竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
28
※ここでの『』の言葉は日本語です
その光景を、紅蓮はただ見ていることしか出来なかった。
明らかに青嵐が発する気で、身体の全てを浄化されている紫苑。助かるのかどうか、信じてはいたものの、自分の力では限界も感じ
ていた紅蓮は、それをこうして現実のものに出来た青嵐に対し、畏怖と同時に感謝の思いも強くした。
「・・・・・」
「黒蓉」
そして、自分と同様に、ただ見ていることしか出来なかった黒蓉に声を掛ける。
「紫苑の処遇は、あれの身体が回復してからにするぞ」
それまで、暗黙のうちにそういう流れにしようとは思ったものの、言葉に出してはっきりと方針を伝えた。
本来ならばどれほどの重傷者であっても、王族に対する謀反を企てたものに容赦をする必要は無かった。しかし・・・・・紅蓮は、紫
苑がはっきりと生きることが出来ると確認するまでは動くことが出来なかったのだ。
「承知致しました」
普段なら、どんな立場の相手であっても紅蓮に刃を向けた者に対する対応は厳しいはずの黒蓉も、今回ばかりは紅蓮の言葉に
反論せずに頷く。
「後は、琥珀達か」
聖樹に与した者達の処罰を早急に考えなければならないが、それでも以前のように処刑をしたり、北の谷に追放するなどという罰
は与えるつもりは無かった。代々の祖先や、亡き父には甘いと言われるかもしれないが、今回のことはあくまでも自分の不徳から起
こってしまったことで、相手の非だけを責めることは出来ない。
(このように考えるとはな・・・・・)
変わってしまった自分の考えだが、紅蓮はそれを黒蓉達臣下も、受け入れてくれると思った。彼達もまた、今回の戦いで心身ともに
成長しただろうということを感じているからだ。
「江幻」
黒蓉から視線を移して呼んだ江幻が振り向いた。
「紫苑のことは任せてもいいな」
「・・・・・私でいいのかな?」
「お前が適任だ」
「ん〜」
どうやら責任のある立場にはいたくないらしく、江幻は直ぐに頷かなかった。しかし、それを促したのはやはり・・・・・。
「コーゲン」
「ん?」
「シオンのこと、助けてくれるよな?」
コーヤには甘い江幻は、その眼差しと言葉に苦笑を浮かべる。どうやら、これで話は決まったようだと内心ほっと息を付き掛けた紅蓮
だったが、
「・・・・・っ」
(な・・・・・ん、だ?)
不意に、身体の中がざわめくのを感じた。戦いの時とは別の、身体中の気が高まる気配。
「紅蓮様?」
その紅蓮の変容に一番に気付いたのは黒蓉だった。
即座に紅蓮の身体を支えるように手を回したが、これは倒れるような衝撃ではないのだと、紅蓮は大丈夫だと言いながらその手を離
そうとした。
「グレン?」
2人の異変は直ぐ様他の者も感じ取ったらしく、コーヤも不安げな視線を向けてくる。
何時も生命力溢れたコーヤのそんな表情は見たくない。その思いで紅蓮は何気ない風を装いながらコーヤの頬に触れようとしたが、
「・・・・・っ」
伸ばした自分の指先が、気も放出していないのに赤くなっているのが見えた。これはいったい・・・・・。
「ぐ、れん、様・・・・・直ぐに、地下神殿へ・・・・・お越し、ください」
「・・・・・紫苑?」
目を閉じ、眠っているとばかり思っていた紫苑の口から出てきた言葉。神官長である彼がそう言う意味を、紅蓮は即座に察した。
『えっ?ど、どうしたんだよっ?』
いきなり身を翻したグレンと、その後をとっさに追い掛けて行ったコクヨーの姿に慌てて声を掛けてしまったが、2人の足は止まること
は無く部屋から飛び出して行った。
『・・・・・翡翠の、玉』
『シオンッ?』
まだ無理をして話さなくてもいいと止めようとしたが、シオンはこれだけはという様子でコーヤを見上げてきた。
『見届け、を』
『見届け?』
(いったい何の・・・・・?)
