竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ



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※ここでの『』の言葉は日本語です





(調子、狂う・・・・・)
 昂也にとって、グレンは理不尽な暴力をぶつけてきた、出来れば近寄りたくない人物だったはずだ。
ただ、この世界では一番偉いらしい彼の意向は無視できるものではなく、なにより、自分があんな暴力に屈したとは思いたくなくて、出
来るだけ普通に接してきた。
 そして、知るにつれてグレンは変わってきたように思う。
それは、昂也に対してだけでなく周りの者に対してもだし(反逆者であるコハクにもだ)、行動も上に立つ者のものになってきたような気
がする。
 この世界の王様というのがどれほどの力を持つ者かは分からないが、今の彼は王様と言われても素直に頷けるほどに優しく、そして
強くなった。もちろん、最初の優しさの基準があまりにも低過ぎたせいか、少しでも優しいと何だかドキッとしてしまうのだが。
 『コーヤ』
 『・・・・・ちょっと待ってて』
 紅蓮と、少し話したいと思った。
シオンのこと、青嵐のこと、龍巳のこと。
(何から話していいのか分からないけど・・・・・)

 『コーゲン』
 『コーヤ?私の背中に乗る?』
 『えっと、ちょっと違う。俺、最後にグレンと一緒に帰るつもりだから』
 昂也は何気なく言ったが、その言葉にコーゲンは片眉を上げ、スオーはムッとした表情に変化した。
 『あいつと残るだって?おい、コーヤ、お前はあいつに何をされたのかちゃんと覚えているんだろうな?いくら今あいつが改心したように
見えたからって、何時何をするのか安心は出来ないんだぞ』
 『あー・・・・・まあ、そうかもしれないけど』
(スオーって、本当にグレンが嫌いなんだな)
 2人は性格もまるで違うし、元々スオーは権力者に対する(グレン限定かもしれないが)反発心がとても大きいようだったので、グレン
の変化も好意的というよりも懐疑的に見てしまうのだろう。
 もちろん、昂也は2人が自分のことを心配してくれているのだということは良く分かるので、ありがとうと言ってから、でも大丈夫だと続
けた。
 『俺、グレンに頼みたいことがあるんだ。城に戻ったら、きっと忙しくて話なんか出来ないだろうし、今の内に少しだけだからさ』
 『・・・・・』
 『それに、2人きりってわけじゃないぞ?ほら、青嵐も一緒』
 抱いている青嵐を見てくれと促すと、スオーは先程と表情を変えないまま、それでも青嵐と強い口調で話しかける。
 『その姿でも、コーヤを十分守れるな?角持ちの名前に誓って、あいつがまた暴走しようとしたら直ぐに止めるんだ、いいな?』
 『スオー』
(赤ちゃんに言ってどうするんだよ・・・・・)
確かに、青嵐は一度中学生くらいに成長したが、今は歩けもしない赤ん坊の姿に戻っている。昂也にとってはこの姿の方がしっくりと
来るのだが。



 「でさ、悪いんだけど緋玉を貸してくれる?あれが無いと、俺グレンと話が出来ないし」
 「ああ、そうだね」
 蘇芳は相変わらず今にも却下と言いそうなほどに顔を顰めていたが、江幻は今彼を紅蓮と2人にしても大丈夫だと考えていた。
紅蓮にとって、今のコーヤは忌むべき人間ではなく、自分に良い影響を与えてくれた人物である。それに、聖樹との戦いが終わったと
はいえ、やらなければならないことが山積している彼に、これ以上新たな問題を作る気はないだろう。
(それに)
 江幻の視界に入る青嵐。赤ん坊に戻ってしまった彼だが、その能力までは退化していないようで、万が一紅蓮がコーヤに不埒な真
似をしようとした場合、どんなことをしてでも止めるはずだ。
 「分かった」
 「江幻」
 「大丈夫だよ、蘇芳。それよりも、俺達も出来ることをしなければね」
 「・・・・・っ」
 「はい、コーヤ」
 差し出した緋玉は、近くに紅玉があるせいかその輝きを増しているように見えた。これならば以前よりも大きな力を発揮してくれるに
違いない。
 「ありがとう、コーゲン」
 礼を言い、手を差し出したコーヤのそれに緋玉を乗せようとした江幻は、ふとその顔を見て思った。
(コーヤは、どうするんだろうか)
元々は、碧香が持ちだされた紅玉を探すために人間界へといくのと引き換えに、この竜人界に引きづり込まれてしまったコーヤ。
その玉が見付かり、竜人界の憂いが無くなってしまった今、本来ならば人間である彼がこの世界にいる意味はない。
(碧香も戻ってきているしな)
 何時でも、もとの世界に戻れるはずのコーヤが、今の自分達を、いや、自身の立場をどう考えているのか。
 「・・・・・」
 「コーゲン?」
そして、あの次期竜王になる我が儘な王子様はどうするのだろうかと、江幻は全く想像がつかなかった。



