竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
16
※ここでの『』の言葉は日本語です
青嵐の体液は蒼樹の全身を包み、その成果なのか傷口からの出血は止まった。
しかし、このままここにいては次の治療が出来ない。いや、それは瀕死の蒼樹だけではなく、敵も味方も、傷が無い者はいないほどに
激しい気の応酬だったのだ。
(早く治療をしなければ・・・・・)
自身の治癒の力だけではとても追いつかないほどの人数だし、気は傷を癒すものの、全てを元通りに出来るものではない。
そこには薬湯や医師の力もやはり必要で、そのためには何も無いこの北の谷から即刻王都に戻ることは必要不可欠だった。
「紅蓮」
江幻はとっさにそれだけのことを考えると紅蓮を振り向いた。
「後始末は動ける者に頼み、早く怪我人を治療した方が良い」
「・・・・・」
「安易に考えていると、せっかくの能力者のそれが消えてしまうぞ」
気は尽きることなく溢れ出ているものではなく、周りの状況や当人の問題でその力を失ってしまう時もある。それを防ぐためにも、処置
は少しでも早い方がいいのだ。
「・・・・・」
以前の紅蓮ならば、皇太子である自分に勝手に命令するなと憤慨し、わざと別の方法を考えただろうが・・・・・。
「分かった」
紅蓮はその江幻の意見を即座に聞き入れた。
「黒蓉!」
「はいっ」
「今ここにいる者達を皆王都に運ぶ。竜に変化出来る者はその背に出来るだけ乗せて運べ」
「・・・・・皆、ですか」
確認するように聞き返す黒蓉に、紅蓮はしっかりと頷く。
「敵も味方も関係ない。ここにいるのは皆竜人、私の大切な民だ」
「紅蓮様・・・・・」
「・・・・・」
(大人になったねえ、紅蓮も)
人の意見を聞き、冷静に状況を判断する。
自分に刃を向けた者さえも、広い心で受け入れ、遺恨を残さない。
それは人の上に立つ者にとって大切な要素であり、それを短期間のうちに自然と身に付けた紅蓮に江幻は素直に自分も従おうと
思えた。
(ああ、蘇芳も説得しないとな。拗ねないといいんだが・・・・・)
振り向いた江幻は、その視界の中に金に近い銀髪が煌めいたのに気付いた。
今はもう、物も言わずに横たわっている聖樹。
その身体からは気の流れは止まってしまい、既に彼の命の灯が消えてしまったことは明らかだった。
「・・・・・叔父上・・・・・」
どこから、この叔父・・・・・聖樹の人生が狂ってしまったのかは分からない。
叔母が早く亡くなってしまったせいか、その叔母が普通の兄妹以上に父を慕っていたせいなのか、まだ幼かった碧香には大人だった
父達の思惑は今では想像するしかないが、きっと聖樹は何時まで経っても父を慕う叔母を狂うほどに想っていたのだろう。
「・・・・・」
目を見開いた叔父の顔は、生きている時とは違って随分と歳を重ねたように見えた。
「碧香」
「・・・・・東苑」
「・・・・・この人、どうするんだ?」
兄のもとからこちらへと歩み寄ってくれた龍巳は、自身にとってあまり良い存在ではなかったはずの叔父の亡骸の前で手を合わせてく
れる。死者に対する敬意を払ってくれる龍巳に、碧香は深く頭を下げて礼を言った。
「ありがとうございます、東苑」
「・・・・・当たり前のことだろう」
「・・・・・」
(そう言えるあなたが、とても誇らしく思えます)
「叔父は、このまま北の谷に。兄様・・・・・皇太子に刃を向けた者です、その骸を葬ることもせず、野晒しにすることが罰です」
今回ほどの大きな反乱だ、何らかの責任を取る者がいなければならない。
それは、反乱者を率いた、いや、多分唆したであろう聖樹がとるのが本当で、当人が死んでしまった今、その死を民に見せしめるため
にも葬ることもしてやれない。
「・・・・・そんなの、可哀想だ」
