れた指先は、まるで蜂蜜のようにトロッとした感触で、本当に融けている・・・・・その表現がピッタリのよ
うな気がした。
 『トーエンッ、どうしようっ?俺っ、青嵐を殺しちゃう!』
 『落ち付け!』
 『まだっ、まだ、ほんの少ししか生きてないのに!!』
 こんな短期間で慌てたように成長し、何の楽しいことも無くその存在を消すように導いたのが自分だったとしたら・・・・・どうしていいの
か全く分からない。
 『青嵐っ、青嵐!』
 『馬鹿っ、お前が焦ってどうするんだ!』
 『・・・・・っ』
 痛いほどに腕を掴まれ、昂也の身体は前後に激しく揺さぶられた。
正気に戻れと、目の前の見慣れた顔が歪みながら叫んでいるのが分かったが、昂也は目の前の青嵐の姿から視線を逸らすことが出
来ないまま、どうしたらいいのだろうと何度も何度も呟いていた。






 コーヤが泣いてる。
何度も、青嵐と、自分の名前を呼んでいるのが分かる。
 大丈夫だよと、言ってあげたかった。確かに急激に大人になってしまった自分は力の成熟と身体の成熟の均衡が不完全で、今回こ
の目の前の肉体を助けるために力を使うには、一度肉体・・・・・いや、成長を後退させるしかなかった。
 それでも、自分の存在が消えるわけではない。
以前ならば、このまま永遠の眠りについても構わないと考えていたが、コーヤのことを知ってしまった今では、存在を消すことなど考えて
もいない。
(もう一度、抱きしめて、コーヤ)
 泣くのは、止めて欲しい。
その涙を拭えるほどに成長するのは、今度はもう少し時間が掛かってしまうと思う。
それまではどうか・・・・・コーヤ、誰のものにもならないで。






 「・・・・・」
(こういう・・・・・ことか)
 江幻は徐々に肉体の成長を後退させる青嵐を見て、ようやく少しだけだがその力の意味が分かったような気がした。
さっき、蒼樹の傷を見た青嵐は普通の力では治らないと言い放った。それは、自分にならば治せるという意味のほかないだろう。
 ただし、その力を使うには、きっと物凄く身体に負担が掛かってしまい、青嵐の肉体の成長はかなりの速度で進んで、もしかしたら
死さえも早く招いたかもしれない。
 それを押さえるために、青嵐は気を放出しながら、一方で自らの肉体を幼い頃に逆行させていった。
まるで、古い殻を脱ぎ捨て、新しく生まれ変わるように。
(それを、自分の意思で出来るということが凄いけれど)
 「・・・・・」
 「青嵐!」
 全く理由が分からないまま、青嵐の成長が逆行していく様を見ているコーヤは泣き叫んでいる。何とか説明してその涙を止めてやり
たいが、江幻だとて初めて見る現象なので自分の推論が当たっているかどうかは自信が無い。
 それでも、あれだけコーヤに執着していた青嵐が自らの命を消すことは考えられず、どんな姿になったとしても、青嵐はきっとコーヤの
傍にいるはずだというのは確信出来ていた。
 「・・・・・」
 「・・・・・動いた」
 それまで、まるで死んだように全く動かなかった蒼樹の口が、僅かに息をするように動いたのが見えた。
江幻は直ぐに跪き、蒼樹の首筋に指を当てる。ぬるぬるとした液体のせいではっきりとは分からなかったが、それでも確かな生命の鼓
動は指に感じた。
 「・・・・・青嵐」
 そして、江幻は青嵐を見る。
今では、蒼樹の腹の上に縋るように蹲っている赤ん坊に戻った青嵐を抱き上げ、良くやったと褒めてやった。
 「どうやら、蒼樹の命の危機は脱したようだ」
 「あー」
 「良くやった」
 「あー、あー」
江幻の腕の中で、むずがるように手足をばたつかせる赤ん坊。彼がどうしたいのか、今度は直ぐに分かった。



 『コーヤ、抱いてやって』
 『コ、コーゲン』
 『赤ん坊に戻ってしまったけれど、ほら、この様子を見たら元気だっていうのは分かるだろう?』
 昂也はコーゲンの腕に抱かれた赤ん坊をじっと見つめた。
 『あー、あー』
まるで、早く抱きしめてくれというように手を伸ばしてくるその子は、この北の谷で初めて青嵐を見付けた時とほとんど同じ年頃に見え
た。
さっきまで、中学生か高校生にまで成長し、しっかりとその腕に抱きしめてくれるほどに大きく成長していたというのに、また始めから
やり直すというのか。
 『ほら』
 『・・・・・』
 恐る恐る差し出した手は、粘ついた液でぬめったが、それが怖いとか不快だとかは思わなかった。
それよりも、指先が触れたのを合図のように、昂也がぎゅっと強く青嵐を抱きしめる。小さな小さな手が、褒めてというように昂也の頬
を叩いてきた。
 『良くやった、青嵐』
 『うー、あ』
 『偉・・・・・い、ぞ、せ・・・・・らん』
(・・・・・ごめん)
 それまでの肉体の成熟を捨ててまで自分の願いを聞き届けてくれた青嵐。盲目的に慕ってくれる青嵐の好意を利用するだけして、
1人こんな姿にしてしまったことが申し訳なくてたまらないが、今は良くやったと褒めてやりたい。
昂也は少しだけ青嵐を自分の身体から離すと、自分の思いを伝えるように頬を擦り寄せた。