竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
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※ここでの『』の言葉は日本語です
グレンの部屋に向かっていた昂也だが、その途中で出会った召使にコクヨーが訊ね、彼が今部屋にいないことが分かった。
どうやら今は今回の戦いで傷付いた者を見舞って歩いているらしい。
『へえ』
(あのグレンが・・・・・)
出会った当初のことを思えばとても考えられないことだが、最近のグレンを見ればそんな風に他人に対して思いやりを持つ姿も想像
出来た。
『部屋にいないんじゃあ、行っても無駄かあ』
『どうする』
『ん〜』
このまま、スオーの待つ自分の部屋に戻るか、龍巳とアオカの元に邪魔をしに行くか。
青嵐の元に行くことも考えたが、すでに休んでいるだろうと思うので起こしても可哀想だと、昂也は仕方が無いなあと溜め息をついた。
今は皆忙しくて、自分に構っている時間は無いのだろう。それならば大人しくしているしかない。
『部屋に戻る』
『そうか』
元々言葉数の少ないコクヨーはそう言って頷いて歩き始める。その後ろを昂也が追い掛けてくるのを疑いもしていないような足取り
に慌てて走って追いついた昂也は、ふと思い出したことを聞いてみた。
『あの、ソージュは大丈夫?』
『・・・・・なぜ?』
『だって、セージュってお父さんなんだろ?そのお父さんを、その・・・・・。いくら仕方が無いって割り切ったとしても、傷付かないなんて
ことないと思うから』
親子の間にどんな葛藤があったのかは昂也はもちろん知らないが、それでも親子の縁というものが簡単に消えてなくなるものとは思
えなかった。
(・・・・・俺だって・・・・・)
この世界に来て、いったいどれくらいの時間が流れたのか。
一か月も経っていないはずだが、この世界と自分が住んでいた世界の時の流れが一緒かどうかなんて分からない。帰ったとしても、両
親がいないことだって・・・・・。
『あ・・・・・れ?』
想像だけで、こんなに悲しい気持ちになるなんて恥ずかしくて、昂也は目の端に滲んだ涙を慌てて手の甲で拭う。
(大丈夫、みんなちゃんと迎えてくれるはずだよな)
あり得ないことは考えない方がいい。
蒼樹のことを心配したかと思えば、いきなりコーヤは自分自身が泣きそうな顔になった。その感情の移り変わりが全く分からなかった
黒蓉は内心慌ててしまったが、こういう時に何と言えばいいのかも分からない。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・コーヤ、蒼樹は大丈夫だ」
だから、彼が涙を滲ませる前に気にしていたらしい蒼樹のことを口にした。
「父親がいなくなったとしても、彼の傍には紅蓮様がいる。あの方の存在はきっと蒼樹の気持ちを慰めるだろう」
コーヤの感情が揺れたのは蒼樹のことばかりではないと分かっていたが、無骨な己は人の機微というものを読み取れない。紅蓮のこ
とはその眼差し一つ、纏う気の変化でも分かるというのに、どうしてもコーヤのことは分からない。
(・・・・・分からなくても、いい)
知ったとしても、どうしようも出来ない。
「・・・・・」
立ちすくむコーヤは何時まで経っても歩き出そうとはせず、黒蓉は仕方ないと歩み寄った。
