竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
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※ここでの『』の言葉は日本語です
地下神殿に着いた紅蓮は、そのまま一番奥へと向かい、懐に入れていた紅玉と蒼玉を取り出した。
この翡翠の玉の存在を知った時から今まで、紅蓮自身がこの玉を移動させたことは無かったが、今回は不可抗力故の緊急事態だ
と心の中で亡き父に謝罪しながら、何時も翡翠の玉があった石台の上に2つの玉を置く。
物理的なものは後から改めて復旧すればいいが、先ずはこの空間自体の修復をしなければならなかった。
「碧香」
「はい」
紅蓮の言葉に、碧香が左手を差し出した。
その手を掴んだ紅蓮は、腰の小剣を抜き、そのまま碧香の手首近くに刃を走らせる。すると、一筋の血の線はそのまま滴となり、床
にこぼれ始めた。
次に紅蓮は自らの手を切り付け、碧香の血の上に自分の血を零す。
混じり合う蒼い血。それは一つになり、何だか輝いているように見えた。
「・・・・・」
「・・・・・」
そして、2人は同時に念を込めた。
少し前に聖樹との戦いでかなりの気を使い、今でも完全に回復しているわけではないが、それでも今持っているものを全て使いきる
ように放出する。
しばらくして、空間が揺れ始めた。地下神殿の復旧は近い。
「兄様」
「ああ」
やがて、神殿の中を澄んだ気が支配し始めた。王族の血が不浄な気を全て浄化し、注ぐ気の力が新たな結界となったのだ。
しかも、やっと取り戻した翡翠の玉が、2人を助けるように光を放出し始め、
「・・・・・っ!」
金の光が2つの玉を包んだかと思うと、紅玉と蒼玉の玉が溶け合い、自然に一つの存在になる。
(元に戻った・・・・・)
紅蓮は深い息をついた。
父から受け継いだ翡翠の玉をようやく元の形に戻すことが出来、本当に・・・・・本当に心の底から安堵した。
「碧香、大丈夫か?」
「はい」
思っていた以上の血が流れてしまい、しばらくして紅蓮が碧香の傷の深さに気付き、素早く癒しの気を注ぐ。紫苑や江幻ほどの
治癒能力は持っていないが、それでも、紅蓮も浅い傷くらいならば癒すことが出来た。
白い碧香の腕から傷が消え、紅蓮は改めてぐるりと地下神殿を見渡す。
(・・・・・父上)
取り戻した翡翠の玉は、何時、誰の前で輝くのだろうか?
以前は皇太子である自分が必ずその後を継ぐのだろうと確信していたが、今回の戦いで自分以外にも資格がある者が分かった。
竜王になる資質を持つ者の前で自分はどういう態度をとればいいのかと、紅蓮は未だ光ってくれない翡翠の玉をただ見つめることし
か出来なかった。
北の谷から戻ってきてずっと動いているコーヤに、江幻は少し休むようにと忠告した。
いくら若いとはいえ、身体も、そして何よりも心が疲れているのは江幻の目からも明らかなので、少しの間だけでも横になるようにと
強引にコーヤを連れていた時だった。
「江幻様っ」
「・・・・・」
名を呼ばれて立ち止った江幻は、そこに立つ少年の恰好を見て直ぐに予想が付いた。
「蘇芳、コーヤを頼めるかな」
「お前・・・・・」
「私も後で向かう」
「・・・・・分かった」
「コーゲン?」
詳しいことを言わなくても通じる蘇芳とは違い、コーヤはいったい何がったのかと不思議そうな眼差しを向けてくる。
その問いに、江幻は穏やかに笑いながら答えた。
「私も医師のはしくれだからね。手伝えることがあるのなら協力したいと思って」
「あ・・・・・ん、頑張って」
「ありがとう」
コーヤの背を押して歩き始めた蘇芳を見送り、江幻は今自分を呼びとめた少年に再び視線を向けた。
「確か、江紫と言ったかな?どうした?紫苑に何かあった?」
少年神官の中でも、年長の責任者である江紫のことは覚えていた。そして、その江紫が自分に声をかけてくるということは、他の者
にはどうしようもない問題・・・・・例えば、聖樹の手によって倒れてしまった紫苑のことだろうと容易に予想はつく。
その江幻の言葉に肩を震わせた江紫は、深く頭を下げて言葉を押し出した。
「どうか、お力をお貸しくださいっ」
「・・・・・」
「紫苑様、紫苑様のご様子がおかしくて・・・・・っ」
言葉は途中から涙声になって良く聞き取れない。
「紫苑の元に案内して」
「は、はい」
とにかく紫苑の容体に大きな変化があったということだけは分かり、江幻は直ぐに江紫の背中を押して促した。
あれほど紫苑に会いたがっていたコーヤを、本当は連れて来てやりたかった。
しかし、今の紫苑がそれを望んでいるかどうかは分からなかったし、そもそも今の状況を自身の目で確かめないうちは容易にコーヤ
には近付けない方がいいと思う。それほど、まだ江幻は紫苑を信用はしていない。
(結界が張ってある)
江紫に案内されて向かった部屋には部屋全体に結界が張り巡らされていて、弱った者は絶対に表には出れないだろうと分かった。
「・・・・・」
そして、部屋に一歩足を踏み込んだ江幻は眉を顰める。
寝台に横たわっている紫苑は静かに目を閉じ、一見容体は落ちついているようにさえ見えるものの、身体から放たれる気は弱々しく、
