竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
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※ここでの『』の言葉は日本語です
病床の蒼樹にこんなことを言ってもいいのだろうかと思ったが、浅緋はコーヤが竜人界からいなくなったことを告げた。
多分、元の世界、人間界に帰ったのだろうということも。
「・・・・・そうか」
「驚かないのか?」
「コーヤは、役目を終えたんだろう」
寝台に横たわっている蒼樹は、命の危機から脱したもののなかなか体力は戻らなかった。
その顔も以前よりも青白く生気の無いものになっており、彼がその先の生を拒絶していることが浅緋には感じ取れた。
父である聖樹をその手で討った後自らの身体に剣を突き刺した時、蒼樹は本来ならそこで命を絶ち切ってしまいたかったのだろう。
だが、そんな蒼樹の願いを薄々感じ取りながら、自分達は彼の命を助けた。蒼樹にとっては有難迷惑な話かもしれないが、浅緋は
絶対に蒼樹を死なせたくはなかったのだ。
「では、もう戻っては来ないと?」
「コーヤは何のために現れたと思っている?」
「・・・・・」
「人間界へと持ちだされた紅玉を探しに行かれた碧香様の代わりに、こちらの世界へと呼ばれただけだろう。紅玉が見付かり、紅
蓮様が竜王に指名された今、コーヤがこの世界にいる理由など無い」
それは、蒼樹の言う通りだと思う。
コーヤがこの世界にやってきた時自分は、いや、自分達四天王は皆、厄介な存在がやってきたと全く歓迎の意志を持っていなかっ
た。
その中でコーヤは着実にこの世界で生きていくために仲間を増やし、その性格から自分という存在をしっかりと周りに植え付けた。
「・・・・・3人での旅は、面白いものだった」
「蒼樹」
「・・・・・いなくなったか・・・・・」
小さく呟き、目を閉じる。口では割り切ったようなことを言っていたが、蒼樹もまた、コーヤがいなくなってしまったことに寂しさを感じて
いるのが良く分かった。
(もう、戻って来ないのか、コーヤ)
コーヤにとってはけして良い思い出があったとは思えないこの世界に、今度は自分の意志で戻って来るとは・・・・・考えられない。
「別れの言葉くらい、言いたかったな」
そう言ったきり目を閉じてしまった蒼樹に、浅緋はそれ以上何も言えなかった。
「コーヤが人間界に?」
「そう」
あまりにもあっさりと頷くので、もしかしたら自分達を追い詰めるための虚言かと思ってしまった。
しかし、よく見れば江幻の口もとは綻んでいても、目は全く笑ってはいない。怒っているのだと、琥珀はようやく今聞かされた言葉の
重みを実感した。
本来、別々に軟禁されていた浅葱と朱里も同席した意味がようやく分かった気がする。
「・・・・・自らの意志でか?」
「いいや。時空の扉に呼ばれたらしい」
「・・・・・」
「王族の血を引かずとも、時空を超えることが出来ることは証明済みだったな、琥珀」
「・・・・・」
そう、元々定められていたものを、聖樹が打ち壊してしまった。
それには代償になるものをさし出さなければならなかったが、普通の竜人が人間界に行けること自体、この世界に大きな変化をもた
らしたかもしれない。
(だからこそ、コーヤが呼ばれたのか?)
ある程度の能力を持っている自分達とは違い、コーヤは本当にただの人間だった。その人間のコーヤが、何度も二つの世界を行き
来出来るはずが無い。
そもそも、異質な存在としてこの世界にいたコーヤ。異質なものを排除するという世界の仕組みは理解できるが、本当にあの少年は
この世界にいらない存在なのだろうか?
