竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
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※ここでの『』の言葉は日本語です
蘇芳は焦っていた。
コーヤという存在は竜人にとってあまりにも眩し過ぎて、彼に惹かれるものはこちらが焦れったさを感じるほどに多い。
そんな中、今までコーヤの存在に見向きもしなかった紅蓮が、今回の聖樹の反乱を期に急速に近付いて行った。傲岸不遜なあの
男が心を入れ替え、民の声を聞き、賢王になるということを否定はしないものの、そこにコーヤの存在を欲してもらっては困る。
初めは、王宮に現れたコーヤ。しかし、紅蓮は当初その手を離した。
その後、その手を欲するなんて、あまりにも虫が良過ぎる。
「ス、スオー」
「・・・・・」
「ねえって」
背中をパンパンと叩かれるが、コーヤの力など痛くもない。いや、痛さは身体などではなく、心に響く。
「・・・・・コーヤ」
「な、何?」
「・・・・・帰るな」
「え?」
戸惑ったような声が返る。コーヤの中でこの世界に残るという選択が欠片も無かったことが感じ取れたが、今はそれには目を瞑ろうと
思う。
そして、自分がこんなにずるいことを考えているなどと少しも想像していないだろうコーヤは、己に向けられた願いをむげに断るような
性格ではないと蘇芳はもう分かっている。
(紅蓮なんかより、俺の方がこいつと一緒にいたんだ)
その良さに急に気付いたからといって、はいはいと譲る馬鹿ではない。
「コーヤ。ここに、俺の傍に残ってくれ」
「ス、スオー、それは、あの」
「頼む」
誰かに懇願するというのは初めてで、蘇芳は頭を下げることも忘れてただコーヤを言葉で籠絡しようと必至だ。
女相手ならば一瞬で落とすことも出来ると自負している自分の声だが、コーヤにそれが通用するかどうか、全く自信が無かった。
どうしよう。
それが、今の昂也の心境だ。こんな風に必死で引き止めてくれるスオーの言葉は嬉しいが、それと自分がここに残るというのは少し
違う気がした。
ただ、ここで即座に駄目だと拒絶してもいいものだろうか・・・・・そんな風に迷ってしまう自分の気持ちが態度をあやふやなものにさ
せてしまい・・・・・。
『コーヤ』
『お、俺・・・・・』
『昂也』
『・・・・・っ』
その時、スオーとは違う響きの声が自分の名を呼んだ。聞き慣れたその声に、昂也はスオーに抱かれたまま焦って顔だけを向ける。
『トーエンッ』
龍巳はスオーと抱き合った(抱きしめられているのだが)昂也の姿に少し驚いたような表情をしていたが、直ぐに何時もの表情に戻ると
少し良いかと言ってきた。
この世界に来てから、落ち付いて2人で話すという時間が無かったということに改めて気付いた昂也は、即座にうんと答えた。
(アオカの事は心配いらないんだな)
王宮内だからこそ、龍巳はこうして単独行動を取れるのだろう。それでも、彼が好きなアオカの傍にいたいだろうというのは分かってい
るつもりなので、昂也は早く話を済ませてやろうとスオーの顔を見上げながら言った。
『ごめん、スオー、離して』
『・・・・・』
『スオー』
『・・・・・コーヤ、今の俺の話を忘れるなよ?』
念を押すように言った後身体を解放してくれたスオーは、少し離れた場所に立つ龍巳に言い放つ。
『おい、ちゃんとコーヤを部屋まで送りとどけろよ。くれぐれも変な奴に持って行かれないようにな』
『あ、はい』
きっと、龍巳もスオーが何を言おうとしているのか分からなかっただろうが、律儀にそう言って頭を下げていた。
龍巳よりも早くこの王宮で暮らした昂也だが、始めはお客さん・・・・・いや、近寄りがたい存在として遠巻きに見られていたので、中
を隅々まで知っているわけではなかった。
結果、ゆっくりと2人で話す場所もなかなか思い付かず、2人で長い廊下を話しながらその場所を探すことにした。
『スオーさんって、本当にお前が気に入ってるんだな』
