竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 一体何をしていたんだと蘇芳に叱られたコーヤは、先ほど真正面からグレンと向き合っていた時の男らしさが微塵も見えない情けな
い表情でごめんなさいと頭を下げていた。
 蘇芳はそれでも何か言い足りないようだったが、厳しい説教の合間にもコーヤが頭をフラフラ揺らす様子を見て、江幻は一先ず休ま
せることを提案し、コーヤもようやく安堵したように寝台に横たわると直ぐに眠りについた。
 「・・・・・子供だな」
 蘇芳は瞬く間に眠りに落ちたコーヤを呆れた口調でそう言いながら見下ろしているが、向ける眼差しは見ているこちらが恥ずかしくな
るほどに甘い。
 だが、
 「・・・・・っ」
そのまま蘇芳がコーヤの頬に触れようとすると、コーヤに抱きしめられるようにして一緒の寝台に横たわった青嵐がペシッと手を叩いてき
た。
 「・・・・・分かっているのか、こいつは」
 見た限りでは寝ぼけた様子としか取れないのだが、それがあまりにも的確なものだったので蘇芳は疑いの眼差しを向けた。
しかし、赤ん坊の青嵐に対抗するのもむなしいと思ったのか、結局2人の身体に掛け布をしっかりと掛けてやると、こちらの方を見て言
えと言って来た。
 「何があった?洗いざらい話してもらおうか」
 江幻としても蘇芳に黙っているつもりはなかったので、そのまま地下神殿で何があったのか・・・・・紅蓮が翡翠の玉に認められたこと
から、タツミを双頭の竜として迎えようとしたこと、タツミは碧香を人間界に連れて行くと宣言し、コーヤが双頭の竜に立候補したことま
で全て手短に話した。
 「・・・・・」
 話が進むにつれ、蘇芳の眉間の皺は次第に深くなっていったが、コーヤが双頭の竜にという件になった時にはさすがに我慢しきれな
くなったのか鋭い舌打ちをした。
 「まったく、こいつは分かってそれを言ったのか?」
 「いいや、何も分かっていなかったようだ。私にその意味を訊ねてきたしね」
 「・・・・・紅蓮は本気か?」
 「あの性格で、あの場で冗談を言うことはないと思うよ。どうやら、私達が思っている以上に、紅蓮はコーヤに対して特別な感情を
抱いているみたいだ」
 当初それは、人間に対する憎悪の感情だったはずだ。
それがどういう切っ掛けで愛情へと変化したのかはさすがに江幻も分からないが、コーヤ自身にその気がない限りはそれ程心配しなく
てもいいかもしれないとは思っていた。
以前ならば紅蓮が力でもってコーヤを支配するという可能性もあっただろうが、相手に愛情を感じてしまったからには無理強いも出来
ないだろう。
(それに、即位式やらなにやら、しなければならないことは山ほどあるだろうし)
正直、紅蓮が色恋沙汰に現をぬかしている暇はないはずだ。そう思えば少し可哀想にも思ってしまうが。
 「コーヤがこちらに残ること自体は歓迎するが、紅蓮の傍に置くことは考えないとな」
 「そうだね。私としては火焔の森 に連れて行ってもいいんだけれど」
 「お前のもとに?」
 「ああ」
 「・・・・・まあ、紅蓮の傍よりはましか」
 どうやら、紅蓮よりは己の方が信用があるらしい。
だが、コーヤのような子供に愛情を傾けてしまった蘇芳ではそこまで警戒しても仕方が無いだろうと、江幻は周りの思惑など一切気
付かないまま眠っているコーヤの顔を見下ろした。






 翡翠の玉が光り、紅蓮が時期王として認められたことは竜人界の隅々まで知れ渡った。
先王亡き後、なかなか次代の王が決まらず、皇太子として以上の権限をなかなか持ちえなかった紅蓮も、もうその一挙一動で全て
を動かせる存在になった。
 本来は大々的な戴冠式をするべきところだったが、聖樹との戦いで傷付いた者が多く、その上長い間の王の不在から、王家に対
して不信感を抱いている者も少なくはない現状で、紅蓮は先ず形ばかりの式よりも民に対して直接的な行動を取りたいと思った。
 それには臣下達も同意し、早速紅蓮が足を運ぶ村を検討し始めた。
それと同時に、紅蓮を頂点とする新しい国の体制を整えるよう動き始めたが・・・・・。


