竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
32
※ここでの『』の言葉は日本語です
碧香の元へと出掛けたコーヤはなかなか戻ってこない。
(あいつは1人で行動し過ぎる)
「俺を頼ろうとどうして思わないんだ」
何かあれば直ぐに江幻のもとに行くと思うのは自分の気のせいではないはずだ。
「・・・・・ったく」
タツミも一緒にいるので色々な話があるとは思うものの、今の蘇芳はそれを鷹揚に待っていられる心境ではなかった。少しでもコーヤ
の姿が見えないと心配になってしまうのは、江幻から聞いた紅蓮の求婚(双頭の竜の件だ)話が、予想以上に余裕を奪っていた。
自分が紅蓮に劣っているとは思わない。それでも、次期竜王に決定した紅蓮がどんな手段を講じてくるか・・・・・そう思っていると大
人しく待っているのは性に合わなくて部屋を出た。
長い廊下を歩きながら蘇芳は考える。
どうすればコーヤをこの世界に引き止めることが出来るのか。青嵐の傍にいるという言葉とは裏腹に、本人が帰りたがっているのが分
かるが、あいにく快く送り出してやれるほど自分は気の良い男ではない。
ただし、コーヤに嫌われたくはないという気持ちはあるので、どういう手段を取ったらいいのか分からないことが悩みどころだった。
(紅蓮も同じようなことを思ってるようだが、あいつの手だけは絶対に借りたくないしな)
ようやくと言っていいのかもしれないが、紅蓮が翡翠の玉に認められたことが分かったが、蘇芳は近いうちにこうなることが視えていた。
誰がこの国の王になるかなど気にしていたつもりはなかったが、それが現実になった時、蘇芳の胸に去来したのは深い安堵感だった。
確かに紅蓮は王としてまだ未熟な所が多々あるものの、先王の跡を継ぐのは紅蓮だろうと思っていた。自身が先王の血を引いている
と知った時も、自分がこの世界を制することなど考えたことも無い。
ただし・・・・・。
(その力、少しは欲しいかも、な)
コーヤを引き止めるために使える力ならば持っていても損は無い気がして、蘇芳の気持ちは多少揺れていた。
(・・・・・っそ)
竜王となる紅蓮に何らかの手助けを頼めば留まる可能性は大きくなるだろうが、あの男に頼むことだけは蘇芳の矜持が許さない。
そうでなくてもコーヤに近付き過ぎなのだ。
(人間など忌む者と言っていたくせに・・・・・っ)
「・・・・・」
そこまで考えた蘇芳は不意に立ち止った。
「考え方を、変えるか?」
だが、紅蓮の人間嫌いを利用することは出来るかもしれない。
自分にとってとても大きな存在であるコーヤだが、まだ子供であることは変わりない。子供を丸めこむことなど、大人の自分ならば出来
るはずだった。
『グレンかあ』
龍巳とアオカのことを認めてくれたらしいことは分かっている。
その前に、龍巳にこの世界に残って欲しいとか、そーとーの竜とかわけの分からないことを言っていたが、龍巳がアオカと共に自分達
の世界に帰りたいと言うと、自分の欲求を引っ込めた。
以前の彼だったら絶対に大声で否定しそうなのに、黙って引っ込んだだけでも凄く変わったと思う。そんな彼なら、もしかしたらコハク
やアサギ、朱里、そして他にセージュに加担した者達を助けてくれるのではないかと思うのは甘いだろうか。
(でも、今のグレンなら殺したりしないような気がする)
『そう、思いたいだけなのかなあ』
『何を思うんだ?』
『え?あ、アサヒ?』
振り向いた先にいたのは、王宮に戻ってきてから顔を合わすことが無かった浅緋だった。
彼自身も大きな怪我をしていたし、瀕死のソージュに付いていると聞いていたので昂也も捜してはいなかったが、顔を合わせばやはり
気になって訊ねてしまう。
『アサヒ、ソージュは?大丈夫?』
『ああ』
戻ってきた当初は、アサヒは自身が倒れそうなほどに憔悴していたが、目の前にいる今の彼はかなり顔色もいい。
返してくる口調も落ち付いたものたが、やはり再度確認してしまうのは止められなかった。
『本当に?』
顔を見ていれば安心なのだが、人の言葉というものは多少の脚色も出来る。アサヒも昂也の思いが分かるのか、少しだけ頬に笑み
を浮かべて続けた。
『・・・・・正直に言えば、とても危なかった。だが、翡翠の玉が光っただろう?あの力で、命の危機は無くなったようだし、他の能力者
達も皆一様に回復をしている。翡翠の玉と紅蓮様のおかげだ』
『へえ』
『コーヤもそこにいたんだな』
『うん』
面と向かってそう聞かれたのはアサヒが初めてだが、コーヤは自分を見る周りの目が何だか意味深なことにさすがに気が付いてい
た。
己の存在にそろそろ慣れてもらったと思っていたので、その変化はそれほど大事な場面に自分が立ち会ったのだと改めての自覚を促
し、さらには申し訳ないなという後ろめたさも感じさせる。
『・・・・・』
『アサヒ』
(どうして考え込んでるんだろ?)