「その身体を担いで欲しいのか?」
「ええっ?」
「・・・・・」
(それほど驚くことでもないと思うが)
見下ろすコーヤはどうやら涙は止まったようだ。そのことに内心ホッとしながら、黒蓉は身を屈めてコーヤの身体を抱き上げる。
「コ、コクヨーッ?」
「大人しくしていろ、暴れると重い」
嘘だ。暴れてもコーヤなどたいして重くはならない。むしろ軽くて心許無いくらいだが、多少強く言わないとこの人間が大人しくしないこ
とはさすがに黒蓉も学習していた。
(けして、この手に抱きしめたいわけじゃない)
「これは・・・・・どういうことだろうか」
目の前の光景に思わずそう呟いた江幻に対し、黒蓉に抱きあげられていたコーヤは焦ったように首を横に振った。
「こ、これっ、違うんだって!俺が泣いちゃってっ、それで、大丈夫だって言ったのにコクヨーが心配してっ」
泣いたという言葉に、江幻は素早くコーヤの姿を見たが、どうやら特別に何かをされたというわけではないらしい。
「コクヨーって意外と心配性なんだよ!」
「・・・・・心配性」
(これほどこの男に似合わない言葉は無いな)
紅蓮に限っては、それこそどんな些細なことでも見逃さない黒蓉だろうが、それ以外に関しては露ほどの関心も抱かない男という印象
だった。特にコーヤのことは、紅蓮の影響もあってあまり良い思いは抱いていないはずだが・・・・・いや。
(紅蓮が変わったんだ、黒蓉も・・・・・)
主の心境の変化に己の気持ちを沿わしてもおかしくは無い。
「・・・・・」
ただ、今までコーヤのことを軽んじていた相手に、こんなにも早くコーヤが懐くのは面白くない。
蘇芳の気持ちも分からないでもないなと思いながら、江幻はきっとコーヤが気にしているだろうことを口にした。
「今、紫苑に会ってきたよ」
「え?」
「・・・・・」
驚いた声を上げるコーヤとは反対に、黒蓉がすっと目を細めた。何を言い出すのかと牽制しているつもりかもしれないが、あいにく江
幻は紅蓮の臣下などではなく、自由気ままな放浪神官だ。
紅蓮が紫苑のことをどうしようと考えているのかは分からないが、ずっと彼を心配していたコーヤにはその経過を話してもいいと判断し
た。
「今のままでは、多分紫苑は遠からず死ぬ」
「え・・・・・」
「江幻っ?」
黒蓉もまだ知らなかったのか驚いたように聞き返してきて、腕の中のコーヤの身体を滑り落としてしまう。コーヤはそのままその場に
尻もちを付いてしまったが、江幻の言葉に驚いたせいか、その体勢のまま視線を向けてきた。
「そ、それ、ホント?」
「身体の内部から侵されている。それは外からの攻撃ではなく、内側からの影響・・・・・自分の身体の内に紅玉を隠していた影響
が大きいようだ。薬草ももちろん、私の力でも回復は難しい。口先だけの嘘を言うつもりはない。コーヤ、紫苑に会うのなら今のうちだ
と思うよ」
「・・・・・っ」
「コーヤ!」
反射的に立ち上がったコーヤがそのまま踵を返そうとしているのを、黒蓉がパッと腕を掴んで止めた。
「どこに行くつもりだ!」
「だっ、だって!」
「お前は紅蓮様の許しを得ていないだろうっ。会うことは許されない!」
当たり前と言えば当たり前のことを言う黒蓉だが、今が平静の時と違うことにまだ気が付いていないのか。
(紫苑が命尽きる前に何を望んているかと言えば、このコーヤという存在なのだとなぜ気付かない?)
