竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 人間と竜人という違いがあるのは十分分かっていたつもりだったが、それ以上にコーヤはあまりにも幼い。
それは、後から来たタツミの大人びた言動を見るとさらに際立って、江幻は大きな溜め息をつぃてしまった。
 自分のコーヤへの感情は、愛情・・・・・とは、少し違うことは自覚している。
コーヤに口付けをして赤くなったり焦ったりする顔を見るのは楽しいと思うが、その身体を抱くということまでは想像していない。少し言
葉を変えれば過剰な家族愛のようなものかもしれないが、蘇芳の思いはそれと違うことはもちろん承知していた。
 その蘇芳は、最近急速にコーヤに近付いている紅蓮を警戒している。江幻からすれば、青嵐の方が厄介だと思うのだが、赤ん坊だ
からと安心しているのかもしれない。
 そんな蘇芳が今の紅蓮の言葉を聞いたとしたら、それこそコーヤを巡っての新たな戦いが始まりそうな勢いだ。
 「ね、コーヤ。承諾をする時は慎重に。本当にそれでいいのかよく考えて」
 「コーゲン、ハンリョッてどういう意味?」
 「・・・・・分からない?」
 「うん」
 「それは・・・・・どう話したらいいだろうね」
意味をそのまま伝えることによって余計に紅蓮を意識させるのも面白くない。
江幻は不思議そうに自分を見上げてくるコーヤを見下ろしながら考えていたが、もう1人心配していたらしい者が口を開いた。
 「昂也、伴侶って言うのは結婚相手ってことだ。お前、ちゃんと国語勉強してたか?」
 「してたって!・・・・・え?じゃあ、もしかして・・・・・」
 驚いたように紅蓮を振り返るコーヤに、タツミが気遣わしげな表情をしたまま言葉を続ける。
 「彼は、お前に自分と結婚する気があるのかって言ってるんだよ」
 「け、結婚っ?」
 「あるの?」
江幻が訊ねれば、
 「あるわけないじゃん!」
当たり前だというようにコーヤは答えた。
その返答に江幻は安堵したが、コーヤの向こうにいる紅蓮の表情が険しくなったのに気付き、お気の毒様と思いながら目を細めて笑
う。
正式な結婚の申し込みをしたわけではないだろうが、コーヤが滞在すると言った言葉の中に紅蓮も期待を込めてしまったのは事実だ
ろう。もしかしたら・・・・・そんな思いで双頭の竜の話をしたというのに、あっさりと断ったコーヤ・・・・・。
(本当に、予想がつかない)
 皇太子・・・・・いや、新王である紅蓮の心情をかき回すのは、多分コーヤしかいない。
 「そうか。それを聞いて安心した」
ちらっと視線を向けると、紅蓮の眉間の皺がますます深くなった。



 自分達が暮らしていた世界にアオカを連れていきたい。龍巳がただの思い付きでそんなことを言う男ではないと知っている昂也は、
それほどアオカを大切に思う龍巳の願いを後押ししてやりたかった。
 自分は、青嵐と彼の傍にいる約束をした。角が生えている青嵐を日本に連れていくことはとても出来ず、このままこの世界に留まる
しかない・・・・・そんな決意も抱いた。
 その自分の行動が龍巳のためになるのならばとも考えたが、それと、グレンと結婚するというのは全く違う問題だ。
 『大体、俺は男だし、男のグレンと結婚出来るわけ無いじゃん!』
 『・・・・・性別は関係ない。真に相手を信頼し、愛せるかというのが問題だ』
昂也の言葉にグレンが憮然とした調子で言葉を返してきたが、それを聞いた昂也はほらなと頷いてしまった。
 『だったらなおさら無理。グレン、俺のこと嫌いだし』
 『私は・・・・・』
 『人間、好きじゃないんだろ?』
 この世界に初めて来た時から比べれば、確かにグレンの態度はかなり柔らかくなったし、無闇に睨まれることも無くなった。
だが、それと、昔から抱いている思いがひっくり返るという問題は違うと思った。