『うん。好かれてるのは嬉しいけどさ、なんか過保護な兄貴がいるって感じ』
わざと不本意なのだという顔を作ろうとしたが、昂也の頬には自然に笑みが浮かんでいた。人に好かれるのは嫌われるよりも断然
いいし、スオーはコーゲンと共にこの世界で自分を支えてくれた大事な仲間だ。
(少し、スキンシップが激しいけど)
スオーだけではないが、この世界の人は簡単にキスをしてくる。女の子相手ならばドキドキするだろうが、同じ男、それも年上の相手
にされると、何かの罰ゲームかと思ってしまい、今では慣れてしまっているというのが拙いとも思っていた。
『あ、トーエン、ここから上に上がれるみたいだぞ』
しばらく歩くと、細い階段が目に入る。どうやら上に向かっているらしい。
『この建物、屋上なんかあるのか?』
『さあ?行ってみよーぜ!』
迷うことも無く、昂也は龍巳の手を引いた。
初めてのことに向かい合った時、慎重な龍巳は考えることが多くてなかなか一歩を踏み出さないことが多いが、後先を考えない昂也
は先ず行動する。
それが自分達に何時もある姿で、場所が違っても変わることのないものだった。
昂也に手を引っ張られて長い階段を上がって突きあたりにあった扉。
そこを開けると、この王宮の丁度真上に出られた。
『すっげー!!』
『おいっ、あんまり急ぐと落ちるぞ!』
当たり前だがフェンスなどは無く、30センチくらいの高さの石が並べられている端からは、一歩間違えては下に転落してしまう。
『大丈夫だって、俺だってそこまで子供じゃないんだから!』
笑いながらそう言うものの、今までその言葉で昂也がどれほど失敗してきたかは、幼馴染の龍巳は良く知っていた。
それでもあまり注意するとわざとふざけてしまうこともあるので、引き際を心得て口を噤むのも、幼馴染ならではなのかもしれない。
『なんかさ、本当に本の中にいるみたいな景色だよな?』
『うん』
『竜に乗っちゃったり、トーエンなんかすっごい力を出せたり。何だか、自分まで物語の中に入り込んでいるような気がする』
昂也の言いたいことは何となく分かる。
目の前に広がる深い森や、高い空。高いビルや電線なんか当たり前だが無くて、本当に幼い時に見た絵本の中にいるような錯覚さ
えしてしまう。
いや、実際に今自分達はそんな世界にいて、こうして話してることも現実なのだと思うと何だか不思議だった。
『昂也』
昂也は下を見ながら高い高いと騒いでいたが、声をかけると直ぐに視線を向けてきてくれる。その真っ直ぐな視線を見つめ返しなが
ら、龍巳は今の自分の心の中にあるものを吐き出した。
『俺、碧香の傍にいたいんだ』
そう切り出した時、昂也はどんな反応を示すだろうかとどこかで不安に思っていた。しかし、
『うん、知ってる』
返ってきた言葉はそんな呆気ないもので、覚悟をして切り出したつもりの龍巳の方が拍子抜けしてしまった。
『・・・・・それだけか?』
『だって、トーエン、アオカのことが好きって言ったろ?お前、大切な子の傍にはいてやるタイプだもん、分かるって』
どうやら、自分が昂也のことを熟知しているように、昂也の方も龍巳の性格をよく知ってくれている。
自分がどんな思いでこの選択をしようとしているのか、それを分かった上でこんなにも軽い口調で同意してくれているのだろうと思うと、
何だかくすぐったい気がして思わず苦笑を浮かべてしまった。
『・・・・・そっか。お前には全部分かってるんだっけ』
『そうだぞ。だから隠しごとなんか出来ないだろ?』
血が繋がっていないのに、兄弟のように育ってきた自分達。やはり、長男気質の昂也には負ける。
『でも、そうやって分かってくれているんなら言い易いな。俺が碧香の傍にいたいっていう思いもそうだけど、彼をこのままこの世界に
置いていてもいいのかって考えてる』
碧香がこの世界の王子様で、重要な立場だということはもちろん分かっている。その上で、龍巳は少し前からそんなことを考えていた。
『日本にいた時の碧香は、もっと年相応な表情も見せてくれていた。俺の家族を好きだと言ってくれたし、景色だって綺麗だって』
