竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ



29





                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 金を帯びた深紅の光と銀を帯びた蒼の光を全身に浴びた紅蓮は、目を閉じて深い息をついた。
この光は竜人界の隅々にまで広がり、新しい竜王が誕生したということを全ての民が知ることになる。覚悟をし、それを望みはしたも
のの、実際にこうして翡翠の玉に認められると身が引き締まる思いがし、重い責任が両肩に一度に圧し掛かったような気がした。
 「・・・・・」
 そして、竜王になった紅蓮が一番最初にするべきことは、自身が本当に王に相応しいかを冷静に判断することだ。
紅蓮は目を開き、振り向いた。その視線の先にいるのは・・・・・。
 「タツミ」
 「え?」
 不意に名前を呼ばれたタツミは戸惑ったような表情をしている。
 「こちらに」
 「え、あ、でも・・・・・」
さすがに翡翠の玉が光っているこの直ぐ側に近付くのは躊躇いがあるようだが、紅蓮はもう一度名前を呼び、傍に来るようにと言う。
 「行ってみろよ」
 コーヤにも促されたタツミは少し困惑した表情のまま紅蓮の傍まで来た。
 「それに、手を翳してみろ」
 「手、を?」
 「そうだ」
ここまできて抵抗することもないと考えたのか、タツミは紅蓮が言うまま翡翠の玉に手を翳した。
すると、それまで放たれていた金銀を交えた赤い光から、赤と蒼が混じった・・・・・青紫の光に変化する。それは周りで見ている者に
も明らかな変化だった。
(やはり、そうか)
 聖樹との戦いの最中にも見えたタツミの放つ気の色。普通の能力者でも持ち得ない高貴な気の色を人間のタツミが持つことに不
満はなかった。
きっと、翡翠の玉は一年もの間待っていたのだろう、紅蓮と対になる、双頭の竜となる存在を。
 「これ・・・・・」
 理由を求めるようにタツミが視線を向けてきた。
 「タツミ、このままこの世界に残り、私の片腕として力を貸して欲しい」
 「グ、グレンさん」
 「私は翡翠の玉に竜王として認められたが、私1人では心許無いと、玉はもう1人の気の持ち主を選んだ。力以上に、精神の強
い者、青紫の気を放つお前を」
 「!」
そう、これが、翡翠の玉が出した答えなのだろう。力で支配するだけではなく、民の心を思い、救っていける者。それがタツミなのだと
紅蓮は思った。



(お、俺が、この世界に?)
 翳す手から全身にまで及んできた青紫の光。戦いの最中に見た時よりも青みが強くなっているように思うのは、もしかしたら龍巳
自身の精神が安定したからかもしれないが、それでグレンと共にこの世界を支えるなんてとても想像出来なかった。
 『東苑』
 兄の言葉に愕然とした表情の碧香を、龍巳は振り返って見つめた。
 『・・・・・碧香』
 『タツミ、お前がこちらの世界に残ることを承諾するのならば、碧香との婚儀も快く祝おう』
 『・・・・・っ』
(婚儀って、結婚のことだよな?)
 碧香のことが好きで、その手を離すつもりが無い龍巳でも、まだ16歳。高校1年生の龍巳にとって結婚ということはまだ想像出来
ない遥か未来のことだった。
 それに、自分がこの世界に残る条件のような形で、碧香との関係を認めてもらうのは素直に喜べない。それよりも、龍巳はずっと考
えていたことをこの機会にと口にした。
 『グレンさん、俺はこの世界に残ることは出来ません。元の世界には家族が残っているし、俺の力はこの世界ではイレギュラーなもの
だと思っています』
 『何』
 グレンの赤い瞳が細められ、少し声が低くなった。自身の提案を反対されるとは思わず、明らかに気分を害しているのだろうが、龍
巳はグレンに背中を向けて碧香の傍に歩み寄ると、その手をしっかりと握り締めながら言葉を続けた。
 『俺は、碧香を俺の世界に連れて行きたいって思っています』
 『と、東苑っ?』
 『ここでは、碧香は王子という縛りに雁字搦めになっている気がする。本当はとても優しいのに、戦いが直ぐ傍にあったこの世界にこ
のまま置いて行けません』
 漠然とした想いだったはずが、グレンに乞われ、碧香の眼差しを見つめている間に、龍巳の心の中ではしっかりと気持ちは固まった。
誰が何と言おうと、碧香の手は離さないし、共にいるのは人間の世界だと思う。
 『碧香を連れて行くことを許してください』
龍巳は頭を下げた。



