竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 グレンの変化した竜の鱗にしっかりと落ちないように手を当てた昂也は、彼の姿が以前よりも少し変わったように思えた。
以前見た時も、驚くほど立派だと思っていた。眩しい金と赤の気が紅蓮の身体を包んでいき、額からは角が生え、牙が大きく出て、
他の誰もが持っていない姿、金色を帯びた赤い鱗と赤い目を持つ竜。
 どの竜よりも大きく、雄々しい、竜の王、紅竜の、その鱗の色が前見た時よりも深く輝いているように見えるのだ。
 『グレン!竜って脱皮するっ?』
物凄い風の音に負けないように声を掛けると、くぐもった声が律儀に答えてくれた。
《脱皮とはなんだ》
 『だってっ、前よりも身体が綺麗に光ってるし!一回り成長したのかなって思ったんだけど!』
《馬鹿か、お前は》
 呆れたような声の調子からすれば、脱皮というものはしていないようだ。
そうすると、グレン自身が変わったので、こんな風に変化した姿も変わったということになる。
(・・・・・あ、それとも、探していた玉が見付かったから?)
 王様になるためにはその玉が光らないといけないと聞いたが、今の時点でもう玉は紅蓮を認めているように思うのは自分の贔屓目
なのだろうか。
 『・・・・・』
(凄いな・・・・・)
 悲しく、辛い出来事があったとしても、紅蓮は確実に成長している。それは素直に凄いと思う。
(俺も、変わった?)
自分も、少しは変わったならいい。想像もしたことの無い、本当に驚くことばかり起きてしまったが、その中で少しは自分も成長したの
なら、この不思議な世界に来た甲斐があるということだ。
 周りに迷惑ばかりかけ、結果的に何も出来なくて1人の竜人を見殺しにしてしまった。
今はもう、その存在さえも無くなってしまったセージュが、どうか安らかに眠って欲しいと思いながら、昂也は見る間に遠くなるあの切り
立った岩山を振り返った。



 「遅い」
 「そう?」
 「お前は心配じゃないのか?コーヤは今あの我が儘王子と2人きりなんだぞ?」
 蘇芳は王宮の裏山に立ってじっと空を見ている。
本来は傷付いた兵士の治療を手助けしなければならない江幻はその蘇芳に引っ張ってこられ、手持無沙汰にその隣に立っているこ
としか出来ない。
 「あの紅蓮がコーヤに何かするとはとても思えないけどね」
 「お前は甘い」
 意見を聞かれたので答えれば、即座にそれを否定されてしまった。
蘇芳が焦り、心配するのも分かるが、多分今の紅蓮はコーヤに無理強いすることは無いだろう。それほどに紅蓮は変わったし、コーヤ
に対する思いもまた・・・・・。
 「蘇芳」
 「・・・・・」
 「お前はどうするんだ?」
 「どうするとは?」
 「正直、ここまで付き合うとは思っていなかったが・・・・・大体の後始末を手伝えば、何時までもこの王宮にいる理由も無い。私は火
焔の森に帰るよ」
 元々、江幻は王家のために力を貸そうと思ったわけではなかった。
コーヤという人間の性格を面白いと感じ、この竜人界の存続が問題になって、その上でコーヤが何とかしたいという気持ちを抱いたか
らこそ、それならば竜人である自分も何かしなければと思った。
 結果的に、何が出来たかと言えばあやしいが、それでも大きな混乱は過ぎ去り、そうなれば江幻も何時までも王宮に留まる理由は
無かった。
 覚えていた昔の紅蓮と今の彼が違い、意外なほどこの王都も心地良く感じるようになったものの、堅苦しい生活はやはり性に合わ
ない。近々、元の住んでいた場所に帰ろうと思った江幻は、蘇芳にもその意思を訊ねてみたのだ。
 「・・・・・コーヤ次第だ」
 想像していたその答えに、江幻は思わず苦笑を洩らした。
 「コーヤが人間界に帰ると言ったら?」
 「・・・・・」
 「まさか、人間界にまで追い掛けていく気か?」