「・・・・・」
黙り込んでしまった琥珀に、さらに江幻が言葉を継いだ。
「あの子は、お前達の処罰を軽くしたいと紅蓮に頼むつもりだった」
「・・・・・っ」
「自身も怖い思いをしただろうに・・・・・そういうふうに他人を思いやることが出来る子だったんだよ」
言われなくても、琥珀も感じていた。敵対している時に何度か顔を合わせたコーヤは、離れてしまった紫苑のことを何時も心配し、同
じ人間である朱里のことも気にかけていた。
(あんなにも辛く当った私達を・・・・・)
琥珀は傍にいた浅葱と朱里に視線を向ける。
浅葱も何かを考えるように眉間に皺を寄せ、朱里は顔が青褪めていた。この会話は、江幻の緋玉の力で朱里にも理解出来ている
はずだ。
己と同じ人間のコーヤがどんな行動をとり、周りにどんなふうに思われているか・・・・・彼もまた、考えて気持ちを決めなければならな
い時だろう。
(あいつが帰った?)
その事実に、朱里が一番に考えたことは置いて行かれたということだ。
自分とは違い、この世界に沢山の理解者がいるくせに、さっさと安全な場所に逃げてしまった昂也が憎らしくて仕方が無い。
(僕は、僕はどうしたらいいんだよっ)
聖樹がいない今、この世界に留まる気持ちは全くなかった。しかし、こうして拘束されている今、自由に行動することさえままならな
い。
それに、帰る方法を朱里は知らなかった。
今話題に出ている時空の扉という場所をくぐれば確実に帰れるのだったら、今直ぐにでもその場所に連れて行って欲しい。
「琥珀」
感情が高まってしまった朱里は、そのまま琥珀の腕を掴んだ。
「僕は?僕は帰れないの?」
「朱里」
「僕だってこの世界いにいらない存在だろっ?さっさと追い出してよ!」
我が儘なことを言っているという自覚はある。
この世界にやってきたのは聖樹に誘われたからと言っても己の意志で、用が無くなればさっさと帰りたいというなどむしの良い話かも
しれない。
それでも朱里は、このままこの世界に残っていることが怖くて不安で仕方が無かった。
目の前で繰り広げられた会話に、浅葱も拳を握り締めた。
自分達がやってきたことが全て否定されたと、当初はかなり紅蓮に対する強い敵愾心が残っていたが、毎日入れ替わり立ち替わり
やってくる白鳴や黒蓉との会話、それに、何度か紅蓮自身もやってきて、浅葱の話を聞く態度に、少しずつ態度が軟化してきた。
そんな彼らの会話の中に出てきたコーヤという名前。
あの人間が、王族を、この世界を少しずつ変えてきているのか・・・・・そんな風に思っていた矢先の出来事に、浅葱も何と言っていい
のか分からない。
「・・・・・」
「・・・・・」
じっと、自分を見る江幻の視線も痛くて視線を逸らせば、そこには琥珀に縋る朱里がいる。
(朱里も、人間だった)
コーヤとは全く違う性格だが、だからといって朱里を悪者にするには自分達も悪かった。何も知らない朱里をこの世界に連れて来たこ
と自体が、本来は自分達が悔い改めなければならないことではないだろうか。
「江幻」
「・・・・・何?」
「我らは時空の扉を介さずに人間界を行き来した。もしかしたら・・・・・コーヤも再び、この竜人界のどこかに現れる可能性があるん
ではないだろうか」
「え・・・・・?」
虚を突かれたような江幻の顔。どうやらその可能性は全く考えていなかったようだ。
「感謝するっ」
そう言うと、あっという間に部屋を出ていく江幻の後ろ姿を見送り、浅葱はじっと自分を見ている琥珀に何だと言い返した。少し照れ
隠しもあったかもしれない。
「・・・・・いや、よくそのその可能性を思い付いたなと思った」
「私達も、いずれは朱里を人間界に連れて行ってやらねばならないだろう。今回のことでこの子に罪が無いということは紅蓮様も分
かっておられるようだし・・・・・」
せめてそれぐらいはしてやらなけらば、あまりにも朱里が哀れだ。