 龍巳の放つ気が兄と良く似ていることは感じていた。しかし、それで紅蓮が龍巳を認め、自身の片腕となって欲しいとまで言い出す
とは思わなかった。
 双頭の竜。そう言葉にするだけでも簡単ではない高貴なる存在に龍巳が立つ・・・・・そう、想像した時、碧香の胸に広がったのは
焦燥感だった。龍巳の力はもちろん凄いと思っている。しかしそれは、龍巳が望んで得たものではなく、自分という存在のせいで必要
にかられて鍛えた力なのだ。
(そんな東苑に、さらに重い責任を課すことなんて・・・・・っ)
 人間界には帰らずに傍にいて欲しいとは思うが、それによって龍巳が人間界での全ての暮らしを捨て去ることはとても頷けなかった。

 「俺は、碧香を俺の世界に連れて行きたいって思っています」

そんな碧香の思いを知ってか知らずか、兄の言葉を辞して、その上、自分を人間界へと連れて行きたいと言ってくれた龍巳。
驚きは直ぐに歓喜へと変わった。とても許されることではないが、そう思ってくれただけでも嬉しい。
 「東苑」
 「碧香、俺は本気だから」
 「・・・・・」
 「正直、結婚ってことは俺の歳では考えたことがなくって、直ぐにちゃんとした返事が出来ないけど、それでも碧香と一緒にいたいし、
好きだっていう気持ちは変らない」
 「わ、私は・・・・・」
 「俺と、俺の住んでいる世界に来てくれないか」
 「・・・・・っ」
 どうしたらいいのだろうか。今直ぐにでもうんと頷きたいのに、そう出来ない自分がいた。
政には何の権限も無いものの、先王の王子として兄を支えなければならない立場だ。自分の意思で勝手には出来ない。
 「碧香」
 「・・・・・東苑、私は・・・・・」
 「碧香の気持ちが聞きたい。グレンさんのことも、この世界のことも何も考えないで、碧香自身の気持ちを教えてくれないか?」
 「・・・・・」
 龍巳には、周りの事情を理由にして逃げようとしている自分のずるい気持ちが見えたらしい。何の制約も無く、己の気持ちを告げる
ことこそがとても大変で怖いことなのに、出来るだろうと真っ直ぐな眼差しで見つめてくるのだ。
愛しい人のその眼差しに抵抗出来る者がいるだろうか。
 「・・・・・東苑の傍に・・・・・いたい」
 「碧香」
 「あの優しい世界で、あなたを見つめていたい・・・・・」
 王子という身分など何の関係も無く、ただの碧香として龍巳の傍にいられるあの世界に行きたい。けしてこの竜人界が嫌になった
わけではないが、愛する人が生きる場所に自分もいたい・・・・・それは碧香の素直な思いだった。



 紅蓮は今にも爆発しそうになる感情を何とか抑えていた。
タツミの力を認め、共にこの竜人界を支えて欲しいと思った気持ちを即座に拒絶され、尚且つ大切な弟である碧香を人間界へと連
れて行きたいと言われてしまった。怒りと驚きで感情が入り乱れてしまうのは仕方が無いだろう。