 少し待っていてくれと言い残したコーヤは江幻と蘇芳のもとに駆け寄って行く。その小さな背中を見ながら紅蓮が感じたのは面白く
ないという感情だった。
自分よりもあの2人を優先されたことは、今までの自分の行動からしても仕方がないだろうが、紅蓮はコーヤの視線の先に自分がい
ないということが悔しくて・・・・・腹立たしいのだ。
(私のもののはずなのに・・・・・)
 たった一度ではあるものの、あの身体を自分は抱いた。女ではないので孕むことも無いが、それでも破瓜した時の赤い血と泣き叫
ぶあの顔は脳裏に焼き付いている。
次期竜王である自分の精をその身の内に入れられた幸運を本人が分かっているのかどうかは分からないが、紅蓮は全てが終わった
今でも、コーヤをこの手の中から離す気は無かった。
 「ごめんっ」
 しばらく話していたコーヤが戻ってきた時、その胸元が少し膨らんでいるのが見える。
 「あ、これ、玉」
 「・・・・・玉?」
 「これがないと、グレンと話すことが出来ないだろ?」
 「ああ・・・・・そうだな」
江幻の持つ緋玉がなければ、まともに会話が出来ない竜人の自分と人間のコーヤだ。
改めて自分達が違う種族であることを、紅蓮は思い知ってしまった。

 次々に竜に変化したものが、背に多くの兵士を乗せて飛び立つ。
 「・・・・・」
(大事ないといいのだが・・・・・)
皇太子である自分のために戦った兵士達と、この竜人界を少しでも良い方向に変えたかった反逆者達は分かれることなく混在して
いる。重傷者は江幻が応急処置をしていたが、出来ればその命に何も影響が無ければいいと思った。命を落とすのは、聖樹1人で
十分だ。
 「みんな、たいしたことないといーよな」
自分の隣で同じように空を見上げながら呟いたコーヤの言葉は、なぜか自分の考えていたことと似ている。
紅蓮は思わず笑みを浮かべた。
 「当たり前だ。全ての命を救うことが私の使命だからな」



 ハクメイが変化した竜に碧香を乗せた龍巳は、ふと気になって振り返ってしまった。
(昂也・・・・・大丈夫か?)
グレンと話があるから先に行ってくれと言われたし、碧香の身体のことも気になるので、早くちゃんとした医師に診てもらいたいと思いは
していたが・・・・・かといって昂也のことを全く気にしていないはずが無かった。
 何より、相手は元々人間が嫌いらしいグレンだ。万が一、昂也に再び・・・・・。
 『大丈夫です』
 『碧香』
 『兄様が再び昂也を傷付けることはありません』
目が見えるようになった碧香の眼差しは真っ直ぐに龍巳を映している。くすんだような気がした碧色の瞳も、以前よりも力強く輝いてい
るように感じた。
 『ごめん、碧香の兄さんを疑うようなこと・・・・・』
 『仕方がありません。今までの兄様の行いを顧みれば、そう思われても反論のしようもないですし。ですが、今の兄様は違うのです。
何と言ったらいいのか・・・・・とても、穏やかで、心が広くなられたような気がします』
 『・・・・・』
 確かに、グレンの手を取って共に気を発していた時、彼から流れている感情はこの世界を救いたいという純粋なものだったと思う。
そこには、自分や昂也のような人間に対する負の感情は欠片も感じなかった。