(きっと・・・・・コーヤも、そう考えるだろう)
江幻がいなくなってしまい、また言葉が分からなくなって不安に思っているらしい朱里の頭をひと撫でしてやると、浅葱は姿を消した
というコーヤのことを再び考えてしまった。
「・・・・・そうか。コーヤの行方は分からないまま・・・・・」
「はい」
江紫の話に耳を傾ける紫苑は、何とも言えない思いが渦巻く。
(私に死ぬことを許してくれなかったのに・・・・・コーヤ、あなたはそんな私を置いて行ったのか・・・・・)
こうして寝台に横になっていても、王宮の中がざわめいているのを感じていた。たった1人、それも、本来はこの世界に生きていない
はずの人間1人がいなくなったくらいで、こんなにも気は沈んでしまうものなのだろうか。
それにはこの世界を統べる者、紅蓮の感情が大いに関係あるだろうが、ここまで紅蓮の感情を乱すことが出来たコーヤは、やはり
ただの人間ではなかったのかもしれない。
「紫苑様、コーヤはもう、戻って来ないのでしょうか」
「・・・・・さあ」
「・・・・・」
「コーヤにとってここは、あまり居心地が良くない場所だったかもしれない」
そうでなくても強引に呼ばれてこの世界に来てしまったコーヤに、この地に愛着を持てということの方が無茶だろう。
「私は、そうは思いません」
不意に返ってきた江紫の声に、紫苑の思考は破られた。
「確かに、私達にはコーヤの言葉は分かりませんでしたが、見掛ける時はよく楽しそうに笑っていました」
「・・・・・笑っていた?」
「はい。青嵐を抱いて、何時も楽しそうにっ」
この世界がコーヤにとって負のものだけではなかったと訴えるような江紫に、紫苑もそうだったら良いのにという思いが生まれる。
苦笑交じりに頷いた紫苑は、ふと江紫の言葉の中のある部分に引っ掛かった。
「江紫、青嵐はどうしている?」
「地下神殿から離れないようです」
「コーヤが戻って来ると思っているのだろうか」
「・・・・・」
再びこの世界にコーヤが戻ってくるのが良いことなのか悪いことなのかは分からない。
コーヤの立場で考えれば、こんな醜い争いをし、自身の身体も傷付けたこの世界に、再び戻ってこようと思うことは無いように思う。
それでも・・・・・。
(皆がこれだけ望んでいる・・・・・コーヤ)
今、コーヤは何を考えているのだろうか。
彼の優しさを拒絶せずにもっと語り合えば良かったと、紫苑の胸の中には後悔の思いが占めていた。
『・・・・・やはり、駄目です。昂也の声は聞こえません』
『そっか』
申し訳なさそうに俯く碧香の肩を、龍巳は慌てて抱き寄せた。
『ごめんっ、そんなに気にしなくて良いんだって!』
『・・・・・』
『碧香っ、昂也と交感が出来るんじゃ無かったかっ?』
唐突に思いだしたその事実は何だかとても良い方法のように思えてしまったが、これはあくまでも可能性だった。
実際に交感出来なかったとしても、それは碧香の責任ではない。
『昂也は、今・・・・・』
『多分、ちゃんと俺達の町に帰っていると思う』
(昂也・・・・・そして、お前は覚えているのか?この世界のことを)
自分が不思議な世界で生きていたことを、出会ってきた竜人たちのことを、悲しい戦いのことを。
全てを忘れているとはとても思えず、龍巳はただ願うしかない。あの昂也が、このまま・・・・・まるであっさりと切り捨てたかのようにこ
の世界のことを忘れるはずが無い。
その上で昂也がどうするのか。
碧香と共にもとの世界に戻るつもりだった龍巳に、昂也だけにこの世界に残れというつもりはなかったが、あのままではあまりにも残
された者達に後悔ばかりが残ってしまう気がする。
(お前はそんなことを望んでいないよな?)
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