 まあ、こいつらも案外役に立つな。

そんな感じではないか。
(それに、俺も結婚するなら可愛い女の子がいいし)
 昂也にとってはまだ遥か先にある結婚。だが、傍にいるのはきっと小柄な自分でもすっぽりと抱き締めることが出来る女の子だと思
う。けして、自分よりも縦も横も大きな、しかも人間ではない相手ではないはずだ。
(グレンも、そういう意味で言ったんじゃないって思うし)
結婚相手と思えるくらい傍にいてこき使えるかどうか、その確認ではないのか。
 『グレンだって、王様の傍にいるのはお姫様がいいって思うだろ?』
 『・・・・・』
 『俺みたいな奴と、結婚したいって思うはず無いよな?』
 『・・・・・当たり前だ』
 なぜか、何時もよりも小さな声でそう呟いたグレンは、昂也に背を向けて歩き始める。
(あ、あれ?)
何時もは尊大な彼が、何だか少し弱々しく見えてしまうのは気のせいだとは思うものの、昂也は今言った自分の言葉の意味をもう一
度考えた方がいいのかもしれないと思ってしまった。



 竜王の伴侶になる。
普通ならばそれほどに名誉な立場に選ばれた身を誇らしく思うはずだ。しかし、
 「グレンだって、王様の傍にいるのはお姫様がいいって思うだろ?」
こちらが呆気にとられてしまうほど、そっけなくコーヤは答えた。
 そう、それは以前の紅蓮ならば当たり前に考えていたことた。
自身の血を受け継ぐ者を来世に残すことと、竜人界を支え、発展させることこそが竜王の使命だと思っていた。それなのに、改めてコ
ーヤの口から双頭の竜となる気はないとあっさりと言われてしまった時、紅蓮はかなりの衝撃を受けてしまった。
(このような子供に私の隣に並び立つなど・・・・・)
 考えることも無く当たり前なのに、紅蓮の心中は晴れない。そして、そんな風に自分に思わせているコーヤが憎らしくも感じた。
 「グレン?」
 「・・・・・」
(私の傍にいる気が無いのなら、近付くな・・・・・視線を向けるな)
 「グレンってば!」
(気安く、私の名を呼ぶことも許さない)
 内心で思っているだけでは相手に伝わらないのは承知しているものの、紅蓮は面と向かってコーヤを拒絶した時、離れていくコーヤ
を見る自分の方が衝撃を受けてしまうだろうことが予想出来た。
 だからこそ、こんなに悪態をついても、コーヤにはっきりと言葉をぶつけることが出来ない。
それほどに自分が情けないのかと思えばさらに落ち込んで、紅蓮は無言のまま地下神殿を出てこうとした。
 「兄様っ」
 「・・・・・碧香」
 そんな紅蓮が足を止めたのは碧香の声だった。
愛する者の手を取ろうとしたものの、やはり兄である自分の気持ちを思えば嬉しいだけではないのかもしれない。
碧香が自分のことを愛してくれていることは十分分かっている紅蓮は、今にも泣きそうな表情で真っ直ぐに視線を向けてくる碧香に手
を伸ばし、すべらかな頬をゆっくりと撫でてやった。
 「そのような顔をするでない」
 「兄様・・・・・」
 「今までの私なら、お前を人間界へなどやるものかと、タツミを殺してでも止めただろう」
 「・・・・・っ」
 息をのんだのは碧香だけでなく、その隣にいたタツミも同じだった。それでも、その目の中に恐れの色が無かったことに紅蓮は満足
をした。これくらいの脅しで腰が引けるのならば、それこそ碧香を手にする価値など無い。
(たとえ碧香が望もうとも、な)
 「碧香、よく考えたのち、私の元にその決意を伝えに来るといい」
 「・・・・・はい」
 小さな声で、それでもしっかりと頷いた碧香を見てから、紅蓮は再び歩き始めた。
 「紅蓮様、まことコーヤを双頭の竜に、あなたの伴侶になさるおつもりなのですかっ?」
 「・・・・・」
後を追ってきた黒蓉の言葉に、紅蓮は口元を歪める。黒蓉は今自分がコーヤに求婚を断られたところを見ていなかったのだろうか。
いや、あれが紅蓮の求婚だと気付いたのは、あの場では江幻くらいだったかもしれない。
(だから、子供だというのだ)
 同じ年のタツミはあれほど真っ直ぐに碧香を求めているのにと思う紅蓮のその思いこそ、もしかしたら子供のダダのようなものかも
しれないと、さらに紅蓮は落ち込んでしまった。