 「・・・・・分からん。だが、このまま手放すつもりは無い。せっかく見付けたんだ、このままみすみす逃がしてなるものか」
自分と同じく、人にも物にも執着しない蘇芳が、初めて心を動かされたといっていい存在。さらにその存在を、蘇芳が毛嫌いしていた
紅蓮までもが気に入っているとすれば、蘇芳が自分から手を引くことは無いのかもしれない。
(コーヤは・・・・・どうするだろうな)
 その気持ちを推し量ることは江幻にも出来ない。
今はその当人が戻ってくるのを待つしかないと、それ以上は何も言わずに同じように空を見上げることにした。



 紫苑の傷は目に見えるものだけではないと白鳴は気付いていた。
しかし、その傷は王宮の医師達にも簡単に癒せるものではないであろうし、唯一、治療が出来そうな江幻はさっさとコーヤを出迎えに
行ってしまった。
何時戻ってくるのかもしれない相手を待つなど愚かだとは思うものの、自分の部下でも無い相手に命令をするというのは難しい。
 もちろん、立場的に言えば肩書きはただの竜人である江幻に宰相である白鳴が指図するのもおかしくは無いのだが、とりあえず出
来ることはしなければと、白鳴は兵士に支えられた紫苑を隔離する一室へと運びいれた。
 「・・・・・白鳴、様」
 「今は何も言うな、紫苑」
 「・・・・・」
 「お前への罰は、その身体が回復したのち、改めて紅蓮様から言い渡されるだろう。厳しいものになるとは思うが、己の犯したこと、
甘んじて受け入れることだ」
ゆっくりと頷く紫苑を見ると、扉が叩かれた。治療薬や薬湯を持って来た者だろう。
 「入れ」
 「失礼致します」
 部屋の中に入ってきた少年は深く一礼した後、顔を上げて寝台に横たわる紫苑を見て大きく顔を歪めた。
 「紫苑様・・・・・っ」
 「・・・・・江紫」
 「・・・・・御無事で・・・・・」
 「すまな、い、お前達にも・・・・・迷惑を、かけた」
 「・・・・・っ」
江紫は唇を噛みしめ、涙を堪えているようだ。
王宮の中にいる者は、既に紫苑が裏切り、聖樹に力を貸してしまったことは知っている。ただし、その理由や経緯まではまだ謎のまま
のはずだ。
 そんな中、神官長である紫苑の部下だった者達は未だ信じられないという思いが強く、こうして無事に戻ってきたくれたということだけ
でも嬉しくてたまらないのだろう。
 「江紫、手伝ってくれ」
 「は、はい」
 白鳴も、改めてその考えを正そうとは考えていない。紅蓮が紫苑にどのような罰を与えるかは分からないが、その前段階として、今
回のことは聖樹の独断の反乱で、紫苑はただ利用されたのだとしておくつもりだった。
 死んだ者に更なる不名誉を与えるのは酷かもしれないが、これ以上の混乱を白鳴は望んでいない。それに、これからの竜人界には
紫苑の力も絶対に必要なのだ。
(あれほどの力を有する者だとは思わなかった。それを見せなかったのは紫苑の美徳かもしれないが、我らは考えを改めなければな
らない・・・・・)
 それまで、四天王と呼ばれる自分達の中でも一番物静かで大人しく、控えめだった紫苑。しかし、その力は驚くほどに大きく、彼に
匹敵する力を持つ者はほんの少数かもしれない。見掛けだけで判断することはしていないと思っていたはずだが・・・・・。
 「・・・・・」
 泣きながら外傷の手当を続ける江紫に、紫苑が静かな口調で謝罪をしている。
その光景を見つめながら、白鳴はこの存在をけして手放してはならないと深く心に誓った。



 龍巳は碧香の顔を覗き込む。
 『本当に、見える?』
 『はい』
 『・・・・・良かった』
深い溜め息をつきながらそう言った龍巳は、そっと碧香を抱きしめた。
あの場面で碧香の目が見えるようになったと聞いて、確かに嬉しかったがもしかしたらその場だけの影響かもしれないと思う気持ちが
消えなかった龍巳は、こうして改めて確かめ、碧香の綺麗な碧の瞳が真っ直ぐに自分を見つめ返してくるのを見て本当に嬉しかった。