 『大丈夫だって、トーエン。俺も直ぐ行くから』

 なにより、それまでグレンに一番辛くあたられていたはずの当人の昂也が、確信を持っているかのように大丈夫だと告げたのだ。後は
自分は信じるしかない。
 『分かった、行こうか』
龍巳が最後に乗り込むと、ハクメイは大きく嘶いた後、太い尻尾で地面を蹴って空に浮いた。



(コーヤ・・・・・)
 荒い息を吐きながら、紫苑は小さくなっていくコーヤと紅蓮の姿を見つめる。こうして生きて再び、王都へと戻ることなど考えてもいな
かった。
紅蓮を裏切った身だ、いくらその紅蓮からの許しの言葉があったとしても、紫苑はこのまま王都で生きていくつもりは無かったし、反乱
軍皆の罪を背負って、どこにでも追放される覚悟は出来ていた。それに・・・・・。
(それほど長く・・・・・もたないかもしれない)
 「・・・・・」
 紫苑は、背後でしっかりと自分の腰を掴む黒蓉を振り返り、微苦笑を浮かべたまま告げた。
 「それほど、用心されなくても、私はもう、抵抗はしません、よ」
 「そのようなことを心配はしていない」
 「黒蓉、殿」
 「お前が勝手にその命を絶たないように見張っているだけだ」
 「・・・・・」
(それこそ、無用の心配なのに・・・・・)
自分は弱い。だからこそ、紅蓮に対する罪悪感が膨らんでも自分自身で命を絶つことも出来ずに、聖樹の手でと考えていた卑怯な
男だ。黒蓉が心配してくれる価値など無い男なのに、腹に前ある手がとても温かくて・・・・・紫苑は小さな声ですみませんと返すこと
しか出来なかった。



 『当たり前だ。全ての命を救うことが私の使命だからな』
 『・・・・・』
 何だか恰好をつけた言葉だなと思ったが、グレンには似合うなと思い、昂也は思わずぷっとふき出してしまった。
こんな時に笑うなど、本当は不謹慎だと思うものの、それでも、こんな風に笑えるのは自分達が生きてここにいるという証だ。
(なんか、本当に夢だった気がする)
 昂也はチラッと視線をグレンの背後に向ける。そこの岩陰に、先程グレンの部下が運んだセージュの遺体が安置されているはずだ。
亡くなったセージュの顔を昂也はまともに見ることは出来なかったが、彼がいったいどんな思いを抱き、どんな顔をして亡くなったのか、
グレンはきっと見ている。
(でも、それはグレンのせいじゃない)
 『みんなを、助けるんだよな?』
 『もちろんだ。それが、次期竜王である私の使命だと思っている』
 『じゃあ、シオンのことも助けてくれるんだ』
 昂也がシオンの名前を出した時、それまで少し柔らかくなったと思えたグレンの表情が再び硬くなった気がした。
(もしかして、やっぱり許せない、とか)
さっきは、彼自らがシオンを助ける言葉を言ってくれたのだが、ここでそう簡単に許すと言えないのは・・・・・グレンが、この先のことを考
えなければならないからだろうというのも想像出来た。
 それでも、これを聞いておかなければ昂也は・・・・・。
 『シオンがグレンのことを裏切ったこと、そう簡単に許すことが出来ないって俺も分かるけど、でも、最後にシオンはセージュじゃなくって
グレンを選んだんだ。その気持ち、通じたよな?』
 『コーヤ』
 『シオンの命は何とか助かったけど、グレンがシオンのこと許すって言ってくれないと、俺・・・・・安心してもとの世界に帰ることが出来
ない』
 『・・・・・っ』
 その途端、紅蓮が目を見張った。思い掛けないことを耳にしたとでもいうようなそのリアクションに、昂也の方がどうしたのだろうかと首
を傾げてしまった。