竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
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※ここでの『』の言葉は竜人語です
どの位そうしていたのか分からなかったが、それでも久し振りに子供のように泣いた。
だが、本当の祖父のように慕っている東翔の前なので、それが恥ずかしいという気持ちは無い。宥めることも先を急かすことも無く、た
だじっと昂也の気持ちが落ち着くのを待ってくれていた彼に、昂也は手の甲で涙を拭ってから礼を言った。
「・・・・・ありがと、じいちゃん」
「落ち付いたか」
「うん」
「そうか」
東翔は一度立ち上がって部屋を出たが、直ぐに戻ってきた時にはその手にコーラのペットボトルを持ってきていた。
「飯の後には飲みにくいか?」
「ううん、ありがと」
昂也の好物をこうして出してくれるというのが、東翔が自分を気遣ってくれている証拠だと分かって、昂也は笑いながらそれを飲む。
シュワシュワとした炭酸が喉を通って腹にしみる感じがした。そういえば、白米もそうだがこういった炭酸なども向こうの世界にいる時は
飲めなかった。
(何時もは1日に1本飲んでたのに・・・・・)
学校の弁当の時間にもそれを飲んでいて、龍巳に眉を顰めら、怒られて(食事の時は茶を飲めと)言われていたくらいだ。
昂也自身、冗談でこれが無いと生きていけないとよく叫んでいたが、今はなんだか懐かしささえ感じてしまう。
「・・・・・生きていけたんだな」
「どうした?」
「じいちゃん、好きなものって我慢出来るんだな」
今思えば、よくあんな生活が出来たなと思う。いや、そうせざるをえなかったのだが、人間というものはどんな環境でも何とか生きてい
けるものなのだ。
「コウ」
「うん」
「今の話、お前はわしに応えを求めておるのか?」
「・・・・・話す前は、そう思ってた。俺には全部をまとめて考えられないし、本当にあれが現実のものだったのかなって思ってもいたし。
でも、じいちゃん、それは違うよな?俺がちゃんと、ちゃんと1人で考えないといけないことなんだ」
このまま、何も無かったように日常を過ごして行くのか。
それとも、自分を求めていてくれた青嵐の元に戻るか。
「俺、自分でちゃんと考える」
そう言い切った昂也に、東翔は笑って頷いてくれた。
「そうだな。誰が何を言おうと、最終的に決めるのはお前自身だ」
「・・・・・うん」
答えを導いて欲しいなんて、誰かに責任を転嫁するだけだと分かった昂也は、勢いよくコーラを飲んで・・・・・むせた。
昂也は東翔に言って龍巳の服を借りると、そのまま行ってきますと言って外に出た。
今の時間は午後3時過ぎ、曜日は水曜日らしい。
自分がいなくなってからほぼ一カ月後・・・・・あちらの世界と同じように、こちらでも時間が流れていたと東翔は言った。
そう聞いた途端、昂也は先ずは自分の家に戻って家族に会いたいと思った。
東翔にそう言うと、彼は驚くことを教えてくれた。自分がいない間、家族は昂也という家族がいたことを忘れていたらしい。
いや、その存在そのものさえいなかったことになっていたのだと言われ、さすがに昂也はショックを受けた。その一方で、それで良かっ
たとも思う。昂也がいなくなり、この世界にいないのにずっと捜し続けていたかもしれない方が苦しい。
(今俺が帰って、どうなってるんだろう)
何も変わらないのか、それとも以前とは何かが変わったのか。
昂也はギュッと着ている服の胸元を掴んだ。
龍巳の家の神社から昂也の家まではそれほど離れていない。昂也は見慣れた自宅の前に立つと、その玄関を見上げた。
(・・・・・変わって無い)
見た限りでは何も変わったように見えない。玄関の横には、昂也が良く乗っていた自転車さえそのままにあったが、それがどこか汚れ
たままだというのが何だか寂しかった。
「・・・・・」
ただいまと声を掛けた方がいいのか、それとも。
さすがにグズグズと様々な可能性を考えいると、
「あら、昂也」
「!」
背後から名前を呼ばれ、昂也はパッと振り返った。そこには、買い物帰りらしい母が荷物を持って立っていた。
「か、母さん」
「制服はどうしたの?あー、また東苑君の所で着替えたんでしょう。自分の家がどこだか、あんた忘れていないでしょうね」
「・・・・・」
「おかしあるから、東苑君の所に持って行きなさい。夕飯は今日はうちで食べるのよ」
母の態度は全く変わらない。昂也を他人のように見ないし、一か月ほど家を開けていたことを咎めもしない。
まるで今朝もちゃんと家から学校に行ったかのような口調に、昂也の頬が引き攣った。
(や、ばい)
このままじゃ、また泣いてしまう。
「・・・・・」
「昂也?どうしたの?いいわけもしないで突っ立って。さすがに反省した?」
「・・・・・うんっ」
声が震えたのを誤魔化すように、昂也はそのまま家の中に入ろうとドアに手を掛けて・・・・・手を止めた。
「母さん、鍵」
情けない思いで言えば、馬鹿ねえと笑われてしまった。
部屋の中は綺麗に掃除されていて、自分がどれだけ不在にしていたのかなんて全く分からない。
しかし、広げたノートの日付はあの不思議な世界に引きずり込まれた日付から真っ白で、自分が不在の時間がそこにあったことが分
