竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
21
※ここでの『』の言葉は日本語です
『コーゲンッ、スオー!』
まさか2人がここまで出迎えてくれているとは思わなかった昂也は、見知ったその顔にホッと表情を緩ませた。
グレンとの話はまだ最終的な結果が出たわけではなく、昂也の中には未だ納得も決着もつかないことが多かったが、それでも何時も
味方をしてくれた2人を見ると安心出来た。
『コーヤッ』
竜の背から下りてきた昂也を、スオーはその手に抱いていた青嵐ごと抱きしめてくる。
『何かされなかったか?』
『何か?』
『あの傲岸不遜な男にだ』
スオーが顎で指し示したのは、今まさに変化を解いて人型になったグレンだ。
スオーの言葉が聞こえていたのか少し眉を顰めていたが、それでもあからさまな敵意を向けることは無い。なんだか、あっという間に
落ち付いたなと、昂也は彼らが歩み寄った雰囲気を感じて嬉しかった。
ただ、きっと2人は認めないだろうが。
『別に何もされてないよ?』
『・・・・・』
昂也の言葉に答えること無く、じっとその顔を見、その後に全身を見たスオーはようやく安心したように息をついた。
その理由はよく分からないが、どうやら昂也の言葉を信じることが出来たらしい。
『紅蓮の匂いがしないし、まあ、大丈夫だろう』
『匂い?』
首を傾げて聞き返すが、スオーは笑って答えてくれない。
(スオー、ちょっと動物っぽいよ・・・・・あ、竜だっけ)
でも、竜は動物と言っていいのだろうかと、昂也が頭の中で色々考えているうちに、スオーはさっさと昂也の腕を掴んで山を下り始
めた。
グレンと共に戻った王宮内は大変な騒ぎになっていた。
先に戻ってきた兵士達はその多くが能力者だったが、力の使い過ぎで疲弊し、中には倒れてしまう者もいたらしい。
外傷もあり、その治療で召使や少年神官達がかなり忙しく走り回っている中、昂也は眠ってしまった青嵐を他の赤ん坊達が眠って
いる部屋へと連れて行った。
赤ん坊達は昂也の存在に気付いたのか、部屋に入った途端まとわりついて離れなかったが、皆の無事な姿を見て昂也は嬉しくて
たまらない。
他の子に昂也を取られるかと思って威嚇するように唸っていた青嵐も、子供になって欲求も素直に出るようになってしまったのか、
やがてコロンと眠ってしまった。
『あの』
『・・・・・』
グレンは様々な後処理をする必要があり、ハクメイもその補佐をしなけれならなくて、アサヒはソージュの傍にいることから、今昂也
の傍にいるのはコクヨーだ。
最近少し態度が軟化してきたかなと感じてはいたものの、今のコクヨーからは以前感じた恐ろしいほどの殺気や侮蔑の感情といっ
たものは感じられない。
それよりも、どこか戸惑ったような・・・・・一歩引かれたような感じで対されるので、何だかとても居心地が悪いが、それでもこれなら
ば話しやすいかもと声を掛けた。
コクヨーはただ黙ってじっと視線を見つめてきたが、昂也は構わずに続ける。
『俺、シオンに会いたいんだけど』
『駄目だ』
『ど、どうしてっ?』
『紫苑にはまだ紅蓮様の審判が下されていない。それがはっきりと分かるまでは、紫苑は軟禁することになるだろう』
『し、審判・・・・・』
(そ・・・・・なのか)
自分の非を謝ってそれで終わり。そんな風に簡単にいかないことは分かっていたはずなのに、昂也はあれで全てはいい方向に向かう
と思っていた。
(グレンは、シオンをどうするんだろう・・・・・)
最後にこちら側に協力をしたとしても、その前に裏切ってこの世界に混乱を招いたことは大きな罪となるのだろうか。
それでもなお、彼に会いたいと言い張るのは子供の我が儘になることは昂也にも分かっていたので、今はただ小さく頷くことしか出来