 紅蓮は迷っていた。
全てが新しい未来に向かって動き始めた今、そろそろ謀反を犯した者達への処罰を決めなければならない。
 だが、今捕らえている者達のほぼ全員がこの国では敬愛されるべき能力者で、簡単に罰を与えて終わりということは出来なかった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
その場にいるのは白鳴と黒蓉で、彼らもどうすべきかを悩んでいる。
いくら紅蓮に刃を向けたとしても同じ竜人だ。なるべく穏便に済ませたいという思いもあるが、一方ではきちんとしたけじめをつけなけれ
ばという思いもあるのだろう。
 「・・・・・情けない」
 「紅蓮様」
 「己が試されているとは思うが、心情的に厳しい態度を取りたくはないとも思っている」
 「それは、私も同様でございます」
 白鳴は硬い口調の紅蓮を宥めるように声を掛けた。
 「一刻も早く今回の件に決着をつけなければならないのは分かっていますが、民を大切に思う紅蓮様のお心も十分承知しておりま
す。追放といっても、今回の件で謀反者達の拠点となった北の谷は避けなければなりませんし、これからの竜人界のためにも、1人で
も多くの能力者は必要です」
その白鳴の言葉に紅蓮は頷く。
 「さらに言えば、紫苑のことも」
 「傷は?」
 「江幻の手当てによって随分と回復しています。まだ起き上がるのは無理でしょうが、それでも命を落とすことはないでしょう」
 「そうか」
 裏切られたとはいえ、紅蓮は紫苑に対して不思議と恨みを感じなかった。
一番大きく心を占めたのは悲しみと疑問。なぜ、どうしてという、臣下に対してというよりは幼友達に対する思いの方が強く、それゆえ
なかなか事態が動かないのだが。
 「それと・・・・・これは江幻から申し出てきたのですが」



 軟禁されている部屋の中はとても静かだ。
紫苑はずっと目を閉じていたが、眠ってはいない。頭の中では様々な思いが渦巻いているものの、今の自分には何もしようが無いこと
を横たわったまま感じていた。
 「紫苑!」
 その時だ。
何の前触れもなく乱暴に扉が開かれ、大きく名前を呼ばれた。予想していたその声に、紫苑は少しだけ頬を緩め、ゆっくりと閉じてい
た目を開いた。
 「・・・・・紅蓮様」
 「本当なのかっ?」
 「・・・・・」
 「本当に、全ての力を失ってしまったのかっ?」
 「・・・・・はい、そのようです」
 まるで他人事のようにそう返してしまったが、今の紫苑にとって自身の能力にそれ程未練はなかった。嫌、むしろ、無駄に大きな力
が無くなってよかったとさえ思う。