 「・・・・・東苑の傍に・・・・・いたい」

そして、何よりも衝撃を受けたのは碧香のその言葉だった。どんなにタツミのことを想っていても、竜人界の王子である碧香がこの世界
を捨てるとは全く考えてもいなかったのだ。
 「・・・・・っ」
 タツミを引き止められないのは、仕方が無いと思える。もちろん、翡翠の玉に認められるほどの力を有するタツミを欲しいとは思うが、
人間界で生まれ育ったタツミがそれを拒絶することもあるだろう。
だが・・・・・。
 「・・・・・碧香」
 「に、兄様」
 「お前は、本当にタツミと共に人間界へと向かう気か?」
 「・・・・・」
 「一時的ではなく、あの世界に永住するとなれば、お前の今もっている力はもしかしたら消え失せてしまうかもしれない。王子として
の身分も全く通用しない、力も無いお前が、人間界で生きていくことが出来るのか?」
 感情的にではなく、理路整然と言葉を発する紅蓮に、碧香の顔色は真っ青になった。
それなのに、2人は手を離さない。
 「俺が守りますから!」
 「タツミ」
 「碧香のことは、絶対に俺が・・・・・!」
 「・・・・・」
 何時の間にか、タツミが纏っていた青紫の光は消えていた。そう、これが本来の、人間のタツミだ。この世界では必要とされる力も、
人間界では無用のものになってしまうかもしれない。そんなタツミに碧香は付いていくと言うのか。
 「碧香」
 自然と、紅蓮の声は縋るような響きになったのかもしれない。両親が亡くなり、共に支え合ってきた唯一の弟をこの手から離すこと
になるのかと思うと、竜王としての威厳など消え失せてしまっていた。



 龍巳の発言に驚いたのは、グレンとアオカの兄弟だけではなく、昂也も同じだった。
龍巳とアオカが好き合っているのは知っていたものの、アオカを人間界へと連れて行くというのを今ここでグレンにはっきりと言うとは思わ
なかった。
(生きている場所、こんなに違うんだぞ・・・・・?)
それでも、手を離したくないのだと、しっかりとアオカの手を握り締めている龍巳の姿を見つめる。大人っぽいといわれている龍巳だが、
今この瞬間は昂也が全く追いつけない大人の男に見えてしまった。
(お、俺は・・・・・)
 青嵐との約束は、ずっと一緒にいるということだ。角が生えている青嵐を人間の世界に連れて行くことなどとても出来ない。
 『・・・・・っ』
昂也はギュッと腕の中の青嵐を抱きしめた。自分にも出来ることをやっと見付けた気がした。
 『俺が手伝う!』
 いきなり叫んだ昂也に驚いたのか、グレンが眉を顰めながら視線を向けてきたが、龍巳やアオカのためにも今ここで怯んではいられ
なかった。
 『・・・・・何を言っている?』
 『だからっ、あんたがこの世界を支える手伝い、俺がするって言ったんだ!』
 『・・・・・コーヤ』
 『昂也っ?』
グレンの驚いたような声と、龍巳の焦ったような声が同時にした。
多分、グレンは何の力も無い自分がここにいても仕方が無いと思って呆れているのかもしれない。優しい龍巳は、昂也が自分達の
犠牲になろうとしていると思ったのかもしれない。
それを全部否定はしないが、それだけではない。昂也は自分で決めて言ったのだ。
 『俺、何も出来ないかもしれないけど、それでも、何か出来るかもしれない。それを頑張って探すから、トーエンとアオカのこと、許し
てやってくれないか?』
 『・・・・・双頭の竜に、なると?』
 なぜか、グレンの声が震えているような気がする。震えるほどに怒りを感じてしまう言葉だったのだろうか。
(怒って欲しくないんだけど)
 『だから、そこまで大それたことは出来ないと思うけど』
 『コーヤ』
 それでも頑張ってと、頷こうとした昂也だが、不意に腕を捕まれて振り向いた。そこにはコーゲンが、何時もの穏やかな表情とは違う
厳しい顔をして立っていた。
 『よく考えて答えるんだ、コーヤ。双頭の竜というのには二通りの意味があるんだよ』
 『二通り?』
 『それこそ、同等の力を持つものに対しては協力関係を示す言葉だけど、そうでない場合は竜王の伴侶という意味もあるんだ』
 『・・・・・ハンリョ?』
直ぐにはその意味が頭に入ってこなくて、昂也は思わず首を傾げてしまった。