アサヒは眉間に皺を寄せたまま自分を見ていた。
グレンが玉に認められた時に自分が傍にいたことは知られているが、なぜだかそれはとても不思議なことのようだった。
『あ、ごめん。本当は俺とか見ちゃいけないんだよな』
人間である自分が、そんな神聖な場面に立ち会うのは、竜人のアサヒから見れば面白くないことかもしれない。ここは一応謝っておい
た方がいいのかもと頭を下げて謝罪した昂也に、アサヒはいいやと少し表情を和らげた。
『それも、玉が導いたものだろう』
『え・・・・・?』
『お前は、不思議な子供だな』
『・・・・・子供』
(それって、ちょっと違うような気がするんだけど・・・・・)
高校生の自分が子供と言われるのは少し違うような気がするが、アサヒのような男から見れば頼りない子供に見えてしまうのは仕
方が無いかもしれない。
横を向いてはあと溜め息をついた昂也に、アサヒは思い掛けない言葉を掛けてきた。
「お前は紅蓮様の傍で支えてくれるのか?」
考える前に自身の口をついて出た言葉に、浅緋は言ってから唖然としてしまった。
(この子はこの世界にいる者ではないのに・・・・・)
あまりにも自然に自分達の傍にいるので、このままずっとこの世界にいるのではないかと思ってしまった。
紅蓮はもとから尊敬出来る王子だったが、今回の聖樹の件で、いや、もっと言葉を変えればコーヤと出会ったことで、さらに上に立つ
者らしい厳しさと同時に優しさを持ってくれたように思う。
だからなのか、このままコーヤがこの世界からいなくなることが考えられなかった。
「どうだ?」
「ど、どうって」
「・・・・・」
「・・・・・俺、青嵐と約束して」
「青嵐?」
(あの角持ちが何か?)
コーヤが見付けた、この世界最強の存在。急激に成長したかと思えば再び赤ん坊の姿になってしまったあの角持ちは、自分を見付
けたコーヤにだけしか懐かない。
本来、角持ちの保護者はその時代の王なのだが、多分青嵐は紅蓮の言葉を聞くことは無いだろうと今から想像出来ていた。
(ああ、そのことも関係あるのかもしれない)
青嵐の力を正しく使うにはコーヤの力がどうしても必要だと、紅蓮には分かっているのだ。
「青嵐、ずっと傍にいてくれって」
「・・・・・」
「俺のために、沢山の力を使ってくれて・・・・・それなのに、簡単に帰ることなんて出来ない・・・・・」
これは、偶然だろうか。
(まさか、青嵐が紅蓮様の気持ちの後押しをしたというのは・・・・・いや、考えられないな)
戦いに関して以外は愚鈍だと自覚している浅緋にも、紅蓮と青嵐があまり関係が良いようには見えなかった。だとすれば、青嵐がコ
ーヤに言ったという言葉は自身の思いのためだ。
(伝説の角持ちとはまるで違う、本当に欲望のまま動く子供なんだな)
『私にはお前を引き止める力は無いが、出来ればこのままここにいて欲しい』
別れ際、そう言ったアサヒに自分はどんな顔を見せたのか。多分、凄く困った顔を見せたのかもしれないが、それは自分自身にま
だ迷いがあるからだ。
(あんなふうに思ってくれるのは嬉しいけど・・・・・)
さっさと帰れと言われるよりは、残って欲しいと思われる方が断然いい。ただ、そこに自分の意志がどれほど入っているのかが大切
だと思う。
青嵐と約束したからという理由だけでなく、自分がこの世界に残る理由があれば、今感じている複雑な感情はもう少し晴れてくれる
とは思うが。
(そこに、グレンを出されるのは少し違うと思うんだけどな)
『あれ?』
(俺、どこに向かってるんだろ?)