かった。
「・・・・・学校じゃ、どうなってるんだろ」
席はまだ残っているのだろうか。出席日数は、テストは。
机に向かって座った昂也は、そのまま目を閉じた。
「昂也〜!おやつはどうするの〜っ?」
下から、母が叫んでいる。何時もと全く変わらない日常に、昂也はそのまますっと眠りに落ちた。
《じゃあ、コーヤ、私の傍にいて》
《ずっと、私の傍にいて》
「青嵐っ?」
昂也はパッと顔を上げる。
そこは見慣れた自分の部屋で、カーテンが開けられた窓の外はうっすらと赤くなりかけていた。
「・・・・・寝てたのか」
椅子に座ったまま、机に突っ伏して眠っていたらしい。試験前、一夜漬けをしていてこんな風に眠ってしまったことがよくあるが、その
習慣はどうやら身体の中から抜けていないらしかった。
そんなふうに、たった数時間で元の生活の勘を取り戻したらしい自分に苦笑してしまう。
「・・・・・」
昂也は部屋の中を見回した。
制服と鞄は無いが(そういえば、向こうの世界に置いて来てしまった)、部活用の鞄や、テレビゲームもそこにある。自分という存在が
確かにここにるという証が。
それらを確かめるように一つ一つ見た昂也は、やがて1階に下り、玄関で靴を履いた。
「昂也?」
「ちょっと出てくる!」
「今から?夕飯はどうするの?東苑君の所で食べるのっ?」
「分かんないけどっ、ちゃんとまた帰って来るから!」
背後でまだ何か言っている母の声を振り切り、昂也はそのまま走った。自転車を使おうとは思わなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
空はもうすっかり夕方という雰囲気になろうとしていた。昂也は目の前の開いている校門から通い慣れた学校の中へと入って行く。
あの時は試験期間で部活動も休みだったはずなのに、今グラウンドでは野球部と陸上部が部活をしていた。
「昂也!」
その中の、陸上部のユニホームを着ていた生徒が声を掛けてくる。昂也と同じ2年の陸上部員だ。
「今日休みじゃ無かったのかっ?」
体力だけは自慢の自分が休んでいることで、どうやら心配をしているらしい。その気持ちが何だかくすぐったくて、昂也は笑いながら軽
く手を振った。
「あー、うん、ちょっと」
「明日は出るんだろ?」
「・・・・・うん」
「そっか、じゃあ明日な」
また明日・・・・・ごく普通に掛けられる言葉に、昂也は頷き返すことが出来なかった。
部活動があるので、校内にもまだ生徒が残っている。
昂也はその中で顔見知りの生徒や教師に出会うたび、何時もと変わらない会話を交わした。
(なんか、変な気分)
自分には一か月ほどの空白期間があるというのに、周りにとって昂也は変わりなくそこにいる存在なのだ。龍巳達が言っていたこと
と合わせて考えれば、自分がいなくなった時は周りは確かにその存在を忘れていても、再び現れた時は、まるでその空白期間を切り
取って貼り付けたかのように記憶が繋がっているようだ。
「・・・・・それって、俺が忘れられたってわけじゃないよな?」
教室の自分の席に座り、昂也は考えていた。
自分がしたいこと、しなければならないこと。選ばなければならない現状を、どういった基準で選んでいいのか。
「昂也、起きなさい!」
「おーっす、昂也!」
この世界の家族や友人達はとても大切だ。高校だって卒業したいし、大学にだって行きたいと思っていた。
『コーヤ、礼というのは形に表さないと分からないぞ。ほら、遠慮なく口付けしろ』
『コーヤ、蘇芳の言うことは聞かなくていいから』
『コーヤだけが好き!』
あの不思議な世界で自分の味方になってくれ、好意を向けてくれた彼らのことも、もちろん同じように大切だと思っている(少々セク
ハラが過ぎるが)。
そして・・・・・。
『あの瞬間から、お前は私のものだ』
『考えることなど無い。お前はこのまま私の傍にいればよい』
とんでもないことを言っていたあの男。結局、何か言いたげだった男と、シオンやコハク達の処遇を聞きたかった自分は話が出来ない
ままだった。
「・・・・・あれ?」
(あっちの世界では、今の俺ってどうなってるんだ?)
ここでは、昂也がいない時はその存在さえも無かったものになっていた。そう考えると、向こうの世界からいなくなった自分は、そこに
いたということも忘れられているのではないか。
「・・・・・」
何だか複雑な思いだ。いや、寂しいという気持ちが強い。
「・・・・・」
(俺は、どうしたいんだ・・・・・?)
こちらの世界に戻ってきたということは、向こうの世界での自分の役割というものが終わったということかもしれない。必要とされない場
所に未練を残すことは馬鹿なことかもしれないが・・・・・。
(・・・・・アオカ)
昂也は頭の中でアオカを呼んだ。
今が向こうの世界で何時頃なのかとも気になったが、それよりも確かな繋がりというものを感じたいと思った。
(アオカ・・・・・ッ)
何度呼び掛けても、返答は無い。
「・・・・・くそっ」
全ては、自分で決めろということなのかもしれない。昂也は唇を噛みしめると、教室の窓からすっかり赤くなった空を睨むようにじっと
見つめた。
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