今にもその命の炎が消えてしまいそうな・・・・・そんな危うさを感じてしまう。
ゆっくりと枕元に近付いた江幻が、
「紫苑」
その名を呼ぶと、閉じられた瞼が震え、やがて静かに開かれた。
「・・・・・江幻殿」
自身の名を呼んだ相手を、紫苑は僅かな笑みを浮かべて見つめた。
今頃コーヤに付いているはずの彼が、どうして自分の枕元に立っているのかと考え、その後ろで青褪めた顔色のまま立っている江紫
の姿に全てを悟った。
「知らせなくても・・・・・良いものを」
深い信頼を向けてくれていた江紫を、紫苑は確かに可愛がったと思う。
それでも、自分が紅蓮を裏切ったことは既に江紫も知っているはずで、本来ならば裏切り者に対する一歩引いた態度を取ってもいい
はずだった。
それを、律儀にも看病をしてくれ、なおかつ医師である江幻さえも呼んでくれた。その心遣いは嬉しいと思うものの、出来ればこのま
ま放っておいて貰った方が気持ちが楽だった。
「紫苑」
「・・・・・己の身体、です。江幻殿、何もおっしゃられず、このまま・・・・・」
「そうはいかない」
「・・・・・」
「このまま死んで逃げるなんて許されないと思わないか?なにより、コーヤはお前の身体をとても心配している。お前の意志よりコ
ーヤの思いの方が私には大切なんだ、死なせるわけにはいかないよ」
「・・・・・何をおっしゃって・・・・・」
「動かないで」
紫苑が何を望んでいるのかを十分分かった上でそう言った江幻は、その身体に手を翳してゆっくりと気の流れを調べ始める。
何時その鼓動を止めてもおかしくないほどに侵されている自分の内部に、江幻ならばきっと気付いてしまう。そこから彼が聖樹の最
後を思い出してしまうと・・・・・。
「身体の中に、紅玉を隠していたな?」
「・・・・・」
動揺を表に出すな、落ち付けと、必死に自分自身に言い聞かせるものの、今の状態で江幻を誤魔化せることは無理なような気が
する。多分、江幻は気付いてしまった。
「・・・・・玉の影響か?」
「・・・・・」
(やはり、気付かれてしまったか・・・・・)
原因が分かってしまえば、その対処法もこの男なら考えるかもしれない。静かな死を望む紫苑には、延命など全く必要が無いもの
なのだ。
(どうか、このまま・・・・・)
「・・・・・これは、当たり前の罰なのです」
静かに、この命を終わらせて欲しい。
紫苑は江幻の問いには答えないまま、再び瞼を閉じた。
「忙しいんだな、コーゲン」
江幻と離れてしばらくすると、コーヤはそう呟いてチラッと視線を背後にやった。
江幻がコーヤをあの場から早々に立ち去らせたいと思っていた意図をくんで動いたのだが、そんな蘇芳の気持ちなど想像もしないの
だろうコーヤが少し憎らしい。
「何だ、俺が暇そうだって言うのか?」
「そ、そういうわけじゃないんだけど」
誰よりもコーヤを心配し、愛しいと思っているのは自分なのに、どうして当の本人だけがそれが分からないのだろうかと、蘇芳は少し
ムッと口を引き結んだ。
「なあ、スオー」
「・・・・・」
「・・・・・スオー?」
なかなか返答をしない自分に焦れたのか、コーヤが強引に顔を覗きこんできた。
様々な相手の心配をするくせに、どうして自分の心配はしてくれないのかと、蘇芳は文句を言いたくなってしまうが、コーヤに誰かを特
別扱いするなと言っても、その意味が分かっていないのならば同じことだ。
「コーヤ」
「なに?」
昂也からの問いを無視したが、蘇芳がそう声をかけると律儀に返事を返してくる。そんな生真面目なコーヤならば確実に答えてくれ
るだろうと、蘇芳は気になっていることをこの機会に聞いてやろうと思った。
「お前、帰るのか?自分の住んでいた人間界へ」
「うん、そのつもりだけど」
迷いのない言葉が返ってくる。
「俺のいる場所はここじゃない気がするし」
「・・・・・」
「・・・・・変?」
変ではなく、それはきっと正しい選択だろう。ただ、それを自分は、いや、自分達は認めたくなくて、どうしたらコーヤをこの世界に留
めることが出来るのか、ただそのことだけを考えてしまうのだ。
(スオー・・・・・気にしてくれてるのか?)
何だかここにきて、色んな人に同じような質問をされる。
どんな答えを期待しているのかが分からないが、コーヤは自分の意志を正直に伝えた。
『うん、そのつもりだけど。俺のいる場所はここじゃない気がするし』
元々碧香の交換要員としてこの世界に来てしまった自分は、碧香が戻ってきて、探している2つの玉が見付かった今、考えたら出
来ることはほとんどない。
龍巳のように不思議な力を持っていたとしたら、それこそこの世界が立ち直るまで協力しようと思ったが・・・・・多分、今のままでは
自分は邪魔な存在でしかないはずだ。
(悔しいけど、これが現実なんだよな)
『スオーも、色々力を貸してくれてありがと』
『こんな時に礼など言うな』
『あ、ご、ごめん』
『・・・・・コーヤ』
『なに・・・・・うわっ』
『逃げるな』
いきなり、昂也はスオーに抱きしめられる。何時もとは少し違う真剣な表情を向けられてしまい、昂也は冗談を言ってその腕の中から
逃げ出すことは出来なかった。
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