グレンを捜しに出たのだが、思えば彼がどこにいるのかは分からない。
王様になる諸々の仕事をしているらしいグレンは昂也の想像以上に忙しく、一か所に留まっているということが無いらしい。そう考え
ると、昂也はどこに向かっていいのか分からなくなった。
ここは誰か捕まえて聞いた方がいいのかもと思った昂也が辺りを見回していると、
『おい』
不機嫌な声が掛かった。
『あれ?スオー?』
『あれじゃない。いったいどこに行ってたんだ、捜したぞ』
『なに、それ』
時計が無いので正確な時間は分からないが、体感ではせいぜい一時間も経っていないはずだ。
それだけの時間にこれほどの心配をされるのは自分がまだまだ子供なのだと思い知らされているようで、やはり少し面白くない。
『王宮の中なんだから心配ないのに』
『自分の普段の行動を考えろ』
『・・・・・考えた、けど?』
なぜか、はあと大きな溜め息をつかれる。
(ちょっと〜、俺が悪いのか?)
何だか納得がいかなかった。
歩いているうちに偶然見つけたコーヤは、案の定全く自分の心配を分かってくれていない。
それが悪気が合ってのことではないと分かっているのだが、それでも蘇芳は溜め息をついた。せめて顔を合わせたら嬉しそうな顔をし
て欲しい。
「どこか行くんなら、先ず行き先を言え。何かあったんじゃ・・・・・」
「だいじょ・・・・・」
「ないかと心配するんだ、俺が」
コーヤの言葉を遮り、そのまま蘇芳は細い肩を抱き寄せた。
こうして触れ合うのが癖だと思われているらしく、抱き締めても嫌がられはしないが、言葉を変えれば男として意識してもらえていない
のではないか・・・・・そんな風にさえ思ってしまう。
(保護者になりたいわけじゃないんだぞ、コーヤ)
少しは怖がってくれた方が男として見てもらえるのかもと思う自分は、かなり切羽詰まっているのかもしれなかった。
「どこに行く気だったんだ?」
「グレンのとこ」
「・・・・・紅蓮の?」
自然と低い声になってしまう自分に、コーヤはどうしたんだろうと不思議そうな眼を向けてくる。
「色々話したいと思って捜してたんだけど・・・・・変?」
「いったいどんな話だ、俺に言ってみろ」
自分には言えないくせに紅蓮には言えることなのかと睨むと、隠すことではないと思ったのかどうか、コーヤは全く頓着しないまま続
けて言った。
「俺、一応ここに残ろうかなって思ってはいるんだけど・・・・・青嵐と住むとことか、働くとことか、グレンに相談しなくちゃいけないかなっ
て思ったんだけど・・・・・違う?」
「・・・・・」
(働く気だったのか?)
蘇芳は当然、自分か江幻がコーヤと青嵐の世話をするものだと思っていたのに、コーヤ自身は自立をするつもりらしい。
何だかとても不思議で、それ以上にこれがコーヤなのだと嬉しくも思って、蘇芳は少し身体を離すと、滅茶苦茶にコーヤの頭をかき撫
でた。
![]()
![]()
![]()