 『・・・・・なんだ、あれ』
 さっさと立ち去ってしまったグレンを呆気にとられて見た昂也は、思わず傍のコーゲンを見上げた。
 『俺、もしかして変なこと言った?』
 『いや、お前は正しいよ、コーヤ』
 『・・・・・』
(でも、コーゲン笑ってるんだけど・・・・・)
何が面白いのか、コーゲンは先程からずっとクスクス笑っている。元々笑い上戸な男だとは思ったが、今は本当に楽しそうで、昂也は
先程自分が何を言ったのか回想してみた。
(グレンがトーエンの力が必要で、この世界に残ってくれって言って、トーエンがアオカを日本に連れていくって言って・・・・・俺が代わり
にって言ったよな?)
 それで、そーとーの竜とか、ハンリョとか、わけの分からないことを言われた。
伴侶というのが結婚相手だと説明されれば、とてもそれが受け入れられる話ではないと思い、本人にもそれを告げたが。
(・・・・・言い方、悪かったのかな)
 『昂也』
 何時までも笑いがおさまらないコーゲンにもう一度訊ねようとしたが、その前に掛かってきた声に振り向く。
 『トーエンは俺のこと考えなくていいからな?』
龍巳が何を言おうとしているのか、その顔を見ただけで分かって思わず苦笑した。こんな風に些細な表情の変化で相手の考えが分
かってしまうなんて、本当に生まれた時から一緒にいたんだなと改めて思う。
だからこそ、昂也は龍巳に何も言わせたくなかった。
(これは全部、俺が決めたことなんだし)
 『でも、お前・・・・・っ』
 『ごめん、俺、ちょっと卑怯だった。お前の代わりっていう言い方が悪かったよな。あんなふうに言ったらトーエンが気にするって分かっ
ていたはずなのに・・・・・』
 『昂也、それは』
 『こっちの世界に残ろうって思ったのは俺の意志。トーエンとアオカのためじゃないから、俺のことは気にしないで2人でちゃんと決めて
くれよ?きっと、お前ならちゃんとした方法を考えられるって信じてるから』
 たて続けに言うと、龍巳は結局頷いてくれた。自分が龍巳の性格を把握しているのと同じように龍巳も昂也のことはよく知っていて、
今の状態で何を言っても仕方が無いと諦めたようだ。
 『さてと、青嵐を寝かしてやらなくちゃ』
 自分の都合でまたも青嵐の力を酷使してしまった。今は早くゆったりとした場所に寝かせてやらなければと、昂也もこの地下神殿か
ら出ることにした。



 『先に行くな』

 そう言って昂也は地下神殿を出ていった(江幻も同行した)。
(昂也は本当にこの世界に残るつもりなのか?)
 この世界に呼ばれてしまったのはあくまでも昂也の意志ではなかったが、ここに残ると決めたのは本人の希望だということが龍巳に
は解せなかった。昂也にとっては、この竜人界はあまり良い思い出があるとは思えないからだ。
(コーゲンさんやスオーさんみたいな理解者はいたみたいだけど・・・・・)
 それでも、以前は人間のことを忌み嫌っていたらしいグレンが昂也にどんな態度を取ったかは想像しやすい。そんな世界に、昂也は
1人で残る気なのか。
 『東苑』
 不意に服が引かれたような気がして視線を向けると、碧香が不安げな眼差しでこちらを見ていた。
(・・・・・何してるんだ、俺は)
もちろん昂也のことは大事だし、その心中はとても気になるが、それと同時に、いや、それ以上に今大切なのは碧香の気持ちだ。
 『勝手に暴走してごめん』
 碧香に言うよりも先に、グレンに向かって人間の世界に連れていくということを言うのはフェアじゃ無かったかもしれない。
 『でも、あれが俺の本当の気持ちだから』
それでも、このまま碧香の手を離してしまうという選択は出来なかった。
 『・・・・・私も、同じです』
 『碧香?』
 『兄様の傍にいるよりも、あなたと共に・・・・・いたい』
 改めてそう言ってくれる碧香の言葉に龍巳は笑うと、ありがとうと言って細い身体を抱きしめる。嬉しくて、何だかこの場ででも泣きた
くなってしまった。