「東苑」
「死んでしまったら、ちゃんと祈ってやらなくちゃならない。いくらそれが悪いことをした相手でも・・・・・碧香、君だってそう思っているん
だろう?」
「・・・・・っ」
確かに、感情ではそうだ。
しかし、自分は王族の1人で・・・・・。
「碧香、人の死を悼むっていうのは普通の感情だと思う。君の兄さんだって、きっと分かってくれると思うけど・・・・・あ、昂也」
話をしていると、赤ん坊を抱いた昂也がやってきた。
金に輝く髪に、額に角。全身が濡れている赤ん坊、青嵐を抱きしめているせいで自身も濡れそぼった昂也は、近付いて来て碧香の
足元に横たわっている聖樹を見ると、自分こそが痛そうに顔を顰めながらその場に膝をつき、手を合わせて目を閉じた。
「・・・・・安らかに、眠って下さい」
「昂也・・・・・」
(あなたも・・・・・)
誰かの死を悼むというのが、人間の優しさなのか。
碧香はその光景を見ているうちに、目から涙が溢れて・・・・・止まらなくなった。
神社の息子である龍巳と幼馴染なので、昂也は人の死というものをそれほど怖いとは思わなかった。
全てのものには神が宿っていると、東苑の祖父や父親から聞かされていた昂也にとって、人の生死というものはごく身近にあるものだ
と感じていた。
『昂也、死を前にした者を見れば悲しむ、そして、生かされていることを喜ぶ。人として自然なその感情を、忘れないようにな』
『は〜い!』
まだ小学生の昂也に向かって優しく言い聞かせてくれた龍巳の祖父の大きな手が、元気に返答をした昂也の頭を撫でてくれた。
何度も何度も、昂也はいい子だなと笑って・・・・・。
昂也はふと、そのことを思い出していた。
自分にとって聖樹は近しい人間ではなく、むしろ自分が知っている人達を傷付ける酷い相手だった。
それでも、亡くなってしまった今、なおも憎しみ続けることなんてあまりにも悲し過ぎると思う。もう、聖樹は二度と目を開けることはな
いのだ、最後ぐらいは祈ってもいいのではないか。
『・・・・・ありがとうございます、昂也』
『アオカ』
『叔父も・・・・・これで静かに眠れるでしょう』
アオカはまだ涙に濡れた顔をしていたが、それでも随分晴れやかな顔になったような気がする。
『アオカ』
そんな彼を慰めようと思ったわけではないが、昂也は自然に口を開いていた。
『俺、本当にアオカに助けてもらった。アオカの声があったから、この世界でも迷わなかったし、ここでこうして元気に東苑とも会えた。
改めて言わせて、アオカ、ありがとう』
何度も伝えた言葉だが、こうして全てが終わった今、目を見てちゃんと言いたかった。
そんな昂也の気持ちを分かってくれたのか、アオカは昂也の腕の中にいる青嵐ごと抱きしめてくれた。
『私こそ・・・・・ありがとう、コーヤ』
翡翠の玉が見付かったのも、こうして竜人界の崩壊を止めることが出来たのも、きっと昂也の、そして龍巳の、2人の存在のおかげ
だと何度も繰り返し言うアオカに、違うんだと昂也は心の中で呟いた。
(俺や東苑がしたことって、本当に僅かなんだ)
この世界が壊れるのを救ってくれたのは青嵐で、頑張ったのは紅蓮や蒼樹、この世界に住む竜人達だ。
そしてその復興も、きっと彼らの手で出来るだろうと信じた。
「・・・・・」
浅緋はそっと蒼樹の頬に手を触れようとしたが、伸ばした自分の手が泥に塗れているのに気付いて引っ込めた。
(すまない・・・・・っ)
父親をその手に掛けるという、身を引き裂かれるほどに辛いことをさせてしまった。
本当は自分が、蒼樹の代わりに聖樹を討つつもりだったのに・・・・・力の無い自分はあの男の力の前に呆気なく膝を折り、結果、蒼
樹の手を血で穢し、さらには自害にまで追い込んで・・・・・。
「・・・・・っ」
(俺はっ、何のために彼の傍にいたんだ!)