 「紫苑、どうやらお前の能力は全て無くなってしまったようだ。今回の戦いゆえか、それとも他の理由があるのかは私にも分からない
が、今のお前はただの民と同じだ」

 今朝、治療をしに訪れた江幻が、険しい表情をしながら言った。
少し前から気が見えなくなっていたが、どうやらそれは体が弱っているからというわけではなく、能力そのものが消えてしまったかららしい。
 何時もの読めない笑みを消し、珍しく真剣にその事実を伝えてくれた江幻に、紫苑はただ、ありがとうございますと答えた。
強がりではなく、自分にきちんと告げてくれた江幻の気持ちに感謝した。
 「・・・・・紫苑」
 「これも、あなたを裏切ってしまった罰なのでしょう。本来はこの命を差し出さねばならないところを・・・・・このような力を失ったくらいで
は紅蓮様にお詫びのしようもないのですが・・・・・」
 「・・・・・っ」
 不意に、紅蓮が手を握り締めてきた。
 「・・・・・」
 「・・・・・紅蓮様」
 「お前は・・・・・どうして何時も、自分の身の内だけで全てを終わらせようとする!」
唐突なその感情の爆発は、きっと自分を思ってくれてのことなのだろう。
 「・・・・・」
 「生まれた時から力を有してきた者にとって、その力を失うことは半身を失くすこととも同じだ。紫苑、私は・・・・・私はっ」
 「それでも、私は生きています」
(それだけで・・・・・十分です)
 自分という存在がこの世界から無くなっても仕方が無いと思っていたが、こうして温情で命を長らえさせたもらったおかげで、紅蓮が
竜王になる姿も見ることが出来る。罪人として背負うものはきっと重く、もしかしたら歩くことも困難なものになるかもしれないが、それ
でも紫苑は能力を失ったことによって、返って生きようという気持ちが出てきた。
(コーヤ・・・・・)
 コーヤに、会いたい。
だが、この目で見つめて、彼を穢したくは無い。
 失ってしまったものは多いが、それ以上に様々なことに気付かされた。こんなことを言うのは間違いかもしれないが、紫苑は聖樹に感
謝をしたい思いだった。



 『やっぱり、グレンが王様になるとこが見たいよな』
 『はい。ようやくこの日が迎えられますので・・・・・』
 アオカの返事に、昂也は龍巳に視線を向けた。
 『どうするんだよ』
 『俺も、そうしてやりたいと思ってる。2人だけの兄弟だし、俺の我が儘だけ通すっていうのは嫌だし』
気遣いの出来る龍巳らしい言葉に、昂也は口をへの字にした。龍巳がアオカを連れて行くということが龍巳の我が儘だとは思わない
からだ。
(好き合ってるのならしょうがないじゃん)
 『2つの世界を自由に行き来出来たらいいんだけどなあ』
 『でも、それには身体の一部を犠牲にしなきゃいけないだろう?俺はともかく、碧香を傷付けることなんて二度と・・・・・』
 『俺は、お前も怪我したりするの、嫌!』
 昂也がそう言うと、龍巳は困ったような顔をして笑ったが、本当にそう思うのだから仕方が無い。
(本当に、どうにか出来ないかな)
ここに残ることを決めたとはいえ、家族や、今まで暮らしてきた世界に全く未練がないとは言えない。
そんな自分のためだけでなく、人間界に行くと決めた碧香のためにも、2つの世界を自由に行き来出来ればホームシックなどにもなら
ないと思うのだが。
 『地下神殿って、グレンとアオカが新しく造ったんだろう?前とは変わってるって事ないのかな』
 『それは・・・・・私には分かりません』
 すみませんと頭を下げるアオカを、昂也は慌てて止めた。アオカを問い詰めるつもりはないのだ。
 『それにしてもさ、グレンが忙し過ぎて、全っ然会えないんだよ。何をするにもあいつの許可が要るなんて面倒過ぎる〜』
シオンの見舞いに行きたいと言えば、コーゲンは笑いながらグレンに言ってくれと逃げる。
朱里やコハクに会いたいと言えば、ハクメーはまずグレンに言ってくださいとかわす。
地下神殿を確認したいと言えば、コクヨーは人間が踏み入れる場所ではないと即座に会話を打ち切ってしまって・・・・・。
 『う〜』
 『兄様は今とてもお忙しくて、私も会うのがままならないのです』
 『アオカがそうなら仕方が無いのかな・・・・・』
 それでも、シオンが気になるし、朱里やコハクの処遇も気になるのだ。
 『・・・・・っし』
昂也は勢いをつけて立ち上がった。
 『じっとしているの、性に合わないし。とにかく、もう一度グレンに会いに行ってみる』
 どんなに忙しくても、一言二言会話をすることくらいは出来るのではないかと思った。無理そうならば、グレンが動く方向に一緒に付
いて行って話せばいい。
(煩いって言われたって、そっちが時間が無いんだからって言おう)
 『行ってくるな!』
 龍巳とアオカを2人きりにさせてやりたいという気持ちもあって、昂也は軽く手を振ると、引き止める龍巳に心配ないからと笑いながら
部屋を出た。
(そう言えば、スオーはどこ行ったんだろ?)