 元々、碧香が失明をしてしまったのは、龍巳をこの世界に同行させるためだった。自身の身体の一部を犠牲にする・・・・・そんな方
法を始めに知っていたら、もっと他の方法を考えたのにと、それは後から思ったことで。
 今は、こうして碧香の視力が戻ったことを純粋に喜びたかった。
 『・・・・・ごめんなさい、東苑、心配を掛けてしまいました』
 『それが分かっているんなら、次から絶対に1人で無茶なことは考えないでくれ』
 『・・・・・』
 『碧香?』
 『次・・・・・とは、私達にあるのでしょうか』
呟くような碧香の言葉に、龍巳は思わずその身体を離し、顔を見つめる。
 『どういう意味?それ』
 『・・・・・私達は、何時まで共にいられるのでしょうか・・・・・』
 『碧香・・・・・』
 『翡翠の玉も見付かり、私達が共にいる理由はもう・・・・・ないのです』
 その言葉に、龍巳の胸がドクンと大きく鳴った気がした。
(そう、か、俺達が一緒にいる理由はもうなかったのか)
碧香が人間界へと来た理由は、翡翠の玉の片割れである紅玉を探すためだった。
結局それを自分達で見つけることは出来ずに、龍巳は碧香と共に竜人界へと行くことになった(そのせいで、碧香は失明をしてしまっ
た)が、その理由が聖樹の死で全て無くなった今、住む世界の違う自分達が一緒にいる理由は・・・・・ない。



 自分の腕を掴んだまま、眉間に皺を寄せて黙ってしまった龍巳に、碧香は小さな笑みを向けた。
竜人界の王子として不自由のない生活を送ってきたが、誰もが自分のことを紅蓮の弟だという認識で、傷つかないように大切に大切
にされ、何もさせてもらえなかったことが碧香は寂しいと思っていた。
 そんな中、今回の騒動で自分にも何かすることが出来るという使命感に燃え、人間界へと向かって龍巳と出会い・・・・・彼は異世
界に住む自分に、本当に普通に接してくれた。
 彼を好きになったのは運命だと思う。だが、その喜びは何時まで続くのか。
 「・・・・・もとの世界に、帰るのでしょう?」
 「碧香・・・・・」
 「東苑には、人間界に御両親とおじい様がいらっしゃる。優しいあの方々を残して、あなたがこのままこちらの世界に来ることなど出
来ないでしょう?」
 「俺は・・・・・っ」
 「誰かを愛しいという想いを感じることが出来て、私はとても幸せでした。だから、東苑、どうか私のために我慢はしないでください。あ
なたが大切な人の元に戻るということは当然のことなのですから・・・・・」
 今の胸の中にある気持ちだけで、碧香は十分幸せだ。これ以上の幸福を望んではいけない・・・・・そう思い、龍巳に向かって今言
える気持ちを伝えた。
龍巳は、辛そうに顔を歪め、次の言葉を切り出してくれない。優しい彼に辛い思いをさせてしまっている・・・・・そう思い、碧香は辛くて
たまらなくなってしまった。
 「あ・・・・・」
 その時、大きな羽音と振動を感じた気がした。
 「・・・・・」
窓に向かい、小さなそれを開いて外を覗き見ると、そこには紅竜が飛んでいた。
 「帰って来られた」
 「え?」
 龍巳も隣に駆け寄ってきて、ごく自然に碧香の肩に手を置きながら外を見る。
 「本当だ、昂也が乗っている」
 「・・・・・」
(では、叔父上の弔いも済ませたということなのですね)
あの地で今出来ることを全て終えてから、兄はこうして王都に戻ってきたのだ。思った以上に早い時間に帰って来たのは、あの場にい
た時間が短かったからというわけではなく、飛んでくる速度が速くなったせいだと思う。
 身に感じる兄の力の強さに、碧香はふうっと息をついた。
 「出迎えなければ」
 「・・・・・行こう」
 「あ」
龍巳は碧香の手を握り、そのまま部屋を出る。もうしばらくこの温かい手を感じていたいと思いながら、碧香は黙って龍巳と一緒に歩
いた。