「浅緋」
「・・・・・」
「後悔している場合ではないぞ。今から我らは竜に変化し、この場にいる者達を皆王都に運ばなければならない」
「白鳴・・・・・っ」
「王宮に戻ってから、蒼樹の傍に付いていてやればいい」
無傷とは言えない浅緋だが、それでも変化は出来る。白鳴の言うように、このまま北の谷にいても何も出来ないのは分かるので、蒼
樹の治療のためにも一刻も早く飛ばなければ。
「白鳴、蒼樹殿を抱いて私の背に乗ってくれ」
「今の話を聞かなかったのか?私も含めて・・・・・」
「お前の代わりに何度も私が往復する!頼むっ、最初に蒼樹殿を・・・・・っ」
先ず、紅蓮や碧香のことを考えなければならないのは分かっていたが、今の浅緋にとっては何よりも蒼樹の方が大切だった。
その浅緋の思いが分かるのか、白鳴は深い溜め息をついた後、分かったと頷いてくれた。
一度にかなりの数が竜の背に乗れるとはいえ、やはり幾度か往復をしなければならないだろう。
先ず最初に、蒼樹を含めた重傷者を運び、碧香やコーヤ、そして・・・・・。
「紅蓮様」
「どうした」
「琥珀と浅葱も協力がしたいと申し出てきました」
黒蓉の言葉に、紅蓮はその背後に視線を向けた。
「協力とは」
「竜に変化して皆を運ぶことです。こちらは竜に変化出来る者が少しでも多い方が良いのですが、どういたしましょうか」
「・・・・・」
(この時点で、お前は受け入れているということか)
つい先ほどまで敵対していた相手の言葉を素直に受け入れることなどしないはずの黒蓉だが、その黒蓉がこうして紅蓮に伺いを立て
る時点で自身は認めているということだろう。
そして、紅蓮も・・・・・。
「琥珀、浅葱」
直接、2人に声を掛けた。
「お前達のしたことは改めて詮議するが、今は私のためでなく、お前達と共に戦った者達を救うために力を貸して欲しい」
頭を下げた紅蓮は直ぐに顔を上げると、早速この後の算段をする。とにかく迅速にと心がけ、背に乗せる人数や帰路を黒蓉達に説
明をした。
紅蓮自身は一番最後までここにいるつもりだった。全ての民を見送った後、聖樹の骸と向き合う。
(今となっては話すことも出来ないが、一体なぜ私を憎く思うのか・・・・・それが父上に関係してのことなのか、もう一度自身に問い掛
けたい)
「いいなっ?」
「御意!」
いっせいに散る黒蓉達を見てから、紅蓮は自分も手を貸そうと動こうとしたが、
「グレン」
「コーヤ?」
何時の間にか傍にいたコーヤが、紅蓮の顔を覗き込むようにして立っていた。
(いったい何時から・・・・・)
碧香とタツミのもとにいたと思ったのに、何時の間にここに来たのか。いや、それよりもいったい自分に何の用があって近付いてきたの
だろうと、紅蓮は戸惑いと困惑でつい眉を顰めてしまった。
「どうした。お前は蒼樹や碧香と共に直ぐにこの地を離れろ」
「う〜ん、でも、俺って何の怪我もしていないし、最初に連れて帰ってもらうのも悪い気がして」
「・・・・・」
コーヤの腕の中で青嵐が泣く。まるで紅蓮に対してコーヤに近づくなと訴えているようだが、赤ん坊の姿ではどうにも出来ないだろう。
それよりも、涙で濡れたコーヤの赤くなってしまった目が気になって、紅蓮は無意識の内に手を伸ばし、涙が乾いた頬に指先を触れさ
せていた。
「お前が泣くことはないだろうに・・・・・」
![]()
![]()
![]()