どのような思いからかははっきりと分からないが、聖樹側に付いた紫苑が結局紅蓮に奪った紅玉を渡したのは、間違いなくコーヤとい
う存在があったからだと思う。それほど、紫苑にとってコーヤは特別なのだ、最後の時に会わせてやりたいと思ってもいいはずだ。
そう思う江幻の直ぐ傍で、本人もまた、黒蓉に必死に訴えていた。
「バカ!そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
振り向いたコーヤはそのまま黒蓉に食ってかかった。
「人の生死が掛かってるんだぞっ?悪いことをしたからってっ、こんな時にまで制限をするなんて馬鹿馬鹿しい!」
黒蓉の肩ほどもない身長のコーヤが黒蓉を圧倒するほどの勢いで意見を述べている様は爽快で、このままコーヤが負けるとはとて
も思えなかった。
紫苑は目を閉じていた。
江幻に色々と訊ねられたが必要最小限のことしか伝えておらず、真実は闇の中で紫苑がその命の炎を消す時はもう間もなくだ。
「紫苑様」
「・・・・・」
「・・・・・っ」
世話をしてくれる江紫が悲しげに己の名を呼ぶのが申し訳ない。こんな情けなく、愚かな師のことなど見捨ておけばいいものを、江
紫と共に入れ替わり立ち替わり現れる少年神官達は皆、未だに慕っているのだという思いを隠さない。
(・・・・・戻ってくるのでは・・・・・なかった)
どんなに乞われようと、紅蓮の慈悲があろうと、無理にでも姿を消し、この身が朽ちて命の炎が消えるのを待てば良かった。
それならば、他の者達にこれほど迷惑を掛けなかったのに・・・・・。
ドンッ
そんな、静寂に満ちた部屋の中に響く大きな音に、紫苑は目を開ける。
突然乱暴に扉を開けられてしまい、江紫がとっさに紫苑を守ろうと立ちふさがったが、
「シオン!」
「・・・・・っ」
(こ、の、声は・・・・・?)
扉の向こうから、眩しい日の光が差し込んできたような気がする。
その光を背中に背負った者・・・・・コーヤは、真っ直ぐに自分のもとへと駆け寄ってきた。
「シオン!」
「・・・・・」
(神よ・・・・・)
紫苑は目を閉じた。
愛しい者の声は、どんなものでも耳に心地良い。
『今のままでは、多分紫苑は遠からず死ぬ』
『身体の内部から侵されている。それは外からの攻撃ではなく、内側からの影響・・・・・自分の身体の内に隠していた影響が大きい
ようだ。薬草ももちろん、私の力でも回復は難しい』
そんなことがあるはずが無いと、頭の中で何度も打ち消した。
生きてここまで戻ってきたというのに、その命が間もなく消えるなんてとても考えられなかった。
『シオンッ、どうしてっ?なんで死ぬなんて・・・・・!』
『・・・・・』
コーゲンに案内してもらった部屋に飛び込み、ベッドに横たわっているシオンに駆け寄った。元々この世界の人々は色素の薄い者が
多いが、シオンの今の顔色は真っ白と言ってもいい。まるで身体の中の血が全て流れ出てしまったような、こうして今生きていることが
不思議にさえ思えた。
『どうすればいいんだっ?どうすれば助かるのか分かってるだろっ?』
どうしてこうなってしまったのか、どうすれば助かるのか。
シオン自身に聞けば分かるはずだと思うのに、シオンは自分の方に視線を向けたまま口を開いてくれない。
『シオン!』
『・・・・・もう、いいのですよ』
『どうし・・・・・っ』
静かな、いや、むしろ口もとに笑みさえ浮かべているようなシオンに、昂也の胸はキュウっと苦しくなってしまった。
もう、シオンが全てを諦めているということはヒシヒシと感じられるのだ。
『私は、こうなることを予期していたのかもしれない。それでも、聖樹殿に手を貸すことを・・・・・止めなかった。この命など、どうでもよ
いと・・・・・思った』
昂也はパッとコーゲンを振り返る。
『コーゲンッ、何とかならないのかっ?助かる方法は無いのかよ!』
今まで何度も昂也を助けてくれたコーゲンならば何とか出来るのではないか。
自分の力では無理だと言っても、何らかの方法は知っているのかもと、昂也はコーゲンの腕を強く掴んで揺する。
『言っただろう、コーヤ。私の力でも無理だと』
『コ、コーゲン・・・・・ッ』
『ただ・・・・・』
『な、何かあるのっ?』
『・・・・・角持ちならば、可能かもしれない』
『角持ちって・・・・・青嵐が?』
(青嵐ならシオンを助けることが出来るかもしれないっていうこと・・・・・っ?)
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