『トーエン』
『王子としての責任を全て捨ててついて来て欲しいって言ってもいいのかな。俺は、今の感情に流されるんだけじゃなくって、本当に
碧香を幸せに出来るんだろうか・・・・・』
碧香に、自分と共に日本に来て欲しいと思うのは単なる龍巳の我が儘だ。龍巳が自分の生まれ育った土地を愛するように、もちろ
ん、碧香もきっとこの世界を愛しているだろうということも分かっているつもりだ。
それでも、碧香が自分に対して好意を持ってくれているのは感じ取れるし、もちろん龍巳も今まで感じたことが無いような愛おしさを
碧香に感じている。
男同士で、別の世界の相手で。
(それでも・・・・・好きなんだ)
その上で、そんな自分の気持ちを伝えてもいいものかどうか、龍巳の中ではいまだ迷いの方が大きかった。
龍巳のアオカへの想いの深さを改めて本人の口から聞かされた昂也は、単純だが凄く嬉しいと思ってしまった。
どこか一歩引くところのあった龍巳に、それほど望むものが出来て嬉しい。
『いいんじゃないか』
『昂也』
『それはトーエンの本当に望んでいることだろう?それを相手にちゃんと話すのは悪いことじゃないと思うけど』
『・・・・・でも、碧香は・・・・・』
『もちろん、トーエンがそう言ったって、アオカがいやっていう可能性だってある。それはアオカの気持ちで、お前はちゃんと受け止めら
れるだろ?で、2人が気持ちを出しあってから、ようやく話しが出来るんじゃないか』
龍巳が望んでも、それが叶わないこともある。それと反対に、アオカも同じことを考えてくれている可能性だってある。
しかし、それらはちゃんと話し合ってこそ結果が出ることで、もしも龍巳が振られてしまっても、自分が盛大に慰めてやる。
『お前、ちょっとモテ過ぎなんだから、1回や2回振られたって全然大丈夫だって!』
『・・・・・振られたくないよ』
『それは、お前の頑張り次第』
こうやって話は聞いてやるが、手助けはしない。何より、しなくても龍巳が振られてしまう可能性などとても低いはずだ。
(アオカだって、トーエンのことが凄く好きなんだし、後はどうやって折り合いを付けるかだろ?)
好きになれるのなら、性別や生まれた世界の違いなんてどうってことは無い・・・・・そう思って欲しい。
(・・・・・そっか、スオーも・・・・・)
龍巳にハッパを掛けた後、昂也はつい先程のスオーの言葉を思い出した。妙に真剣な顔をして、真摯な響きで自分に伝えてきた
言葉。
『帰るな。コーヤ、ここに、俺の傍に残ってくれ』
あの言葉を、自分はもっと真剣に考えなくてはいけないのかもしれない。
そして、もう一つ頭の中に残っている言葉。
『考えることなど無い。お前はこのまま私の傍にいればよい』
(あれって・・・・・どういう意味なんだろ?)
あの男は、どうしてそんな言葉を自分に言ったのだろうか。本当は一刻でも早く元の世界に帰れと思っているはずなのに、見つめてき
たあの赤い瞳は、とても社交辞令や嘘には思えない。
『昂也?』
『・・・・・確かに、むずかしい問題だよな』
龍巳とアオカのような恋人同士の関係では無いものの、2つの世界を跨る話は案外難しい。いや、それはその人物達の性格による
ものも大きい気がするが。
『あ、青嵐のこともあった』
『青嵐?・・・・・まあ、確かにお前が黙って姿を消したら、凄いことになりそうだよな』
『だろっ?』
『まあ・・・・・ちゃんと話せば分かってくれるよ』
何時の間にか立場が逆転してしまい、昂也の方が龍巳に慰められてしまう。
『お前はいいよな〜、恋の悩みだし』
『別に、いいことじゃないって』
龍巳とは違い、自分の方は子守の問題と、妙な独占欲と支配欲に絡んだ問題のような気がする。係わっているのが全て男だとい
うことにも虚しさを感じながら、昂也は高い空に向かって溜め息をついた。
(どうしよ・・・・・)
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