竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
33
※ここでの『』の言葉は日本語です
生活のことは気にするなと一言言うことは簡単だったが、その自分の言葉をコーヤが受け入れないだろうということも蘇芳には分かっ
ていた。小さく、守るべき子供に見えるコーヤは、その実立派な男なのだ。
「それは紅蓮じゃなくて、俺や江幻が手助けをしてやるから」
「え?でも」
「そうしろ」
紅蓮を頼るという言葉だけは言うなという思いで見つめれば、コーヤは少し困った顔をしながらそうなのかなと呟いている。
深く考えてしまう前に丸めこもうと、蘇芳は自分よりも遥かに口が達者な江幻の元に連れて行くことにした。
「それに、お前が一々紅蓮の意向を考えることは無い。翡翠の玉が光った時にお前もその場にいたんだろう?滅多に無い出来事に
立ち会ったんだ、返って胸を張っていてもいいくらいだぞ」
そう言いながらコーヤの肩を押そうとしたが、コーヤは何かを考えるように立ち止ったまま動かない。
「コーヤ?」
「・・・・・俺がいて、良かったかな」
「・・・・・」
「この世界の住人じゃないのに、俺がそこにいても・・・・・ねえ、スオー、俺ちょっと行きたいとこがあるんだけど」
それがどこなのか、蘇芳はコーヤの言葉を聞かなくても分かったが、そこにコーヤを連れて行っていいのかどうか・・・・・何だか妙な胸
騒ぎを感じてしまった。
渋るスオーを促して、昂也はまた地下神殿へ向かった。
本来とても神聖な場所のそこには、神官(それも位が高い者)と王族しか足を踏み入れてはいけない場所だったらしい。
しかし、昂也自身何度かそこを訪ねたし、龍巳もスオーも(コーゲンは一応神官の資格があるらしい)中に入った。
今更そんなことを気にするのはおかしいのかもしれないが、昂也はもう一度その場所に入ってみようと思った。そして、この世界に残る
ということをよく考えてみようと思った。
(青嵐のせいにして逃げちゃ駄目・・・・・なんだよ、な)
『・・・・・』
『・・・・・』
スオーは多くを語らなかったが、それでも昂也を地下神殿に連れて行ってくれた。
途中、誰にも会わずに神殿の扉の前まで行った昂也は、
『お、お邪魔します』
小さくそう言って扉を開け、奥へと足を進めた。
『・・・・・』
自分がこの世界に呼ばれた時のことはよく覚えていないが、龍巳とアオカがやって来たことは今でも鮮明に覚えている。
そう広くは無い、澄んでいるのに底が全く見えない水の中。まるで湧き上がってくるように現れた2人の姿に、その時のコーヤは驚きよ
りも嬉しさの方が勝っていた。
(考えたらすっごく不思議なことなんだよな)
『・・・・・』
風が、冷たい気がする。
昂也は泉の前にしゃがみ込んだ。
『コーヤ』
『なんか、不思議』
『何がだ?』
『だって、こんな水が2つの世界を繋げているなんて、普通考えることなんて出来ないだろう?』
バシャ バシャ
そう言いながら、昂也は泉の中に片手を入れ、音を立てて水をかき回した・・・・・その時だ。
『うわっ?!』
『コーヤッ?』
背後でスオーが叫ぶのが聞こえたが、昂也自身いったい何が起こっているのか全く分からなかった。
泉の反対側から、まるで磁石に吸い寄せられるような強い力で中に引きずり込まれた昂也は、息苦しくてたまらなくなる。
口の中に大量に入り込んでくる水を全て飲み下すことなど出来ず、そのまま溺れてしまうのではないかという恐怖感に捕らわれた。
(そ、そんなに深かったのかっ?)
表面から見えるだけでも、せいぜい2、3メートルくらいなんじゃないかと思っていたのに、まるで深海に落ちていってるようだ。
(だ、誰か・・・・・!)
誰の名を呼ぼうと思ったのか、昂也はそのまま気が遠くなってしまった。
バシャッ!!