なかった。
「現状を早急に調べ、報告させよ。民の不満が多い場所には、私が自ら向かい、これからの展望を伝える」
「全てで、ございますか?」
「当たり前だ。こちらが良くてあちらはと、私が選んでいいわけが無い」
「分かりました。即刻使いを飛ばし、現状を把握させます」
白鳴の言葉に紅蓮は頷いた。
本当はこの竜人界全てを自分の目で確かめ、民と会話をしたかったが、今の紅蓮には他にもやらなければならないことが山積してい
て、何日も王宮を空けることが出来ない。
今は必要最小限に留め、少し落ち着いてから動こうと、紅蓮は続いて赤ん坊達の世話をしている召使の報告を受けた。
今回の騒動でしばらくの間一室に閉じ込めることになってしまったが、それでも赤ん坊達の成長に支障はないようだ。
「今は青嵐様もご一緒に休まれております」
「青嵐も?」
「はい。コーヤ・・・・・様が、連れていらっしゃって」
召使は少し躊躇った後、コーヤの名前に敬称を付けた。
今、コーヤはこの王宮内でも微妙な立場なのだろう。
最初は、紅蓮が考えたように忌むべき存在として距離を置いていたが、角持ちである青嵐を見付け、今回の戦いにも自ら赴いて。
それほど尽くしてくれた彼に敬意を向けるのは当たり前だと、謙虚な竜人達は考えているのだ。
そして、紅蓮もそれを正そうとはしなかった。
「コーヤには江幻と蘇芳が付いているのか?」
「黒蓉を付けております」
白鳴が口を挟む。
「あの2人は、どうも紅蓮様に反抗的ですので」
「・・・・・」
「紅蓮様、コーヤのことをどうするのですか?」
「白鳴」
「当初、あの少年は碧香様が人間界に行っている間だけの滞在だと考えておりました。しかし、今実際に碧香様が戻られてもコー
ヤはここに存在しています。このまま・・・・・帰さなくてもよろしいのではないのでしょうか」
内心で思っている自身の気持ちを打ち明けられたような気がして、紅蓮は思わず白鳴の顔を見てしまった。
(・・・・・やはりな)
今自分が言った言葉が紅蓮の想いなのだと、敏い白鳴は直ぐに気付いた。
あれほど忌み嫌っていたコーヤを何時の間にそれほど大切に思うようになったのか・・・・・もしかしたら初対面からそれに近い感情を抱
いていたのではないだろうかとさえ感じている。
そうでなければ、いくら理由があったとしても、紅蓮が人間を、それも少年をその腕に抱くことなど考えられない。
「コーヤは角持ちを見付け、裏切ったまま死を選ぼうとした紫苑の命を助けた。それだけでも、この世界に存在するに価値のある者
です」
民の心を惹きつけるほど強い魅力を持つ紅蓮だが、人を思いやる優しい感情というものは育っていなかったように思う。
それが、コーヤの力によってこの短期間のうちに支配者としての素晴らしい素養が高まった。そんな相手を、みすみす元の世界に帰し
てはならない。
「・・・・・お前は良いのか」
「・・・・・」
「コーヤが、人間が私の傍にいることが」
「それが、紅蓮様やこの竜人界のためになるのでしたら」
きっぱりと答えると、どこか不安げな表情だった紅蓮の表情に力強さが戻った気がした。
「お前が賛成をしてくれるならば心強い」
これで、きっと紅蓮はコーヤを手に入れるために動くはずだ。後は自分もそれを手伝い、いずれ竜王になる紅蓮の一番良い方法を考
えればいいだけだった。
「・・・・・」
話が途切れると、不意に紅蓮は立ち上がる。
「紅蓮様?」
「地下神殿へ向かう」
「・・・・・お1人でよろしいのですか?」
「碧香を連れていくつもりだ。しばらく誰も近付けるな」
「はい」
壊れてしまった結界を新たに張るには、王族の濃い血と、翡翠の玉が必要だ。それだけは白鳴も手伝うことが出来ないので、紅蓮が