昂也は直ぐにピンとこなかったが、コーゲンには見当がついたようだった。
『翡翠の玉が光るんだな?』
それでも、少し驚いた様子でシオンに話し掛けるコーゲンの言葉に、昂也はようやくこの世界の仕組みを思い出す。
(確か、玉が光ったら、次の王様を認めるって言ってたよな。・・・・・じゃあ、グレンが?)
『グレンが王様になるってことっ?』
改めてその事実に思い当った昂也が言うと、シオンは微かに頷いた。神事全般を取り扱うシオンは、そういった事情も全て分かって
いるのだろう。
(グレンが王様に・・・・・この、竜の世界の王様になるのか・・・・・)
それまでずっと言われていたことだが、いざ現実にその時を迎えるのだと思うと関係の無い昂也も何だかドキドキとしてきた。
いや、関係無いとは言えないかもしれない。今シオンは言ったではないか。
『俺が、見てもいいの?』
神聖なその瞬間を、この世界の者で無い自分が見てもいいのかということが心配だったが、シオンは昂也から視線を外さないままゆっ
くりと頷きを返してきた。
シオンは、きっと大丈夫だ。それまで自分の命に対して未練が無いというような言動を取ってきたが、その命が他の者、青嵐によって
新たに長らえさせられた今、自身の思いだけでその命を縮めるようなことはしない。
(シオンは、そんな人じゃない)
ここに自分がいなくても大丈夫だと確信した昂也は、隣にいる龍巳を見上げた。
『トーエン、俺達も行こうっ』
『え、でも、俺が行っても・・・・・』
『俺1人じゃ信憑性ないじゃん!2人、この世界の王様が生まれるのをちゃんと見届けようっ?』
その頃、碧香も王宮内に満ちてきた不思議な気に気が付いていた。
それは負の力ではなく、自身の身体の中に新たな力を吹き込んでくれるような大きく、温かいもの。
「・・・・・兄様」
多分、時が来た。
一年という長い時間を待って待って待って。
一時はこの世界の崩壊という所まで追い詰められた竜人界が大きく変わる瞬間が来たのだ。それは、長い間この国を守り、愛してき
た亡き父の守護の力が終わる時でもあった。
「・・・・・」
碧香は直ぐに自身の部屋を出た。きっと、紅蓮もこの気に気がついたはずだ。
唯一の肉親として、この国の王子として、その瞬間をこの目でしっかりと見届けなければならない。
碧香と共に修復した地下神殿は、既に神聖な力を取り戻している。
紅蓮はここに至るまで、石段を一段一段下りるたびに、身体の中の血がざわめくような感覚がした。
(いよいよ、か)
目の当たりにしなければまだはっきりとは言えないが、それでもこれほどに身体の奥底から高鳴る高揚感はその時期が来たという
ことを告げてきてくれている。
一年、待った。これが長かったのか短かったのかは分からないものの、今の紅蓮にはその時間も己に必要なものだったのではないか
と思えた。この時間があったからこそ、今の自分は以前よりも遥かに、この世界を、民を、思うことが出来ている。
「・・・・・」
重厚な扉を開けた瞬間に、身体を突き抜ける清浄な気。変化は、見えている。
「紅蓮様」
「間違いは無いようだな」
「至急、見届け人を連れてまいりますっ」
紅蓮が翡翠の玉に認められたということを見届ける第三者を呼ばなければならない。
それは、翡翠の玉に認められたなどという虚言を吐く王族の存在を許さないためだが、今現在王となる資格の者は紅蓮と碧香しか
おらず、そこに何者かが割り込んでくるという可能性は限りなく低いように思われた。
(・・・・・いや、資格だけを言うのならばまだ他にも・・・・・)
父が外で産ませた腹違いの義兄弟、蘇芳も、王族のいずれかの血を受け継いでいるだろうと思われる江幻も、そして、人間界へ
と旅立った王族の血を受け継ぐ龍巳も、その資格は十二分にあるだろう。