「コーヤ!」
水に手を付けていたコーヤがバランスを崩したのかと思った。
伸ばした手は間に合わず、蘇芳は直ぐに自らも泉に飛び込んだ。しかし、そこにはコーヤの姿は見えなくて、息が続かなくなった蘇芳
はそのまま水から顔を出す。
「・・・・・っそ!」
もう一度水の中に潜ったがやはり同じで、全く何も見えない。力を使おうとしたがなぜかそれは出来ず、蘇芳はいったん泉から出た。
「・・・・・あいつしか・・・・・っ」
地下神殿のこの泉が特別な役割があることは知っていたが、蘇芳は詳しいことは何も知らない。
いきなり姿が見えなくなったコーヤの行くえを知るのはただ1人、あの男しかいなかった。
全身ずぶ濡れのまま走っている蘇芳を、通りすがる者達は皆驚いたように見つめている。
そんな周りの視線など全く視界に入らず、蘇芳が入室の断りもせずに入ったのは紅蓮の執務室だった。
「おい!」
「・・・・・」
大きな声でその名を呼ぶと、紅蓮が胡乱な眼を向けてくる。今回のことで不本意ながら協力し合う関係になったが、それでお互い
の存在を認めることになったということではない。自分が紅蓮を面白くないと思っているように、紅蓮も自分に対してそんな気持ちを
抱いていることは承知の上で、蘇芳は紅蓮に詰め寄った。
「地下神殿の泉に飛び込んだらどうなるんだっ?」
「・・・・・お前は勝手に・・・・・」
「いいから、答えろ!」
紅蓮の説教を聞いている暇などない。
「・・・・・あれは時空の扉だ。飛び込めば人間界に繋がっている」
「それは王族のみだろう!ただの人間が飛び込んだらどうなるんだ!」
「ただの・・・・・っ」
そこまで話すと、さすがに頭の回転が良い男は蘇芳の言いたいことが分かったらしい。
「紅蓮様っ?」
傍に控えていた黒蓉の制止の声も聞かずに部屋を飛び出した紅蓮の後を追いながら、蘇芳はたった今目の前で起こった出来事を
口にする。
「コーヤが泉に手を付けた途端、中に落ちてしまったっ。直ぐに後を追って飛び込んだんだが、全くその姿が見えないんだっ」
紅蓮に助けを求めるなど、本当は忌々しくて仕方が無い。しかし、そんな自分の感情よりもコーヤの方が大切で、今は誰よりもあ
の地下神殿のことを知っている皇太子の紅蓮の力を借りるしかなかった。
(コーヤが時空の扉に・・・・・っ)
血相を変えて現れたかと思えば、蘇芳は全く紅蓮が想像もしていなかったことを告げてきた。
コーヤが地下神殿に行ったことも驚いたが、時空の扉である泉に落ちてしまったとは・・・・・。
(再生してから、まだあれを使ってはいない・・・・・っ)
紫苑に壊されてしまった地下神殿の結界を碧香と復活させた時、同時に時空の扉にも新たな力を注いだが、まだ実際に使用して
いなかった。多忙な紅蓮は、その扉が正確に人間界に繋がっているかどうか確かめる暇は無く・・・・・。
(コーヤッ!)
元々、王家の人間しか開くことが出来なかった扉。何の前置きも無く人間のコーヤがそれを開くことが出来るとはとても考えられな
かった。
だとすれば、もしかしたら人間界に帰ることも竜人界に戻ることも出来ず、永遠に時空を彷徨うことになっているのではないか。
そう思う自身の思いを懸命に否定しながら、紅蓮は地下神殿に急いだ。
地下神殿に着いた紅蓮は、直ぐに時空の扉の前へと駆け寄った。
小さな揺れも無く、まるで鏡のような泉。以前のものはもう少し荒々しい形容だったが、再生した時には傍に立っているだけでも柔ら
かく優しい気を感じた。
しかし、今は物静かなその泉がコーヤを飲み込んだのだ。
「紅蓮っ?」
バシャッ
紅蓮は即座にその中に飛び込んだ。もちろんその瞬間に全身に結界を張り、水をのみ込まないようにする。
全ての力を吸収する泉だが、王と定められた者は、紅蓮は、その力を使えることが出来た。
(コーヤはっ?)
どこまでも深い闇の中にいるかのように、水の中には何も見えなかった。いや、それどころか、人間界に引き寄せられるような気も
感じない。
(・・・・・人間界に戻ったのか?)
しかし、ただの人間であるコーヤが、自分達の助けも借りずにこの時空の扉を開けられるということは考えにくい。
だとすれは、その身体はいったいどこに消えたのか。
「・・・・・っ」
紅蓮が水面に上がると、
「紅蓮!」
蘇芳が叫ぶように声を掛けてくる。
「コーヤはっ?」
「・・・・・いない」
「いない?そんな・・・・・」
「いないんだ・・・・・」
紅蓮も、とても納得出来ることではなかったが、コーヤの姿がこの竜人界から消えたことだけは確かなことだった。
「・・・・・」
眠っていた青嵐は、不意にぱっちりと目を開けるとそのまま四つん這いになって扉へと向かった。
周りには自分と同じような赤ん坊達が眠っているが、この子達は何も感じなかったというのだろうか。
「あー」
カチャ
泣き声に合わせるように開いた扉から廊下に出ると、歩いていた召使いや衛兵が驚いたような視線を向けてきた。
「角持ち?」
「どうして赤ん坊が・・・・・」
どうやら自分のことを言っているようだが、青嵐にとってはまるで関係の無い音にしか聞こえない。今はただ、行かなければならない
場所があった。
「あー、あー」
『青嵐?』
聞き覚えのある声に、青嵐はそのまま顔を上げた。
胸騒ぎがすると言った碧香の言葉に、龍巳はなぜか昂也の姿を確認しなければと思ってしまった。
今王宮の中には碧香やグレンの敵になる者はいないはずだ。懸案事項があるとすれば、この世界で異質な自分や昂也、そして青嵐
くらいではないか。
(青嵐は赤ん坊になってしまったし、今のところは大きな力も使わないんじゃないかって思うけど・・・・・)
そう考えれば昂也は何の力も無いが、だからこそその立場は不安定だ。
『あ』
その時、廊下をマイペースで歩んでいる者が・・・・・いや、這っている姿を見付けた。
『青嵐?』
「あー」
まるで、何かを話し掛けられているような気がしたが、あいにく龍巳にはその言葉が分からない。
それでも、保護されているはずの青嵐がこんな場所にいることが不思議で、龍巳は駆け寄り、その身体を抱き上げた。
『青嵐、どうしたんだ?』
「あー、あーっ」
何事にも動じないような青嵐(年齢など関係無い)の気が、目に見えて大きく揺らいでいるように感じる。この子がここまで感情を動
かすのは、たった1人しかいないはずだった。
『・・・・・昂也?』
![]()
![]()
![]()