憂うこと無く力を発揮出来るように手筈を整えることにした。
結界も無く、翡翠の玉も無い地下神殿は、ただの入れ物に過ぎない。
ここに新たに力を注ぎこみ、神聖な場所とするために、紅蓮は弟の碧香を連れてやってきた。
「休んでいる所をすまなかった」
元々、あまり健康な身体ではない碧香が、今回のことで心も身体も深く傷付き、疲れているだろうというのは分かっていたが、王族
にとって大切な地下神殿は一刻も早く復活させなければならない。
それは碧香も十分分かっているらしく、兄の気遣いにありがとうございますと礼を言ってから、大丈夫ですと力強く言葉を返した。
「これは私達にしか出来ないことですから」
「・・・・・そうだな」
碧香の手を取り、長い階段を下りながら、紅蓮は碧香の横顔をじっと見つめる。
(何時の間に・・・・・)
こんなにも碧香は大人になったのだろうかと思った。
言葉の選び方から、その眼差しまで、以前、紅蓮が良く知っていた少し甘えた、弱々しい碧香の姿ま全く見えず、1人の王族として
なすべきことをしようという、強い心構えが見れた。
(それは・・・・・)
「碧香」
「はい」
「お前にとって、タツミはそんなにも大きな存在になったのか?」
「・・・・・っ」
握った碧香の手に、いっそう強い力が込められる。
「お前はどうする」
「あ、あの」
「タツミをこの世界に留めておくつもりだろう?あの男にそれは伝えたのか?」
「お待ち下さい、私は・・・・・っ」
「私は反対はせぬ。男同士であるし、何よりも相手は人間であるが・・・・・我らの祖先の血を受け継いだ、あれほどの力を持つもの
だ、きっと私やお前の支えになってくれるはず」
己でも不思議なほど、碧香とタツミの関係を引き裂こうという気持ちがない。
むしろ、大切な弟を守れる男かもしれないという思いが強くあり、2人の強い結びつきを考えてもそれが当然のように考えていた。
「そ、そのようなこと・・・・・」
(まさか、兄様がそうおっしゃって下さるなんて・・・・・)
こんな風に龍巳と自分のことを認めてくれるとは思ってもいなかった碧香は動揺してしまった。龍巳の人柄の良さは誰に対しても声
を大きくして伝えることが出来ると胸を張れるが、人間嫌いの兄だけはそれも通用しないと思っていたからだ。
「・・・・・ありがとうございます」
それには素直に嬉しいと思うが、実際に龍巳をこのままこの世界に留めておくということとはまた別の話だ。たとえ碧香がそう望み、
龍巳がその願いを叶えようとしてくれても、実際の龍巳の思いはどうなのか・・・・・。
(やはり、あの美しい人間界へと戻りたいと・・・・・そう願うに違いない)
「碧香」
「東苑には、彼が思うままにしてくれたら私は嬉しいのです」
(誰かの気持ちを慮って、意図しない方へと向かって欲しく無い)
傍にいて欲しいと思う気持ち以上に、龍巳自身が幸せになって欲しい。そう考えるほどに碧香は龍巳のことを想い、彼の幸せを願っ
ているのだ。
「・・・・・思うまま?」
碧香の反応を訝っているような紅蓮の言葉に、碧香はどうかこの思いを分かって欲しいと真摯に今胸の中にある思いを兄に伝えよ
うとする。
「この世界に残ってくれても、人間界に帰るにしても。私は、東苑が望む方に喜んで同意します」
「・・・・・」
「ですから・・・・・兄様、どうか東苑を追い詰めないでくださいね?彼はこの世界を救った力の一因となった方なんですから」
「・・・・・心配いたすな」
「兄様・・・・・」
紅蓮が少しだけ苦笑した気配がした。こんな柔らかな兄の気配はもしかしたら初めてかもしれないと、碧香は握り合う手に力を込め
て自身の頬にも笑みを浮かべた。
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