過去の自分ならばけして認めなかっただろうその可能性を、今は冷静に考えることが出来る。紅蓮は、竜人界のために誰が上に立
てば民が幸せになるのかを想像した。
その上で、紅蓮は自身がその重責を担う覚悟を持っていた。もちろん、そこに周りの臣下や能力者、そして民の協力も受けてとい
う、これまでに無い譲歩の思いも込めて、だ。
「・・・・・っ、コーヤ」
「・・・・・」
様々な思いを込めて神殿の中を見回していた紅蓮は、そこに今の自分に一番影響を与える存在・・・・・コーヤの姿を見付けた。
青嵐を抱いたコーヤとタツミは、一瞬だけ躊躇いを見せたものの、それでも中に入ってきた。
「俺達、見ていてもいいかな」
「・・・・・」
「紅蓮、構わないね?」
まるで、コーヤの保護者のような顔をした江幻が背後から姿を現し、反論を許さないような笑みを浮かべて言う。
「よろしいですよね、兄様」
そして、それに重なるように別の声がした。
「碧香」
「碧香っ」
この気を感じ取って急いで駆け付けたのか、碧香の息は少しだけ乱れてはいたものの、口調ははっきりとしたものだった。
「彼らには、その権利があります」
「・・・・・そうだな」
こちらの勝手な事情に巻き込み、本人が意図しないままこの世界に来てしまったコーヤ。
突然人間界へと現れた碧香を保護し、こうして竜人界に連れ帰ってくれた上に、その気を世界を救うために発揮してくれたタツミ。
人間とはいえ、この竜人界にとっては大いなる力となった2人を拒む言葉は無かった。
「・・・・・そうだな」
神聖なる地下神殿に緊急事態ではなく、王位継承の証人という大事に人間である2人を呼び入れた紅蓮の行動を、黒蓉は自
身でも認めていることを不思議に思っていた。
本来なら先に立って反対をするべきところを彼らが相応しいと思っているのは、きっと共に戦ったという思いがあるということのほか、
黒蓉自身、2人が特別な存在だと感じていたからだ。
「ありがとう」
律儀に礼を言い、奥へと歩みを進めるコーヤを、じっと立ち止まって待っている紅蓮。
(紅蓮様・・・・・)
それだけでも、紅蓮にとってのコーヤの位置が分かるようで、黒蓉は微妙に視線を逸らした。
「黒蓉」
「碧香様」
「この宮の中にいる者達も、きっとこの異変に気が付いているはず。臣下を代表としてあなたがここにいるのです。しかと、見届け
て下さいね」
「・・・・・はい」
(そうだ、私がきちんと見届けなければ)
今ここにいない白鳴や浅緋、そして蒼樹。軟禁状態にある紫苑も、以前は何時この時が来るのだろうと待ち望んでいたはずだ。
その場に立ち会える幸運を自覚し、見つめなければ。
「・・・・・」
コーヤを背後に従えた紅蓮が更に奥へと進む。
ここは側近の黒蓉といえど、容易に近付くことの出来にない神聖な域。畏怖の思いが強く、足が震える気分だが、目の前にある大小
の細い背中は・・・・・コーヤもタツミも、知らないからという理由だけでなく、その緊張感を上手く受け流しているように見える。
自分達と同じ力を持つタツミはともかく、何の力もないコーヤはこの雰囲気に押されないのかとも思ったが、それがコーヤなのかもし
れないと思うと、黒蓉の口元にも少しだけ笑みが浮かんだ。
「・・・・・」
やがて、紅蓮がそっと翡翠の玉に手を翳した。その途端、
「あ!」
そのコーヤの声が合図かのようにいっそう気が高まり、金を帯びた深紅の光と銀を帯びた蒼の光が部屋の中に満ちた。
紅と蒼と、金と銀。身体の中を満ちるこの大いなる気は紛れもなく翡翠の玉の力であり、この四色の色が漏れなく輝くということは翡
翠の玉の正当な気が高まったということだ。
翡翠の玉が紅蓮を認めたという瞬間。
(新しい竜王の誕生だ・・・・・!)
待ちに待ったこの瞬間に立ち会えたことに、黒蓉の目からは無意識のうちに涙が流れていた。
![]()
![]()
![]()